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●嵐山駅前の変化、その282(桜の林、温泉)
綿の下着はあたりまえのように思っているが、日本で誰もが綿が着られるようになったのは何百年も昔のことではない。そのためにみんな早死にしたとも言える。



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条件がよければ人間は200歳くらいまで生きると誰かが言っていたと思うが、そういう人がひとりもいないことは、まだ現在の大金持ちといえども、考えられる限りの好条件で生きられないことを示している。また、大金持ちはかえって駄目かもしれない。粗食であった禅僧あたりが70、80代まで生きた例が多いようであるし、生存のための好条件は大金持ちになる必要はないのだろう。ま、200歳まで生きたい人がいるかどうかが問題で、「長寿」を「長生き」だけと捉えることもない。先ほどネット・コラムに、暴走する高齢者といった話題があって、その理由は社会からの孤立と結論づけていた。よく言われるように、地域社会ではだいたい奥さんがネットワークを作り、働きに出ている夫は近所ではあいさつをする程度でまともに顔を見られたことがない場合が多い。そういう男性が定年になると途端に地域から孤立する。ましてや奥さんが早死にすると、もう地域の住民に溶け込む機会を失う。積極的に地域の行事に参加する人はいいが、それも会社勤めをしている間から少しずつやっておかなければ、打ち解けたように見えてそれはかなり表面的で、自治会のちょっとした役割を終えると、元の木阿弥になる。わが家では筆者が家にいて家内が外に働きに出ているので、家内の顔の方が知られていない。また、今さら自治会のあれやこれやに馴染むつもりもないらしい。筆者が喜んで馴染んでいるように家内には見えるようだが、筆者としては引き受けた仕事はいやがらずにまっとうするだけで、それ以上にしゃしゃり出るつもりはない。ところが、今日も自治会の若い母親と話す機会があったが、80近い高齢者は自治会での役割がひとつの慰めになっている場合があって、そういう人を無碍に規約が決まったからといって排除して行くことが出来ない点で考えが一致した。ま、長老を立てながら、若い新参者にも愛想を振り撒いて今後の自治会の運営を担う自覚を持ってもらわねばならず、それには筆者やもう少し若い世代が積極的に動かねばならない。そういう筆者の気持ちが家内には嬉々として自治会の仕事に勤しんでいるように見えるらしいが、やるべきこと、やりたいことは山積していて、自治会の役割から退いても筆者は孤独を味わうことはないと思っている。
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 であるとすれば、昨日書いたように、ひとりぽっちになってさびしい家の中にいる夢を見るのはどうしてか。それはこれからの老後を心配しているためか。誰もが老後には漠然とながらも不安めいた思いを抱いている。それがすでに小学生からの場合もあるが、それは親が心配そうに話題にしているのを聞くからだろう。小学生が定年後のことを心配して勉強に勤しむなど、そうとうグロテスクで、老後は老いてから考えればよい。ただし、そんな楽観な面持ちでいると、老年になった時にはたと困るのかもしれない。これは前に書いたが、筆者より1歳上の友人がバブルの少し前だったか、生涯曲線とでも言うようなグラフを作成して筆者に見せてくれた。週刊誌で見たのか、あるいは生命保険屋に教えてもらったのだろう。当時はそういうのが流行って、筆者もどこかで見たことがある。友人は自分の生涯曲線図を筆者に示しながら、筆者の分も作ってやろうかと言った。筆者は一笑し、友人のグラフさえまともに見なかったが、X軸に年齢、Y軸が収入となっていて、年齢は当時の平均年齢が死の時期となっていた。彼は同じ会社を定年まで勤め上げ、そのうちに子どもが結婚し、定年後から死までは年金で気楽に暮らすことを全く疑っていなかった。それは今から思えばあまりに贅沢でまた呑気過ぎたが、彼はそういう人生をあたりまえであるがゆえにどこか不満を持っていた。その不満はもう少し収入がほしいといった欲だが、筆者が内心おかしかったのは、これから先のリスクがそのグラフのどこにも反映されていないことであった。もちろんそれはほとんどの人がそうだろう。もしもの時のことを考えて保険に入るが、それは切りのない話だ。火災保険や自動車保険は当然入るとして、それ以外にも心配の種を作って収入を保険に回す人は稀だ。また、そんな心配を始めれば切りがなく、ある程度はどうにでもなれといった、人生出たとこ勝負の無責任さとでもいった態度は必要だ。そのグラフを見せられた時には筆者はすでに収入は不安定で、おそらく友人の数分の1の年収に足らなかった。それでも友人は会うたびに筆者が陽気でいることが信じられず、いったいどういう人生設計をしているのかと不思議がった。そんなものはなく、また、将来を楽観視もしなければ悲観もしないのが信条と言えばそうで、とにかく、わからない未来のことをあまりくよくよ考えても仕方がないと今も思っている。その友人は結局50で一流企業をリストラされ、音信不通になった。定年までの10年をどう過ごしたかと思う。また、引っ越しを何度か繰り返したようで、先に書いたように地域社会に溶け込む努力は一切していないはずで、暴走老人になってしまうのかどうか、多少心配をしている。だが、死ぬまでそこそこ気楽に暮らせると思っていた人生設計が大きく狂い、それはそれでよかったのではないか。またよかったと思えるほどタフな精神を持たねば人生の荒海を乗り越えては行けない。ま、偉そうなことを言っているが、人生何が待っているかわからない。毎日楽しまねば損だ。
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 そう言いながら、筆者にも腹立たしいことはある。それは夢にも出て来るほどで、夢の中で相手に暴言を吐くこともある。いろんな意見の人がいるのは誰でもわかっているが、それでも性に合わない人とぶつかって嫌な思いをすることはある。それで思い出すのが、先ごろの山口での事件だ。山間部の世帯数が9つほどの小さな集落で凄惨な事件が起こった。犯人は都会に一時出て働いて故郷に戻って来た。そのことを揶揄されたりしたことが犯人が恨みを抱いた理由のようで、地域社会の難しい人間関係を思う。筆者が4年間自治会を引き受けていた間、誰とも仲よく出来たかと言えば、表面的にはそうであっても、内心は「この野郎」と思ったことは頻繁にある。詳しく書くのはまずいが、相手は「この若造めが」と思っていたのだ。それでもわが自治会は自治会の加入世帯数が130弱あって、山口の事件が起こった地域のような小ささではない。そのため、筆者が人間関係の難しさを吐露出来る人はたくさんいるし、そのことでまた気を取り直すことが出来た。会社ではないので、嫌な相手とはつき合わなければいいが、それでは自治会が機能しない部分がある。それを承知しながら、嫌味を言われながらも4年をまっとうし、もっと担当してほしいとの意見に耳を貸さなかったのは、もうこりごりというのではなく、同じ人物が長年担当すると他の人たちに自覚が芽生えないと思ったことによる。つまり、長年担当するのは、御苦労さまなことだが、筆者に言わせれば無責任だ。早々に次期の適任者を見つけ、誰もがなお自治会について意識を抱くようにせねばならない。4年の任期はその意味でちょうどいいか、限界だ。同じことを政治家にも思う。20代で政治家になって死ぬまでやる人がいる。職業でも普通は定年がある。政治家は職業だろうか。商売だろうか。筆者に言わせれば、彼らは無収入で引き受けるべきで、また大きな権限を与えてはならない。誰でも出来る仕事で、給料も世間の平均かそれ以下にすればよい。ところが、昔の日本そのままに自民圧勝で無責任政治家ばかりが跋扈する。莫大な資金があまり必要でもない公共工事に費やされ、そのメンテナンスなど、将来の負の遺産は2、3代後の世代が支払う。それがわかっていながら、ほかに選択肢がないと思う人が大部分だ。政治家が描く将来像は、前述したかつて友人が作成して見せてくれた人生曲線以上にひどい。そして、仮にそんな腹立たしいことがあっても、どうすることも出来ない虚しさを誰もが抱えている。そのうさ晴らしに大きな役割をしているのが、芸能界の存在であり、TVであり、新聞だ。綿の下着は今では誰でも買える。その理屈をもっと巨大なものに適用しているのが日本で、人口が1000人もないそうな寒村に舗装道路を通し、また新幹線まで引こうとしている。国民はみな同じ恩恵を被るべきという平等心からだ。だが、綿の下着を誰もが着るのに税金を使うだろうか。辺鄙な田舎が都会に比べていろんな施設がなくても、それに代わる何かがあるだろう。ないものを求めるのではなく、あるものに満足することも大切だ。
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 今日は自治会関係の書類を何人かに持参して話をした。その途中で桜の林の西半分に完成した温泉の写真を撮った。先日はなかった大きな看板が立っていた。そこには「湯浴み処 風風の湯」と大書してあった。そういう名前であることを今日知ったが、ネットで調べるとすでに求人の面接は済まし、温泉の名前も先月には広められていた。求人の面接は駅前のホテル花伝抄で行なったようで、募集はアルバイトのみであった。朝10時から夜11時まで交代性の勤務で、時給800円だ。これは安いのではないか。先日梅田のグランフロントで働くアルバイトの時給を特集するTV番組があって、どこも1000円以上であった。華々しい梅田と違って田舎っぽい嵐山では800円でも応募がたくさんあると見込んだのか。また、アルバイト以外に正社員の募集がないのは、正社員は別に数人ほどを雇い、大半の仕事はアルバイトで賄うためだ。あるいは正社員はいないかもしれない。雇用形態がどんどん変わって来て、今では正社員は珍しいのかもしれない。これでは前述した友人の人生曲線の描きようがない。時給800円のアルバイト生活では、働くかたわら、自分が本当にやりたいことを見つけ、それに精出すしかない。それは若い間は可能だが、少しずつ疲れて来る。そして貯蓄は出来ずに、やりたいことの成果も見えないことになる。それは昔も同じという意見があろう。筆者が思うに、筆者らの世代は家を持ち、子どもたちは自分の家を持たなくても好きなことを目指せるほどに経済的に豊かになった。そのため、アルバイト生活でもさほど不安に思わない。その一方で親が離が貧しく、持ち家でない人も多い。そういう家庭の子どもはそういう経済状態を自覚して、恵まれた子より頑張る場合が多い。この対立の図は昔にもあったが、ここ数十年で圧倒的に豊かな子どもが増えた。高度成長期に青春を送った筆者らの世代の子だ。そこで何が言いたいかと言えば、経済的に恵まれている子はアルバイトしながらでも好きなことをしていずれ落ちぶれるか成功するかで、また経済的に恵まれていない子はアルバイト人生など最初から拒否して懸命に努力して正社員になるか、あるいはそれに挫折してもまた這い上がる。結局恵まれた子の人生は味気ないのではないか。人生曲線の友人は経済的にも家庭的にも恵まれていた部類だが、50で思わぬ災難に遭遇した。若い頃と違って50はきついだろう。新たな専門を身につけるといったやり直しはほとんど利かない。若い人は、親が持家であろうが財産があろうが、そんなことは微塵にも思わず、やりたいことを見出して行くことだ。結局それは幸福論につながる話になって、夢中で生きている若者には退屈な話だ。ともかく、アルバイトでも生きて行ける日本は、経済的に恵まれている。綿の下着は毎日汗びっしょりになり、毎日着替える。それを当然と誰しも思うが、たまには自分の恵まれていることを顧みるのがよい。不幸と考える人も、ひとつやふたつは恵まれている。今日の写真は1年前の8月2日の撮影。
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by uuuzen | 2013-08-02 23:59 | ●駅前の変化
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