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●比叡山にて、その5
骨が露わになった像はパキスタンのガンダーラ仏が日本の展覧会で紹介されたことがある。比叡山の東塔にある「萬拝堂」の柱に貼られていた木版画の奇妙な図像はそれを思い出させた。正しい名前は「角大師」で、よく見れば頭に2本の角が生えている。



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これは鬼ということになるが、普通の鬼は筋肉隆々でもっと逞しい。「角大師」はガリガリに瘦せてどこか滑稽でもある。笑みを浮かべているからだ。比叡山であったか、若くて太った女性がドクロを大きくふたつおっぱいの位置に描いたTシャツを着ている姿を目撃した。それを見て内心筆者は吹き出した。ドクロ模様は今では赤ん坊の服にも描かれているから、若い女性がファッションとして身にまとう文様としては不思議でもないが、かなり太った女性のおっぱい辺りにドクロが描かれている様子は滑稽だ。彼女はそのように痩せたいと思っているのだろうか。あるいは、太った自分でも骨はみんなと同じでスリムと言いたいのだろうか。それはさておき、ドクロ文様までもがかわいいデザインとして採用されるところに、図像に意味を見ない風潮が表われているかもしれない。ドクロが不気味という連想は古臭いのだ。となれば、「角大師」もそのままキュートで、若い女性のファッションに使用されておかしくない。いや、もうTシャツではすでにその例があるかもしれない。この図を最初に見た時のことを覚えていないが、注視したのは昨日書いたように中京のとある家の玄関で、すぐに魔除けの意味合いであることがわかった。調べると比叡山で手に入るそうで、ほとんど諦めた。その魔除け1枚のために比叡山に上るつもりはない。それですっかり忘れた。それが「萬拝堂」で間近に見かけ、係員に訊くと横川の元三大師堂で買えるとのことだ。「4時には最終バスが出ますから注意してくださいよ」。時計を見ると急げば間に合いそうだ。それで食事もせずにまずその版画を手に入れることにした。こうなると筆者は家内がいくら反対しても耳を貸さない。「萬拝堂」で見かけなければ、またすぐその裏手に係員がいなければ、「角大師」とは縁がないままであった。それが向こうから目に飛び込んで来たのであるから、手に入れないわけには行かない。バス・センターの時刻表を見ると、20分ほど先だ。その間に後方にある大きな休憩所兼食堂の内部をぶらぶらした。食べるものはうどん程度しかない。それを注文して食べ終わる前にバスが来る。空腹を我慢して炎天下で待った。比叡山は下界よりかなり涼しいはずだが、当日はそうではなかった。バス・センターでシャトル・バスを待っていると、筆者のシャツの背中が汗でびしょびしょになり、あちこち塩を吹いた白い筋が出ていた。比叡山でそれであるから、麓ではもっと暑かったのだろう。
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 シャトル・バスは比叡山の東塔、西塔、横川、それに「ロテル・ド・比叡」というホテルをぐるぐる回っている。本数は少ないので、横川に着いた時は帰りの時刻表を確認した。その時間までに「角大師」の版画を入手し、戻って来る。手には簡単な地図があり、バス停から元三大師堂まで往復3キロほどだ。1時間あればいいだろうと考え、実際そのとおりに行動し、出発寸前のバスに乗ることが出来た。横川は東塔からバスで15分ほどのところにある。車専用の舗装道路を歩けば1時間ほどか。だが徒歩で向かう人があるのかどうか。またそのための専用の道はあるのだろうか。昔比叡山で浮浪者に殺された女性は確か横川に向かう道で難に遭ったのではなかったか。横川は東塔から北方で、奥深いイメージがある。最澄の時代に開発されたのではなく、没後四半世紀ほどして観音堂が創建された。それ以降さらに奥で日蓮が修行するなど、名僧が瞑想するにふさわしい土地となった。東塔はゆるキャラが歩き回ったりするなど、かなり賑やかだが、横川まで足を延ばす人は少ないと見える。最初に支払った拝観券は横川の観音堂や元三大師堂も見ることが出来るので、せっかく訪れる比叡山であるからには、時間の余裕を見て横川や西塔も回った方がよい。筆者らは西塔は見なかったが、一昨日書いたNHKの番組「ぐるかん」ではわずかだが、西塔が紹介された。天秤計のように左右対称になった「にない堂」があって、その半分は京都、半分は滋賀県に位置している。「にない」は「担う」で、天秤棒の意味で、弁慶がそれで両側の堂を担ったとされている。ま、この独特な形をした建物はTVで見たので、後は比叡山に行った時の記憶で補って実際に見たつもりになっておこう。西塔は東塔からバス停ひとつで、歩いてもしれているだろう。西塔エリアを越えてさらに北上したところに横川がある。横川のバス・センターは東塔のそれほど大きくはないが、わかりやすい空地になっている。バスを降りたところから50メートルほど先に拝観券を買う小屋があるが、東塔で共通券を買った人は無視して奥へ進む。左が山の斜面で、大きく曲がった道沿いに日蓮の生涯がたくさんの絵パネルで紹介されている。同じ様子は東塔のケーブル・カー駅から延暦寺の拝観券を買う場所に至るまでの山道にもあったと思う。また、当然最澄の生涯の説明パネルが最初にあって、それに続く形で日蓮のものがあった。絵は職業画家が描いたものだが、宗教の事績としてありがちな超現実的な場面を描き、ここ10数年の間に描き直されたものだろう。
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 すぐに朱色が鮮やかな横川中堂が眼前に現われた。そこで撮ったのが今日の最初の写真で、本来はこの中堂をまず見て、それから時計回りとは反対に道を進んで元三大師堂に至るのが普通のようだが、筆者はまず元三大師堂に向かった。最初の写真で言えば左下に見える奥へと続く地道だ。ハイヒールならばこの道は歩くのに苦労する。どこでも舗装された現在の日本ではこのような歩行に難儀する道は珍しい。それがかえってよい。家内は突然そんな道に変化したので、かなり戸惑って筆者の後方50メートルほどに遅れてしまった。初めての場所でもあり、バスの出発時間が気になる筆者ははやる気持ちで先を行った。すると道の両側に石燈籠が立ち、その左手に「元三大師道」と大書した石碑がある場所に来た。そこを直進すると大師堂だ。鬱蒼とした樹林とゆるやかに曲がる坂道、それに誰も向こうからやって来ないし、後に続くのは遠く家内のみで、東塔とは全く違った静けさだ。こういう場所で10年も修行すれば人間が違って来るのも当然に思える。すると、エンジン音が前方から鳴り響き、大きな自動車がこっちに向かって来た。「そうか、今は車がこんなところにまで入るのか」と、かなりがっかりした。そんな車を使って洛中と比叡山を延暦寺の僧侶たちが行き来しているのかもしれない。最澄の時代とは比べようのない便利さを手に入れたのはいいが、その分安逸になって精神がふやけてしまっては元も子もない。2枚目の写真からは、道の両側が車が走るように轍が見えている。それはともかく、この2枚目の写真はほとんど最澄時代と変わっていないはずだが、1000年前は道幅はこの半分ほどでなかったか。左手の燈籠の後方数メートルに大きな立て看板が見えている。それを撮ったのが3枚目の写真だ。充分に説明文が読めるから、あまりそれについては触れないでおくが、ひとつ気になるのは、元三こと慈恵大師が「おみくじ」の元祖とされていることだ。この理由は看板に書かれていないが、それほどに有名な僧であったことはわかる。それに「角大師」を作って護符として各戸に貼らせたことも庶民の生活に深く関与していて、山奥に住みながら市井の人たちの幸福を願った。大師自身が「角大師」を描いたのか、画僧にデザインさせたのかはわからないが、この図像は現代の目から見ても非常に独創的で、完成度が高い。こういう単純な図の精神は「飛び出しボーヤ」につながっている。それが東近江市の生まれであることは納得が行くというものだ。もっとも、「角大師」は比叡山だけで求められるものではなく、慈恵を開祖とする各地の寺で同じ図が使われているようだ。今日の4枚目の写真は2枚目の写真の山道を奥に突き当たり、左に折れて20メートルほど先で撮った。右手に石碑、左手に元三大師堂が見える。明日は続きを。
●比叡山にて、その5_d0053294_11455989.jpg

by uuuzen | 2013-09-11 23:34 | ●新・嵐山だより
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