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●嵐山駅前の変化、その305(電柱地下化工事)
まれると思う双方のどっちが正しいかは民主主義国家では多数決ということになる。昨日書いたように、阪急嵐山駅前の北100メートルほどに桜の林がある。



その西半分は温泉施設が出来た。東半分はそのままで、桜の古木がかなり悲惨な状態にありながらも伐採を免れている。昨日書くのを忘れたが、そのままでは倒れてしまう1本の木には支えの丸太が3本組まれていた。阪急としてもなるべく長生きさせようという気があるようだ。だが、それが終始一貫して来ているとは言い難い。温泉が建つ前の2,3年は駐車場として利用していたし、それを止めた途端、どの木にも札を打ちつけ、バーベキューなどの遊びに使うことを禁じていた。長らく駐車場になっていたため、桜の根元が痛めつけられ、寿命を短くしたのは間違いない。みるみるうちに枯れてしまった木が何本かある。手入れの施しようがなく、枯れるならそのまま放置しておくという考えのようであった。それが昨日は筆者が知る限り、つまりここ30年では初めて丸太でつっかえがなされた。以前ならそのまま放置し、倒壊すればしたでさっさと処分したろう。ともかく、阪急がこのかろうじて残った桜の林の東半分を今後どのようにしたいのかわからない。温泉の玄関はこの東半分を向いているから、温泉にとっては桜がたくさんあった方がよいに決まっている。だが今からではもう保存は手遅れだろう。というのは、この東半分の北端すなわち桂川の支流沿いに自転車道路が延長されることになり、そのために先日は4本が切り倒された。数えていないが、もうこの桜の林は30年前の半分ほどしか木がない。新たに植える計画はまずないと思う。植えてもすぐに枯れるだろう。それを惜しむ声が大きいのか、新たな施設でも建つ方を歓迎する声が多いのか、賛否の採りようがないので、阪急は適当にどうにかする。桜の木がたくさん植わっていると、毎年花見が出来て喜ばしいが、それ以外の日は雨が降ると足元が泥で汚れる。観光客はそれを嫌うだろう。それで自転車道路にしたり、また西と東の中間を石畳の道にする。土の表面が失われてアスファルトや石の舗装が増えることを自然が蝕まれていると思う人はある。その反対に草が生えない舗装は雑草が目立たなくて景観上からはよいと言う人もある。考えの違いによって、「蝕まれる」は正反対の意味合いを持つ。あべのハルカスの300メートルの展望台から大阪市内の四方を眺めれば、ほとんど緑がない。どこまでも灰色で、この状態を自然破壊とは見ずに、人間の勝利と喜ぶ人がある。そしてそのことに対して反論したい人はさっさと緑豊かな田舎に住めばいいだけのことで、先日松山に行ったが、車窓からの風景は緑がまだまだ多く、アスファルトやコンクリートが目立つ都会は例外的であることがよくわかる。
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 手をたとえば腹の上に置いたままにして30分ほど動かさなければ、手が腹の上にあるという感覚がなくなる。そこでほんの少し手か腹を動かすと、手を置いている感覚が戻る。このことは、何でもしばらく時間が経つと慣れっこになって意識しなくなることを示している。いや、意識はあるが、感覚がわからない。だがこれは本当はまずい。意識と感覚がばらばらでは、いつの間にか意識も鈍感になる。そのため、どのようなことでも絶えず動いている必要がある。この動きは変化であって、何事も変化して行くことは正しいという理屈を導く。変化がなければ意識が鈍感になり、考えないようになる。考えなくてもいいこともあるが、そういう時に事件や事故が起こって慌てる。わが自治連合会では毎年防災訓練をしているが、どうせ大災害など100年に一度しか起こらないので、訓練をしても無駄という考えのひとは多いだろう。だが、1年に一度の訓練であっても、それは腹の上に手を載せたままの状態において腹か手を少し動かしてみるのと同じで、今自分がどういう状態にあるか確認し直すことになる。さて、今日は本カテゴリーとしては初めての投稿になるが、渡月小橋南詰めにある電柱を3本ほど地下に埋める工事が始まるとの告知が去年3月にあり、これは一応は駅前の変化に含めてもよいので、写真を撮り続けようと考えた。今日がその第1回で、今日の3枚の写真は去年3月19日に撮影した。まだ工事もその前の試掘も始まっていない。この電柱の地下化は長年陳情されて来たようだ。それは電柱の背後にある料理旅館の社長らで、天下の嵐山であるのに無粋な電柱が突っ立っているのは何事かの思いがあった。祇園ではすでに地下化が終わり、次いで上七軒も去年3月に工事が完了し、ついでに道は全部石畳となった。それと同じことを嵐山が求めるのは当然だろう。清水寺界隈もすでに石畳になっているが、電柱はどうだろう。記憶にない。めったに歩かないからだが、それとともに普段あまり電柱に意識を払わないからだ。それこそ前述した腹の上に置いた手で、電柱のある光景はあまりにもあたりまえ過ぎて、あっても邪魔とは思わない。不格好と思うのは電柱のないヨーロッパの観光都市からやって来た人たちだろう。そして、彼らから指摘されると、まるで初めて気づいたかのように電柱が目障りになる。
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 さて、わが自治会に立っている電柱が何本か筆者は数えたことがない。わが自治会は渡月小橋南詰めにある料理屋や旅館だけではなく、観光客が踏み込まないわが家がある地域も含む。そういう地域は今後も電柱の地下化工事は行なわれない。あくまでも観光客のためだ。そう考えると、旅館が電柱を撤去してほしいと陳情して来たことは、自分たちの商売のためで、嵐山の景観をよくしたいというのは二の次だろう。筆者は最初そのように感じてあまりいい気がしなかった。というのは、わが屋の近くの電柱は100年、200年経ってもそのままのはずで、仮に京都市に陳情しても「観光客とは無関係な場所はその必要がない」つまり「そんな税金の無駄使いは出来ない」と絶対に言われる。それがあたりまえ過ぎるほどわかっているので、誰もそんな馬鹿なことを考えもしない。電柱は突っ立っていてあたりまえという思いにすっかり慣れているからだ。そこで思うのは、いかに民主主義とはいえ、金を持っている者が声を上げると、金も持たざる者より何倍も効果があるということだ。つまり、世の中は金持ちの思いどおりに動いている。このことは当然と言う人が多いだろう。金持ちは税金をたくさん払っているから、税金をたくさん使う工事の恩恵に与るという考えだ。去年3月、わが自治会の最も観光客がよく歩く地域の電柱を3本ほど撤去するとの工事が告知された時、自治会住民の2,3人から本心は反対だと聞いた。それは、電柱が撤去される区間は、道路幅が狭く、歩道がほぼない。にもかかわらず、バスは頻繁に通るから、いつ車と衝突するかひやひやものだ。最初の写真には保津川下りの船を積んだ大型トラックが写っているが、このトラックは以前は写真で言えば筆者がカメラを持って立っている方向に進んで来たが、阪急嵐山駅前の地道が車道と歩道に分離されてからはそっちを通ることになった。それはさておき、写真に見える狭い道をバスや車が通過する時、電柱の陰に隠れると安心出来る。筆者はいつもそのようにしてこの短い区間を歩く。どうやらそれは他の自治会住民も同じだ。ならば、この電柱の地下化工事は地元住民の賛否を採って決めるべき問題ではないか。だが、一度もそのような話が役所から持ちかけれたことはない。そして2,3軒の旅館が陳情して電柱はついに撤去されることになった。自治会住民が心配しているのは、そうなればバスや車がもっと速度を上げて走るだろうことで、かくて渡月小橋南詰めから法輪寺に向かう狭い道はもう人間は歩くなということなのだろう。筆者が思うに、渡月橋は車を通さず、また電柱が撤去される区間もそうすればよい。だが、それにはバスや車をどのようにして桂川を越えさせるかの問題が生じる。新たな橋を渡月橋の南方に造る必要が生じる。それはそれでまた嵐山の風情が蝕まれることであって、そう簡単には決着しない問題だ。
●嵐山駅前の変化、その305(電柱地下化工事)_d0053294_23292222.jpg

by uuuzen | 2014-03-20 23:34 | ●駅前の変化
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