綾部と聞くと大本教を思い出すが、まだまともに綾部には行ったことがない。京都市内には綾部出身者が少なくないだろう。綾部に長年住んでいた夫婦が数年前にわが自治会に引っ越して来て喫茶店兼旅館を経営し始めた。
筆者が会長になった年からだろうか、その夫婦とよく話すようになった。わが自治会内に喫茶店はその店を含めて5軒ある。そのうち3軒は観光客の多い季節だけ営業する。それほど嵐山にたくさんの人が訪れても、ほとんどの人が嵯峨にある商店街を利用し、阪急嵐山駅から渡月橋に至る間にある店は数もしれていることもあって、あまり客は入らない。嵯峨は京福電鉄とJRの駅があり、商店の数も10倍ほどあるのではないだろうか。結局嵐山は渡月橋の北側の嵯峨から眺めるのがよく、南側の嵐山そのものの麓といってよい地帯は面積が狭いこともあって商売にはあまり向かない。そのことは古い住民ならわかるが、新参者は気づかない。それで商売を初めても早々に撤退する店が多い。テナント料を払わずに済む地元住民が商売する場所なのだ。先の綾部出身の夫婦もその部類で、子どもは独立していることもあって商売に熱心ではない。それは客の入りが少ないこともあってのことだろう。それで1階の喫茶店を自治会の主に独居老人が気楽にやって来て情報を交換する場所として使ってほしいということを1年ほど前に筆者は聞かされた。会長の仕事で忙しいこともあって、その話をほかに漏らさずに棚上げしていた。去年秋にまた同じことを言われ、今度は本格的に動かねばならないと心に決めた。それで何度か相談に訪れ、話を詰めた。息子さんは福知山で有名な菓子屋を経営していて、クリスマスの季節は奥さんが手伝いに行くので12月は無理で、1月15日がいいということになった。筆者の最初の役目はその喫茶店が自治会住民が自由にくつろげる場所として提供される旨をみんなに知らせることで、その文書を12月中旬に仕上げた。その一方、これは消防署からずっと言われ続けていたことだが、自治会区域に住む70歳以上の独居老人の住居を把握する作業をこの機会にようやく進めることにした。それは個人情報保護の観点から足踏みしていたこともあるが、大地震に際して真っ先に救出せねばならない独居老人の住居を少なくても自治会の会長以下4役は把握しておくべきで、筆者の独断でその作業を民生委員に依頼した。白地図は筆者が用意し、そこに黒丸で印をしてもらう。ただし、自治会に加入していない独居老人もいるから、それは便宜上区別して三角印とし、それ以外の情報、たとえば名前や年齢、性別は記入しなかった。そのため、その用紙が何かの拍子に外に流出しても、何のための書類かはわからないだろう。
わが自治会に独居老人は35名いることがわかった。半分以上が自治会に加入しておらず、筆者は名前も顔も知らない。70歳以上の老人はもっと多いが、子どもと同居している場合はその地図に記していない。地震の時は家族が救出するであろうと思われるからだ。ともかく、独居老人の数と、その居住場所がわかったので、その各人に案内チラシを配布することにした。ただし、地図は数枚用意して4役や民生委員が所持することに留める。案内チラシは、1月15日、すなわち今日の午後1時に前述の喫茶店に気軽に来てほしいということを書き、下半分は地図を添えた。この案内チラシは各組に回覧すると同時に、独居老人35名には各戸配布した。副会長の筆者がその喫茶店のオーナー夫妻と話を詰めたことであって、会長やもうひとりの副会長、会計、監査の4名には出来上がった案内チラシを持参しただけであった。それは、自治会が責任を持って運営する事柄でもないという思いがあったからだ。前述のように喫茶店はほかに4軒ある。その4軒に何を伝えないまま進めた作業で、主役は喫茶店の夫婦だ。そして、その喫茶店の益になることが誰の目にも明らかとなれば、筆者は一商店の経営に加担していると謗られるだろう。そのため、あくまでも喫茶店はボランティアとして動いているという位置づけだ。それならば自治会が積極的に支持すべきであろうが、筆者の出来ることの範囲は、老人に告知し、そしてなるべく足を運んでくれるように宣伝に務める程度しかない。そういった微妙な問題に関して、12月は数度喫茶店の主人と相談した。いろいろ心配もあったが、まず第1回目を開き、その時の様子を見て少しずつこれからのことを考えようということで意見が一致した。昨日は今年初めて筆者はその店を訪れ、打ち合わせをした。そして今日が本番であった。喫茶店を老人が集うサロンのような場所として提供するとして、週あるいは月に何度開催するかだ。それは予め決めることは難しい。とにかく今日の1時、どれほどの人がやって来るのかもわからない。店はこの1年かもっと長い間、閉めたままであったが、表のシャッターを上げれば、通りがかりの人が営業していると思って入って来る可能性がある。その心配もあったが、結局1時から5時ほどまでの間、ひとりも客はなかった。それでどれだけの人が集ったかと言えば、筆者を含めて12名であった。これに喫茶店の夫婦で、これは予想外に多く、みんな驚いた。また、12名のうち、男性は筆者のみで、ほかはみな女性だ。このことは最初から予想出来た。独居老人の男性は女性がたくさん集まっているところにやって来にくい。その中に混じろうとするのはよほど人馴れし、また話題が豊富な場合に限る。
12名がわいわいがやがやと話す中、適当に筆者はそれを中断させて肝心な話をした。それは3,4つあったが、まず決めねばならないことを優先した。それはこれからどういう割合でこのサロンを開くかだ。今日は第3水曜日で、毎月第1と第3の水曜日にしようかということになり、それでは参加出来ない人が2,3あったので、第2、第4ということにした。そして、今日は変則的であって、来週の水曜日に第2回目を開く。同じメンバーが集まりやすいだろうが、ほかの人が混じるのが理想的だ。それも何回も開く間に少しずつ変わって行くだろう。店内は最大20名ほどは入れる。ただしカウンター席も利用しての話で、いくつかのグループに分かれる。今日は12名が小さなテーブルをくっつけて円座を作る格好になったが、それが理想的で、12名程度がいいように思える。とはいえ、来週は数名に減るかもしれないし、もっと増えるかもしれない。喫茶店であるし、また表のガラス扉は外から内部が丸見えであるから、一般客が訪れる可能性はある。それが主人のひとつの心配となったのは、一般客からは普通の料金をもらうとして、このサロンの客はそうは行かないだろうということだ。それも普通料金をもらうのであれば、家で過ごした方がましと考える人もあるだろう。それで、12月の話合いでひとり100円の参加料にしようかという案が出た。これは茶とちょっとした菓子を提供することに対するお礼としては妥当ではないかという考えによる。だが、最初の案内チラシでそのことを謳うと、それこそ筆者が商売に加担していると思われかねず、また金を徴収するのであればボランティアとは言えないと見られもするだろう。そこで案内チラシには参加無料とも書かず、とにかく集合を呼びかけるだけにした。筆者は12時半に真っ先に訪れた。1時になると民生委員がやって来た。それから30分の間に2,3人ずつが順次訪れた。顔ぶれは古い住民が大半で、いわば自治会の集まりではお馴染みのメンバーだ。それでもいいが、本当は「独居」でさびしい思いをしている人たちに来てもらいたいのが主人の本音だ。さて、2時頃だったか、ひとりがコーヒーを飲みたいと言った。するとわれもわれもと8人ほどが手を挙げた。主人は早速カウンターの奥でコーヒーを淹れ始めた。その料金をいくらにするかという問題が最後に起こったのは言うまでもない。最初主人は半額の200円と言ったが、飲んだ人たちはそれでは悪いので正規の料金を払うと主張し、その代金をみなが机の上に置いた。
その代金を巡っては別の意見が最初に出た。特別のチケットでも主人に作成してもらい、価格は一般客より安くというものだ。12月に出た100円は、お茶と少しの菓子に対するものであったが、それくらいなら無料でいいという思いも夫婦にはある。だが、店を開けながら、しかも貸し切り状態で使うのであれば、無料では悪い。そこで喫茶メニューを頼む人にはやはり半額程度が妥当な気が筆者はする。正規の価格であれば、その喫茶店を使う意味がないだろう。主人は老人が生活上困ることがあれば、「よろず引き受けます」といった場にしたいらしい。これは田舎ではよくあるが、遠く離れた病院に行くのにタクシー代で数千円もかかる。そこで、もっと安価でしかも気安く頼める人が同じ地域にいればよいから、そういう人助けをたとえばその主人がしたり、別の人が買って出る。同様のことは電球を交換したり、買い物に出かけたり、あるいは留守番を少しの間頼むなど、いくらでもこれからの老人社会では出て来る。その主自身が70代で、今はお元気だが、10,20年先はわからない。それはそうなのだが、この喫茶店を月2回にしろ、自治会の人々が集う場所にすれば、そのうちにいろいろなアイデアも出て来るだろう。あまり先のことを心配せずに、ともかく動き出してみることは大切だ。ともかく、初日はかなりの成功で、今日は書かないが、さらに動いたこともあった。昨日筆者は民生委員と老人福祉委員のほかは誰も来ないかもしれないと危惧した。それが蓋を開ければみんなよく覚えてくれていた。もっとも案内チラシを監査役に配ってもらったのは今月5日で、その10日後というのがよかった。2週間前では長すぎて忘れられる。1週間前ではほかの予定が入ってしまうことがある。案内チラシの文面は何度か推敲し、それを最も安いコピー屋に持ち込み、そして配布の日も周到に決めた。2週間に一度なら筆者も時間を取れる。男性に来てもらう工夫がこれからの課題で、機会あるごとに宣伝に務めねばならない。最後に、今日の4枚の写真は毎度のことながら去年の今日、1月15日の撮影。これからの本カテゴリーは、同じ角度で撮影した4枚が続く。数日程度では変わり映えしないが、いつの間にはすっかり様子は違って来る。