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●嵐山駅前の変化、その283(桜の林、温泉、広場)
●嵐山駅前の変化、その283(桜の林、温泉、広場)_d0053294_1391147.gif犬」と呼ぶのが正しい表現であったと思う。昨日書いた伏見人形の雌雄の犬が重なっているものだ。似た形は大阪の住吉大社でも売られていた。伏見はそれをもっと巨大にし、しかも2匹の狆で表現している。



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動物の場合は「交尾」という便利は言葉があるのに、昨夜はそれを思い出せなかった。それで「セックス」という生な言葉を使ったが、上品に表現すると「睦まじい犬」だ。これは「親睦」という言葉にもっぱら使い、わが自治会の規約でも、最初にその言葉を使っている。つまり、自治会の目的は住民の親睦を目指すものと考えている。筆者はそのように思って書いたが、異論は出なかった。「親しく睦まじい」。これは人間関係の理想だが、たくさんの人が集まるとなかなか簡単ではない。夫婦でも仲睦まじくなくなって行く場合はしばしばあり、そういう現実を昔の人は知ってか、土人形で睦まじく交わる犬を表現し、夫婦の和合の大切さを説いたのかもしれない。夫婦の和合で思い出した。伏見人形には「笑いもの」と称する一群のエロティックなものがあった。今は丹嘉でもめったには作らないだろう。明治維新の際に日本の恥として型が処分されたとも聞いたた。浮世絵の春画と同じだ。そういう土人形はたまにネット・オークションに出る。土人形を手に取り、普段は机や棚に接している底を見ると、そこにレリーフ状の男女の性交図が表現されている。置物としての土人形そのものの形は、眠る猫であったり、炬燵に入って眠る小坊主、あるいは達磨、十二単衣を着た姫といったもので、表向きはまさか底に春画があるとはわからない。そういう型は底が潰され、今ではただの眠る猫になって作られているが、本来は眠る猫や小坊主が夢見ているのが性交という表現であるから、江戸時代の人には眠る猫は男女のまぐわいを連想させたかもしれない。ともかく、筆者は表向きは全く同じ眠る猫であるのに、片方の裏には生々しい性交図が表わされ、もう片方はただの平面になっているものを見たことがある。今ではポルノ画像の氾濫によって、そんな素朴とも言える性交図などほとんど誰も欲情を覚えないだろうが、昔はそれが笑いを交えての性教育に大きな役割を果たしたのではないか。そして、その一端を伏見人形が担った。
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 さて、駅前の変化が著しくなったここ数年、わが自治会に新たに加入する世帯が増えたのはいいが、会則を整備したことによって自治会長を誰がやるかという取り決めが今年4月から動き出した。そして、そのことに賛同出来ない住民は自治会を辞めることになった。詳しくは書かないが、結局脱会した世帯の方が去年新たに入った世帯数を上回った。これは一見すると、会則などなかった方が自治会が円満に機能していたかもしれないと思わせる。だがそれは自分が会長に絶対にならないと高をくくっている人の考えであって、「自治会費は支払うが、嫌な役割はお断わり」という本音を抱いている。そういう人は簡単に言えば無責任であるから、脱会しても仕方がないだろう。もっとも、責任感が強いあまり、規約が出来たことによって辞めざるを得ないという人もあった。それは病床にある身内の面倒を見なければならず、とても自治会の忙しい役割は引き受けられない人だ。歩くのが困難など、身体に不具合のある人もそうだ。そういう人には、自治会費は支払ってもらうが、自治会の決め事に文句を言わず、またその代わりに組長その他何らかの役割も免除されるということにしてもいいのだが、そこまで規約を決める際に筆者は頭が回らず、また住民から意見も出なかった。それで脱会したのは、商売をしている人、マンションに住んで管理人に自治会のことをすべて一任している場合がほとんどであった。加入世帯は130弱と先日書いたが、自治連合会全体では65パーセントの加入率であったと思う。わが自治会はそれにほぼ等しいはずで、全世帯数は200ほどという計算になる。今後それがどうなって行くか。増加が期待出来るのは、駅前の喫茶らんざんの近くにある800坪の土地に建つマンションだ。4階建てになると聞いている。阪急が土地を買ったので、マンションは阪急不動産が販売するのだろう。駅前のしかも日本で有名な嵐山であるから、高級マンションになる可能性が大きい。そうなると、自治会などに入るのが面倒という人ばかりとも予想出来る。わが自治会に6年ほど前に大きなマンションが建った。全部で61世帯と聞いている。ところがその半分は普段は誰も住んでいないらしい。主に東京の企業が購入して、社員の保養所として使っているようだ。もう半分のうち半分は自治会に関心を示さず、残り半分が小さな子を抱える若い住民であることもあって、自治会に加入してもらっている。ただし、たいていサラリーマンであるので転勤がある。そうなると、自治会にあまり馴染まないうちに姿を見かけなくなるから、どうしても古くから住む住民が中心になって自治会の行事に対処しなければならない。
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 この古い住民がこぞって高齢化している。子どもたちは親元を離れて、近くても別の自治会区域に家をかまえている。親が死ねばいずれ親が住んでいた家に戻って来るかと言うと、これは期待出来ない。古い家を処分し、自分たちは自分たちが買った家に住むというのが大半であろう。となると、わが自治会の運営は古い住民から新しい住民へと引き継いで行かねばならない。それを円滑にするためには、引っ越して来て数年といった新しい住民ではなく、筆者のように30年は住んでいるという、古いと新しいの中間の世帯がまず引き継ぐことだ。そしてそのとおりに事が運んで、筆者は4年の間に規約を作り、誰もがわかりやすくて参加しやすい雰囲気を整えたつもりでいる。ただし、引っ越して来て数年の世帯に自治会の運営の中核を担ってもらいたくても、古い住民の元気な人たちはおそらく死ぬ寸前まで自治会に関係したいから、そこで新旧住民の意見の対立が生じかねない。筆者でもそういう状態に晒されたし、今もそうだ。だが、筆者は10年後を想像する。その時には、現在の古い住民で自治会に大きく協力してもらっている人たちは、まずそれが出来なくなっている。そこで今後10年ほどの間に、新しい世帯に充分自治会の行事や運営について理解してもらうための方策を考えねばならない。それにはまず親睦だ。親睦の前段階の親睦の機会が必要だという意見もあって、筆者はまさにそれに同意するが、その前段階の親睦にはそれなりの経費が必要だ。簡単に言えば集会しての飲み食い費用だ。これを先日古老に相談すると、言下に拒否された。そこで根回しの必要性を思っている。古老が反対するのは、そういう機会には高齢者は参加しにくいと思っているからだろう。筆者は高齢者を排除して、新参者だけを集めて楽しもうというのではない。出来れば130弱の全世帯が参加してもらいたい。ただし、現実には商人は日祝土は時間を割けない。では平日となると、会員の大多数を占めるサラリーマンが参加出来ない。このどっちつかずの現実の前で、なかなか名案がない。またそれなりに案を考えても、いざそれを実行するとなると、誰が音頭を取るかだ。筆者が全責任を負うのは無理だろう。回覧文書の作成から場所の確保、弁当などの手配、それに当日の司会から参加者全員を結びつけて馴染んでもらうための太鼓持ちの役割までせねばならない。そこで、協力者を見つけようと考えている。これは女性を口説くしかない。筆者が会長になっていた4年の間にその考えはずっとあった。しかし規約の作成などに追われ、実行することが出来なかった。副会長になった時間的余裕から、また考え始めていて、今年は無理でも来年は何らかの形で実行したいと思っている。それにはまず、アンケートを取るのがいいかもしれない。あるいはその前段階として、地蔵盆の当日に若い世帯に質問してみてはという意見がある。
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 わが自治会は、他の13の自治会に比べて、面積は大きいのに、世帯数が少ないから、親睦は古い住民の間では保たれているが、そのほかの大多数の住民はお互いに名前も顔も知らない。筆者はこの4年の間にようやくほとんどの住民と話をし、顔と名前を覚えた。それほどに年月を要する。それが年1回のささやかな食事会のようなことだけで自治会全体の親睦が一気に高まるとは思えない。ただし、何もやらないよりはましだ。そして、毎年開催することで少しずつでも親しくなって行く。それはあまりに楽観的と皮肉に見る人も多いだろう。だが、自治会には30万円ほどの留保が長年あって、その使い道がないのであれば、その幾分かを親睦のために使うことはいいではないか。ただし、この考えにも反対する人はある。最近山口県の小さな集落で殺人事件があった。その原因が、都会から戻って来た若い男が村のさびれている様子を見かねて何か村起こしになるようなことをしたいと言ったところ、ひと回り年長の人物たちが反対し、その後関係がぎくしゃくし始めたと報道があった。村起こしをすると言われても、高齢者は、また地元にずっと住み続けている者は、まず反対する。それは無理もない。新しいことを受けつけなくなっているのだ。そこで、「やりたいなら任せるから勝手にやってくれ」とでも言ってくれればいいが、そんな鷹揚な思いはない。とにかく反対だ。こうなると、若い世代は立つ瀬がない。その一方で、古い住民は「自分たちはこれまでさんざん地元に貢献して来たから、これからは若い者がやれ」と上から目線だ。しかも一任しない。これでは若い世代はそっぽを向く。今の日本はどこでもそのような状態になっているのではないか。山口のど田舎だけが特殊ではなく、各地にたくさん似た例はあるはずだ。殺人事件までに発展しないものの、内心恨んでいるという人は少なくないだろう。そこで、改めて自治会の親睦というものを考える。やはり自治会はあった方がいい。そしてあるならば親睦を深める機会をあれこれと設けるべきだ。どんなことも全員の賛同を得ることは不可能だ。それで多数決になる。そこから外れた人を無視するのではなく、いつかはそういう人も参加出来るような活気ある自治会にするのが、筆者を含め、四役の役目でもあろう。親睦はまず顔を見て話し合うことから始まる。現在の自治会の行事などではその機会は少ない。組長や各種委員が集まる機会は5,6回あるが、自治会の会員が誰しもとなると年に1回、しかも地蔵盆の夜のほんの1時間ほどだ。それでは親睦は無理だ。古いも新しいも、老いも若きも関係なしにみんなで楽しめる何らかの機会。それは夢だろうか。筆者はそうは思わない。今日の写真は去年8月8日の撮影。
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by uuuzen | 2013-08-08 23:59 | ●駅前の変化
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