脅威に対する安心感を金で買うのに保険があるが、河川管理問題も同じと言ってよい。日本が世界に冠たる金持ちの国になったので、それをどこに使おうかということになって、全国津々浦々に道路が張り巡らせされ、リニア新幹線も走らせることになった。
先ほどのTVで日本の高速道路がなかなか無料にならない理由として補修工事費用がかかるということを伝えていた。ある橋は5年前に架けたというのに、海砂を使ったため、もう架け替えしなければならなくなっている。漫画のような話だ。工事を請け負った業者にやり直させればいいのに、そんなことはまずない。そして税金が投入されるが、税金が無限にあると政治家は思っているらしい。よく企業で使い込みをして逮捕される人がいるが、政治家はそれを合法的にやっているも同然だ。日本の高速道路は永遠に無料にならないと筆者は半世紀前から信じているが、そのとおりになって来ている。政治家にすれば「誰が無料で使わせるか」との思いで、どうにか理由をつけてみんなからたっぷり金を出させる。人口が減少に向かい、いずれ日本の経済も今よりはるかに落ちてしまうのは確実であろうし、そうなった時、日本中の道路はがたがたで、高速道路は危なくて走っていられなくなる。廃墟の国になるだろう。いや、土建屋だけが残ってあちこちまだ掘り返しているに決まっている。話を戻して、大雨は5年に一度程度の規模から100年、200年といっためったに起こらない規模まであって、絶対的安心を求めるのであれば、1000年に一度の雨でも大丈夫なように治水工事をすればよい。だが、それはどんな堤防や川の断面積になるかと言えば、堤防は高さ100メートルはざらになり、断面積は幅1キロ、深さ100メートルほどにすればよい。だがそんな工事を日本のゼネコンは発注してほしくてうずうずしているだろう。自分たちは人々の絶対的安心のために工事をしているという英雄気取りで、おまけにウハウハと金が儲かる。また、河川に詳しい工学博士が国のやり方に加担して、「何も知らない一般市民すなわちボンクラは黙ってしたがえばいいのだ」と公然と侮蔑の言葉を吐いて恥じない。たぶんそんな御用学者はどの世界にもたくさんいるはずで、かくて国は大手を振って大工事を好き放題にやる。
さて、今日はまた渡月橋下の工事写真を撮った。天龍寺友雲庵の会合からの帰りだ。小雪がちらちらしていたが、観光客はそれなりに多い。彼らの中には去年9月の台風で渡月橋が被害を受けたことを知って橋下の工事を興味深そうに見て行く者がちらほらある。今日見る限りでは前回の2月23日とあまり変わらない様子だ。今月28日に工事が終わる予定で、もう大半は終わっているのかもしれない。友雲庵での会合は一昨日電話があった。国交省の役人が来るかと思って出かけたが、そうではなく、前回筆者が参加したのと同じく、地元の代表者たちの勉強会で、やはり前回と同じく京大の若い准教授が出席し、前回と同じような話を今度は30分に縮めて行なった。なぜ同じような話をするためにわざわざ出席したのかだが、この勉強会は毎回参加する人の顔ぶれが変わる。そのため、どこまで国交省との話が進んでいるのかを、踏まえておく必要がある。筆者は二度目なので、今日はなおさら話はよくわかったが、わかるにしたがって暗澹たる気分になる。それは先に書いたような理由だ。もっと簡単に言えば、国は法律を新たに作り、そおれを前提に日本全国の一級河川の整備を行なおうとしていて、まずはその前提ありきで、地元が何を言ってももはや法律が出来てしまっているからにはどうにもならないという思いだ。そう諦めるのは早いかもしれないが、おそらく無駄な抵抗になるだろう。一旦決めたとなれば国はまやかしのデータを地元に提示してでも工事をするに決まっている。そしてそのデータの虚の部分を地元が突くにはまりにも無知だ。それに、地元でもさまざまな意見があるはずで、たぶん自民党の市会議員は国のやることに文句を言うなと考えているはずで、地元の味方などになってくれるはずがない。今日は2時間の話し合いで、筆者は発言しなかったが、今後も同様の勉強会は開催されるようで、それらに参加したいと思っている。西京区側の住民代表として自覚というほどでもないが、今日の筆者はそういう立場であった。参加人数は25名で、9割以上は右京区の住民で、彼らがこの問題に対処している形だ。それではまずいのではないかという意見がある人物から出されていて、今後の国交省を交えての会合に西京区側から何人かが参加を求められるだろう。その中に筆者は含まれるかもしれず、そうなれば国交省相手に何か質問する場も与えられるが、それにはもっと現状を知り、国交省がやろうとしていることの地元住民として素直におかしいと思うことは伝えねばならない。だが、今日の京大の先生の話からわかったが、まずは国が定めた基本計画があって、それに則って国交省は動いているのであって、嵐山地区が頑張ってもその考えは却下される可能性が大きい。
国交省はいったいどういう工事を渡月橋付近の桂川で行なおうとしているかだが、それは簡単に言えば100年に一度の大雨でも氾濫しないような工事だ。それを数値で言えば、聴き間違いもあるかもしれないが、去年秋の台風に伴う渡月橋での最大流量は毎秒900トンで、その4倍以上の4000トンの水を流せる横断面積を数十年後には確保したいそうだ。耳を疑う話だ。去年秋の洪水の様子はTVによって日本中に報道された。その雨量の4倍強の水を溢れさせること流すにはいったいどれほど大きな川に造り変えるというのか。その想像図が今日は提示された。渡月橋上流の桜がたくさん生えている山辺はみな護岸に変わるし、中ノ島はなくなり、渡月橋もその付近も大きく変わる。それも100年に一度あるような、つまり生きている間に一度も遭遇しないような大雨に備えるためで、いくら保険とはいえ、あまりにも無駄で、しかも環境破壊もはなはなだしい。風光明媚な景色などどうでもよいと国は思っているとしか考えられない。嵐山が多少変わっても名所であるから観光客はやって来るだろうと高をくくっているようで、筆者は今日の2時間の間にこう考えた。100年と言わずに1000年に一度の雨でも大丈夫なものにすればよく、いっそのこと渡月橋を巨大な鉄橋に架け替え、川底を100メートル掘り下げ、幅ももっと広げればいいではないか。毎秒4000トンの水を流すとなると、それくらいの巨大な橋は必要だ。そして次に思ったのは、もう京都も終わりかなということだ。いや、とっくに終わっている。もうこれ以上道路を舗装出来ないという状態になった後、国は土建屋のために新たな仕事を作ってやらねばならず、ついに嵐山の持ち味を壊してもよいと決めた。いずれ渡月橋から嵐山を臨むと、そこに高速道路が見える時代が来ると以前に書いたことがあるが、そのとおりになって行くだろう。そうなっても土建屋も地元の商店も儲かればよいから、みんながよい方法を採ればいい。渡月橋を世界的にも珍しい変わったデザインの巨大な鉄橋に架け替えるという積極性も考えようだ。冗談ではなく、いっそのことカジノも誘致すればよい。そうすれば人はもっと押し寄せるし、地元も潤う。いやいや、実際に50年後にはそうなっている可能性もある。2時間の間にそんなことも夢想した。そしてわれに返って思ったのは、どうせ筆者は死んでいない頃のことで、「好きなようにやってくれ」だ。現在のような経済大国ではなかった時代の日本はどれほど景色が美しかったであろう。金持ちになって徹底的に国土を破壊しようとしている。3年前の福島原発事故もその例だ。あれは一瞬であったが、長期にわたってゆっくりと壊して行こうというのが一級河川の整備計画だ。