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●嵐山中ノ島復旧、その3
島の大型クレーンは今日はもうなかった。別の現場に行っているのか、仕事がなくて停められたままか、大きな工事はそれなりに京都各地にあるだろうから、今日は別のところでまた重い物を吊り下げているだろう。



大阪港を数人乗りの船でクルーズして楽しむサービスがあることを先日のTVで紹介していた。出発地は神戸であったと思う。また、毎日やっているのではなく、季節のいい月の数日程度だ。それほど客が少ないのだろう。船がどこを回るかと言えば、工場群を見せたり、使われなくなった港の大型クレーンの前で停泊したりする。夜の工場群を撮影するのが若者に流行っているらしく、そのクルーズもそうした写真で有名なカメラマンが同乗する。使われなくなった大型クレーンはさびしい。確か中山製鋼のものだった。今でも手入れすれば動くはずで、そのような巨大なクレーンがそのままになっているのはもったいない。だが、日本中でそのように使われなくなったものがたくさんあるだろう。空家がまずいい例だ。とても古くなってしまっているのなら、もう寿命を全うしたと思えるが、そうでもない家がよく売りに出される。何かわけありかと思って、かえって気味が悪い。そのわけとは事件だ。特に人が殺されたり、自殺者が出た家は、そのことを知らずに入居するのは仕方ないとして、知ってしまうと住む気にはなれない。そのために、みんな新築に住みたがる。また、変な事件に関係していない空家であっても、以前住んでいた人の思いが染みついていて、それを思うと住む気になれないという人もある。物でもそうだ。筆者は伏見人形を以前は必死になって集めたが、3割程度が新品で買ったもので、そのほかは古いものだ。古い人形はいやだと言う人がある。人形は特に目で愛玩されるもので、持ち主がその人形と別れる時にはさまざまな事情がある。「興味がなくなった」はその一例で、これは人形がかわいそうだ。まさか人形が悲しみを抱くはずはないが、人形が好きな人は人形にそのような思いがあると考えがちだ。興味を持たれなくなって処分された人形を、次に持ち主が大切にするのであれば、人形にとっては新しい春で、古い人形が別人の手にわたることは肯定的に捉えるべきだ。そのようにして100年、200年と人間よりも長生きする人形がある。筆者はそう思うことにして、古い人形であっても気に入ったものは買って来たし、これからもそうする。だが、いつかは別れが来る。その時、筆者の周囲の者はゴミのようにして捨てるかもしれない。あるいは別の人形好きの手にわたって、また数十年はそばに置いてもらえるなら、人形にとって幸運だが、そういう例は非常に少ない。これは、時代を越えて価値が認められる人形を作り手が製造すべきことを示ししながら、それに尽力しても、時代の変化で興味を持つ人の減少は否めず、結局のところ、長生きするかどうかは運とも言える。
●嵐山中ノ島復旧、その3_d0053294_0312762.jpg 空家の話から伏見人形に移った。空家を思い出したのは、今朝のTVで、福岡県の若者が集まった不動産屋が、空家を貸すことを中心に斡旋していることを伝えていたからだ。海に面した築3,40年の家が1月7万円ほどで、それを30代とおぼしき女性が気に入っていた。空家の話をもうひとつすると、昨夜見たTV番組に、ストーカーが女性の両親と祖母の3人を殺し、最後に帰宅した女性を襲った後、行方をくらまして指名手配されていることを伝えるものがあった。10年ほど前の事件で、犯人の顔は交番のポスターでよく見かける。特徴ある顔なのですぐに逮捕されそうに思うが、10年以上も逃げているとなると、ますます追い詰めるのは難しいか。それはさておき、ストーカーされていた女性は殺されずに済んだが、男はその女性を殺してまでも犯したいとは思わなかったことになる。それでも3人を先に殺して隠しておいた家で女性を待ち受けるのであるから、その姿を想像すると、誰もいないわが家に帰宅することが恐くなる。女性は3人が殺された家を当時のままにしていて、TV番組の取材のために、事件以来初めて中に入った。壁のクロスが大きく剥がされていた箇所があった。血糊がついていたのだろう。その家はもう誰も住もうとしないが、かといって事件が解決していないので、壊すことも出来ない。人形に思いがあると考えるのならば、家も同じではないか。その家はずっと悲しんだままで、どうにかならないものか。家は人が住んでこそ意味がある。誰も住まない家は誰も見ていなくても咲く高山植物とは違い、美しくない。住まなくても、せめてたまに人が訪れるべきだ。そのことを思うと、人間そのものにも言える。誰も訪ねて来ない人はどれほど孤独か。だが、そういう老人は今後急速に増えて行く。そう言う筆者もそうなる。誰も訪ねて来なければ、こっちから出かけて行けばいいようなものだが、来いと言われていないのに出かけて行くと、迷惑顔をされるかもしれない。実際はそうでなくても、そのような思いをするだけで、出かけるのが億劫になる。そして悪循環だ。
 老人の話になったついでに書く。先日の21日、小学校で「敬老の集い」の催しがあった。会長が朝の準備はいいとして、催しそのものと後片づけには参加出来ないという。それで筆者は早朝に起き、朝の10時半までに用を済まして学校に向かった。わが自治会には満75歳以上の自治会に加わっている人が数十人いる。全員に案内書をわたし、当日の催しに参加する人は数名だ。しかも」毎年メンバーは決まっている。筆者が会長をしていた去年までは落ち度なく事を運んだが、今年は会長を退き、また配布物は別の人に一任したので、この催しについて筆者はあまり気を配ることがなかった。手抜きと言われればそうだが、今年は別にやることがたくさんあった。それで、催しへの出席票の届け出締め切りの翌日に2名の参加表明があった。会長はさらに1日経ってその2名を追加してくれと本部に伝えると、締め切り日は厳守であり、また参加者をまとめた表を作ってしまった後だと取り合わなかった。その話を聞いて筆者は即座に動いた。自治連合会にはそれなりに顔は利く。それに2名の老人は毎年催しを楽しみにしている。会長は2名に駄目であったと伝えたと言うが、筆者は落胆するふたりの顔を想像した。そして、夜9時近かったにもかかわらず、電話であちこち掛け合い、また根回し的なこともして、2名の追加に成功した。自惚れるわけではないが、筆者の頼みであったから、受け入れられたところが大きかった。ま、この話を始めるととても長くなりそうなので、このくらいにしておくが、催しの当日、2名のうち、90歳近い女性のYさんが筆者のところに挨拶に来た。すっかり諦めていたのに、筆者のお蔭だと、筆者の手を握りながら、なかなか立ち去ろうとしない。筆者もYさんと話すのは楽しい。昔話をいろいろと聞き出す。筆者は90までは到底生きられないが、その年齢まで自分の足で歩き、また催しに参加してそれを楽しみ、そしてちょっとした迂闊を門前払いせず、うまく事を運んでくれる自治会の若手がいるという状況は幸福ではないか。老人をそのように歓待するのが当日の催しであるはずだ。あまり杓子定規で物事を運ばない方がよい。骨を折ってくれた連合会の人に、筆者は来年はこうすればいいのではと意見しておいた。改良すべき点があればどんどんよい方に改める。これは当然のことだが、年配者ばかり集まりがちな自治会やその連合会といった組織は、とにかく去年に「前へならえ」で、新しいことをする気力に欠ける。古いことにはそれなりによさはあるのはわかっている。だが、そのよさは別の視点からは単なる旧弊に過ぎない。そうそう、先ほどのネットで、50代の官僚が2チャンネルやツイッターに暴言を吐き続けていたことがばれて、2か月の停職になったとあった。その暴言の中に「老人は早く死ね」というのがある。この男がエリートであると自惚れるのはいいとして、いつか自分も老人になるという想像力がない。もう間近ではないか。しかも、彼の場合は醜さが際立つだろう。いや、50代にして腐臭を発しているからこそ、それがばれて大恥をかいている。
●嵐山中ノ島復旧、その3_d0053294_20160181.jpg
 さて、今日は中ノ島の最新の様子を報告することにしていたのに、ほとんど無関係なことを書いてしまった。それは、先週の桂川の氾濫はわが自治会に関係することであったから、今日は自治会のことを書いてもよいと思ったからでもある。京都新聞では連日嵐山関連の写真が載っているそうだが、月が明けないうちにと思い、今日午後4時に会長と落ち合って、「花筏」と「渡月亭」にお見舞いに行った。どちらも幸い女将がおられたので、少し話を聞いた。館内は修理の真っ盛りで、「花筏」はかなり雑然としていた。それでも今月5日にわが自治会が地蔵盆の足洗いに使わせてもらった1階奥の広間は畳を入れれば完成というまでになったそうだ。「渡月亭」は地下のボイラーがやられたそうで、それの修復に手間取っている様子だ。店の再開は、「花筏」が確か10月5日、「渡月亭」は中ノ島に建つ別館が被害がひどく、それがきれいになるのは10月いっぱいまでかかるようだ。昨日は夜に中ノ島を見に行った。投光器を灯しながらの作業で、急ピッチで元の姿を取り戻しているのがわかった。それで今日は4時45分頃か、カメラを持って出かけたところ、昨夜よりうんときれになって、もうほとんど以前の姿を変わらないように見えた。何とかクラブが設置した方位盤は元通りの位置に収まり、その下流に並んでいた桜もしっかりと根の周りに土を入れられたようだ。渡月橋の左岸に槙島のではないクレーンが見えた。そこまで行ってもよかったが、おそらく橋脚に絡まかった草木などを整理しているのだろうと思い、2枚のパノラマ写真だけを取って引き上げた。最初の写真は台風の翌日17日に撮った。コンクリート製のベンチが転がっている。これは一昨日であったか、元の場所に据えられた。中ノ島の川側半分はまだロープが張られて立ち入ることは出来ない。それが外されるまではこのシリーズを続けるつもりでいる。嵐山に住みながら、地元の旅館に泊まることはないし、また中ノ島に並ぶ茶店もほとんど利用しない。それでも今回被害を受けた地帯から1メートルかそこら水位が上がっていればわが家には一気に水が入って来たから、何となく浸水した地帯はその背後地域の堰になったような気がする。実際はそうではなく、浸水地帯から後方は少しずつ高く盛り土されている。あるいは、「花筏」前の道は、昨日の嵐山古地図の写真からもわかるように、山沿いにあって、花筏前から南100メートルほどが上り坂になっているのはもともとの地勢がそうなっているのかもしれない。わが家は氾濫時の水位より3メートル低いことは先日書いた。今日は部屋を眺め回しながら、いざ氾濫となった時、何を一番先に階上に持って行こうかと思った。一番高価なものに決まっているが、生活に欠かせない電気製品がたくさんあり、浸水は大いに困る。そう言えば、損害保険会社から浸水の被害があれば言ってくれという案内書が今日届いた。
●嵐山中ノ島復旧、その3_d0053294_20164277.jpg

by uuuzen | 2013-09-26 23:59 | ●駅前の変化
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