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●桂川の反乱
積土砂の問題を先日のNHK-TVが取り上げていた。奈良と和歌山の県境を流れる吉野川で、いろいろとややこしい仕組みがあって、同じ川であるのに、片方の県側は堆積土砂の浚渫が滞っている。役所仕事はだいたいそんなもので、住民の生活を第一に考えていない。



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日本の政治が世界の三流であるというのはそういうところに表われている。そのニュースは筆者にはタイムリーであった。というのは、1週間ほど前、自治会のある人物と、地元嵐山の桂川の浚渫を役所に頼んでいるのに、いっこうに埒が明かないという話を聞いたからだ。その問題は今年の3月の自治連合会の会合でも耳にした。だが、渡月橋を抱えるのは連合会に所属する自治会のうち、わが自治会であって、連合会が中心になって国土交通省にかけ合うというのではなく、いわばわが自治会に任せているところがなきにしもあらずだ。とはいえ、問題が大きく、また桂川左岸の嵯峨地域も半分は関係する問題であるので、自治会ではなく、利害がもっと大きい団体が個別に運動をしている様子だ。そのため、筆者が自治会長を担当していた今春まで、川底の浚渫について何ら話を持ちかけられなかった。前述の人物は、内密の資料を見せてくれた。川底を浚渫することに国土交通省は気乗りしておらず、別の方法で豪雨後の川水の氾濫を予防するつもりで、その資料にはその案が4つほど示されている。数か月前にも同じものを見せてもらったが、その人物は今秋の防災訓練を控えて、改めて川の増水を心配し、それで筆者に聞かせた。そして、その懸念が的中し、昨夜から今朝にかけての台風に伴う大雨によって、桂川は半世紀ぶりに水嵩がとんでもなく増えた。今日はその人物と会わなかったが、後日会えばきっとまた川底の堆積土砂の問題を筆者に話すだろう。その人物は地元で生まれた。今70代で、子どもの頃の渡月橋や付近の川底のことをよく覚えている。橋脚から川に飛び込んで泳いだほど、川底には土砂がなかった。それが今は毎年ブルドーザーで浚渫するが、1年で同じだけ、あるいはそれ以上に溜まる。毎年の浚渫と土砂の廃棄のための費用はそれなりに大きな額だろう。それでも川が氾濫すると地元に大きな被害が出るから、やめるわけには行かない。その一方で抜本的な解決策を役所は模索している。それらのいくつかの案を見ると、共通しているのは川幅を広げることだ。川底を浚渫せずに、川を広げて洪水を凌ごうというのだが、幅を広げたところで上流からの土砂がまた同じ場所で堆積しない保証はない。
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 昨夜筆者が寝たのはいつものように2時過ぎであった。その時は雨音がひどかったが、それは珍しくない。印象深い、さびしい夢を見て目覚めたのは4時だ。それからうとうとしながら、何度も目覚め、5時半には起き上がって窓の外を見たり、また3階に上がって窓をきちんと締め直した。台風が裏庭の合歓木を根こそぎしそうなほど強く、枝が折れて吹き飛ばされ、近隣の家屋を傷つけた場合、筆者はどう責任を問われるのかと思った。民法を自分で調べれば、そんな例がわかるだろうか。あるいはNHKで漫才家を起用した30分の法律番組があるが、その過去25年分ほどに似た裁判例があるだろうか。台風で家屋の樹木が吹き飛ばされるのは不可抗力だ。その意味では責任は問われない。だが、わが家の合歓木はほとんど枝を伸ばし放題にしているし、その点は管理不足とされるだろう。つまり、自然災害ではなく、人災とされるかもしれない。そんなことを思いながら、また布団に横になった。すぐに寝入って夢を見、そしてまたすぐに起きた。そうしてTVをつけ、嵐山の桂川の水嵩がひどいことになっていることを知った。すっかり眠っていた家内は、筆者がごそごそするのでついに目覚めた。そして、川の増水を見に行くなと言う。そんなことをしてよく死んでしまう例があるからだ。それでも気になって仕方がない。8時過ぎに風はほとんど止んだ。それで増水を見に行くことにした。わが家から徒歩2,3分で桂川の岸辺だ。カメラを首から下げ、傘を差した。すでに数人が心配そうに見ていた。消防団の男たちが合羽を着て、機敏に行動し、立ち入り禁止のテープを桜の老木にくくりつけている。目があった人には挨拶しておいた。やがて見物人が増え、顔見知りも次々と現われた。そうこうして2時間過ごし、一旦家に戻ってすぐにまた出かけ直して正午頃まであちこちで写真を撮った。出かけ直した時には増水は幾分減り、もう心配がないことがわかった。
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 筆者が嵐山に来て30年この方、同程度の洪水は一度あった。20年ほど前だ。渡月小橋のたもとにある料亭「花筏」の前に土嚢が積まれていた。それでも内部は水に浸かり、店の会長がズボンの裾をまくった姿で水を外に掻き出していた。その時思ったのは、桂川が増水すると、真っ先に被害を受けるのが、「花筏」であることだ。そこはその付近では最も低いようだ。今日はその時よりも浸水した店が多かった。つまり、20年ほど前の洪水より規模が大きい。今日は洪水の様子を見物に来ていた地元の古い住民2,3人と話し、今日のような増水は何年ぶりかと質問した。するとみな答えが違った。ある人は40年と言うし、別の人は60年ほどかと言う。TVでは数十年に一度の規模と言っていた。それは正しく、ひとまず半世紀ぶりとしておこうか。だが、地元の古い住民に言わせれば、昔の氾濫具合はもっとひどく、それは上流から大量の樹木が流れて来て、それが渡月小橋や、少し下流の通称「太鼓橋」にぶち当たり、水の流れを堰き止めたからであるらしい。また、そうした樹木を地元住民は先端に引っ掻き金具が取りつけた長い竿で1本ずつ手元に引き寄せたらしいが、「それは命がけのような行動ですね」と訊くと、「いやあ、そうして取った材木を薪として使いましたからね」と笑いながら答えた。そして、「昔と同程度の雨量でも、治水工事が進んでいるから、あまり心配ないんでしょう」と続けた。前者の真偽についてはわからないが、後者はそうだろう。上流にダムが出来ているし、また護岸工事は昔以上にしっかりしているはずだ。別の人の話では、嵐山に対面する亀山公園に大きな池が昔あって、それが台風の大雨で増水し、一気に流れ出て、京都駅近くの下流に被害をもたらしたらしい。その池は今は魚釣り用の溜池になっている。それが何十年前のことか知らないが、先に書いた堆積土砂の浚渫を主張している人物によれば、その人の家の1階から京都駅や宇治の花火大会が見えたという。その後家屋が建て込み、とてもそんな遠くまで見通せないが、それほどに昔は嵐山から松尾にかけては田畑ばかりで、遮るものが何もなかった。そんな古い時代のことを知っているだけに、数年で担当者が変わる国土交通省の役人が考える治水案は認めたくないようだ。このいくつか提示されている治水案については、いつかこのブログで取り上げるかもしれない。
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 今日は午前中に10人から心配して電話があった。数年会っていない人も混じっているが、あいにく筆者は見物に出かけていたので話すことは出来なかった。今日のような非常事態は、自治連合会が真っ先に動いて何らかの緊急連絡をしてくるはずと思ったのに、それはなかった。筆者が自治会長ではないからかもしれない。昼頃に自治会長から電話があった。彼は今日は仕事が休みであるはずなのに、役所の水道課に勤務していて、おそらく集合の号令がかかった。電話口の向こうで、しきりにすいませんを繰り返したが、会長の代役である筆者に緊急連絡がないので、そのことを伝えて電話を切った。緊急連絡はなかったが、地元を広報車が巡回した。そのマイクの音量はごくごく小さく、家の中にいては聞こえない。そこからも、ほとんど緊迫感が伝わらない。「みんさん、避難してください」を連呼していたが、先月からは自然災害に関する新しい伝達表現が始まり、それに倣ったものであったようだ。TVを見ると、京都に避難命令が下り、避難すべき人口を20数万と伝えていた。これはわが地元を含むはずだが、99パーセント以上の人は家でTVを見続け、上空を旋回する2,3のヘリコプターの轟音をうるさいと感じていたはずだ。もっとも、それらのヘリコプターからのライヴ映像を見ながら、自分の地元が映っていることに喜びはしたであろう。筆者は可能な限り、水際まで行ったので、どこかどの程度浸水しているかはわかった。そこから判断して、20年前の洪水と同様、わが家まで水は来ないと確信した。話を戻すと、渡月橋の下の堆積土砂の浚渫を求めている先の人物とまたそのことについて話し合うことになったのは、10月に防災訓練を自治会で行なう必要があり、そのための資料の見本を消防署から予めわたされたからだ。それは京都市が作成した防災マップのうち、わが自治会のエリアのみを取り出したもので、桂川が氾濫した場合、最悪どの程度の深さまで水が来るかを地図上に色分けしてある。それによれば、わが家を含む自治会の半分は水深3メートルになっている。わが家は3階建てであるので、3階にいれば安全だ。だが、1,2階は水浸しになって、家財は使いものにならない。大切な本やステレオなど、どのくらいの時間で3階に移動出来るか。そんなことを今日は考えた。
●桂川の反乱_d0053294_032642.jpg それにしても桂川の増水で3メートルも水に浸かるとは、とんでもなく役所は無責任ではないか。そのように先の人物は言う。そのような被害が生じないように、川底を浚える必要があると自説を主張する。大量の浚えた土砂をどこに捨てるか。その問題が大きいことをその人物はよく知っている。だが、地元の人々が大きな被害を受けるのは、自然災害ではなく、人災と言いたいのだ。川が氾濫するのは、川底が浅いからで、ならば長年にわたって堆積したものを取り除けばよい。それだけのことがなぜすぐに国土交通省が出来ないのか。それは筆者にもわからない。予算がないのか。そうではないだろう。大きな被害があって初めて役所は動くのであって、何もなければ先に予防線を張るはずがない。それは無駄とみんなに映るからだ。では大きな被害があれば、誰かが責任を取るかと言えば、全くそうではない。「自然がすることには勝てません」で終わりだ。川底を浚える、あるいは土手を高く堅牢にする。そうしたことをしっかりとやれば、数十年に一度程度の雨で被害を受けることはない。ただし、数百年に一度級となれば、税金の無駄使いと言われるのは明らかで、住民はそこまで保証せよとは考えていない。だが、大都会は別だ。数百年に一度の雨にも耐える治水工事をしておかねば、被害額があまりに大きい。そこで嵐山を考えると、わが自治連合会は1万人に及ばない。桂川の左岸である右京区の方は数倍の人口を持ち、おそらく氾濫する度合いは右岸の方が多いように治水設計されているだろう。もしものことが起こった時、最少の被害と最少の修復金額で済むように川や土手の形が設計されている。税金を適用するのであるから、そうした考えは当然だ。誰も住んでいないような田舎であれば、毎年川が氾濫しても別段誰も困らない。そして、渡月橋の左右のたもとでは、どちらが増水の際の被害が甚大かと言えば、左岸は天龍寺があり、また商店街も規模が大きい。一方わが地元の右岸は老舗旅館がいくつかあるが、いわばそれだけで、後は慎ましい庶民がわずかに暮らすだけだ。となると、左右どちらの岸が重要とみなされるかは明らかだ。
●桂川の反乱_d0053294_0322511.jpg 幸いなことに今日はわが家が3メートルどころか、全く水に浸からずに済んだ。わが自治会で浸水したのは、TVで盛んに紹介されたように、「花筏」とその隣り数軒、そして向かい側の数軒で、水が引いた頃に見たところ、家の内部は50センチほど水が来た。下水道が完備したからいいものを、昔の浄化槽の時代は大変やった。「とにかく汚物だらけになって、壁のクロスの張り替えはもちろん、什器の汚れの始末もひどいことになった」。料亭の悩みだが、嵐山に最も近いところにあるからには、数十年に一度は浸水を覚悟すべきかもしれない。上記の浸水した地帯は、わが自治会の中でも最も低地と言えるかどうかだが、実はそうではない。最も低いのは、おそらく阪急嵐山駅前やわが家の付近で、「花筏」が3メートル浸かれば、7メートルほど水没するだろう。ではなぜ、わが家が水浸しにならなかったか。それは、桂川の岸辺から少し離れて少しずつなだらかに盛り土されているからで、その最も高い箇所を越えると一気に水が低地であるわが家付近に雪崩れ込んで来る。その盛り土の高さまで、今日は目測すると、少なくても1メートルはあった。これは低いようだが、川幅は100メートル以上もあるから、その1メートル分の増水は数十年に一度ではなく、100や200年に一度もないのではないか。わが自治会は半分は旧街道の山沿いにあって標高が高いが、もう半分にわが家が属し、昔は田畑であった。そして、自治連合会規模で見れば、8,9割がそうした田畑を潰して建てた家だ。さて、今日の写真について説明しておく。最初の2枚は午前10時17分のTVのライヴ映像を撮った。①、②と赤で記しているのは、わが自治会内の大型マンションだ。写真2枚目は右上の区画にわが自治会がすっぽり収まっている。3枚目は桜の林の東端で、消防団が立ち入り禁止のテープを張った。水に浸かって見えないが、そこはサイクリング・ロードの起点となっている。4枚目は法輪寺の舞台から眼下に渡月橋を見た。この写真と全く同じ場所に立って撮影された映像が」NHKで何度も放送された。それを撮影したのは若い女性で、麓で姿を見た。また、その映像は筆者のこの写真より後に撮影された。筆者が法輪寺の舞台に立っていた間、他の人は皆無であった。5,6枚目は、渡月小橋の南端からすぐに見えるが、法輪寺に上る石段に立って渡月小橋方面を向きながら撮った。5枚目に見える男性は法輪寺の住職で、膝まで浸かりながら上流を見つめている。6枚目は住職と交代する形で水際まで下りて撮った。奥に見えているのは、最も浸水がひどかった地帯で、右手が桂川の下流で「渡月亭本館」が並び、左手が「花筏」側だ。
●桂川の反乱_d0053294_10235789.jpg
 7、8枚目は保津川下りの船を揚げるクレーンのあるところで撮ったパノラマ写真を2枚。普段ここには立ち入らないが、今日は誰も文句を言わなかった。また、渡月橋上流に普段は置かれている水色のボートがこの船揚げ場にたくさん持って来られ、車で順にどこかへ運ばれていた。半世紀前の洪水では、船揚げ場を水が越えたらしい。そうなれば仮置きしたボートが流れてしまう。そうならないうちに別の場所に移したのだ。この船揚げ場の端には堰があって、川の水を農業用水として引き、2本の小川になっている。そのうちの1本はわが家の裏庭のすぐ向こうを流れる。そこは大雨が降るとすぐに堰が閉じて水流を閉ざす。そのため、昨夜と今日は数センチの水深であった。わが家の裏庭の木々の葉がたくさんそこに溜まっていたので、夕方にそれを引き上げたところ、筆者に驚いてたくさんの魚が背鰭を露わにして向こうに去った。早く堰を開けて水を流し、魚が安心して泳げるようになればよい。明日は大丈夫だろう。それはともかく、船着き場の堰の前に立って上流を見たのが7枚目で、奥に渡月小橋が見えている。8枚目は堰より下流側で、対岸に見えるのは「中の島」に数軒並ぶ食堂の裏手だ。どこも2階建てで人が住んでいるが、聞くところによれば昨夜のうちに避難したらしい。1、2枚目の写真からわかるように、「中の島」は今日は孤島になった。今日は「明石にて、その3」を書くつもりが、地元である嵐山、渡月橋がTVで一気に有名になったこともあり、また写真をそれなりに撮ったので、予定を変えた。「治水」と偉そうなことを人間は言うが、自然を治めることが出来るか? それで自然を擬人化して「桂川の反乱」とした。そうそう、太鼓橋のすぐ手前に今月オープンした温泉は、さすが台風のために今日は臨時休業の貼り紙が出ていた。表から見る限り、被害はどこにも見えず、午後は安定した天気になったから、営業してもよかったのではないか。
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by uuuzen | 2013-09-16 23:59 | ●駅前の変化
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