●梅雨明けの白花、その16
梗の花に白があるので、本来は紫色の花を咲かせる龍胆(リンドウ)にも白があるのは不思議ではないが、今日錦市場内の花屋で初めてそれを見た。ついでに店内に入ってみたところ、白のカーネーション、それに片仮名で長ったらしい名前の白い小さな実をたくさんつける切り花を見つけた。



これら3種だけでもこのシリーズ化した「梅雨明けの白花」の1回分になる。そう思いながら、いくら店の人の姿が見えにくいかとはいえ、写真を撮ることは憚られた。それに「リンドウ」はもうすっかり秋の花ではないか。その写真を使うのであれば、「秋の白花」という新たなシリーズ名で始めねばならない。その気がないので、結局その花屋で見かけた白花三題は無視することにした。その代わりではないが、今日は昨日撮った3点の白花の写真を載せる。これこそが本当に「梅雨明けの白花」シリーズの最終回だ。今日はまだ8月なので、ぎりぎりそのシリーズ名でもかまわないだろう。9月になれば秋であるから、もうそれは許されない。そこでこのシリーズを再確認してみると、今月になって始めた。その勢いで8月のほとんど最終日まで続けて来たが、今月は「白花」で代表される月であったことになりそうだ。それは全く予定外のことで、結果的にはとてもよかったと思っている。筆者はこのように、一歩ずつ先を見て行くことが好きだ。というより、それしか方法がないとも思っている。将棋では百手先まで読みながら次の一手を差すというが、筆者はどちらかと言えばかなり行き当たりばったりだ。それでも過ぎたことは仕方ないとはいえ、それはそれでよかったと考えることにしている。その一種の楽観から、今月が「白花」で代表されることになったのはそれだけ記憶しやすく、また予期しなかっただけに得難い収穫のようなことに思える。こうして新たに意識することがあると、今後それを土台にまた何か新しい出会いがありそうではないか。空想は人によってその規模は違うし、また他人のそれはうかがい知ることは出来ないが、筆者の場合は、まず一歩を基礎にし、それが積み上がってあるまとまった何かが浮かび上がった段階で実現可能な空想がイメージ出来る。これは純粋な空想ではなく、むしろ計画と呼ぶ性質のことだろう。で、その計画がたとえばこのブログであるかと言えば、あるとも言えるし、ないとも言える。最終回をかなり以前から考えていながら、まだその具体的なイメージはない。もう3000回も連続投稿して来たのであるから、一歩どころか、とっくに目的地に着いているも同然で、その目的地すなわち完成がたとえば昨日や今日の投稿とすれば、それはあまりにアホらしいと自分でも思うので、筆者の歩みはよほど長く、いつまで経っても埒が明かないものと見える。だが、そのあまりにアホらしいと思う姿こそが筆者の本質であろうから、結局のところ、昨日や今日でこのブログを終わっても別にどおってことはない。
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 さて、今日の最初の花はクロッカスだ。これは春の花で、秋に咲くのかと思うが、一昨日急に開花した。それまで見かけなかったのに、急にあちこちで遭遇する。これはこの花がお互い姿は見えないのに、テレパシーで申し合わせているとしか思えない。人間が思う以上に植物は正確な月日を知っていると見える。昨日載せた大きなジャスミンの群れのすぐ下にはササゴユリが点在して満開になっていた。白に白の花で、その様子は見事であった。と過去形で書くのは、ジャスミンはまだ今日も満開だが、ササゴユリはすっかり花を地面に落とし、その様子がいかにも無残だ。立派に咲いていたのはほんの2日だ。堂々と咲いていたのは1日かもしれない。桜は咲いた途端に散るとよく言うが、桜だけではなく、あるいはもっと寿命が短い花がある。それはさておき、小川沿いに咲いていた多くのササゴユリの花が落ちた途端、代わりに白のクロッカスが地表から顔を覗かせた。それらを撮影するには筆者のカメラはズームの性能がよくない。それで別の場所で撮った。この白い花と同時にピンク色も咲いている。筆者はクロッカスとサフランの区別がつかないが、後者はうす紫色で、花弁はもっとすぼんでいてかわいらしい。あるいはそれは不正確な見方で、サフランも日光の当たり具合で花弁がベロリとだらしなく大きく広がるだろう。写真で見る限り、サフランはいかにも高貴な印象が強いのに、この秋に咲く白いクロッカスは、よく見かけるだけに神々しさがない。何となくラッキョウを連想し、花に思えない。そう言えばラッキョウにも花が咲くはずで、それはどんな形と大きさをしているのか。生姜の花は実際に見たことはないが、白い花で、それが撮影出来たのであれば「梅雨時の白花」に使えた。そうそう、今急に思い出したので書いておくと、「その13」の最初の写真の花は、今日錦市場の花屋で同種ではないかと思うものを見つけた。名札には「グズマニア」とあった。そこでその白い花があるかとGOOGLEで検索すると、同じ形のものは見つからない。だが、たぶん「グズマニア」であろう。これはパイナップル科で、筆者の予想どおりだ。また写真では真上から撮ったので花の高さはわかりにくいが、実際は花が数段積み重なった形で、それは「グズマニア」そのものだ。「その13」で筆者は赤色の花を見かけると書いた。GOOGLEで出て来るのはそれが多い。ま、このようにわからなかったことが氷解するのは気分がよい。
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 それでまた思い出した。筆者はそのようにわからずにどうにかして知りたいことがいくつかある。それは本で調べてわかるものではない。相手は人間だ。だが、その人とはもう会うことはない。したがって、知りたいと思いながら死ぬまでそれがわからない。そのことを考え詰めると息苦しくなるので普段は全く思い出さないが、何かの拍子に意識に上って来る。そういう時は気を紛らわすのが一番だが、息苦しくなると思うのは強迫観念で、何でもないと思えばよい。また、そのように思うことは実際出来る。その知りたいことが夢にまで出て来ることはないが、それほどに思い詰める人はあるだろう。あるいは同じ人間でも時と場合によるか。以前はどうもなかったことがある時期からそうではなくなる場合もあるかもしれない。何しろ、人間は植物と同じで、いつまでも同じ形ではなく、思いは変わって行く。そして、老化すると行動や態度がおかしくなる人もある。歩きながら大きな声でひとりごとをしたりするのはその例で、強迫観念に支配され切っているのかどうか、過去の辛い何かに大きく支配されてそれから逃れることが出来ないのではないか。自分で自分が作った牢獄に入っているようなもので、人間の精神構造は脆弱だ。それを鋼鉄のように鍛えたと思っても、いつどうなるかわからない。それほどに脆いのではないか。それは花がたった1日で枯れてしまうのと同じか。いやいや、花が枯れるのは自然なことで、役目が終わったものは用がなく、さっさと消えるだけのことだ。人間ではその見境が難しい。いつになれば役目を負えるか。よく言われるように、それは子孫を残した時だ。あるいはその能力がなくなった時で、余生という便利な言葉がある。だが、その余生が生きづらい。子どもが独立する時の親の年齢が50として、それからまだ30年も寿命がある。しかも空気を吸って生きては行けない。それで、知りたいのに知る術がないことなどに時に悩みながら、あるいはこのような駄文を連ねることで時間潰しをして人生を感じ、味わい、こんなものかと納得したような気になる。話を戻すと、先に書いた筆者が知りたいと思うことは、他人が聞けば何をそんなことで思い詰めるのかと笑うかもしれない。時に筆者もそう思いはするし、またその知りたいことを知った途端に別の何か知りたいことが頭をもたげるはずで、人間はそのように出来ていると達観はしているつもりだ。
 2枚目の写真は白い花ではなく、白い葉だろう。初めて見た。梅の宮神社参道脇、四条通り北側の家の前庭で見かけた。その家の前に「飛び出しボーヤ」が今春新たに設置されたのに、車に衝突されて姿を消し、そのままになっている。それはいいとして、この植物は鉢植えで、白い葉だけではなく、やはり白い花がついているようにも見えた。名前は調べていない。観葉植物であろう。あるいはこれから色のついた花が咲くかもしれない。植物の名前がわからないことは気がかりで、それをそのままにはしておきたくないが、ざっと調べてわからないものはひとまずそのままにしておく。筆者にはそのようなことがとても多い。それらはほとんどは気にならない。本当に気になればどうにかして調べる。それは先に書いた「知りたくてもその術がないこと」を思い出さずに済むには多少は効果的かもしれない。さて3枚目、つまりこのシリーズ最後の花は「アサガオ」だ。これと対になるべき昨日の最初は「夕顔」か「夜顔」かわからない花の写真を掲げた。夜が明けて朝が来る。暗闇が去って輝かしい時が来る。そう願いたいものだ。奇しくも今日は筆者の誕生日だ。めでたくも何ともないが、とにかく丸62年間は生きて来た。この白い朝顔は一昨日の夕方に従姉の家の近くで見かけた。ところが夕方で、花は全部すっかり萎んでいた。蕾があるかどうか調べず、とにかくその萎んだ様子を撮影した。だが、それを白い花として載せるのはあまりにさびしい。そこで一夜明けた朝に出かけることにした。筆者としては珍しい。ぐずぐずしている間に10時になった。花が咲いたならば、まだ萎む前だろう。自転車で出かけた。すると、大輪がひとつだけ開花していた。先日このシリーズに書いたように、アサガオは最近あまり見かけなくなった。この写真はその意味で運がよい。筆者が知る限りでは、ここしかアサガオは見なかった。いや、小学校の校門の前の家で青色を見かけた。筆者がほしいのは白花で、それがついに最後に見つかった。
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by uuuzen | 2013-08-30 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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