人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●嵐山中ノ島復旧、その2
と鵜が鈴成りになって増水した川面を眺めていたそうだ。桂川の洪水から1週間経って、ようやく水が澄み、また水量もいつものように少なくなった。それで中ノ島から流れを見ると、鷺と鵜が魚を狙って同じ地帯に集結していた。



ようやく餌にありつける。そう言えばこの1週間、彼らは何を食べていたのだろう。たぶん絶食していたのだろう。わが家の裏庭向こうに船揚げ場から引いた農業用水路の役目を果たして来た小川がある。船揚げ場に堰があって、増水時にはそれが自動的に閉まる。桂川の増水を少しでも減らすためにその門を開けて小川の水嵩を目いっぱいにすればいいと思うが、なえか大雨が降ればすぐに閉まる。用水路が氾濫しては困るからだろうが、ぎりぎり氾濫しない程度に流せばいいではないか。だが、この小川は松尾でまた桂川に合流し、その時にそこ周辺で住宅地に氾濫する可能性があるかもしれない。それはともかく、その小川は先週の台風後、5日ほどは水が流されず、ほとんど干上がっていた。水深は多くて5センチほどか。そのため、魚が泳ぐのに苦労していた。長さ10数センチで、胴に大きな縞模様というか、斑点があった。バケツを持って追えば簡単に捕まえられそうであったが、やめておいた。30メートルほど上流に灰色の大きな鷺がいて、それらの魚を狙っていたからだ。筆者が捕獲しても、鷺が捕まえても食べられるのなら、鷺に譲るべきだ。魚には運が悪いと諦めてもらう。そう思いながら、早く上流の堰の門を開けて水をたくさん流してほしいと願った。干上がった水路に閉じ込められた小魚のすべてが鷺の餌食になったはずはなく、幾分かは逃げおおせたろう。人間の世界も同じようなものだ。それもともかく、桂川がまた澄み、容易に鷺や鵜が魚を見つけられるようになったのはいい。この鷺と鵜が居並ぶ様子を撮影したのが、今日の最初の写真だ。ズームいっぱいで撮ったのに、彼らの姿がわかりにくい。安物カメラの限界を知る。白いのが鷺で、黒が川鵜だが、黒が少ないから見栄えがいいと思っていると、空を見上げると烏が100や200はいるので、白い鳥は圧倒的に少ない。さて、今日は祝日であった。毎日休み同然の筆者にはその感覚がない。ましてや今日は家内の出勤日で、休日ムードからは遠かった。天気がよかったので、またぶらりと中ノ島まで行った。今日もTV各局の車が来ていて、あちこちで記者が撮影し、上空にはヘリコプターが舞っていた。今日の夕方のTVニュースで、先日から一気に有名になった「花筏」の女将ノインタヴューを二度見た。どうでもいいことだが、今年わが自治会の第1組の組長を「花筏」が担当しており、会合には彼女が出て来る。気さくな女性で、今回の浸水によってそのイメージは全国に流布したであろう。店の再会は来月5日とのことだ。中ノ島で有名な料亭「錦」は2日と貼り紙に書いてあった。
●嵐山中ノ島復旧、その2_d0053294_234101.jpg

 昨日に続いて中ノ島の様子を報告するのは本当は気が進ます、別の話題を予定した。だが、好天の秋分の日で、観光客は嵐山の水害の復旧具合がどうかと思いながらたくさんやって来る。それに混じって同じように中ノ島を観察し、また渡月橋まで行ってみるのはよい。今日が祝日で観光客が多いことを見込んでヘリコプターも出動したのであろうし、月並みではあってもTVニュースに倣って地元に住む筆者が報告しておくのもよい。それで写真をたくさん撮って来て夕方に加工した。それで今日は昨日に続いて「その2」を書く気分になったかと言えば、そうではない。書こうした写真が面白くないからだ。『駅前の変化』のカテゴリーでさんざん工事中の写真を載せているので、その思いはおかしいが、定点観測ではないため、雑然さはより強くなる。工事中の写真を美しく撮影することは難しいと言うより、そもそも矛盾しているのではないか。完成途上の姿は「未完」であって、それは完全が保つ美からは遠い。筆者は古典的な均整の取れた美が好きなのだろう。ともかく、せっかく観光客に混じって散歩し、角度を選んで撮影し、またブログのためにサイズを加工しながら、積極的に投稿しようという気分になれない。そう言いながら、結局こうして「その2」を書いているのも矛盾で、仕方なしの思いが強い。話題を変えると、一昨日は朝6時に起きた。睡眠4時間ほどだ。筆者には珍しい。8時前に松尾橋まで行ってバスに乗った。それを待つ間、目の前に大きな赤茶色のクレーン車が通過した。「槙島」という大きな白い文字が見えた。そのクレーンがどこへ行くのか興味はなかった。昨日中ノ島に向かう途中、中ノ島に高く聳えているクレーンを見た。駅前のホテルや、また桜の林の中の温泉が建つ間に同様のクレーンを見たので、予期せぬことに中ノ島で見るようになったこともさほど珍しい光景ではない。ところが、近くでそのクレーンを見たところ、「槙島」の文字があるではないか。つまり、一昨日の朝8時頃、そのクレーンは松尾橋から渡月橋へと向かい、中ノ島に入って作業し始めたのだ。そして今日もだ。毎日通うのだろう。あるいは中ノ島に放置したままか。それでは盗難に遭うかもしれず、また運転手が電車と徒歩で通うのは大変だ。「槙島」というからには、宇治の業者だ。今日、中ノ島にあるブルドーザーや大型ダンプなどを眺めながら、あちこちから手配されたのは当然として、造園業者の小型ショベル・カーが河川敷の大きな粉砕石を運んでいたり、また他府県ナンバーのダンプがせわしく粉砕石を搬入するなど、いかにも急きょ業者を選んだ感じがした。彼らにすれば降って湧いた仕事でありがたいのではないか。また、役所にとっては降って湧いた災難で、工事費の捻出に頭が痛いだろう。
●嵐山中ノ島復旧、その2_d0053294_23411098.jpg

 3日前の夜、従姉の旦那さんに梅津から嵐山まで車で送ってもらった。午後7時過ぎで、渡月橋を越える時にいつもとは明らかに違う暗さを実感した。「花筏」や「渡月亭」といった双璧の大きな料理旅館は真っ暗で、また周辺の土産物屋も店を閉めている。その暗さは街が一斉に停電した時しか味わえないもので、やはりさびしい印象が強いが、渡月橋の歩道際に照明が設置されたり、とにかく街を明るく照らすという方向に時代は進んで来て、誰もがそのことに慣れてしまっている。そのため、洪水の影響とはいえ、渡月橋付近が真っ暗な夜はそれなりに魅力があると感じた。江戸時代と言わず、戦前はそれに近かったのではあるまいか。青や赤の灯があちこちに見えると、まるで道頓堀と変わらない。嵐山の魅力というものを改めて考えてみることも必要に思う。それはさておき、真っ暗は渡月橋界隈の中で、特に目立っていたのが中ノ島に点る工事用の照明だ。それを当てにしてブルドーザーが動いていた。夜を徹して河川敷を元通りにするようであった。その夜間照明を今日は間近で見た。それが2枚目の写真だ。タイヤの車の上に大きな照明が取りつけられ、どこか動物じみて見えるのがよい。こういうものを家に一、二台ほしいなと思ったが、同じ大きさでは家に入らないし、また利用する目的がない。そこで卓上用に縮小したものがいい。家のフロア・スタンドにそのようなものがあってもいいではないか。工場写真が若者にはブームになっているという。そのセンスを照明に活用し、工事現場で用いる照明の形を模倣する。すでにそんなアイデアを実行しているヴェンチャー企業があるかもしれない。それはさておき、この2枚目の写真の中央に見えるのは枝垂れ桜で、川岸から遠かったので根こそぎされるのを免れた。中央の黄色い給水タンクが置かれているのは、もっと大きな枝垂れ桜の植え込みの端だ。この桜も無事だ。また下流のほとんど根が露わになった桜は、今日遠目に見ると、同じ場所に元通りに埋められたようだ。完全に倒れなかったので、たぶん根づくだろう。
●嵐山中ノ島復旧、その2_d0053294_23413394.jpg

 前述のように、今日はたくさん写真を撮ったが、半分を没にする。理由はTVや新聞、ネットで紹介されるのと同じような角度で同じものに焦点を合わせているからだ。それでは面白くない。さて、3枚目の写真は2枚目より少し下流で、大きな粉砕石を積み上げた上にショベル・カーが作業している。その操作の様子があっぱれだ。間近で見ていた筆者はそれが運転ミスによって地面に落下し、その拍子に転がって筆者に向かって来ることを想像したが、それが杞憂であることは、しばらく運転を見れば明らかであった。実にうまく操る。大型ダンプがひっきりなしに新たなに運び入れるのを、器用にショベルを動かし、動きに無駄がない。もたもたしていると危ないのだ。ダンプの運転手との阿吽の呼吸があって、双方ともぴたりと石を運び入れる位置を間違わない。別の場所ではこの大きな砕石を4人かがりで大きな金網の中に詰め込んで行くが、砕石を入れるのは小型のショベル・カーで、それもまた見事であった。作業員4人は袋状になった金網を四方で広げて突っ立っている。その中央に石をすくっては放り込む作業をショベル・カーが行なうが、石の大きさはひとの胴体ほどもあって、間違って作業員の肩や腕に落とすと大けがをする。ショベルから最も遠い作業員はまだ危険は少ないが、あるひとりの腕は、絶えず動き回るショベルからわずか10センチほどしか離れていないところで網を持っていた。よほどショベルを操る運転手の腕を信頼しない限り、そのような危ない位置でじっとしていることは出来ない。現場の土木作業員は危険と隣り合わせだが、誰もがそれなりに熟練しているか、または早くそうなることを目指しているから、よほどのことがない限り、大きな事故は起きないのだろう。金網の袋に砕石を詰め込んだ後、今日の4枚目の写真にあるように、「槙島」の大型クレーンの助けを得て、中ノ島下流の壊れた護岸の復旧に用いられる。ということは、よほどたくさんの岩のような石が下流へ流された。下流は下流でそれらを浚渫し、集められた砕石はまた粉砕されて砂利として使われるのかもしれない。地球上の岩や石はいつかそのような無限のサイクルを重ねて、全部砂や泥、土になる。そんな土を使って人形を作る人もある。はははは、ブログにはまだ書いていないが、最近土人形で心を砕いているから、こんな結語になった。
●嵐山中ノ島復旧、その2_d0053294_23413733.jpg

by uuuzen | 2013-09-23 23:41 | ●駅前の変化
●嵐山中ノ島復旧、その1 >> << ●『伊能忠敬の日本図』

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?