●嵐山駅前の変化、その315(マンション)
を作ってます」。小学4年生の同級生で面白いのがいて、担任の先生が家業を訊ねると、そう答えた。先生は「船」と思って驚いた表情をした。すると周囲がげらげら笑い出し、「先生、たこ焼きを入れるあの舟のことや」と囃し立てた。



そうした容器は今は発泡スチロール製になっている。昔は板を薄く剥いだもので作っていた。今ならそんな舟はどれほど高くつくだろう。だが、今でもそんな舟をたまに見かける気がするから、細々と家内工業で作っているのだろう。さて、先ほど「風風の湯」の湯船に浸かって来た。今日で5回目だ。昨日、その温泉が「地域のみなさまへ」と題して封筒に入った無料入浴券を家に放り込んでくれた。2名まで使える券で、期限は6月下旬までだが、よほど閑古鳥が鳴いていると見える。それはこれまでの入湯で明らかで、今日は5回のうち最も多い入りであったが、数えると筆者が滞在している間、20名ほどであった。これでは燃料費も出ないのではないかと思う。全く当てが外れたようで、経営者は気が気ではないだろう。利用者からすれば空いていると湯はきれいで、湯船をひとり占め出来るから、これほど贅沢なことはない。さすが桜はもうすっかり散ったが、八重の遅咲きがまだ少し残っていて、露天風呂に浸かった状態で真上に見える。今日はフランス語を話す親子が入って来た。子どもは5歳くらいの男子で、父親は50歳くらいか。ジャン・レノを膨らませたような風貌で、遠慮気味にすべての湯船を順に入り、サウナも試していた。また、今日は顔見知りがふたり入って来て、それなりに地元住民の風呂好きに利用されていることがわかった。前回作るのを忘れたポイント・カードを今日は夫婦で作った。これは1回利用するごとにスタンプが1回押され、それが5個で次回は半額で入れる。そして10個で1回無料だ。このようなサービスをしなければならないほどに客が来ない。この調子では赤字続きで、早々と営業をやめてしまうかもしれない。それはこの温泉が出来る前にわが自治会の古老格が懸念したことだ。儲からないとなると、さっさと撤退するが、そうなった時は建物だけが古びたままで残されたり、あるいは更地に戻されるが、更地になったところで元の桜の林は戻らない。つまり、金儲けの夢を見て金のあるものが押し寄せるが、儲からなければ地元は以前よりもひどい状態にされてしまう。「風風の湯」がそうならないことを願うが、筆者と家内が毎週金曜日のシルバー・デーに半額で入ったところで、実にささやかな儲けにしかならない。今日会った地元住民に、「毎日500円で入れるならばもっと繁盛すると思いますけど」と言うと、相手は否定した。そうなっても客は多くならないと言うのだ。その理由を訊かなかったが、地元の人口の少なさを思ってのことだろう。渡月橋をわたって嵯峨からやって来る客はほとんどいないのではないか。とすれば客数は期待出来ない。
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 船は舟より大きいものを言うが、今日は温泉に浸かりながら、事故で転覆沈没した韓国の大型の船に残されている二百数十人のことを思った。内部に空気が残っていても、真っ暗で、また食糧もないから、たとえ生き残っていてもその恐怖はどれほどだろう。3年前か、日本で漁船が同じように転覆する事故があって、3人が4日か5日ぶりに救出された。海水の温度が22度か、温かったのがよかった。「大船に乗った気持ち」という表現があるように、まさか大きな船は沈没するとは思わない。それがそうではないとなると、どのような乗り物でもまさかの事故に遭遇すると思っておいてよい。30数年前、『アンデスの聖餐』という映画があった。これアンデスの山中に旅客機が墜落し、搭乗していたラグビー選手らが大勢生き残ったのはいいが、雪が積もる山で、食糧がない。そこで死んだスチュワーデスを解体して食べた。それは神が贈ってくれた食べ物であるとみんなは考えることにし、スチュワーデスも死ぬ間際に食べられることを願ったという。2か月か3か月後に麓から救助隊が到着したが、それは一か八かで下山した数人が連れて来た。もっと早く下山していればよかったかもしれないが、磁石も地図もないでは遭難の恐れが大きかった。この事件は世界に報じられ、映画化は『アンデスの聖餐』のほかにもあったと思う。この事故で筆者が思ったことは、都会の生活を満喫している人が、飢えに苦しんで人肉を食べることになる可能性が常にあることだ。まさかそんなことはないとたぶん99.9999パーセントの人は思っている。旅客機は安全に目的地に向かい、また何事もなかったかのように旅から戻って以前の生活に戻る。そのあたりまえのことが、時として全くそうではないことになる。韓国の修学旅行生たちはまさに大船に乗った気分で船内でくつろいでいたはずだ。それが一瞬のうちに暗転する。そして凄惨な場面が目の前に現われる。中世ヨーロッパでは「死を想え」の言葉が流行ったが、どこにも危険などないと高をくくっている現代文明はあちこちに大きな口を空けて人を誘い込んでは死に至らせようと待ちかまえている。そんなことを少ない八重桜を見上げながら露天風呂に浸かりながら思った。そして、まさか大地震が起こっても湯船がひっくり返ることはあるまいとそれこそ大船に乗った気分であったが、それが不謹慎かと言えば、人間とはみなそういうもので、事故に遭遇しない限り、のんびりとかまえている。
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 今日の写真は去年4月18日に撮った。京弁当というのがあるのかどうか知らないが、それを出す料亭が去年3月末頃に店を阪急に売却して出て行った。わが自治会の住民で、女将や御主人とは何度か話したことがある。女将は「わたしらのような零細企業は…」と半ば愚痴めいたことを1年半ほど前に筆者に言ったことがある。それは儲からないためであったのだろう。それに後継者がいないので、店を売ることにした。800坪弱あるというその土地は今も更地のままで、マンションが建つ気配がない。建設前には地元住民への説明会があるはずで、その告知がないところ、着工がいつになるかわからない。この800坪の空き地のすぐ近くの住民と2週間ほど前、空地の脇であった。その人は工事が始まらない理由を少し言ってくれたが、それが事実であるかどうかを訊かないうちに、その人はバス停に向かった。あまり要領の得ない話であったが、それによると京都市が空地の一部が計画道路に入っているとのことで、その分を削るのかどうか、とにかく折衝が続いているようだ。その計画道路というのは半世紀も前から地元住民は知っているが、いっこうに京都市は土地買収で動く気配がない。それが大きな空地が出来たことによってにわかに京都市は動き出したのかもしれない。この計画道路が計画でなくなって実際に完成すると、わが自治会は住民が大幅に減る。だが、半世紀前に戻るだけと言うことも出来る。この半世紀、とにかく田畑を潰し、あるいは山の斜面を盛り土して家を建てて来た。それが空家が目立つ一方となり、そのうち半世紀かもっと前の人口密度になるだろう。それが異常ではなく、長い歴史から見ればむしろ正常過ぎる。1960年代半ばに日本の人口は9500万人ほどで、それが半世紀で3割増しになった。その異常さはもう日本では二度と起こらないのではないか。にもかかわらず、その人口の多い時に都市を膨張させ、高速道路網や高層建築群を造った。耐用年数のあるそうしたものを大量に造ったおかげで、今後少ない人口でそれをどう維持するかとなると、とても日本人だけでは間に合わない。だが、それも日本が金持ちであるからで、そうでなくなれば外国人労働者は呼べず、廃墟の国と化すだろう。その警告がまさに大船に乗った気持ちでいた福島原発ではないか。
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by uuuzen | 2014-04-18 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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