●嵐山中ノ島復旧、その10
大な気分になれるのが、中ノ島公園の広さだ。それが広い分、川幅がその下流より30メートル狭い。それで中ノ島公園が洪水の際に冠水しやすい。公園を半分ほど削ってしまえば今度は渡月橋を南側に30メートルほど延長せねばならなくなる。



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そんな大がかりな工事にせず、堆積土砂を浚えばいいのに、現在の景観がベストであるとして国土交通省は難色を示している。現況がよい景観と思うのは無知だ。先日地元の嵐山郵便局の壁に、地域切手のシートが販売されていた。嵐山と嵯峨から名所を選んで、その写真を使った何枚かの切手が配置されている。切手以外の地部分は桂川左岸から見た、誰でも馴染みの紅葉真っ盛りの嵐山を背後に控えた渡月橋の写真であるのはいいが、渡月橋の下は水が見えず、土砂が高く積もっておまけに雑草だらけだ。そんな光景は昔はなかった。土砂が溜まるがままにされていて、それが保護すべき歴史的景観というのであるから噴飯物だ。橋は川に架かっているものだ。渡月橋は土砂の上にある。役人は渡月橋の昔の様子など何も知らない。それを知るのは地元住民の中でも70、80代だ。そういう人の意見を聞かずに、とにかく大工事にしたいのは、国から予算を確保出来るだけして、しかもそれを全部使わねば損という考えがあるからで、実際のところは各地域の人のことなどほとんど考えていない。それはさておき、2週間ぶりに中ノ島公園に行った。何か変化があれば写真を撮り、ここに載せるつもりでいた。期待はしていなかったが、中ノ島に入った途端、工事用の車が見えた。何の工事かと思って接近すると、車の中で男性がひとりのけぞった形でくつろいでいた。目が会ったので避けた。フロントガラスには、「工事関係車両」の紙札が立てかけてあった。相手にすれば「文句ないだろう」との思いで、中をちらりと見た筆者を威嚇したげであった。車がなぜそこに停まっているかは、渡月橋向かって100メートルほど歩いてわかった。そこで撮ったのが今日の2枚目で、中央の茶色の柱は街灯のものだ。基礎のコンクリートは真新しく、昨日あたりのものだろう。人が立ち入らないように囲ってあるが、それと同じものが先の車の後方にもあった。つまり、その車は中ノ島に街灯を設置したのだ。
d0053294_138679.jpg 2週間前はベンチがかなり増えたことを報告した。そのベンチに座る人を照らすための街灯で、これはなくていいのではないか。街灯があれば恋人たちはいちゃつくことが出来ない。鴨川の四条から三条にかけての河川敷は等間隔でカップルが座るが、街灯はない。なくても背後に並ぶ店の灯りがある。だが、それはこのたび中ノ島公園に設置された街灯とは違って、間接照明的だ。中ノ島公園では、街灯の真下と言ってよい場所にベンチがある。夏場はそこに虫の大群が日参し、とてもベンチに座る気分になれないはずだ。9月の台風被害を一掃するに当たって、より明るいイメージをと考慮されたのだろう。一昨日ムーギョに向かう時、いつもの大きな畑の横に差しかかった時、様子が違っていることに気づいた。街灯が増えたのだ。しかもより明るく冷たい光で、LEDであるのは一目でわかった。電気代が安く、しかも明るくてより長持ちするこの灯りに今後順次取り換えられるだろう。電気代が安いので、前より街灯の数を増やそうということで、それで中ノ島公園にも増えることになった。暗いより明るいのはいいことだが、いいことづくめかと言えば、そうでもない。畑の際に新たに設置された街灯はやけに明るく、そのすぐ近くの民家はありがた迷惑ではないか。深夜になっても窓から明るい光が差し込む。泥棒避けにはなるが、明るさで夜の落ち着きやくつろぎがなくなる。東京の交通機関を24時間動かす案があって、100年後には昼と夜の区別がそうとう曖昧になって、人間はどんどん動物の本能を喪失して行くだろう。偉そうなことは言えない。筆者は最近寝るのが深夜3時を過ぎる。以前は2時過ぎであったのが、しだいに遅くなっている。それと同じことで、そう思えば筆者は未来的人種かもしれない。だが、昼夜が逆転したような生活はいいことはない。夜になれば眠くなり、日が昇れば小鳥の鳴き声とともに目覚めるというのが、午前中を有効に使えて、省エネにもよい。
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 それはそうと、河川敷に新しい街灯が設置されたことを知り、ふと渡月橋を眺めると、川岸に近い底に照明装置がある。今日の3枚目の写真の右下に見えるのがそれだ。もっと近寄って撮ればよかったが、左端の屋台のテントを写し込みたかった。これは地元の業者のはずで、指導によって営業出来なくなったと思っていたが、行楽シーズンだけは許されているのかもしれない。五山の送り火の夜にはもっと多くが並ぶ。とはいえ、中ノ島公園の河川敷は長さがしれている。護岸近くに置かれた照明は、その向きからして渡月橋を照らす。いったい何のためかと思ったが、「花灯路」用のものか。その回覧物はまだ来ていないはずだ。さらに上流に向けて歩き、渡月橋を越えた。すると、下流側の護岸下にあったのと同じような照明があった。その写真も撮ったが、あまり面白い構図でもないので、今日は載せないでおく。代わりに4枚目として、さらに上流で撮ったものを。これは通称「剣先」と呼ばれている場所で、中ノ島公園の上流側の先端だ。そこに写真のように大がかりな照明が並べられていた。全部で10個がみな嵐山を向いている。ということは、渡月橋や嵐山をライトアップするイヴェントがあるはずで、やはり「花灯路」かと思うが、確かそれは紅葉が過ぎた厳寒の季節ではなかったか。ひょっとすれば、今年は台風の被害があったので、中ノ島のひとまずの復旧を祝って紅葉盛んな夜に照らすのかもしれない。この10個並ぶ照明がスピーカーであればどんな音楽が似合うかと思った。アルヴィン・カランに任せて音楽祭をすれば、嵐山が世界的に有名になるが、そんな洒落たアイデアは誰も提言しない。そこで何でも照らせば人が集まると、まるで観光客を「飛んで火に入る虫」の扱いだ。ともかく、10個が一斉に点くと、近くに立てば眩しく、また灯りを覗くと視神経を傷めるだろう。だが、夜は冷えるので灯りの近くは熱で温まるはずで、それを確かめに点灯している間に間近に行ってみたい気もする。やはり筆者も「飛んで火に入る虫」のようだが、たぶんそんな嬉しがりのようなことはしない。それはライトアップされた嵐山や渡月橋はさしてきれいではなく、筆者はむしろ9月中旬の台風の被害直後の暗い夜がいい。「花筏」などの旅館が営業を停止し、街灯も消えて、渡月橋一帯は数十年に一度しか見られない暗がりとなった。その記憶を反芻すると、灯りで賑やかな状態よりはるかに面白い。明るさより暗がりの方が今家や印象的で、強い思い出になる。したがって、観光客にライトアップを見せるなど、全く無粋なことで、逆にライトダウンするのはどうか。金もかからず、カップルは喜び、いいことづくめではないか。そんな発想がなぜ出来ないのだろう。人間は啓蒙の度が過ぎて蒙昧に逆戻りしている。
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by uuuzen | 2013-11-12 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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