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●『広開土大王』
文が改竄されたのではないかという意見が「好太王碑」について出たのは筆者が20歳頃のことで、そのことをよく覚えている。当時日韓の国交が正常化されてまだ数年であった。



その後韓国の経済が急成長し、95年のサッカーのワールドカップ共催を経て21世紀に入ると韓国のTVドラマが『冬のソナタ』を皮切りにたくさん放送されるようになって今に至っている。文化交流に限れば盛んであるが、政治問題ではぎくしゃくし、日本ではかつてないほどに嫌韓ムードが高まっている。とはいえ、それはマスコミを通じて同調する付和雷同派が大部分のような気もする。韓国ドラマについては、相変わらず毎日たくさん放送されていて、再、再々放送も目立っている。衛星放送のチャンネルが増え、視聴率が安定して取れる番組を埋めるとなると、比較的安価で買える韓国ドラマがつごういいのだそうだ。嫌韓派はそのことにも文句があるが、TV局は資本主義の原理にしたがっているだけだ。日韓関係がぎくしゃくしているのは、双方の歴史認識の差だ。これは国力の差の問題でもある。強い国が歴史を書き換える。これは常識だ。だが、その国力は人口の大きさに比例するところがある。韓国は北朝鮮と合わせても日本の人口に及ばない。一方、中国は桁違いに人口が覆い。中国は支配民族が入れ替わって来ているが、当の中国はそのことを気にしていないようだ。少数民族の複雑な問題を抱えていることを国家が衰退する大きな原因になると見る向きが日本にあるが、人口の多い大国ほどそうなるのは当然で、中国の圧倒的な人口の多さとそれに伴う国力は日本や韓国にとってますます脅威になるだろう。同じような関係が1600年前にあった。たかだか1500年で東アジアの国々の力関係がそう簡単に変わるはずがない。だが、交通の発達によって地球が狭くなり、東アジア間だけの問題ではなくなっている。ロシアとアメリカという左右両陣営の大国との関係があって、1500年前よりもっと複雑なことになっている。それでも国の位置は動かないから、まずは日韓中国の3つの国がどう交際して行くかだ。そのような未来的な視野で物事を見るのに韓国ドラマが役立つかと言えば、全くそうではない。ただし、今日取り上げるドラマのように、日本ではまず絶対にドラマ化しない時代と国際関係の内容を持ったものを見ると、歴史ドラマに対する国民の好みの差がわかって双方の歴史認識の違いをある程度知るのに役立つ。
 最初に書いたように、好太王こと広開土大王について日本で大きな話題が生じたのは1970年代初頭で、学者の李進熙が問題を提起した。好太王碑は今は中国にあるが、5世紀初めはそこは高句麗の領土であった。高句麗はだいたい今の北朝鮮から北を支配していた。韓国や北朝鮮からすれば、民族が一番領土を大きく保った国家で、憧れがあるのだろう。それで韓国では何度も高句麗を描いた歴史ドラマが作られる。また、高句麗は新羅や百済と国境を接していて、これら三国は領土の奪い合いをしていたから、韓国ではこれら三国それぞれの国を主役にしてドラマを作る。その感覚は日本ではわかりにくい。それに日本では当時の国際関係を描いた歴史ドラマがタブーとでもされているのか、NHK大河ドラマでも完全に無視している。それはあまりにフィクションが多く混ざるためとも考えられるが、どうせドラマはフィクションが混じる。結局のところは面白くて視聴率が稼げればいいのであるから、そう難しく考えることはないのではないか。だが、どんな建物にどんな服を着た人が生活していたのかといった時代考証がほとんど出来ず、映像として当時をリアルに見せるには、旺盛な想像力と思い切りが必要で、日本にそれがないわけではないが、やはりかまえ過ぎなところがあるように思う。それに、最大の理由は5世紀の日本を描くとして、そこにどのような現実のドラマがあったのかだ。簡単に言えば、広開土大王のような人物や当時の複雑な国家間の争いがない。ないわけではなく、当時の日本は広開土大王にも知られていて、新羅、百済を交えてそれなりに戦った。そのことが好太王碑に刻まれている。その拓本を明治半ばに日本の陸軍中尉が日本に持ち帰って天皇に献上したのは、碑文の内容に日本が出て来るからであった。で、その碑文の解釈によって日本が当時朝鮮半島でどのような勢力を持っていたかがかなり違って来る。日本が出て来る肝心の部分が文字が磨滅ないし破損して解読出来なくなっているが、古い拓本ほどその度合いが少ない。陸軍中尉が持ち帰った拓本は現在の石碑よりよく文字が読めるようだが、肝心の数文字は当時の日本が歴史を改竄して5世紀初頭に日本が朝鮮半島で大きな力を持っていたように読ませたいために、石碑に石灰を埋め込み、文字を作り変えたのではないかと李進熙は意見した。彼の疑いは長年覆されなかったが、数年前に中尉が持ち帰ったものより古い拓本が中国から発見され、中尉が文字を改竄したことは否定された。
 それで好太王碑に刻まれる漢文の全文が誰もが同じ考えで読み解けるようになったかと言えばそうではない。相変わらずどう解釈していいか学者によって考えが違う。その最大の部分はやはり当時日本が百済や新羅とどのような関係を結んでいたかだ。日本が隷属していたのか、その逆なのかだ。そんな昔のことはどうでもいいと言えばそのとおりなのだが、高句麗が現在の中国の領土まで侵入して国土としていたから、現在の韓国からすれば高句麗は憧れの的だ。そして、日本をも服従させていたと考えたいのも当然だろう。このドラマは、好太王碑の碑文や当時のことを記した中国や朝鮮の歴史的な書物を元に脚本を書いたもので、ほんのわずかな文字情報でよくぞここまで映像を組み立てたなと思わせるほどの想像力の賜物となっている。では荒唐無稽のドラマかと言えばそうでもない。建物や衣装などはだいたいはそうであったろうと思わせるほどに現実的に見えるし、あまりにも英雄扱いされているが、広開土大王はいかにもそれらしく見える。だが、それでは具合が悪いことをドラマ製作者は知っていたし、また視聴者もそうだ。遠い過去を描きながら、その物語の言わんとするところは現代の生活に役立つものであらねばならないし、娯楽として大いに楽しんでもらわねばならない。日本ではよく理想的な上司としてどんな俳優やタレント、スポーツマンを挙げたいかというアンケートが行なわれる。それと同じで、このドラマの主役である広開土大王は上に立つ人物としての理想像を提供している。そして、それは韓国の大統領を初め、会社の社長や家族の長といった、あらゆる長にも求められるものだ。日本ではその点はどうだろう。社長ではなく、もっと下っ端のサラリーマンを主役にすることが多いのではないだろうか。広開土大王のような強い家父長を求めるムードが日本には欠けている。本音はそうではないはずだが、政治家はみな小粒になってしまい、大人物がほしくてもそれが見当たらないという現実を誰もが知っているようだ。では韓国と日本のどちらが危ういだろう。大政治家を期待する韓国と、そういう存在がなくても国が充分動いて行くと考えている日本とでは、日本の方が成熟し、また腐敗しかかっているのかもしれない。韓国は国民から選ばれる大統領が頂点だが、日本には国民の意志とは関係なく存在する天皇がいて、そのために首相は使い捨てでもいいと思っているようにも見える。
●『広開土大王』_d0053294_0353127.jpg

 高句麗だけを正義とし、百済や新羅を悪として描いていない点は3つの国とも同じか同じような民族であったと考えるからだ。好太王碑は漢文で書かれていて、当時も今も東アジアは漢字文化圏だ。朝鮮はハングル文字、日本は仮名を生むが、それ以前は同じ漢字を使っていて、これでは朝鮮も日本も中国の属国と思われても仕方がない。今の中国人にはそのような思いがあるだろう。西洋の美術史家は、東アジアの美術は中国をもっぱら学べばよく、日本や朝鮮はそのおまけみたいなものという意識を持つ人がある。国土の大きさ、人口の差、歴史の差からしてもそう思われても文句は言えない。そのことを日本は案外内心謙虚に知っているので、5世紀の東アジアの国家間のことをドラマに仕立てることを好まないのかもしれない。では韓国はなぜかとなるが、そこは日本と違って北朝鮮と休戦状態で国土を接しているうえ、中国も近いという緊張感がある。つまり、自身を鼓舞し続ける必要がある。そのために遠い昔の英雄である広開土大王が持ち出される。島国の日本はひとまず海に隔てられて安全で、他国のことをそう考えずに済んだ。そのことが歴史を忘れやすい国民性につながっているだろう。それは悪いとはいいという問題ではなく、どんな民族であっても同じことになる。さて、本作は女性が活躍する場面は少なく、男向きだ。男は闘争する動物だが、国の武将同士の争いは今にたとえると大会社の経済的な戦いになる。そのためか、本作では会議の場面が毎回必ず出て来る。それが韓国の歴史ドラマの定型で、鰻の寝床のように細長く、その突き当たりに王様が陣取り、両脇に向かい合って大臣ないし部下、そして時には右翼と左翼が座る。Ⅲ高句麗、新羅、百済、それに倭国ともそのように描かれ、みなそっくりに見えるので、王の背後に国名の一字を染めた布をかけている。その漢字一字で視聴者は迷わずにどの国の場面かがわかるが、この説明的な表現は仕方ないとはいえ、もう少しどうにかなからないものか。三国の王ともそれなりに人格者で、国民のことを思って動くが、高句麗は北に後燕や靺鞨や契丹を控え、南に新羅、百済があって、紛争が絶えない。それどころか、国相が私腹を肥やし、高句麗王の次男で後に広開土大王になるタムドクを排除しようとしている。また長男は国相から支持され、弟のタムドクを快く思っていないようだが、それは見せかけで、能力のあるタムドクに国の将来を任せるために早死にしてしまう。国相はやがて権力を失うが、その息子コウンがタムドクに深い恨みを抱き、いつか父の仇を取ろうと新羅や百済にかけ合い、やがて後燕の陣営に加わる。
 1時間ものが全92話とかなり長いが、前半はタムドクの王子時代で、高句麗と後燕の大将軍の戦いが描かれる。この両者の演技は初めて見たが、なかなかのベテランで、貫禄充分だ。韓国の俳優陣の広さがわかる。ふたりの大将軍が亡くなった後、タムドクら子どもの時代となって、それが最後まで続く。結局は高句麗が後燕という大国を滅ぼす物語だが、後燕の中心人物となっていたコウンとタムドクの一騎打ちがあって、勝ったタムドクはコウンを罰せず、コウンを後燕の王と定めて高句麗と友好関係を築く。コウンは元は同じ高句麗の人間であるからだ。コウンは事あるごとにタムドクを殺そうと計画を練り、襲撃するが、そのたびにタムドクは激怒することなく、憐みの心でコウンを包む。そこは人間離れし過ぎているが、空前の領土を誇った高句麗の王であるから、そのくらいの鷹揚な心はあった、あるいはあってほしいという製作者の願いだ。タムドクがコウンに優しいのは、国相の娘と結婚していたからでもある。だが彼女は政変に巻き込まれて死んでしまう。もうひとりよく登場する女性はタムドクの兄嫁である王女で、なかなかの美人だ。彼女も確か死んでしまう。他に忍者のような女性が2、3人登場する。その中で最も目立っているのは靺鞨族の長の娘だ。靺鞨(マルガリ)は騎馬民族で、そのような衣装で登場する。タムドクの兄嫁の王女もどちらかと言えば西方風の格好で、高句麗がシルクロードの西方の諸国とつながっていたことを実感させる。ついでに書いておくと、各国の兵士の鎧兜などの武具や王族の衣装はどれも鮮明なデジタル画面のクローズアップによく耐えるほどに精緻に作られていて、多大な製作費であることに納得出来る。また、雄大な景色の中での大人数での戦いの場面はエキストラをたくさん雇い、映画並みの迫力がある。ごくたまに遠景を模型で作って撮影したり、その映像にコンピュータ・グラフィックスの映像を加えたりしていたが、それらもTVドラマにしては手が込んでいた。そうした場面の中で筆者が最も感心したのは今の北京の王宮場面だ。TV画面を2枚撮ったのでそれを載せておくが、模型にしてはよく出来ている。1枚は静止場面だが、最初に掲げた1枚は左端に兵士の隊列が奥へと進んで行き、それがごく自然に見えるように合成されていた。こうした建物の遠景を多用するともっと面白かった。
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 話を戻して、マルガリの族長の娘はタムドクの男っぷりに惚れてその陣営につく。マルガリは小さな国で、周囲の大国に飲み込まれないように族長は立ち回らねばならなかった。そのため、時にはタムドク側につくが、また後燕に回ったりする。そういう族長もやはり広い心で接し、独立を保障して高句麗の味方にする。マルガリの長の娘がタムドク陣営に加わるのは全くの創作で、これはあまりにも色気の少ない戦記物であるから、少しは男女の恋愛的要素をという思いからであろう。だが、その予想に反してタムドクは彼女を女として見ない。それどころか、このドラマでは男女の恋愛場面は皆無に等しい。それよりも重視されるのは義理や友情だ。そして、一旦口にした約束はどこまでも守るという仁義だ。タムドクを演じるのはイ・テゴンで、彼の演技は現代物で医師を演じる『黄金の魚』で見た。その時は少し不活性な雰囲気で、適役に思えなかったが、今回は偉大な武将役で、男っぷりを最大限に出すことが出来て本望であったろう。ただし、いくら女の色気に欠けるドラマとはいえ、タムドクは大声で「モラ!(何っ!)」と叫ぶ場面が毎回あって、一本調子に過ぎた。机を刀の鞘などでパンと一回叩きながら「モラ!」と言う場面も多く、それがしまいには笑えて来た。人気があったので92話まで続けたのだろうが、60回ほどにまとめればもっと名作になった。だが、最初の方の、若きタムドクが後燕の奴隷となり、そこで荒くれ者と親しくなって脱走を図るといった場面は、後に重要となる配役の登場に必要で、また物語の展開に大きな意味を持つので、60話で収めるのは無理があるかもしれない。欲を言えば切りがない。たくさんの男たちが重い鎧に身を包み、馬に乗って駆け回ったり、剣を持って舞いながら戦ったりする場面を見ていると、俳優業とはいえ、あまりにご苦労さんなことで、名作を作ろうという製作者と俳優の一丸となった意気込みが伝わって来る。そのプロ根性を見るだけでも楽しい。韓国ドラマを見る面白さは俳優たちの一生懸命さを実感するところにあると言ってよい。そうそう、最後に書いておくと、高句麗軍は日本にもやって来て、倭王を平伏させる場面がある。その時の倭人の服装は中国でも朝鮮でもなく、珍妙なものであった。好太王碑に書かれてあることを韓国は韓国流に解釈して本作を作った。それは当然だ。2011年の作。
by uuuzen | 2013-12-24 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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