●嵐山中ノ島復旧、その12
芥を人海戦術でかき集める。それを筆者の自治会では年に二回、春と秋に行なっている。14ある自治会のうち、とりわけわが自治会は、嵐山にやって来る観光客がたくさん歩き回る。そのため、住民としても客を迎える気分で道路などに落ちているゴミを目立たなくしたい。



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ところが、阪急駅前の広場や駐輪場として人々が無断で使っている空地は、阪急の所有で、自治会住民が清掃する義務はない。そこが悩ましいところで、先月の清掃では子どもも多少参加したので、阪急の土地内にも入り込んで観光客の目に留まりやすいゴミは拾った。そういうことを普段から阪急が行なうべきだが、昔とは違って清掃要員を常雇いせず、駅前から桜の林、中ノ島に向かって一直線に続く緩やかな坂道には、ゴミや落ち葉が溜まっていることが多い。年に二度の自治会による大掃除ではとてもきれいに保つことは無理だ。歩道から少し横手に入った林には空き缶やペット・ボトルがよく投げ込まれ、さらに奥に行くと壊れた自転車や傘など、大型ゴミが散乱していたりもする。その辺りまで観光客の歩く道から30メートル離れていて、自転車を置く通勤者しか立ち入らないので、阪急としても放置しているという状態だ。表側がきれいに見えていても、少し中に踏み込むとゴミが目に入る。人間でもそうだろうか。きれいに化粧している女性がゴミ屋敷に住んでいたり、またきれい事を言う人が陰で人の悪口をさんざん言いふらしていたりして、表の顔だけではわからないことが何事にもある。9月16日の桂川の氾濫によって嵐山地区は数十年に一度の増水となり、わが自治会では有名旅館が床上浸水の被害を受けた。全国的に有名な観光地であるので、即座に復旧が開始され、夜を徹した作業でほとんど元どおりの姿になるのにさほど日数を要さなかった。そのことは今日と同じ題名で断続的に報告して来たが、「その11」まででは何となく締まりがない。そこで、今日は半ば無理やりに「その12」として投稿しておく。
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 明日から嵐山嵯峨では恒例の「花灯路」が行なわれる。嵯峨芸術大学の学生が竹を使った大きな行燈を作って華を添えることが習わしになっていて、昨日はその準備があった。写真をたくさん撮ったが、今日はそれを載せない。また昨日は、阪急嵐山の円形階段の踊り場に、これも「花灯路」には必ず展示される地元小学校の児童が描いた嵐山の名所の絵や、また小型行燈が並べられたのを見た。少々脱線しておくと、GOOGLE EARTHで阪急嵐山駅を見ると、航空写真は今年春の新しいものになっているが、道路を走っての「ストリート・ヴュー」ではまだ2009年の映像が使われている。それによれば駅前ホテルはなく、わが家の裏の畑にも家が建て込んでいない。面白いのは、駅の円形階段に児童の絵や小型行燈が並んでいることだ。そのことから12月の「花灯路」の時期の撮影であることがわかる。4年経ってわが自治会の家並みは大きく変わったのに、「花灯路」は同じように今年も開催される。円形階段の前では10人ほどが立ち話をしていて、旅館「花筏」の女将が混じっていた。脇を通りがかる時に目があったので挨拶をしておいたが、「花灯路」は、彼女ら地元で大きな商売をしている人たちの肝入りで始まった。観光客が少なくなる時期に少しでも来てもらいたく、観光客が途絶えなければ、道路際の清掃も続けて町の美化は保たれるという考えだ。それにしても「花灯路」の準備や後片づけは御苦労さまなことだ。この「花灯路」には自治会は一切関与しない。ところで、わが家はあまりに物が散乱していて、これは客がほとんど来ないからでもあるが、さして人恋しくもない。自治会長をしていた4年間も、自分から自治会住民の家に出かけて行くばかりで、来てもらうことはほとんどなかった。本やCDに興味がある人は少ないし、それにあまり家の中を見せたくない。玄関前だけはいちおうは毎日気をつけて落ち葉など掃除しているが、家の中は他人から見ればゴミ屋敷化だろう。だが、筆者にはどれも意味があって、棄てるべき物はない。従姉の家に行くと、夫婦ともにきれい好きで塵ひとつ落ちていない。ほんのわずかなゴミでも気になるらしく、そうしたきれいな部屋にいるのはなるほど気分がすっきりとはするが、毎日なら筆者はすぐに退屈する。塵ひとつないことは、家の中でほとんど動かずに隠居状態でいることだ。それは筆者には無理だ。とはいえ、12月も中旬になれば、正月を迎えるために年最大の掃除はせねばならない。それをいつするかを思いながら、話を戻すと、嵐山の中ノ島は復旧がほとんど終わったが、松尾橋に至る下流の河川敷はその後大きな変化があった。今日はそのことを書く。
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 まず最初の写真は中ノ島ではないが、それを少し下った河川敷で、そこに9月の台風で上流から流れて来たゴミが集められている。いつになれば撤去されるかと思いながら、写真のとおり、昨日もそのままになっていた。ここも渡月橋に向かう観光客からすれば反対方向で、目には入りにくい。つまり、嵐山地区の裏側だ。そこはどうでもいいというのではないが、掃除は後回しされる。このゴミの堆積はどこが始末するのだろう。流れて来たゴミは誰のものかということだ。そうそう、思い出した。1週間ほど前、トモイチに向かっていると、バス停の脇に黒い皮のふたり用のソファが置いてあった。そのシュールな光景にびっくりした。不要になったので誰かがそこに置いたのだ。バス停のベンチの隣りで、老人に座ってもらうのもよいと善意で考えたかもしれない。だがそこでは雨ざらしになる。昨日の昼、ムーギョとトモイチに出かけた。ソファの背には「無断で置いた人は速やかに撤去してください」と印刷した黄色い紙の警告書が数枚貼ってあった。まず絶対に置いた人物はそうしない。いかにも梅津で、そのようなことを平気でする人が住む。結局区役所のしかるべき機関がゴミとして処分するが、その費用は税金だ。置いた人物を見つけ出してそれを請求すればいいと思うが、そのためにはまたよけいな税金が使われる。また話を戻す。最初の写真は今日の投稿の題名を思ってのことで、2枚目からは中ノ島は関係ない。そこからうんと下流の松尾橋だ。1週間ほど前か、橋をわたっていて奇妙な光景を見た。橋から見下ろす右岸すなわち西京区側の河川敷が様相を一変させていた。その河川敷は夏は天気のいい日はバーベキューをする若者が押し寄せ、その騒ぎがわが自治連合会から非難の声が上がっている。それが原因ではないはずだが、河川敷はとても人が歩けるような平坦さではない。このことは以前に書いた。まるで畑でも作るかのように、大きな畝がブルドーザーによって作られた。看板をよく見ると、扶桑何とかという会社が工事を担当している。その会社がどこにあるかが昨日ムーギョの帰りにわかった。右京区の会社だ。そこが所有する大型ダンプが流木を松尾橋下流数百メートルに集められた流木を運び出している。台風の被害の後始末だ。ならば前述の中ノ島近くの河川敷のゴミも持って行ってくれればいいと思うが、扶桑何とかの会社は流木のみ撤去するように言われたのだろう。

 話はまた変わる。渡月橋付近で桂川は下流より30メートル幅が狭く、またその付近の堆積土砂がどっさりとあるので、9月の台風の時に「花筏」などの旅館が浸水した。その前から淀川河川管理事務所と地元の話し合いが行なわれていて、30メートル狭いことをどうするかという案が4つ提出されている。川幅を広げるか、川底を削るか。そのどちらも洪水の対処の根本だ。だが、川幅を広げる案のみ採用すると中ノ島が最悪の場合、半分の面積になり、また渡月橋を西京区側で30メートル延長する必要が生じる。そこで川底の浚渫も行なうが、管理事務所としてはその折衷案を通す考えのようで、地元で昔から営業している店は、中ノ島は現状のままとしたがっている。それには川幅はそのままで、川底の浚渫のみを行なうが、その深さは2メートル半ほどだ。そこまで掘り下げると、橋脚が露出し、またその補強工事も必要となるが、古老は昔は橋脚が露出していて、その上から川の中に飛び込んで泳げたと言う。管理事務所はそういう「歴史的」事実を知らずに、現状を「歴史的」な景観で、それを維持すべきと思っている。そういったことを自治会住民に知らせるための文書を5日前にようやくまとめた。それを持って自治会のFさんに見せに行き、そこで意外な話を聞いた。9月の台風の被害の復旧用として、国が170億だろうか、ぽんとお金を出してくれたそうだ。桂川流域全部でそれだけのはずで、嵐山地区のみが対象にはなっていない。中ノ島公園の整備は大方終わったので、どんどん下流へと目が向けられ、今は松尾橋に至るまでの河川敷がちょうど終わった頃だ。前述した扶桑何とかのダンプはその国からの予算を使って地元業者を潤わせるものだ。年末になって右京区の土建業者に意外な大仕事が舞い込んだ。それはそれでいいことだ。さて、Fさんかはデジカメに保存されている写真を数枚見せてもらった。中ノ島から松尾橋にかけては自転車道路がある。そこを散歩して撮った写真で、それを見てまたびっくりした。河川敷は丸坊主になっている。夏場は葛の平原で、背の高い樹木も点在していた場所が、丸裸になっている。その河川敷には雉が生息し、野鳥の棲家になっていた。彼らはどこへ移住したのか。国から出た予算は、長年そのままに放置された河川敷を、何もない場所にすることにも使われた。それはともかく、せっかく書いた文書だが、Fさんはまだ回覧せずに、しばらく様子を見ようと意見した。国が大型予算を組んだからには、別の新たな動きが管理事務所から持ち出されるかもしれないからだ。
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 昨日は中ノ島の「花灯路」の準備の様子を撮影した後、自転車道路を松尾橋までゆっくり観察しながら歩き、たくさん写真を撮った。それらは今日だけではとても投稿し切れないので、後日別の題名で載せることになると思うが、筆者の思いはそのように大規模に桂川の河川敷の樹木が刈り取られることがいったい何年ぶりかということだ。その答えは、葛平原に点在していた太い樹木の年輪を調べればよい。とにかく、全部伐採され、年輪は真新しいので、それを確認することは容易だ。最も太いものは松尾橋すぐ近くにあって、樹齢25年ほどで、だいたいは15年程度だ。ということは少なくても25年ぶりの大掃除になるが、実際はもっと経っているのではないか。それほどそのままに放置されたのは、京都府か市、あるいは区役所に予算がなかったからだろう。そして台風に伴う洪水被害が日本中に知らされてから、国は予算を投下してくれた。これは、何事も被害があってからでなければ役所は動かないことをいみじくも示す。葛平原が丸坊主になった様子の写真は数枚用意しているが、今日は以前撮ったものを載せる。2枚目は9月下旬で、松尾橋から上流側を見下ろした。大きな穴が見えるのは、洪水で堆積土砂が動いたためだ。この2枚目が11月27日では3枚目のように畝が作られた。4枚目は今月10日の撮影で、松尾橋から上流を見わたした。虹が出ていたので撮ったが、それ以外に河川敷の様子を見てほしい思いがある。このパノラマ写真はいつものようにクリックで拡大する。5枚目は同じく橋の上からズームで撮った。わかりにくいと思うが、写真水平方向中ほどに、白いガードレールの列が小さく見える。そのすぐ下は葛が繁茂するジャングル状の河川敷であったのは、すっかり刈り取られて土色になっている。6枚目は昨日松尾橋から上流側をズームして撮った。ダンプが流木を積んでいる。このダンプはムーギョへの往復ともに擦れ違った。扶桑何とかの会社名が記され、荷台には河川敷にたどり着いた流木と、生えていた樹木が積み込まれていた。どこへ持って行くのかと思えばゴミ焼却場しかない。ならばあちこち放置されている流れ着いた大型ゴミも一緒に運んでくれればと思うが、それは管轄が別なのか、あるいは別料金で処理業者を雇わねばならないのだろう。それがいつになるか。たぶんその機会はない。次の洪水の際、どうせ下流に流れて行く。最後は海だ。そうそう、松尾橋左岸側に洪水のために倒れていた樹木は昨日見るとすっかりなくなっていた。そのままでは樹木も生きて行くのが辛そうであるし、見る方も切ないので、切り取られた方がよかったかもしれない。
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by uuuzen | 2013-12-13 15:57 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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