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●嵐山中ノ島復旧、その1
沃さは洪水があってのことと、エジプト文明についての本にあった。先日「桂川の反乱」と「…後」を投稿した。『新・嵐山だより』のカテゴリーにしていたものを、『駅前の変化』に移した。中ノ島は阪急嵐山駅前と言ってもいいからだ。



●嵐山中ノ島復旧、その1_d0053294_053158.jpgそして、急ピッチで修復工事が始まったから、『駅前の変化』にはなおのことふさわしくなった。また、今日はうんと川の濁りは少なくなった。松尾橋の上を昨日も今日も歩いたが、上流側は大きく様変わりして、広々としていた河川敷は土砂の盛り上がりが出来て、川の流れも二筋に分かれていた。大量の流木は渡月橋や中ノ島と変わるところがないが、松尾橋は観光地ではないので、清掃は遅れるだろう。橋の桁に直径1メートルほどの太い流木が横倒しになっていて、クレーン車がないと後片づけは無理だろう。また、河川敷には高さ10メートルほどの名前の知らない樹木がちょっとした林を形作っていたのが、みな横倒しになって根が露わになっていた。せっかく10年や20年かけて成長したのに、ゴミとなる。この河川敷の樹木は川の流れをよくしたい国土交通省からすれば邪魔者であったはずだが、伸び放題にさせていたのはどういう考えからか。どうせ10年に一度程度の大雨で流されると思っていたのだろう。そうなっても下流でゴミの処理に困るから同じことだ。この堆積土砂上の林は筆者はそれなりに気に入っていた。ムーギョへの買い物の往復、松尾橋からそれらの樹木を見ると、日がすっかり暮れている場合は当然見えないが、それでも川沿いの道を走る車のヘッドライトに一瞬照らし出される瞬間がよくあり、その時はちょうど映画のスクリーンのようになって何かの影を映す。光があって初めて暗闇の河川敷に林があることがわかり、しかもジョギングしているなどの人の影をたまにさっと映す。何でもないような光景だが、筆者には面白い。その光景は樹木が全部なぎ倒されたので、もう見ることが出来ない。以前と同じように見られるのは、たぶん10年以上はかかる。松尾橋より1キロほど下流には中ノ島のような長い砂州があり、その上には桜の木がたくさんあったと思う。いつ誰が植えたのか知らない。それを真似たのだろう、数年前に松尾橋上左岸の罧原堤沿いに、嵯峨地区の人たちが桜の苗木を植えた。ところが、国土交通省は勝手なことをするなとばかりにその撤去を命じた。そうでなくても両岸にある桜の老木は枯れた後、苗木を植えることが許可されない。桜の根は土手の強度を弱めるという理由だ。桜の花を愛でるのはいいが、そのために数十年に一度の大雨の際、堤防が決壊して浸水しても知らないぞと言う。
 国土交通省は治水工事をしっかりやらねば税金泥棒と言われるから、河川の見栄えといったことは重視されない。それより安全が大切だ。ここは住民と役人とでは意見が分かれるだろう。安全第一はわかるが、その安全は絶対保証ではあり得ない。せいぜい数十年か100年だ。それくらいならば、床上浸水しても我慢するという住民はいるだろう。人生に一度か二度の経験では仕方ないと諦めもつく。ならば、見栄えのいい環境がほしいし、土手に桜並木があれば心も豊かになる。そこは住民と意見を交換すべきと思うが、現実はそうはなっていない。そのため、嵐山の桜は年々減少している。観光客はそれがわからずに、嵐山を賛美するが、30年、20年前とは大きく違っている。それを言えば半世紀前はもっとで、100年前はさらにそうだ。であるから、国土交通省が唱えるように、桜を植えず、護岸を強固にし、また土手を高くして洪水に備えようというのもわかる。ナイルの氾濫を待った古代エジプトとは違い、今や河川は管理し尽されるもので、洪水がもたらす流木などはみな厄介なゴミに過ぎない。それに家の中が浸水すれば大変だ。話を戻して、今年の春、松尾橋下流1キロほどの中洲上の桜を車の中から眺めた。そこがちょっとした地元住民の桜を楽しむ場所になっていることをその時知った。まだ見ていないが、たぶんそれらの桜は全滅だろう。そう言えば、もう少し下流には両岸が開墾されて畑になっている。それらの大半は国の土地で、勝手に野菜などが栽培されていると聞いた。そして、それらの土地もまた先日の台風と大雨によってみな流されたはずだ。これも話を戻すと、松尾橋の上流側すぐの河川敷は終末になると若者が大挙して押し寄せ、バーベキューをしたり大音量でダンス音楽を流すなど、遊びの場となる。川の濁りがかなり元に戻った今日、天気のよさも手伝って、また大勢がパラソルを開き、肉を焼いていた。だが、河川敷は以前の半分ほどになった。もう半分は川の流れが分かれたため、その川を越えて向こう側に位置している。それにかなり隆起しているから、バーベキューなど安心して出来ない。そのため、以前は広い土地に散らばっていた彼らは、細長い土地に一直線に並んでいた。ブルドーザーがないと元の状態に戻すのは無理だが、せめて流木を片づけやすいところまで運ぶ思いがあっていいのではないか。もっとも、多少のそれらは一か所にまとめられていたが、彼らがやったのではないだろう。彼らの位置から100メートルほど離れたところに大きなゴミ箱があり、そこで上半身が濃い赤銅色の中年の筋骨逞しい男性が汗を光らせながら黙々と作業をしていた。役所から雇われた人物には見えなかった。地元の住民だろうか。
●嵐山中ノ島復旧、その1_d0053294_19543255.jpg
 昨夜、自治会のある人物から電話があって、また文章の依頼を受けた。気安く引き受けたものの、見なければならない資料がある。それを今日はその人物に借りに行った。30ページ近いもので、それらに目を通しながら、依頼された文章を書くには、さらに相談が必要なことを思った。その資料は丸秘扱いだと聞いていたが、数日前にネットで公開されていると聞いた。それをまだ確認していないが、紙に印刷したものを今日借りた。さらに相談が必要とはいえ、その相手も問題で、資料を見せてくれた人物だけではよくない。その資料を最初に役所から手わたされた人と面会した方がよい。だが、それをすると、筆者はその大きな問題に巻き込まれるだろう。文章は書いても、筆者の名前は出さない。いわば代筆だ。とはいえ、下書きがあってそれを言葉を変えて書くというのとは違う。役所との間で住民の代表とされる人たちが何度か数年にわたって話し合って来たことの経緯をまず飲み込み、住民の願いがどこにあるか、また役所の思惑がどうなのかを正確に把握せねば、意味のない文章になってしまう。つまり、問題の根本を知り、また住民側の解決策といったものを提示しなければならない。何となく奥歯に物が挟まった書き方をしているが、資料は先日の桂川の氾濫と大いに関係がある。大いにどころか、まさにその問題ずばりで、なぜわが自治会の旅館などが浸水したかということの問題に対する役所側の回答となっている。それほど重要な問題がなぜ今まで自治会に披露されなかったかが不思議だ。今年3月末は自治連合会の集まりで筆者は少しだけそのことについて聞かされた。その時、連合会の会長は、この案件は数年前から持ち上がり、いくつかの案が役所から示されたが、まだ解決していないと語った。筆者は初耳であった。数年前から自治連合会の本部には伝達されていたようだが、そのことを初めて今年3月末に各自治会長に話したことは、自治連合会はその問題についてあまり乗り気ではないのかもしれない。資料を貸してくれた人物は、連合会とそこに属するわが自治会とでは、この問題に関しては温度差があると言った。わが自治連合会は南北に細長い。そして北半分には連合会の会長や副会長がいないこともあって、連合会の最北に位置するわが自治会に大きく関係する問題は、自治連合会としては取り上げにくいのだろう。あるいは関心が薄い。というのは、松尾橋下の河川敷でのバーベキュー問題については常に連合会は区役所などに相談し、連合会の会合でも経過報告がある。ま、そのようなことで、資料を貸してくれた人物は筆者に嘆願書をまとめてほしいらしい。
●嵐山中ノ島復旧、その1_d0053294_19545931.jpg
 丸秘資料と聞いていたので、その資料についてはこのブログに書かなかった。ところが、先週の台風で懸念していたことが現実になった。その懸念の解消にどうすればいいかを地元を代表する人たちと国土交通省が何度か協議を重ねて来ている。筆者は昔建設コンサルタントで河川の改修設計に携わったことがある。その立場から資料を見ると、正確なことが書かれているようで、素人にわかりやすい。ただし、役所が提示している以外の案があるように思えるし、また提示案にしても簡単に結論づけていると思える箇所もある。だが、そのことを意見すると、今まで協議して来たことに水を差すことになるし、門外漢は黙っていろとも言われるかもしれない。住民代表たちがどういう考えでまとまっているのか、あるいはまだその段階にも至っていないのか、そこがまずわからない。筆者も地元住民であるから、意見を言うことは許されるが、そこまで資料が提示する問題が地元住民たちに広く示されて来なかった。これがまず大きな問題ではないか。なぜ丸秘扱いと言っておきながら、国土交通省はネットに公表したのだろう。ならば、地元、特にわが自治会ではこの問題を広く知ってもらうように努めるべきで、そのためには自治会長や副会長が動かねばならない。つまり、筆者に持ちかけられた嘆願書云々は、引き受けるべきだ。この問題の解決にはまだ数年は要すると思える。そして、解決になった後、実際の工事が始まる。それもまたこの『駅前の変化』に取り上げるにふさわしい。その前に、まず中ノ島の復旧だ。それがすぐに始まって、今日見に行くと、すでにかなり整理されていた。いつまでかかるかわからないが、来年3月31日までと記した立て看板があった。まさかそこまで長期にはならないはずだが、いちおう工事が終わって半年くらいは経過を見る必要もあるだろう。たまに工事の様子を撮影し、その日にこのカテゴリーに投稿したい。今日の最初の写真は先週月曜日、桜の林で撮った。地面に苔が生えた桜の枝と、半ば紅葉した楓の折れた木が落ちている。大型トラックがどんどん積んで来る砕石をまず埋めて地ならしをし、その上に砂、そして細かい石を撒く。最後には植樹もするかもしれない。一方ではトイレの工事も進む。東屋付近にあって流木はみな撤去されている。今日は休みで天気もよかったので、たくさんの観光客が来ていた。そしてみな写真を撮っていた。
●嵐山中ノ島復旧、その1_d0053294_19553961.jpg

by uuuzen | 2013-09-22 23:59 | ●駅前の変化
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