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●錦市場の若冲、その2
し売りをする店が多いような印象がある京都の錦市場で、筆者はあまり好きではない。筆者は商店街が好きだが、それは大阪の天神橋筋商店街のような下町風情があるところだ。大阪の商店街はみなそんな感じが漂う。



●錦市場の若冲、その2_d0053294_095088.jpg錦市場は商店街ではあるが、食べものの店ばかりだ。それで「市場」なのだが、昭和30年代の大阪の市場は衣服店もあった。今でもそんな市場はあるだろう。錦市場が何となく敷居が高いのは、あまり買い物をしたことがないが、比較的高い商品を扱うからだろう。商品の価格が高いか低いかはその価値に対して言われるべきで、物がいいのであれば高いのがあたりまえで、錦はそこらの市場では手に入らないような質の高いものを扱っているのだろう。そういう雰囲気がありありとあって、毎日買い物に出かける人は祇園でレストランや料亭を経営している人が多いのではないか。錦市場の場所を考えれば、下町の普段着のおばちゃんがつっかけを履いて出かけることはあまりないように思う。では、そんな高級な店ばかりが並んでいると、経営がうまく行くかだが、そんなことを心配する必要はない。西端は大丸百貨店の地下食品売り場から50メートルも離れておらず、東端は寺町、京極通りに当たって、そこから100メートルもないところに百貨店の高島屋がある。百貨店で買い物をする人がついでに錦市場に立ち寄ることは多いだろう。もっとも、錦は百貨店より閉店時間がかなり早い。それは、営業時間が短くても経営が成り立っているからで、間口の狭い店がびっしりと立ち並ぶのに、どこも売り上げ不振で潰れることはなさそうだ。観光客がよく訪れるが、彼らはどれほど財布の紐を緩めるのだろう。売り上げにはあまり当てに出来ないように思うが、錦は通りの幅が著しく狭く、いやでも店先の商品が目に入る。それで興味を持って買ってしまう人も多いだろう。観光客は地元住民よりけちではない。二度と来ないかもしれないので、多少高いと思っても買う。京都の錦で見つけましたと言えば、かなり自慢も出来るだろう。そういう観光客相手の商品を錦の商店が開発しているかと言えば、そんな話は聞かない。そこまで客に媚びを売らずに済むのが京都の強みでもあるし、また傲慢さから決してへりくだらない。そういう京都の雰囲気は錦市場には強い気がする。店に並べる商品は、良質だが割高で、しかも地元の人に売るものが中心で、観光客が珍しがろうがそんなことはどうでもよい。
●錦市場の若冲、その2_d0053294_0102733.jpg これは以前書いたが、雑誌『芸術新潮』の20年ほど前の特集号に、日本でこれからも残したい市場の代表が錦であった。これは日本一有名で、また風格があることの証だ。となると、多少知的な観光客は一度は訪れたいと考えるのも無理はない。そして、実際に歩いてみてどういう感慨を抱くか。満足するか。何かを買うか。筆者はその独特の雰囲気はわかるが、ほとんど何かを買った記憶がない。うどん屋に入ったことがあるが、それも30年近く前の話だ。それから少しずつ店も変わって来たであろうが、寺町や京極通りほどには歩かないので、新しい店が出来てもさっぱりわからない。先に書いたように、大阪の雑然とした、また下町情緒のある商店街が好きな筆者は、育ちが影響しているだろう。この育ちはどうしようもないところがある。それを恥じるにしろ、自慢するにしろ、どう自覚して自分をどう律して行くかだ。いわゆる育ちが悪い人でもその後の自覚によってとてもそうは見えない人になる場合もあるし、逆に育ちがいいはずなのに、ふとした拍子に下品さが漂う場合もある。したがって、筆者は育ちの悪さやよさは信じない。大事なことは、大人になってからがどうかだ。「あの人は有名な会社のお嬢さんで、有名校を出たのよ」と聞いても、実際に会ったその人物が少しも魅力的でない場合、育ちがいいか知らないが、素質がそもそも悪く、取るに足らない人と筆者は判断する。その逆を言うまでもないだろう。子どもが家柄の自慢をすることは多々あるが、それは結局は育ちの悪さを示している。当人は下々の下品で貧しい連中とは別世界に生きて行くことを夢想し、実際そのとおりになる確率が高いが、筆者はそんな人物とは出会いたくはない。もっとも、向こうはそんなことすら考えないほどに下々を見下げている。では若冲はどうであったか。大きな野菜問屋の生まれで、その主にもなり、経済的には困ることはなかった。これは「育ちのよさ」を保証するだろう。そんな若冲が大人になってさまざまな人物に出会い、時には騙されることもあったはずで、人並みに甘いも辛いも知ったに違いない。
●錦市場の若冲、その2_d0053294_0102681.jpg 「その1」に書いたように、若冲は錦市場の自宅前を中心に野菜の露店商が集まって商売をすることを許可した。その喧噪をよそに屋敷の奥に引っ込んで絵ばかり描いていたというのが実情のようで、商売には無関心であった。ただし、それは従来の慣習がうまく機能している場合に限る。当時の洛中で野菜を扱う問屋は若冲の家だけではなく、当然覇権を拡大しようとする人物も現われる。商売とは、弱い相手を潰して自分が大きくなることだ。それを競争原理と呼ぶようだが、まっとうな競争とはとても言えない方法がしばしば横行する。現代ならば規制撤廃とやらで、巨大な資本を持った者が勝つ仕組みを総理大臣が作る。江戸時代はそれはなくても、幕府は税金がほしいし、大きな店からはどうにかたくさん絞り取ろうとする。それは全く現在と同じで、若冲にも似たようなことが降りかかった。若冲時代の青物商売は洛外各地からそれぞれの野菜を持ち寄って繁華な場所でまとまって売った。農家が自分の得意とする野菜を作り、それを人の多く集まる場所に持って行って売る。冷蔵庫のない時代であるから、毎日のように新鮮な野菜が売られる必要がある。それは若冲の家だけではとても無理で、それでその家の前の通りにたくさんの露店商が集まった。もちろん場所代は必要だが、それは幕府が税金として徴収するためにも必要となる。では若冲は家の前をたくさんの野菜売りに毎朝貸して儲けていたかと言えば、それはなかったようだ。そこには持ちつ持たれつの関係があったからだろう。青物を扱う卸し問屋の若冲家は、多くの農民がいて商売が成り立っており、彼らがいなくては生計が出来ず、したがって絵も描けなかった。それを思っていたからこそ、露店商に商いをさせ、また彼らが窮地に陥るような事件が起きかけた時はその解決に奔走した。それは自分の生活だけを考えたからではないことを明らかにしている。若冲は金持ちであったから、儲け話で言い寄って来る者を相手にし、もっと儲けることは出来た。それを蹴ったのは欲の塊としての典型的な商人ではなかったからで、であるから画家として名を残した。
●錦市場の若冲、その2_d0053294_0112695.jpg さて、「その1」に載せた数枚の写真は、高倉錦の東側、すなわち錦市場の西端に建てられた、若冲の絵を用いた記念の塔と言えばいいか、碑と言えばよいか、あるいは門としておくのがより正しいかもしれないが、若冲ファンであれば一度は見ておきたいものだ。それだけならわざわざ出かけるほどのこともない。だが、狭くて車が走れない錦市場のどこに目立つ記念物を飾ることが出来るか。邪魔になって仕方がないものでは、店からも観光客からも悪評が立つ。そこで錦市場の空間を改めて見ると、人が行き来する真上しかない。錦の特徴は狭い道幅より、赤、緑、黄に塗り分けられた天井だ。三角形に尖ったアーケードで、そのカラフルさには必ず目が行く。そのアーケードの上部空間には、各店舗とも同じ形の店名を記した電灯看板が並ぶ。それらを遮らない程度に道幅を占める垂れ幕が考えられ、そのデザインに若冲の絵が選ばれた。また、せっかくの大きな垂れ幕であるから、絵だけを印刷するのでは意味がない。そこで錦が交わる南北の通りの名前がそれぞれ記された。これは錦を歩きながら、どの交差点に来ているかがわかってよい。似たようなことは京都市は碁盤の目になったどの交差点でもそれなりに標を建て、観光客が迷わないようにしている。錦もその例に漏れないが、狭い道幅ではそうした標を地面に置くことは効果があまりない。そこで垂れ幕に大きく文字を書く案が出たのだろう。今日は錦の西端から順に東へと向かいながら、その垂れ幕の裏表を撮影した写真をすべて掲げる。どの幕もカラフルで、錦が売る野菜や魚によく似合っている。選ばれた作品はプライス・コレクションの所蔵品が多い。そのため、プライス氏が全面的に協力したのかと思うが、「堺町通」に採用される「枡目絵」に描かれる鳳凰は、氏が所蔵する屏風ではなく、静岡県美のものが採用されている。そのことにあまり意味はないように考える人が多いかもしれない。だが筆者にはこのことがとても興味深い。もう終わったのかどうか、氏の所蔵する若冲画は東北の4つの美術館、博物館を縦断展示された。その様子が先日NHK-TVで紹介されていた。氏は展示のそうとうこだわったようで、その目玉は桝目絵の六曲一双屏風であった。その他の若冲画はすべてその屏風に向くように配置された。これは氏にとって最重要の若冲画が同屏風であることを示す。ところがそれではなく、ほとんど同じ画題を描く静岡県美所蔵本が図案に選ばれた。これはこの垂れ幕を計画した京都工芸繊維大学の担当者の慧眼を意味しているのか、たまたまそうなっただけなのか。前者であると思いたいが、ならばその行為はプライス氏の考え、そして氏が所蔵する枡目絵の屏風を真作として推す評論家への対抗でもあって、筆者は錦市場を頻繁に歩いてもいいような気になる。「卸し売り」を「御し売り」かと思う人は、「おしうり」の「押し売り」と同じかもと思うだろうが、錦市場のこれらの垂れ幕は、押しつけがましさを多少感じさせないでもないが、「その1」に書いたように、若冲の名を知る人は京都ですら100人にひとり程度であるはずで、どんどん宣伝して京都の誇りを増やすのはよい。欲を言えば、2000年の『若冲展』図録の表紙デザインと同類の、若冲画から自由に引用構成したデザインは面白くないが、市場の雑然とした雰囲気には合っているかもしれない。
●錦市場の若冲、その2_d0053294_013390.jpg

by uuuzen | 2013-08-25 23:59 | ●新・嵐山だより
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