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●嵐山中ノ島復旧、その16(渡月橋)
拶をしないどころか顔も背ける人がたまにいる。変な人と思っていると、後日出会うと今度は愛想がよい。では視力が悪くて、筆者に気づかないことがあるかと思えばそうでもない。誰に対しても同じような態度だ。



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そんな変な人は商売人にもいる。大阪の商人は全国的にえげつないという印象が強いが、愛想はいいのではないだろうか。京都では信じられないほどに普段愛想のない人がある。その店を利用した時は満面の笑顔だが、翌日道ですれ違っても無表情で会釈すらしない。そのあまりにドライなわかりやすい態度にこの数年でようやく筆者は慣れたが、京都の商売人は大阪人からすれば信じられないほど無愛想だ。もちろんそれは店内での対応ではなく、商売を離れた時のことだ。儲からないこととなれば、無料の笑顔さえ相手に見せないという態度は、それはそれで見事なものだ。そのようにはっきりしているから京都の商人は何百年続いたりする。商売人に限らず、一般人でもそのようなところがある。以前は向こうから愛想よく声をかけて来たのに、今ではこっちから先に会釈しても素知らぬ顔どころかいぶかしげな表情を浮かべて通り過ぎる人がある。ひとりやふたりではない。筆者がその人に何か悪いことでも噂したのかとすぐに反省してみるが、心当たりがあるはずがない。というのは、その人の名前を知らず、話したこともないままもう10年か20年くらいは道端ですれ違った時に挨拶を交わして来ただけのつき合いだ。そういうつき合いがもう馬鹿らしいと相手はきっと考えることにしたのだろう。あるいは、認知症が出始めたのかもしれない。そう思えば腹も立たずに済む。何の話をしようと思っていたのだろう。そうそう、京都の商売のことだ。今日は自治会のFさんとまた長話をした。その中でFさんが言ったことが京都の商法で、昔と違って今では嵐山の湯豆腐の店もあまり客が入らないらしい。原価数十円の豆腐にわずかな刺身をつけてひとり3500円では誰でもそっぽを向くということで、京都にやって来る一見の観光客も賢くなっている。3500円出せば食べ放題の店を大人ふたりが利用出来る。今最も多い中国人も含めて、外国人観光客は湯豆腐の情緒も知らない。それで嵐山で食べないでさっさと四条河原町に出る。そのため、嵐山で金を使うのはせいぜいコロッケ程度で、しかもそれを触った油の手で他の店で商品をつかむから、迷惑している店もあると聞く。京都では嵐山は清水寺と並んで観光客が最も多く訪れる場所だが、清水寺界隈は美術館もあって文化の香りが高いが、嵐山はその点さっぱりで、それをどうにかしたいと思っている店主はある。だが、半分くらいの店はよそ者で、儲けるだけ儲ければ撤退する。嵐山の名前を最大限利用する考えで、地元に愛着はない。日本中がそうなって来ているのかもしれない。金をたくさん持っている者はそれを倍増させるために、金のにおいのするところにはどこへでも進出する。
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 そうした人たちは地元意識があまりないから、現在問題になっている渡月橋の下の堆積土砂をどうするかなどの問題に関心がない。なければないで話し合いをしている人たちに任せればいいが、そう簡単に割り切れることでもないだろう。Fさんから先日聞いたが、渡月橋と嵐山を世界遺産に登録しようと考えている人たちがいるそうだ。天龍寺がそうなった時、てっきり筆者は渡月橋も指定を受けたと思っていたがそうではない。渡月橋の背後に嵐山が控える風景は誰でも知っている。それを世界遺産にしたい気持ちはわからないではない。だが世界がそれを認めるだろうか。世界遺産にしたがっているのは地元の商店主たちだろう。世界中から嵐山に来てもらってお金を落として行ってほしい。何となくそのことが見え見えで、筆者は白ける。それに渡月橋北側に続く商店街は毎年様相を変えている。つまり、主が変わる店が後を絶たない。儲からなくなれば商売を続けられない。それでより金を持っている者が店舗を買い取って新たな商売をするが、それはブームを作って短期で儲ける考えが圧倒的で、天龍寺前の商店街はまるで新京極のようにいつもどこかの建物が工事している。そういう一種の流行のような状態は公共事業にも影響を与えるだろう。つまり工事大賛成で、土建屋が儲かる。若者相手の洒落た店が出来ると、渡月橋もそれなりに化粧させようということで、数年前か、歩道と車道の間に七色に灯る行燈型の照明がたくさん設置された。筆者はそれがない時代の渡月橋の方が好きだ。よけいなものを設置してかえって何かを失っている。何かというのは昔と変わらない情緒だ。また辛辣なことを書くと、花灯路に際して今は嵐山を七色にライトアップしているが、本音は神戸のルミナリエのように電飾を山一面に施したいのではないか。嵐山に光を当てるのではなく、嵐山が光っている状態にすればもっと若者がやって来るし、彼らは何かを買ってくれると考える店主は少なくないだろう。いやいや、冗談ではなしに、誰かが行政にそのアイデアを投稿でもすれば、喜んで市は地元は採用するかもしれない。市としても税収が増えるに越したことはない。嵐山を年中観光客が溢れる場所にしたいと考えているから、花灯路が実施されるようになった。税収の増加を期待するのは市だけではない。国がそうだ。それで消費税が4月から上がる。それによって生活が苦しくなる人が増えることなど役所は気にしていない。「払うべきものは何が何でも払え」で、食べるものや電気ガス水道を少し始末すればいいではないかと思っている。それはさておき、新しい施設が出来ると人が集まり、そこでの経済が活性化する。そして税収も増え、いいことづくめと誰しも考えがちだ。筆者はスポーツに関心がないので、先月まで知らなかったが、亀岡市にサッカー場が計画されている。JR亀岡駅の北側だ。そのサッカー場の北に東西に保津川が流れている。その川は東進し、やがて嵐峡に差しかかり、その狭い箇所を越えて渡月橋に至る。
●嵐山中ノ島復旧、その16(渡月橋)_d0053294_23562573.jpg 渡月橋下の土砂は上流から運ばれて来たものであることは誰でもわかるが、その量は江戸時代と比べて増えているだろう。日吉にダムが出来てからそれが加速化したのかどうか、この点は国交省も古い資料がなくてわからないのではないか。去年9月の台風18号の際、日吉ダムの水位がかなり上がったため、放水したらしい。それは下流を氾濫させてはならず、特に渡月橋の付近がどうなるか、関係者は大きく気を揉んだに違いない。ダムが放水してその水がどれくらいの時間で渡月橋に到達するのか、それは雨が降っていない状態でなければ精確なところはわからない。台風18号では放水時に雨が降っていた。そのため、ダム湖からの水だけではなく、ダム以南の流域に流れ込む雨水が渡月橋に押し寄せた。その様子を日吉ダムは渡月橋右岸の少し南に設置しているライヴカメラで観察し続けたはずだが、真夜中ではどれほどの水位かわからない。それはともかく、日吉ダムが出来たのは、下流を考えてのことで、京都市内の桂川流域と大阪市内の淀川流域に大きな洪水被害が起こらないようにする意味合いもある。台風18号はTVで渡月橋のライヴカメラ映像が頻繁に映ったので、被害を受けたのはその付近だけのことかと錯覚しがちだ。渡月橋が冠水したのは、嵐峡が狭く、渡月橋付近は中ノ島という中洲があって下流より30メートルほど川幅が狭くなっているからだ。そこで渡月橋の下の土砂を浚え、中ノ島も削ろうという動きがあるが、そのことだけで上流や下流が安全かと言えばそう簡単な問題ではない。大量の水を流すには川の断面積を大きくすればよく、また下流ほど雨水はたくさん流れ込むから断面積を大きくすることは子どもでも知っている。そして長い川では流域によって人口密度に大きな差があり、洪水が起こっても被害額が少なくて済む地域がある。つまり、数十年に一度の大雨の場合、どこかが溢れるとしても、被害を最小限に抑えたいから、そこは田舎であまり人が住まない地域が望まれる。そしてそんな不公平をなくすために、堤防を高く築くか、川底を掘り下げるかして適当な断面積を確保するが、その工事費は巨額であるから、地域が冠水しての被害額と天秤にかける。その一方、田舎であっても地元の議員や土建屋その他の活動によって治水の絶対化が叫ばれ、また自治体も地域を活性化させて税収を増やしたいから、河川を管理する国との戦いがある。その様子は年々変わる。過疎地が出来るかと思えば人口が増える地域もあるし、また世界の経済の動向にも左右される。話を戻すと、亀岡駅北にサッカー場が出来るのは、亀岡市が京都市に負けておれないという考えを持っているからだ。サッカー場が完成すればその周囲に人の集まる場所が増え、人口密度が高まる。そうなればそこは重要な商業地域となって、数十年に一度の雨で浸水しないように河川を管理しなければならない。
●嵐山中ノ島復旧、その16(渡月橋)_d0053294_235736.jpg 亀岡は下流に狭い嵐峡があり、大雨の際はそこで水嵩が増え、上流の亀岡が浸水した。亀岡にすれば下流の嵐山や京都市のために自分たちが被害を受けて来たとの恨みがある。亀岡を流れる大堰川は「かすみ堤」といって堤防を切った箇所が5か所ほどある。それは大雨の際、その堤防を切った部分から水が溢れるようにしたもので、溢れた水は田畑を冠水させ、高い場所にある民家に影響はない。どうせ冠水するなら被害を最小に抑えようという知恵だ。その「かすみ堤」がサッカー場が出来ることによって閉じられる。当然雨水はよりたくさん下流に向かう。つまり、渡月橋はさらに冠水しやすくなる。そのことに対して亀岡に文句を言うことが出来るのかどうか。亀岡市にすれば「京都市だけ財政がよければいいのか。そっちに生活があるならこっちも同じだ」と言うだろう。サッカー場が出来、亀岡駅北部が開発されることに対して河川管理事務所は文句を言うことは出来ない。町が変われば水事情も変わる。そして刻一刻と変わるそうした水事情に対応して行くのが国交省の役割で、あちこちからそれぞれ勝手な意見が発せられるのを、みんな丸く収めるのはどうすればいいかを考える。そうなると、渡月橋の下の堆積土砂をどうするかの問題は、嵐山地区住民だけのことではなく、上流の亀岡、そして下流を巻き込んでのことで、そうなればそれぞれの地元が自分につごうのよい主張をするから、結局は専門家の国交省に任せるしかないということになりそうだ。そうは言っても、何が最も正しい選択かを国交省が決められるとは限らない。民主主義であるので、大多数の意見がまかり通るが、それが最も大切とは限らない。たとえば嵐峡や渡月橋周辺が川幅が狭いとして、それを簡単に広げていいものか。一方では世界遺産にしてもらおうという動きがあるほどの地域だ。ほかのもっと人口が少なく、目立たない地域と同じに扱うわけには行かない。もちろん国交省もそれをよくわかっているので地元の代表者たちと何度か会合を開いている。
●嵐山中ノ島復旧、その16(渡月橋)_d0053294_235746.jpg だが、それは専門家とド素人の対決でもあって、地元の意向が受け入れられるのかどうかの懸念がある。また、地元が一枚岩のように結束しているならばいいが、いろんな意見があってまとまらないだろう。また、ほんの一握りの人しか会合に参加しておらず、わが自治会でもこの問題を知る人は数人だ。仮に知っても問題が大き過ぎて偉い人たちにお任せしますというのが大多数だろう。そのようにして多額の税金が使われ、しなくてもよい工事が行なわれる。筆者が思うに、日吉ダムが計画された戦前からこの問題は始まっている。そしてダムが出来てしまったからには、その動きに合わせて下流の治水は考えるしかない。だが、その合わせ方は幾とおりもあるだろう。そこで住民は意識を高めてどういう方法が後世の人たちにとってもいいのかを考えねばならない。日本はかつてやたらとダムを造った。電力事情から仕方なかったところもあるが、その後原発に頼るようになって、ダムの意義はかすんだ。ダムは永遠と思っている人があるが、いつかは土砂でいっぱいになる。それに老朽化で壊れることもあり得る。そうなれば下流の被害は途轍もなく大きい。とても便利に思えるものは、何かの拍子に大災害をもたらす。さて、今日はコメントの書き込みがあって、その返事を書いてすぐに渡月橋のライヴカメラを見に行った。それで筆者を捉え、その画像をブログに載せることを思いついた。わが家からライヴカメラまで徒歩5分。家では家内に、ノート・パソコンのライブ映像に筆者の姿が見えた時に一時中止してもらうことを伝えた。その画像を撮ったのが最初の写真で、右下に赤いジャケットを着てライヴカメラに向かってデジカメをかまえているのが筆者だ。カメラが縦になっているところ、3枚目のライヴカメラを撮っている最中だ。ライヴカメラが捉える映像は国交省のホームページで見ることが出来る。そのことを今朝のコメントの書き込みで知った。映像の質は荒い。それに定点撮影だ。渡月橋の下の土砂浚渫の様子と、橋の修復の双方が同時に行なわれている。その様子が2枚目以降の写真からわかるだろう。
●嵐山中ノ島復旧、その16(渡月橋)_d0053294_21302093.jpg

by uuuzen | 2014-02-07 23:59 | ●駅前の変化
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