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●梅雨明けの白花、その5
で人間を分ける考え方があるのはわかる。イギリスのロック・グループのザ・スミスは女王を嫌悪し、自分たちの出自である労働者階級の側に立って曲作りをした。労働者階級と言えば、ビートルズもそうであった。ジョン・レノンには「労働者階級の英雄」という曲もある。



一昨日、ひょんなことから、哲学者と自称する書き手の文章をネットでいくつか読んだ。産経新聞の記事だったと思う。昨日書いた評論家の名前もすぐに忘れたが、この山梨出身の若い哲学者の名前もさっぱり記憶がない。それはいいとして、彼が唱えていることに、人の分類があって、4つの層を規定している。このうち「B層」と呼ばれる人たちはIQが低く、TVやネットの大きな意見にすぐに飲み込まれるような人を指している。つまり、IQの程度で人を分け、社会でどういう動きをするかを決め込んだうえで、さまざまな時事問題を論じるというのがどうやらその哲学者の考えらしい。著作は一般人にわかりやすくゲーテやニーチェを題材にしたものがあって、そこでも「B層」が幅を利かせるととんでもない日本になって行く、いや現在すでにそうなっていると書いているようだ。そのため、B層に選挙権など与えず、選良としての官僚が国を動かして行くべきとも考えている。ま、言論の自由があるので何を書いてもいいが、筆者のようなブログとは違って、新聞で名を売ると影響力は大きい。新聞が成り立っているのは、世の中にB層が多いためだ。B層を無視して新聞はあり得ない。TVもそうだ。となると、その哲学者の著作もB層に読んでもらいたいのかもしれない。出版社としてはそうだろう。また、B層は自分がB層に属していることを自覚しない人が混じる。これは最初から本など読まない人の意味ではなく、そこそこ本は読むがIQがダントツにいいというほどでもない人のことだ。この哲学者はB層の条件としてIQをどの程度と認めたのだろう。110程度か。それでは111や109はどうなる。筆者は自分のIQを知らない。小学校の時に二度テストを受けたが、数値は教えてもらえなかった。そのテストの日に学校を休んだ女子が後日、放課後にひとり残ってやらされた。その結果を1週間ほど後、たまたま職員室に行く用事のあった筆者は目撃した。テスト用紙の表紙の下、長方形の枠に赤インクで確か95と書き込まれていた。その女子は成績は下の方であった。それでその数値には何となく納得した。
●梅雨明けの白花、その5_d0053294_1153885.jpg 当時読んだ本によくIQの数値が出ていた。天才のエジソンはいくらであるとか、他の偉人はどうだとかだ。それを読んでも何も思わなかった。第一、自分のIQを知らされない。ある日、担任のK先生がIQテストのことを話してくれた。それは現在も筆者のIQに対する考えとなっている。先生曰く、「IQ試験は年度によってかなり平均値が違うので、信頼が置けないものだ。そんな数値を気にすることは全くない」。実にいい言葉であった。筆者の疑問を晴らしてくれた。そんなちょっとしたテストで人格が決定され、生涯が左右されるようなことではたまったものではない。IQごときで人のすべてがわかるだろうか。先生はこうも言った。「IQはその人が持つ潜在能力を調べるもので、IQがいいからと言って怠け者ではIQ数値が少ない人より何事においても成果が出ない」。だが、今でもIQ信仰は強い。むしろ半世紀前より強まったかもしれない。そのことを思わせるのが先の哲学者だ。彼はまだ30代だが、彼がどういう受験戦争をかいくぐって来たかはわかる。何事もテストの点数で将来が決まると思い込まされて来た世代だ。筆者もそうではあったが、半世紀前はまだ大学に行く人は10人にひとり程度であった。先の哲学者は自分のIQがいいことを知っていて、B層を見下げているが、筆者から言わせればもうその時点で彼はB層だ。それにIQで社会を分析出来ると考えるのは、あまりにも単純な頭で、哲学者を自称する価値はない。K先生は立派な人であった。誰に対しても温かい眼差しを向けた。特に筆者はかわいがられたかもしれない。筆者はクラス1、あるいは学校1貧しい少年で、不憫であったのだろう。『この子の将来にどんな苦労が待っているのだろう』。きっとそんなことを想像されていたのだと思う。筆者は中学生になって一気に青春を謳歌したが、成績の悪い子とも仲がよかった。また反対に、成績上昇に血眼になっている連中を茶化した。大人びていた筆者は、そういう連中がどれほど頑張っても、高が知れていると思った。大事なことを忘れているからだ。成績が低い者を蔑み、そうでない者に愛想笑いをする奴は、どんな有名大学に進もうが、将来きっと嫌われ者になる。そして、そのことも気づかない。このことから考えて、IQが高くても、ろくでもない奴がいると見てよい。日本の大本営がそうであったろう。先日アッツ島の玉砕をドキュメントしたTV番組を見た。2600人ほどの兵士が何の役にも立たないアメリカの島に上陸させられ、たちまちアメリカ軍の猛攻撃を受けてほぼ全員が死んだ。隊長は食糧も兵士も何もかも不足していることを日本に打電したが、大本営はそんな要求をいっさいして来ずに全員が潔く死んだと報じた。もちろん救援の手を差し伸べず、犬死にさせた。元帥クラスの人たちは、前線に送られる兵士をいわば「B層」とみなしている。「その他大勢」の「ごく普通の連中」など、いくらでも替えが利くとの思いで、人間とは思っていない。それと似た感覚が、先の哲学者が唱えている「B層」にどことなくこもる。
●梅雨明けの白花、その5_d0053294_116147.jpg

 少しくらいIQがよくて、また有名大学を卒業し、またこじつけのちょっとした文章がうまく書けるだけで、今の日本では哲学者と名乗って有名人にもなれるようだ。自分のIQの高さに恍惚となる自己愛はわからないでもないが、これも先に書いたようにもうその時点でその人は終わっている。筆者が昔読んだ本に、IQテストがなかった時代の偉人のIQを想像して記したものがあった。その頃は何となくそんなものかと思ったが、その本の弊害は大きい。IQによって過去のどんな偉人でも階層化出来ると考えるのは危険だ。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチのIQは220くらいと書いてあったとする。だが、現在それ以上のIQを持つ人はたくさんいるだろう。何しろ試験の実施年月によって平均値が違う。それはいいとして、IQが250と言われた人は自分をレオナルドより上と自惚れるが、では当人が500年後にレオナルド以上の何事を世に残して人々に愛されているかと言えば、その可能性は低いだろう。K先生が言いたかったのは、「IQはそれが低い人の気持ちをくじき、高い人を増長させる」であった。それは先の哲学者のB層の考えに滲み出ている。確かに世間にはB層と呼んでいいような、IQが低く、世論を疑わない人たちはいる。だが、筆者に言わせれば、IQの高い人は言い代えれば「狡猾」であって、「B層」を蔑みながらそのことを顔に出さず、巧妙に搾取する術に長けている。それは過去も現在も同じだ。今では一生懸命勉強して、結局は社会的地位が高く、収入も多い人物になれと、学校でも家庭でも社会でも教えるのではないか。K先生はそんなことは言わなかった。前にも書いたが、筆者は宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を学校で学んだ時、そこに流れる精神に感動した。心の中で涙したと言ってよい。自分のことは数えないという下りがあって、そんな人にわたしはなりたいと最後は結ばれている。今、そんなことを公言すると、「お前は詐欺師だ」とまず言われるだろう。日本はそれほどにここ半世紀で下品になったのかもしれない。IQが高い人はみんなから尊敬される仕事に就いて収入も誰よりも多いということは、本当はおかしい。IQより重要なものが人間にはある。その分量はIQのように簡単なテストで数値化出来ない。人間がIQや血液型でそう簡単にわかってたまるか。筆者は賢い人は好きだが、もっと好きなのは優しい人だ。優しくなければ何の意味もない。もっとも、その「優しい」はIQのように数値化出来ないどころか、曖昧の最たるもので、そういう言葉を発すること自体、胡散臭いと思われる。であるから、言い代えれば、先の賢治の言葉にあるように、自分のことは最後でよいと思う心だ。そういう日本兵はたくさんいたと思うが、指揮官には少なかったのではないか。今の政治家もそうだ。
●梅雨明けの白花、その5_d0053294_1161564.jpg さて、今日も白い花を三題。最初は言うまでもなく胡蝶蘭で、2週間ほど前に烏丸鞍馬口付近で見かけた。今ではこの花は半ば造花化しているほどにどの花屋にでもある。工場製品になったと言ってよい。もともと洋蘭を日本で育てることはそうだ。温室という特殊な部屋が必要だ。その点で野生とは言えず、不自然な花だ。その不自然さが好まれるのが今の時代で、近年では野菜も土を使わない温室で育てることが増えつつある。工場の時代なのだ。それはイギリスの産業革命によって幕が開いたと言える。人間のあらゆる食材が工場的管理によって作られるから、人間も工場生産になるだろう。もうその時代は始まっている。それで人間を4つの層に分け、「B層」を侮蔑する偽インテリも輩出する。2枚目の写真はその気になればあちこちでよく見かける。他の小花と一緒によく鉢植えされていて、小花を密集させて直立する姿は珍しく、よく目立つ。白のほかにピンクや赤もある。この植物の名前を昨夜調べた。「アンゲロニア」だ。覚えにくい名前で、また覚える必要もない洋花だ。3枚目は近所で撮った。この花は枯れることがないほど、年中咲いているようだ。それほどに咲いてはまた咲く。細長い茎を1メートル以上も伸ばし、その先端にサギソウに似た小さな花をつける。これも昨夜調べると「ガウラ」とあった。「小蝶草」の和名がついている。その名のとおり、花は小さな蝶に見える。サギソウはもっと花弁の切れ込みが細かく、茎も短い。そのサギソウを百万遍交差点近くの花屋の玄関脇で先日見かけた。写真を撮ろうと思ったが、背丈があまりに低く、また背後にいろんなものが写り込み過ぎるので諦めた。サギソウが野に咲いているのを見かけたことがない。昔は多かったのだろうが、園芸ファンが持って帰るので減少した。「ガウラ」に戻ると、この名前は意外であった。というのは、「ガウラ」はほかの花と思っていたからだ。何年か前、「おにおにっ記」に赤いガウラの写真を載せた。「ガウラ」の名前は知らなかったのだが、それが咲いている場所を鳥博士さんと歩き、その時に訊いた。すると即座に「ガウラ」と返って来た。それで、今ではその花は知っているが、今日の3枚目は鳥博士さんに教えてもらった花とは形が違う。それでてっきり別の花だと思っていたが、ガウラにもいろんな形があるのかもしれない。それでも階層はないだろう。どんな形でもそれなりに美しい。それに卑近なガウラ属全体を「B層」などと呼ぶと、かわいそうだ。ましてや人間を。何度も言うようだが、IQが高くてもろくでもないアホがいる。最初の話題に戻ると、先の哲学者の論理にしたがえば、ザ・スミスやビートルズが世界的人気を得たのは、世の中に「B層」が多いからで、ザ・スミスやビートルズの音楽はクラシック音楽とは比べようがないほどに取るに足らないものということになる。そうした考えはヒトラーが名づけた頽廃芸術と同じだ。古典を尊ぶのはいいが、それだけでは現代は見えない。
by uuuzen | 2013-08-12 23:59 | ●新・嵐山だより
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