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●『メイクイーン』
山(ウルサン)市を舞台にした海底油田を掘削する造船業に携わる人たちの人間模様を描き、さまざまな業界を描く韓国ドラマの中でも重工業を扱う点で珍しいものに属するだろう。



とはいえ、全38話という比較的短い作品でもあり、ロケの場面は現場の片隅をわずかに借りて撮ったという雰囲気が強く、料理や服飾業界を扱ったドラマとさして印象は変わらない。韓国の重工業の規模がどれほどなのかについては日本ではよほど関心の強い人でない限りわからない。「蔚山」と聞いて「現代グループ」の本拠地を即座に連想する人にしてもどれほどいるやらで、日本ではそれがどこに位置する都市であるかも知らない人が大半ではないだろうか。韓国では当然そうではなく、「蔚山」というからには大企業の内幕を描くドラマであることは最初からわかる。韓国ドラマをそれなりに見ている筆者だが、蔚山を舞台にする作品はこれが初めてで、それなりに興味深かった。途中で「巨済市」も多少登場するが、これは釜山から南西に浮かぶ大きな島で、蔚山と同じように造船業が栄えている。そのため、本作での造船関連の撮影は蔚山ではなく、この島で撮影されたものも混じるだろう。また、本作を見ながら造船は日本のお家芸であったのに、オイルショック以降は韓国の追い上げがあって、今では首位の座を韓国に奪われている。そういう現実の前で本作のような造船業界を描くドラマがもっとたくさん作られていいはずだが、本作が韓国の造船業界を手放しで礼賛しているかと言えば、そうではなく、どちらかと言えば反省の色合いが濃い。それは大いに気になるところだが、世界一に躍り出た貫禄のなせるわざと言えなくもない。つまり余裕だ。それはひとまず置いて、反省するのは業界の第一世代で、本作の若手の親に当たる世代だ。韓国ドラマは必ずと言ってよいほど、親子関係が描かれる。そこには新旧の価値観の対立があり、子ども世代は親の意見を時に理不尽と思いながら受け入れ、あるいは反発しながらドラマが展開し、最後は親世代の考えが新時代にはふさわしくなかったことを親世代が理解し、子どもと和解し、そして子どものやりたいようにやらせることになる。そして、ドラマの主役である若者がまだ小学生や中学生であった頃からドラマが始まり、その10年、20年後の現在が中心に描かれる。この親子、そして幼馴染のそれぞれの因縁がテーマになるところは韓国ドラマをおおまかに理解するうえでとても重要だ。日本ではそこまで過去に固執しない。韓国では反対に現在は過去の因縁の上に築かれるもので、現在よりも過去を重視する。この民族の考えの差を理解せねば現在の日韓関係のぎくしゃくの理由がわからない。それにこれはどの国同士でも言えることだが、国が違えば風習が違い、お互いの国の風習をそれなりに理解せねばならない。ソウルでオリンピックが開催された1988年は、ソウルで犬の料理を食べさせる店が国から制限ないし禁止されたことがあったと記憶する。犬を食べるとは何と残酷な民族であるかと世界中からの非難を恐れたのだ。韓国では犬は食べるが馬は食べないから、馬を食べる日本が残酷と思うだろう。このように国が違えば風習も差があるから、他国の文化を自国の尺度で云々しない方がよい。そう言えば韓国でも鯨を食べるが、日本の捕鯨が欧米から徹底的に白眼視されていることに対して、日本は古くからの文化であって理解を示してほしいと訴え続けながら、結局はアメリカの策略に乗って今では牛を食べ、鯨を捕らなくなった。戦争に負けるということはそういった食文化に最も早く影響が出るのではないか。
 ほとんどの韓国ドラマは男女ふたりずつの若手が起用され、愛憎の四角関係が描かれる。これは欠かすことの出来ない基本で、これを外したドラマは時代劇以外ではあり得ないと言える。したがって、若者の恋愛に関して興味のない大人は最初から見る気がしないという現実がある。そこをよく知っているTVドラマ業界は、前述のようにその若手の親やさらにその親の親世代を登場させ、主人公である若手4人の現在の境遇を側面から説明する役を担わせる。たとえばわがままな女性ならば親やその親の育て方の影響で、因縁や因果応報を視聴者に納得させる。これは先日書いた『福寿草』では典型的に表現されていた。若者は親やその親世代の犠牲であるという見方も出来るこの描き方は、現在の韓国の若者が置かれている厳しい状態からは当然のものだろう。大学を出ても就職出来ない若者が日本以上に多い韓国では、『こうした国になったのは親やその親世代が悪い』という若者の思いが蔓延しているように想像する。そうであれば、不遇を感じている若者は親やその親世代に反旗を翻すし、金持ちの家に生まれた高学歴の若者がたいていは他人を思いやることが出来ない非情な者としてドラマに描かれることに溜飲を下げる。いつも書くように、TVドラマは時間の消費はさておき、無料の娯楽だ。仕事があまりなく、時間がたっぷりある若者は韓国ではPC房に籠り切りになるのが相場かもしれないが、TVドラマを楽しむ者も多いのではないか。また若者だけが見て楽しいようには作られておらず、年配者は若者の思いを垣間見たり、自分と同世代の人たちの頑固さや愚かさを登場人物に見ながら自分はそうではないと自惚れることが出来る。本作はその部分が特に大きく、4人の若者よりもその親たちが主役と言ってよい。この点は他の韓国ドラマでも大なり小なり見られ、ベテランの俳優たちをデビュー間もない若者の鑑となるように演技のうまさを引き出すように脚本が書かれている。これはドラマの筋とは関係のない年上と年下世代の理想的な関係、言い代えれば儒教社会が旨とする目上を立てる態度をTVドラマ制作業界、ひるがえって韓国社会全体が今後も死守して行こうとする態度の表われでもあって、いわば二重にドラマを楽しむことが出来る。それはドラマの筋立てそのものを楽しむことと、俳優同士の火花の散らし合いと言えばいいか、経験豊富な人物はそれなりに貫禄を見せねばならないという暗黙の了解を画面から感じ取ることの楽しみだ。若い俳優はこうしたTVドラマを通じてベテランの演技に触れ、多くのことを学ぶ。そして運もあるが、才能のない者はやがて淘汰され、業界から消えて行き、時には自殺者も出す。
 本作は特に役者世界の熾烈な戦いをひしひしと感じさせ、悪役が目立っている。その悪役の長とでも言うべき人物は日本の財津一郎を思わせる顔つきのチャン・ドヒョンを演じるイ・ドクファで、筆者は目下この俳優を大長編の『武人時代』でたっぷりと鑑賞しているが、彼は本作よりおよそ10年前のそのドラマで決定的な評判を得たのではないだろうか。『初恋』に登場する傲慢で暴力的な社長を演じた腹が出っ張った男優は2,3年前に亡くなったが、彼の味わいとはまた違ったアクの強さをドクファは持っていて、悪役がむしろ主役になる韓国ドラマでは引っ張りだこだろう。先ほどネットで調べて、とてもたくさんのドラマや映画に出演していて、父も娘も役者であることを知った。知的な、そして優しい顔をしていないので、演じる役どころはみな似たものになるのが少々残念だが、本作では高度成長を遂げた韓国ではなく、まだまだ貧しかった時代に野望を抱き、敵を殺してまでも財力を手に入れて行く人物を演じつつ、そういう生き方がもはや現代の韓国では時代遅れであることを悟った段階で潔く自滅して行く、古い世代の男の美学とでもいうものを示し、殺人者という悪役ではあるが、どこか憎めないところのある難しい役を演じている。ドクファは実際は髪の生え際がかなり後退していて、比較的若い役を演じる時は鬘を被るが、本作のチャン・ドヒョンは髪が多く、それは活力がみなぎり、強引な人柄を表現するためだろう。そういう男は行動力に優れ、自分の望むものは手段を選ばずに何でも手に入れて行く。ちょうどそれは6、70年代の韓国の姿であり、ドヒョンはその古い時代の大成功者だ。だが、そうした人物も時代が変われば表舞台から姿を消して行かねばならない。無の状態から一代で造船会社を入手したほどのドヒョンであるから、自分のつごうの悪いことは暴力団を使って排除して来た。そのつけをいつか支払わねばならず、また大きな成功を克ち得たほどにそれは大きいから、ドヒョンが最後に破滅するのは当然で、妻子から離縁され、財産も失うが、そんな彼が自分の夢がすべて破れて自殺するかと言えばそうではなく、するべきことは全部やり遂げ、後は自分の血を引く娘に潔く委ねられることの高揚感の中で喜んで死んで行った。つまり、悪役を悲惨一辺倒には描いておらず、そこに現在の韓国が過去の無茶な経済成長をどこかで反省しつつも、それは時代のせいであって、当時は正当化されるべきものであったとみなしていることを意味しているだろう。そして、ドヒョンのような怪物的大物が跋扈した時代に比べて、現在は本作の4人の若者に示されるように、良識が評価されるべき時代となり、ようやく韓国も先進国へとまともに仲間入りする資格を有するようになったとの自負がほの見える。ただし、圧倒的存在のドヒョンに比べて4人の若者はあまりに軽い。それは演技の経歴が短いためだけであろうか。そこが気になるが、本作でもうふたりの悪役について書いておかねばならない。
 まず、男女ふたりずつの主役級の若者には含まれないが、本作の雰囲気を大きく左右していたチャン・ドヒョンの息子を演じたユン・ジョンファだ。チャン・イルムンという目つきの悪い長身の男で、他に出演したドラマを知らないが、ドヒョンの息子としては全くそのとおりといった演技をした。本作は4人の若者の中学生時代から描き、その11年後に再開してからの話が大部分を占めるが、イルムンはふたりの主役級の若い男優と同じ年齢との設定で、中学生の頃から性質が悪いように描かれる。こういう親からこういう子が必然的に生まれるという描き方を見ると、たいていの人は納得はするが、その一方で現実はそうでもないことがしばしばあると割り切れない思いも頭をもたげる。本作はそのこともうまくすくい上げて、チャン・ドヒョンの息子とは似ても似つかない娘を登場させる。最初はそれがひとりであるが、終盤になるともうひとり娘がいたことが明らかになる。それは本作の題名であるMAY QUEEN(5月の女王)であるチョン・ヘジュだが、この『5月の女王』という題名の由来はドラマの中で明かされず、またドラマの内容にふさわしいものではない。それはさておき、ドヒョンら親世代はさておき、彼らの子は中学生時代と11年後の大人を同一人物が演じ分けることは困難なので、子役が使われた。特に演技が光っていたのがヘジュを演じるキム・ユジョンで、彼女はもう数年するとかなり有名な女優に育つだろう。演技のうまさは格別で、大人になってからの役を演じたハン・ジヘはあまりぱっとしない顔つきで、演技もさほど印象的ではなかった。話を戻して、ドヒョンの息子イルムンは継母を敵視し、また父親の会社で重役をしているが、会社の経営を傾かせるなど、ろくでなしとして生活している。そういう情けない息子にドヒョンは何度も暴力を振るう。その場面があまりに頻繁にあり、ユン・ジョンファはよくぞ耐えて演じたと思う。絶対的な父親には腕っぷしでは逆らえず、溜まった不満を継母やジヘにぶつけるが、それも呆気なく反撃に遭い、最終的には刑務所送りになるという悪役ながらひ弱な役柄で、それが見事に演じられていた。憎まれ役でも全力で演じるのが役者の努めとはいえ、このイルムン役は役者にとってはかなりかわいそうで、それを演じ切ったことは本作の印象深さにかなり貢献している。
 同じく憎らしい役としてはジヘの幼馴染でしかも相思相愛の仲であったジェヒがいる。彼は秀才で真面目だが、父のキム・ギチュルが若い頃からドヒョンの手下で、ジェヒが大人になってからもその境遇を続け、ドヒョンから事あるごとに虐待されている。ドヒョンの言いなりになる父を見てジェヒはドヒョンを憎み、いつしか復讐しようと心に決め、そしてジヘを振ってドヒョンの娘に接近し、愛のない結婚に漕ぎつける。ドヒョンは息子のイルムンの出来が悪いことに立腹しながら、ジェヒの才能に惚れ、娘との結婚を許し、おまけに会社の経営を任せる。まんまと思惑どおりに事が運ぶことにジェヒは内心ほくそ笑むが、それはジヘとの別れがあってのことで、冷徹な人間になってしまったジェヒをジヘが責める。このジェヒの役も難しいが、暴力を頻繁に振るわれない分、イルムンよりましで、また演じやすい。視聴者はジェヒが冷酷な態度に豹変する様子を見て、イルムンと同じく救いようのない男と思いながら苦々しげにドラマを見続けることになるが、このジェヒの態度は視聴者をも欺くほどにドヒョンに正体を隠しながら動いていることからして当然そうあるべきもので、そのことは最終回に近づくにつれて視聴者にも理解出来るようになって来る。ドラマが後味よく終わるには、悪人が心を入れ替えるか、そもそも悪人ではなかったかを視聴者に示さねばならないが、ドヒョンやイルムンは前者、ジェヒは後者となっている。ジェヒの父ギチョルはひたすらドヒョンにいじめられる役で、なぜそれほどまでにドヒョンの下にいるのか理解に苦しむが、現実にはそういう人間はいるだろう。ジェヒの父を演じるのはパク・キチュルで、去年12月に見終わった『広開土大王』では北方騎馬民族の頭マルガリを演じた。本作では打って変わっておどおどした日和見主義の男を演じ、ドヒョンに徹底的に暴力を振るわれる。そのマゾぶりがあまりにひどくてついには笑えてしまうほどで、いかに役とはいえ、大変な経験だ。それほどに獰猛な獣と形容してよいドヒョンがギチョル親子によって破滅に導かれるのは、シンデレラ・ストーリーの変形とみなしてよく、韓国ドラマではよくある図式で、迫害に耐え抜いた者が最後には勝利をつかむという希望をドラマが描かないことには視聴率は稼ぐことが出来ない。さんざん悪をのさばらせておいて、最終回かその前くらい辺りでストンと悪の滅亡を描く。そのことで視聴者はざまあみろと溜飲を下げるのだが、本作ではドヒョンは単なる悪とは描かれておらず、彼は時代を代表する破天荒な人物であり、私的には悪を働いたが、社会全体から見れば国益に大いに貢献した破格の人物ということになる。そのため、本作では何もかも失って自殺するのではなく、長年自分の娘とは知らなかったジヘに後を託す思いをジヘに発して海に飛び込むことにしている。
 本作はジヘが主役だが、彼女の父親は3人が登場する。本当の父はドヒョンだが、そのことを彼もジヘも、また生んだ母親のミギョンも長年知らず、視聴者にも知らされない。またドヒョンは青年の頃から悪人であったのではなく、愛していたミギョンに結婚を申し込むも、家柄もお金もない身の上をミギョンの両親から認められず、それどころか暴力を振るわれて別れさせられる。そこでドヒョンは成り上がろうと心に決め、何よりも金を大切に思うようになる。そうして成功してからふたたびミギョンの前に現われるが、彼女は学者と結婚して日本で暮らしていた。そこをドヒョンは大勢の部下を引き連れて訪れ、ミギョンの夫を銃殺し、生まれて間もないジヘは邪魔者とばかり、ギチョルに殺害を命じる。ところが気の弱い彼は殺すことが出来ず、学生時代の先輩に大金とともに手わたす。無理やり赤ちゃんを押しつけられた先輩はジヘを大事に育て、彼女は実の父親と思って成長する。視聴者はジヘがてっきりミギョンと学者との間に生まれた子と思ってドラマを見るが、学者はジヘの戸籍上の父で、実際は妻がひとりで家にいる時にドヒョンが訪れ、強引に関係を迫った挙句に妊娠した子であった。それをミギョンもドヒョンも長年知らないままであったのが、ジヘがとても死んだとは思えないミギョンはジヘを内心思い続けていて、ついに20数年経って自分の目の前に現われた利発な娘がわが子であることに気づく。韓国ドラマお決まりのDNA鑑定によるのだが、ミギョンが継母であることにイルムンは何かとジヘとの関係を邪魔し、なかなか実の親子とお互いわからない状態が続く。ま、こうしてあちこち本作の筋立てをかいつまんでいると切りがない。ベテランで言えばミギョンを演じるイ・グミはさすがの貫禄でしかも美しい。知的な雰囲気を漂わせ、学歴のないヤクザまがいのドヒョンが彼女をどんなことがあってもものにしたく、また手放したくないと思うのは無理がない。ついに初恋のミギョンを手に入れ、造船会社の社長まで上り詰めたドヒョンだが、まさかジヘがミギョンに孕ませたわが子で、しかもそれを勘違いしてミギョンが最初に学者と結婚して生んだ子であると思ったところに、破滅の最初の原因があった。また、ミギョンにすれば最初の夫を銃殺されたうえ、ジヘをも殺そうとした男と一緒に暮らしていることを知り、ドヒョンをひとり置いて屋敷から出て行くのは当然で、そんな顛末を予想だにしなかったドヒョンは積み上げたものがガラガラと崩れ落ちて行く不幸を味わうことになる。かつて持てる者から辱められ、それをバネにのし上がったはいいが、手段を選ばずに突っ走ったつけはいつか必ず支払わねばならない。そういう現実を現在の韓国社会はいやというほど見て来てもいるのだろう。戦後すぐから60年代までの日本も同じであったのではないか。いや、今もそういう部分は企業間の競争に存在するだろう。本作は全50話ほどにすればもっと膨らみがあって面白くなったと思う。
by uuuzen | 2014-03-15 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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