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●松山にて、その2、道後温泉本館
めという表現ではなかったが、それと似た否定的とも言える感想を道後温泉について聞いたことがある。昨日書かなかったが、その評価が一度自分の目で見たいという思いをさせた最初で、28年ほど前のことだ。



●松山にて、その2、道後温泉本館_d0053294_0591150.jpg息子が2歳くらいであったはずで、DJの若宮テイ子さんがわが家にやって来た時に道後温泉に行ったことを耳にした。あるいは当時筆者は何度か彼女と会ったので、別の機会であったかもしれないが、30年近い昔であることには間違いがない。若宮さんがなぜ道後温泉に行ったかは訊かなかったが、神戸からなら有馬という定番を避けようと思えば道後になる。その頃筆者は道後温泉には死ぬまで行くことはないだろうなとぼんやりと考え、若宮さんの話にさほど注意を払わなかった。ただし古くさくてあまりよくないという感想だけは記憶した。道後温泉の本館がどのような建物であるかくらいは当時筆者は知っていたから、いかに立派な木造建築でも内部の湯船は古過ぎて洒落た印象とはほど遠いことを何となく想像した。バブル期のことであり、たとえば白浜では会員性のとびっきり豪華なホテルが出来たりするなど、日本中が金ピカの超高級を誇ったから、歴史ある道後温泉はその歴史の点でかえって時代遅れに見られたのではないか。道後温泉の本館には宿泊出来ないから、それを取り囲むように林立している一級ホテルのどこかに若宮さんは泊まったと思うが、それならよけいに道後温泉本館(以下、本館)は時代遅れの、汚れが目立つだけの施設に見えたと思う。似たような温泉なら、街中の銭湯でもよいと思う人がいても不思議ではない。実際京都には時代を経てはいるが、内装が重文級の立派な銭湯が現役で頑張っていて、しかもそういう銭湯は地元住民に頻繁に来てもらわねばならないから、サウナ室を設けるなど、時代の変化に敏感で清掃もよく行き届いている。一方の本館は築100年をとっくに過ぎ、あまりに重厚で雄大な建物であるため、普通の銭湯のように簡単に部分的改修は出来ない。そのため年々古さを増すはいいが、それは年々時代遅れとみなされかねない。実際に使用せず、鑑賞が目的ならそれでいいが、湯船に浸かり、体の垢を落とす風呂であるからには、見た目がきれいであった方がいいのは言うまでもない。たぶん若宮さんが思ったのはそういうことではなかったかと思う。繰り返すと、ましてやバブル時代で、古いものが取り壊され、斬新な建物がどんどんと建てられた。建築家はこぞって奇抜なデザインを試み、建築ブームが到来した。
●松山にて、その2、道後温泉本館_d0053294_0592822.jpg さてそれから四半世紀少し経って本館に入る機会が訪れた。洲之内徹の展覧会がなければ出かけておらず、温泉は目的の第一番ではなかったが、若宮さんのかつての感想に対して筆者はどのような感想を抱くか、そのことに興味があったのは確かだ。結論から言えば、若宮さんの印象は正直なものだ。ただし、やはりバブル期のもので、今なら多少違う意見を持つのではないか。それは若宮さんが30歳近く老いたことと、時代がその間に変わったからだ。バブル期はあっと言う間に過ぎ、当時の建物はよくもまああんなものをという呆れ顔の評価を受けるものが多くなった。白浜の超豪華なホテルは解体するには惜しく、さりとて運営が行き詰まり、一時閉鎖の憂き目を見たはずだ。それが先日旅行パンフレットを何気なく見ていると、ツアー客が利用出来るホテルとしてまた営業をしていることがわかった。大金持ち専用の施設ではなく、誰でもかなり安価で利用出来るものに変わったのだ。当然のことだ。客がなければ営業は成り立たない。薄利かもしれないが、団体客を次々に呼び込む方が得策だ。そのホテルはいつも決まって大理石の太い柱が並ぶ神殿のような内部の写真が使われるが、建築材料に金がかかっているとしても、筆者はそれをあまり見たいとは思わない。バブル期に出来たので、歴史はまだ30年そこそこだ。それが本当の貫禄を示すのは100年後だ。それまで営業しているかどうかが問題で、また鉄筋コンクリートはそんなに寿命が長くはない。本館は木造で、皇族が利用したこともあるうえ、現在は松山市営であるから、市が存続する限りは誇りの施設として何が何でも保存かつ営業を続けるはずだ。耐震設計がどうのという問題はあろうが、それもどうにか目に見えない部分を補修するなどして歴史を経た風格を壊さないように充分に留意するに違いない。本館の味わいは、外観と内部の湯船、それに正面玄関前にある商店街の3つが合わさったもので、若宮さんの目に3つ目がどう映ったのかと想像する。先ほど家内と1か月ぶりほどに四条河原町から三条河原町、そして新京極や寺町通りを一周して来たが、知らない店が4,5軒出来ていた。おまけに空地になった店も2か所あった。そのあまりの頻繁な店の変化は今までもそうであったが、最近は特に激しいのではないか。家の家電製品をひとつ買い代えると、すぐに別の製品が壊れたりすることと似て、どの店も同じような時期に建ったので、建て替えや店主の変化は連鎖的に接近するのだろう。それで連想することは、若宮さんが訪れた当時、本館前の商店街はまだ古い建物が全体に多く、それが神戸っ子の若宮さんには惨めたらしく見えたのではないか。地方都市特有の時代遅れ具合を見たと言えばよい。だが、その時代遅れはバブル期はそうであったとしても、ここ2,30年の間に大きく変わった。「昭和レトロ」という言葉が知られるようになり、昭和時代の懐かしさを感じさせるものを積極的に評価しようという動きだ。これはバブル期にも少しはあったが、目の前に突き出される札束の前で、誰もが古きよきものをさっさと捨て去った。
●松山にて、その2、道後温泉本館_d0053294_0595536.jpg
 本館前の商店街は筆者が見たところ、8割はここ20年以内に新しく建ったものだ。いかにも戦前を思わせる店がないではないが、それはごく少数だ。だが、そういう店かまえが新しくまた明るい店の中に混じっている様子がよい。これがすべて新しい建物ならば、薄っぺらく見え、松山市に行く気分を失う人が多いだろう。筆者は道後温泉を訪れる人はてっきり70以上の老人が9割以上と思っていたが、見事に予想ははずれ、9割が若者であった。たまたま卒業旅行シーズンであったためかもしれず、これは調べてみる必要がある。若者が多く訪れることは、観光地として魅力がある証拠で、それは本館が死んでいない、つまり惨めなものではないという思いが健在であるからだろう。バブル期を過ごした若宮さんや筆者とは違って、今の20代は金ピカの豪華さにさほど関心がないのではないか。古いものはそれはそれとして楽しむという一種の余裕がバブル期を過ごした世代より多い気がする。古いものを尊敬するというのではなしに、珍しいからというのがだいたいのところで、それほどに昭和がレトロになった。本館前の商店街の明るさに比べ、本館はいかにも黒っぽく、明治時代にタイムスリップしたような気にさせてくれる。筆者は関心がないが、宮崎駿のアニメに本館を参考にした建物が登場するらしく、そのことから本館を一度見たいという若者も多いかもしれない。そして見るだけではなしに、実際に温泉に浸かることが出来るうえ、湯上りには商店街をぶらつくなど、温泉街情緒をたっぷりと味わうことが出来る。筆者の年齢になると、いかにも現代的な洒落た店は場違いの気がして入りにくいが、かといって本館前の商店街が半世紀前の建物ばかりであればよけいな値段を請求されるのではないかと警戒もする。明るく新しい店は思ったほど高くなく、むしろ京都より安いくらいであった。これは道後温泉に来る人はどうせ一度限りで、ぼったくってもよいという考えを地元の人たちが抱いていないからで、その点は京都の嵐山や嵯峨の店は3、4割は割高だ。前にも書いたが、半丁の豆腐と原価100円にならない刺身をつけて3000円ほどの価格をつける京都商法がまかり通っている。話を戻すと、若宮さんは今なら本館の印象を多少は変えるのではないか。本館の時代を経た一種陰鬱な感じは商店街や周辺の新しいホテルによって相殺されているからで、古いものと新しいものの同居はそれなりに面白い。それに、その古さは金がなくて古いままではなく、金をかけて古さを保っているわけで、あえて古い状態をよしとする考えがある。筆者は金がなくて古いままになっている建物も好きで、それも人間らしいと思う。そうそう、若宮さんの家は阪神大震災の後に現代的なデザインで建て替え、昭和レトロの面影はない。
●松山にて、その2、道後温泉本館_d0053294_101912.jpg 本館の写真を昨夜加工したところ、投稿を2回に分ける必要があることがわかった。それで今日はその1日目で、本館そのものについて書くことはあまりしない。また、写真を見れば外観や周辺の様子はわかる。それに筆者がわざわざ写真を載せなくても、誰でも外観は知っている。そう思いながらしっかり建物を撮って来たのは観光気分のなせるわざだ。宿泊したホテルの女将に訊くと、本館は朝は6時から、夜は11時まで営業していて、年中無休とのことだ。入湯券は玄関に向かって右手の窓口で売っている。その上部に料金や説明書きがある。最安は400円だ。最初に掲げた写真はその半券だ。確か1時間の入湯と何かに書いてあったが、チケットには入館時刻を刻印していないので、何時間入ったかを調べる方法はない。とはいえ、2時間も過ごす人はいないだろう。わが自治会内に出来た「風風の湯」は狭いながら、サウナもあり、湯船は露天も含めて3,4つある。そのため、2時間ほどはあちこち交代に入って過ごすことは出来る。道後温泉本館は大きくて複雑な建物であるから、その全部を見ることが出来るのかどうか知らないが、入湯券は4,5種が販売されていて、高価な券では皇族が利用した湯船を見ることが出来る。それは使用されなくなって久しいそうで、湯は張られていない。それでは見ても仕方がない。二度と行かないかもしれないので、せっかくならば見られるところはすべて見ておいた方がよかったのだろうが、400円の最低コースでよいということで家内と意見が一致した。ホテルの女将はいかにも慣れた口調で本館についての説明をしてくれたが、その中で本館から100メートルと離れないところに新しい「椿湯」というのがあって、話のネタにそこにも入ることを薦めると言った。それは、本館があまりにも期待外れであるかもしれないのでという観光客に対しての予防線で、地元の人たちも本館の歴史の貫禄はいいとして、老朽化の謗りは免れないことを思っていることを暗に示している。若宮さんが反応したのはその老朽化の部分だ。そしてつけ加えるのであれば、400円で入れる部分は、湯船がひとつだけという狭さで、これは街中の銭湯と同格かそれ以下だ。その「銭湯」という言葉はホテルの女将も使った。脱衣場があって、確か4枚の扉の向こうは3,4段の階段を下がって正方形に近い50畳ほどの部屋がある。その部屋の奥に長方形の湯船があって、背後の壁面は一辺が40センチほどの呉須で松や富士山が描かれた白地のタイルが貼り詰められている。それはさほど古くない。3,40年前のものだったと思う。湯船をコの字型に洗い場が取り囲んでいるが、当然蛇口が並んでいるのは両脇の面のみだ。何の変哲もない銭湯と思われかねないが、ひとつ大きく目立つものがある。後で家内に訊くと、女湯にも全く同じものがあったようだ。それは突き当りのタイル壁に接し、また湯船をかなり占領している筒状の大きな給湯塔だ。そのぐるり全面に漢詩が大きな文字でびっしり彫られている。タイル壁に接している部分にも字があったところ、その筒は元は別の場所にあったはずだ。あるいは突き当りの壁をリニューアルした時にその壁が筒に接するしかなかった。漢詩はその筒の前面についている石像の説明だ。その石像は大黒天の顔をした神農で、同じ形をした小さな神農を胸に抱いて笑っている。抱かれる小さな神農が抱くのは宝珠だ。大黒天は縁起のよさから選ばれたはずで、神農は薬草に関係して温泉が健康によいところからであろう。漢詩は従何位か忘れたが、しかるべき位を得た彫刻家が彫ったものという、かなり大げさな賛辞で、そういうことに関心のある若者はほとんどいないだろう。筆者は湯に浸かりながらこの彫刻をずっと眺め楽しんだ。扉を開ければ真正面に位置するその石造を間近に見るだけでも、400円は価値がある。また湯はかなり熱くて濃く、さすが天下に轟く温泉を実感させた。漱石のように毎日でも入りたいものだ。漱石が本館に入ったのは建物が出来て間もない頃で、老朽化にはほど遠く、周辺は鄙びて、玄関前にアーケードつきの商店街もなかったであろう。そんな時代でも惨めに見える建物はあったはずで、実際漱石が見た松山は本館以外は何もかもが東京に劣っていた。
●松山にて、その2、道後温泉本館_d0053294_104029.jpg

by uuuzen | 2014-04-07 23:59 | ●新・嵐山だより
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