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●秋の花の移ろい
るべき埃の多さなど自慢にならないが、埃は割合平気で、数か月に一度しか掃除しない部屋の隅はたぶん綿埃が積もっている。そんな様子を昔友人の家で泊まった時に見てあまりいい気がしなかった。



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しかもピンポン球級の綿埃が枕元に2,3個転がっていて、布団を敷いてくれた友人の奥さんや友人はそれを見ているはずなのに、全く気にしていなかった。その部屋はほとんど物が置かれず、畳も新しかったので、普段あまり使っていなかったのかもしれない。そんな部屋でも埃は積もるから、1日数時間はいるわが家の3階は埃とダニだらけであろう。たまにバルサンを焚こうかと思わないでもないが、屏風や掛軸など、あまり殺虫剤成分を付着させたくないものが山積している。一番いいのは客を招くことだが、今は足の踏み場がないほどに雑然としている。それはいいとして、昨夜ネットでパソコンの内部が驚くべき埃に支配されている写真を何枚か見た。その埃は人間のひとり分の頭髪くらいある。それだけ積もってもパソコンが作動していたのだろうか。発熱で埃が燃え始め、火事になることがないのであろうか。筆者は今これを書いているパソコンの蓋を1年近く開けていない。頭髪ほどに埃は蓄積していないと思うが、掌にたっぷり載る程度はあるだろう。そう思ったのは、数日前にパソコンの起動が急にとても遅くなったからだ。20分ほど待ってようやくデスクトップ画面が現われる。ハードディスクのクリーンアップや修復をしても同じで、一昨日はついにいくら待っても起動しなかった。電源コードを抜き、セイフ・モードで動かすなどしても同じことで、これは積もり積もった埃のせいかと思いながら、ネット検索すると、同じようなことに遭遇している人がたくさんいるようで、ある画面から修正ソフトをダウンロードすると問題が解消するらしいことがわかり、早速そうした。するとまた即座に起動するようになったが、パソコンが急にそのように調子がおかしくなる原因はメーカーもはっきりとわかっていないのだろう。それほどにパソコンが複雑に出来ている。人間も同じで、病の原因はひとつということはあり得ないのではないか。いろんなことが関係してどこかの調子がおかしくなる。どのようなこともそのように複雑と考えると、一種気楽ではないか。簡単に答えが見つからないことが多いのであれば、それこそが答えと思って考え過ぎないことだ。そこで思うのが先ごろ起こった東京の三鷹市での悲惨な事件だ。なぜ18歳の女性が交際していた21歳の男に殺されなければならなかったのか、それを昨日はあれこれ考えた。
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 男は京都市右京区の幹線道路沿いのマンションに住んでいたとTVで知った時、さてそれはどこかと思った。ひょっとすれば筆者が毎日のようにその前を歩いている松尾橋の東のたもとに建つ古いものかもしれない。家内にそのことを言うと、丸太町通りも右京区にはあるので、そうとは限らないとのこと。それもそうかと思ったが、右京区内では四条通りの方がマンションは安いはずで、犯人の生活圏という気がする。被害者が東京、加害者が京都ということは、恋愛関係にあった若者同士としては遠距離過ぎてお互いさびしかったであろう。男はネットに恨みがあると書き込み、そして女性を刺した。どんな恨みが強くても刺し殺すほどのそれは筆者には理解出来ない。警察の取り調べで恨みの原因がいつか明らかにされるかもしれないが、いくら女性が男に冷たい仕打ちをしたとしても、殺すのは論外だ。殺される方も悪いという意見もあろうが、それは無茶な話で、殺される方も殺そうとした場合に限り、五分五分の関係になり得る。そこで思うのは、殺したくなるほど憎くなったことと、男が女性のプライヴェートな写真や動画をネットにばら撒いたこととの関係だ。相手を恨むあまり、困らしてやろうとしてばら撒いたのだろうが、男は恥ずかしい写真をばら撒くことによって彼女が徹底的なダメージを受けることを知っていた。彼女は芸能人を目指していて、男にすれば自分の手が届かないところに行ってしまうと焦ったのではないか。つまり、相手にしてもらえない恐怖と悲しみ、さびしさだ。男も芸能人の卵ででもあれば、事件は起こらなかったのではないか。それに、彼女が芸能人を目指さず、ごく普通の目立たない一般人のままであればだ。男がすっかり自白しない限り、真相はわからないので、ここであれこれ想像しても始まらないが、事件は交際のもつれが原因であって、その意味ではよくある話だ。男がストーカーであったと報道されると、ふたりは交際していなかったのかと思いがちだが、彼女は遠距離にいる男のために自分の裸の写真を何枚も送っていて、その点では一時は女性も男のことを愛おしく思っていた。それがなぜ殺されたのか。恨まれる理由は何であったのか。男の証言次第では今後格好の小説ネタになるかもしれない。ひとつ言えるのは、若者同士であり、セックスの問題は抜きに出来ず、男は満たされぬその問題に悶々とする日々で、理性を失った。これは、男も性の暴走の被害者という見方が出来る。21歳でなくても男はそのような暴走がままある。そこをうまくコントロールして行くのが本当の大人と言いたいところだが、目の前にあまりにも魅力的な女性が現われ、全身を曝け出してくれながら、別れ話を持ち出されると、免疫があってもどうなるかわからない。男も未練がましいからだ。
●秋の花の移ろい_d0053294_25056.jpg これは以前書いたことがある。週刊『プレイボーイ』で昔今東光が人生相談の回答者を担当していた。30年もっと前か。筆者がよく覚えている読者の相談がある。女性歌手の誰それの大ファンになり、彼女と結婚したい思いが募って困るというのだ。今東光の答えの最初は、『芸能人の女のどこがいいのだ』といったのもので、それがとても印象に残っている。筆者の思いと同じであったからだ。今東光の答えは簡単に言えば、芸能人の女など尻軽なもので、結婚相手に向いていないということだ。これは全部が全部そうではないが、当たっているとことは大きいだろう。自分の美貌と才能を売りにして生き抜いて行くためには、それこそどんなことでも平気にならねばならない。業界人に片っ端から手をつけられても、それを乗り越え続け、時に清純さを演じながら稼ぎ、周囲にも恩恵を施さねばならない。そういう世界に馴れた女は同じ水の中で生きている男と相性がいい。あるいは実業家で大金持ちになった男が美人の芸能人と結婚する。つまり、芸能人の女性はごく普通の男とは縁がない。今東光はそう思って読者に回答した。三鷹の女子高生を指し殺した男は、ハーフなので顔は彫りが深く、殺された女性とは似合っていた。なので、男も芸能人を目指せばよかったが、そう簡単なことでもない。だが、それなりに女に持てたと思えるから、さっさと別の女性とつき合えばよかったのに、わざわざ東京まで行って殺すのはよほどの執着があった。その執着を別のところ、たとえば仕事に向ければよかったのに、それが見つかるほどに人生経験がなく、また経済的にも貧しかったのだろう。そして女の肉体の記憶に狂った。ふたりの出会いがフェイスブックというから、全く今時の話だ。簡単に男女が出会えてセックスする。そう考えれば、諦め切れなかった男の方が純情であったのかもしれない。それでも殺すことはないし、ナイフで自分の胸も刺して死ねば人々の見方も違った。それにしても10代の女性が芸能人を目指すことは年々多くなっているはずで、筆者はTVでそんな若い子をたくさん見るが、どれもこれもみな同じに思え、またさっぱりきれいとは感じない。本当の美女は芸能人にはならない。ただの美女が顔と肉体を武器にして有名になろうとする。
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 「秋の花の移ろい」と題しておきながら、少しもその話にならない。埃ではないが、それと大差ないような写真がたくさんたまっている。このブログに使う写真は、以前はMOディスクに保存していたが、今はヤフーのサービスにある「マイ・ボックス」を使っている。先ほど今日の投稿に使える写真がないかと探すと、先月から撮って来た路傍の花の写真が何枚かある。それら秋の花の写真をまとめて載せることにした。撮った順に5枚使うが、「その2」の投稿はない。つまり、今日で全部使う。最初は芙蓉だが、これは毎年同じ場所に同じように咲く。とても気に入っている。ガードレールの向こう側は水路で、そこに向かっても咲く。下はアスファルトであるし、よくぞ苛酷な条件で立派に咲くものだ。さすが全体の背丈は高くないが、それでも精一杯たくさん花をつけようとする。2枚目はヒガンバナで、同じ水路の際。これほどまとまって咲いているのは田畑の片隅やあぜ道のみで、そこには立ち入ることは出来ない。今年は隣家の裏庭にも2,3本初めて咲いているのを見つけた。鳥が種子を運んで来たのだろう。もっと増えてくれるとよい。そこそこ陽当たりが必要なはずで、日照を工夫してやらねばならない。3枚目は柿の実。散歩途上で毎日のように見ている木で、これほどたくさん実をつけるのは初めてではないか。また数日前は実は半分に減っていた。4枚目はキンモクセイ。中ノ島橋のたもと、温泉の斜め前の木だ。これは比較的大きな木だが、松尾橋のたもとにはこの数倍大きい見事な1本が立つ。割合どこにでもある木で、普段は意識にないのに、匂いに気づくとオレンジ色の細かい花にも目が行く。今年はもう花は終わったのだろうか。あまり匂いは漂って来なかった。5枚目の鶏頭は今月17日に上桂の保健所の前で撮った。陽射しが面白い影を作っている。それに、プランターに植わっている隣りに地面から咲いているのも面白い。そして、プランターよりも地面から育つものの方が立派で、生き生きしているように見える。プランターで育てると、自由に日照りのよいとことに移動してやれるから便利だが、地面から生え出ているものに比べて貫禄がない。筆者はプランターは嫌いで、なるべき直植えしてやりたい。ただし、そのための場所がない。それでいろんな植物がせせこましく育って、全体が埃の集まりに見えてしまう。ま、誇るべきものが何もなく、誰も客を招かないのでそれでいい。
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by uuuzen | 2013-10-20 23:59 | ●新・嵐山だより
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