●嵐山駅前の変化、その280(桜の林、温泉、広場、レンタサイクル臨時店跡地)
妻が光って夕立が来るかと思えば、雷の音は蝉の声より小さく、雨は湿り気にもならない程度に降っただけで、空も晴れて太陽がぎらつき始めた。この蒸し暑さとどんよりした空気は、まだ梅雨の真っただ中であることを思わせる。



とはいえ、梅雨であろうが、それが明けたであろうが、誰にとってもどうでもいいことで、気象庁の梅雨明け宣言が早過ぎてもあまり謗られることはない。「想定外でした」という便利な言葉が使われて、役所は言い逃れが出来やすくなったところがあるが、この言葉は自然は人智を超えていることを昔からよく知っている日本ならではで、「科学がまだ未発達で、わからないことがたくさんあります」との意味を込めている。ヨーロッパで科学が発達して来たのは、自然を制御しようという意識が強かったからで、また日本のように自然災害が少なかったからかもしれない。欧米が開発した原発を日本に設置するには、自然災害の脅威の想定は欧米以上に厳しくせねばならなかったはずだが、原発についての研究開発と足並みを揃えるほどに地震が学問として、科学的にもっと詳しいところまで発達していたかとなれば、天気予報と同じ程度に、まるで当たっても八卦、当たらぬも八卦の態度で、責任感がまるでない。「想定外の自然の脅威がありますから、どうなっても知りませんよ」というのが本音で、そのうえに原発が各地に建設された。「そんな無責任な」と反対しても、目の前の便利さに目がくらむのは人の常であり、また過去を忘れるのが得意な日本であるので、想定は甘くなる。それに喉元過ぎれば何とやらは日本のお家芸だ。過去に謙虚に学ぶ姿勢があるのかどうか、相変わらず原発については今後も稼働させる勢力が力を持ち続けそうだ。自然災害の脅威をよく知っている日本が原発を導入したことは全く不思議だ。原爆で放射能の恐怖を知っているはずなのに、原発がもし壊れても、家事や地震による破壊と同じ程度のもので、壊れた家屋や道路はまた作り直せばいいではないかといった程度にしか思っていなかったのだろう。あるいは日本は神の国であるから、まさか巨大地震があっても想定外のことはまず起こらない、起こってもどうにかなると高をくくっていた。その「どうにか」は、深刻な被害であっても情報操作でいくらでも真実をごまかせられるという考えも含む。そのとおりに事が運ばれ、福島第1原発の現在がどのように深刻かそうでないかの情報はあまり伝わらない。また伝わってもそれがどこまで正しいのかは誰にもわからないし、わからないならば信用しないか忘れるかで、人々の話題から遠ざかる。
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 先日台所のコンロで煮炊きをしていると、大きなゴキブリがコンロの奥から這い出て来た。すぐに殺虫剤で殺そうかと思ったが、煮炊きものは蓋をしていなかったので、食べ物の中にそれが入る。それに火が点いているコンロに殺虫剤を吹きかけることになって、マジシャンが口から火を噴くことと同じような光景が生じる。そこでとにかく調理を終え、鍋をコンロから下ろしてから、コンロの周囲に殺虫剤を吹きかけた。その時思ったのは日本の原発だ。日本は地震国で火山も多い。それはコンロのそばで暮らしているようなものだ。ゴキブリは家中を這い回るが、台所のそれを殺す場合、殺虫剤ではなく、のんびりとかまえる「ごきぶりホイホイ」の紙箱を置いておくのがよい。これがほかの部屋ならば、エアゾール・タイプの殺虫剤を勢いよく噴射出来る。何が言いたいかと言えば、煮炊きをしているコンロのそばで殺虫剤を噴霧することは日本の原発に似ていることだ。つまり、危ないことを知っている。にもかかわらずやるのは、日本も原子力がほしいというさまざまな理由がある。それは明治時代の欧米の列強に遅れを取ってはならないという考えがそのまま引き継がれている。それはさておき、「想定外であった」という言葉は自然を甘く見た点で自然に対して敗北したことであって、地震工学の点からは巨大地震を想定出来なかったことにおいて敗北であり、また地震学者がわかっていながら、想定を甘くしなければならなかった政治事情があったとするならば、その点で民主主義はあったものではなく、やはり敗北している。つまり、福島第1原発の崩壊は、あらゆる点で日本の敗北すなわち弱点を曝け出した。完全な人災であり、その責任を問うべきなのだが、総括して、つまり何かを学び取って同じ過ちを冒さないようにせねばならないのに、今後も何も変わらないような気にさせるのが先ごろの選挙だ。TVで山本太郎が当選確実というニュースが流れた時には驚いた。それを面白く思わない経済評論家が早速、山本の当選は日本の恥といったことを長文で書き立てた。こねくり回した文章で、科学的な眼差しを持たない政治家は駄目だと書いてあった。科学崇拝はいいとして、原発学者や地震学者が寄ってたかって設計した福島第1原発があのような状態になったことを、科学にさっぱり関心のない人でもおかしく思っている。また、政治家が科学的になるとはどういうことか。ともかく、少しも科学的でないその評論家の文章の論理があまりにおかしいので家内にも読ませると、最後まで読む必要なしとばかりに嘲笑した。
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 山本太郎はタレント議員と呼ぶべきで、今までたくさんいたタレント議員の仕事ぶりから見て、任期の間にさして目立った成果を出せないことは半ば目に見えている。何しろ無所属でひとりだ。数が物を言う政界ではこれはゼロに等しい力だ。それでもそういう立候補者が当選するところに、筆者は先の経済評論家とは正反対の考えを持つ。何代か続くような政治家の家柄に生まれた者だけがTVを賑わす政治家になるとすれば、江戸時代の身分社会、世襲性と同じで、最初から大多数の人は政治に半ば絶望している。殿様や武士が税金を徴収するだけで何もせずに気楽に生きていることの矛盾を感じて農一揆もあった。今の日本はそれなりにみんな食べることだけはどうにかなっているので、一揆は起こらないが、それも今後はどうか。不満は休火山のマグマのように深部でくすぶっている。その不満のはけ口のひとつが山本に票を入れることになったのではないか。これは政治に幻滅して投票しないよりまだ健全な態度だ。昔ある男性が筆者に、「投票には行く気がしない。大きな海に水一滴を垂らしたところで何も変わらない」と語ったことがある。これは投票しないほとんどの人の考えで、そうした人は国民の半分を占めている。これは政治に期待していないか、絶望している。政治から疎外されていると感じているのだ。日本は右の翼だけを持った国で、大多数の人がそのことを是と思っている。当然鳥でも飛行機でも翼は両脇に必要だ。左右が均衡を保ってことまともな飛行が出来る。それが右だけで飛んでいると、同じところを回転し続けるか、そのうち墜落する。山本議員が原発反対で何をどうしたいのか、そこはまだまだ未知数だが、その未知数に賭けてみたいと思う人があるのは正常なことだ。プロの政治家がどこまでまともな政治をするのか、それはもう嫌というほど誰もが見て来ている。プロの言葉はいいとして、もっと大切なことは、おかしいと思う直観だ。直観を馬鹿にしてはならない。それが当たっている場合はよくある。男女の出会いもほとんど直観が重要で、それを忘れてあれこれ好条件を考える者ほどすぐに離婚している。とはいえ、個人の交際と違って政治は国民全体に関係することであるから、直観などに頼ってはならないという意見があろう。直観は科学ではないというわけだ。だが、科学が直観を扱って、その正しさを説明出来る時代が来ないとも限らない。ともかく、山本に投票した60万人を国を駄目にする愚か者と断罪することは無茶だ。立場を変えれば物事は反対に見える。政治に閉塞感、絶望感を抱いている人が、ささやかではあるが、山本に機会を与えてみようと思ったとすれば、それはまだ日本の政治が捨てたものではないことを示している。あるいは、山本に票が集まるほど、今の政治家たちに期待しない思いが増している。
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 今日は駅前の変化シリーズであるので、自治会内のことについて書くつもりでいたのが、稲妻から始まってとんでもない方向に進んでしまった。稲妻を思い出したのはふたつの理由がある。ふたつとも一昨日地元の小学校で行なわれた自治連合会の夏祭りが関係している。そのため、今日の書き出しは自治会絡みになることが当然であったのに、思いはいつの間にか逸れてしまった。覚醒している時でさえこれであるから、睡眠中に見る夢はなおさらか。あるいは筆者は夢と現実の区別がつかず、こうして書いていても夢を見ているように非合理的なことを書き連ねるのか。話を戻して、「稲妻」を思い出したのは一昨日の祭りではあるが、書き始めようとした時に遠雷が聞こえ始めたからだ。本当は「稲」が念頭にあった。小学校のすぐ近くに500坪ほどの水田がある。それが見事な緑色になっている。稲穂はまだ全く出ていないが、それがかえって緑の絨毯のようできれいだ。夏祭りにはカメラを持参しなかったが、気が向けばその絨毯のような田んぼを撮ろうと思っている。いや、その写真は何年か前に撮って「おにおにっ記」に使った。それはさておき、夏祭りの当日は朝9時に校庭にテントを張るなど、準備に行った。それが終わったのが11時半頃だ。田んぼ際に差しかかった時、数人の若い男女が田んぼを見て何やら話している。半分ほどはカメラを持っていて、田んぼを撮ろうとしていた。言葉は中国語であった。中国からの留学生かあるいは旅行者が嵐山の観光地ではなく、何かの拍子で民家が密集する地域に迷い込んだといった感じだ。実際はどうであったか知らないが、その数人は田んぼの緑に痛く関心しているような素振りであった。「見て、家に囲まれたこんな狭い場所なのに、見事にびっしりと稲を育てているなんて、日本人はとても細かい作業がうまくて美意識があるわよね」 ま、そんな感じだ。さて、夏祭りは午後5時からだ。一旦家に戻ってシャワーを浴び、昼食を済ましてから出かけ直した。準備に携わった、各自治会からの2,3名はビールとおでんセットがもらえる。それで夜の食事には足りないので、8時頃にまた戻った。9時に閉会で、たちどころにテントをたたむなど、後片づけをする。これが1時間少しかかる。筆者は本部席で過ごしたが、5時半頃か、ある人と久しぶりに語っている時、10数メートル先にIさん(稲がつく)を見かけた。70代の男性で、ここ3年ほど前に自治会内で親しくなった。ひとりで来られたので、筆者は話しかけたいと思ったが、別の人との話が佳境に入っていて、それを打ち切ることが出来ない。Iさんはまともに校庭の中に入らないまま、すぐにUターンして視界から消えた。そのまま帰ったのは間違いない。Iさんは新参者の部類で、自治会内で親しく話をする人がまずほとんどいないだろう。それもあって筆者は見かければ必ず接近して話しかける。Iさんが誰と喋るのでもなく、来たばかりの夏祭りを後にしたことが気になった。それで当日はふたつの「稲」が心に残った。
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 今日は載せる写真が多いのでもう一段落書く。夏祭りは小学校創立40周年記念であった。40ではあまり区切りがよくないが、それなりに去年とは違った催しがあった。自治連合会は50周年には大きな行事をする予定で、そのために預金をせっせとしている。その頃の連合会会長は誰が担当しているか予想がつかない。あるいは連合会内部で暗黙の了解で誰がやるかは決まっているかもしれない。決まっていなくても、10年後には誰がふさわしいか、想定はしているだろう。連合会の役員は全部で9人いたのが今は7人で、うちひとりは補佐的な役目であるから、実質6人だ。そのことを夏祭りの夜に連合会役員の最長老から耳にした。そして、初めて知ったことだが、連合会傘下の14の自治会のうち、筆者が所属する最北に位置する自治会からは、誰も連合会の役員になったためしがないとも聞いた。正確に言えば、これは正しくはないかもしれない。40年前に小学校が出来たと同時に発足した自治連合会の初代会長は郵便局のすぐ近くにある店主のMさんであった。地域では最もその役にふさわしい人格者であった。その人はわが自治会に所属はしていないが、娘さんの家はわが自治会にあり、かつてはわが自治会の住民であった。Mさんが初代会長になったのはそれにふさわしい人格者であったからだが、当時はまだまだ世帯数は少なかった。初代会長が何年務めたかは知らない。たぶん10年くらいか。その後任を選ぶに当たって、Mさんや他の副会長が話し合いをした。以後同じ方法で、つまり現在の連合会役員の全員一致で依頼し、依頼された人が納得すれば就任する。筆者は自治会の会長になる前はそのようなことにはさっぱり関心がなかった。それどころか自治会にも無関心であった。それが会長を4年も担当すると、自治連合会の役員とはしょっちゅう顔を合わせるので、ついその選ばれ方が気になった。理想を言えば、14名の会長もしくはかつて会長を経験した人の中から選挙などの方法で選ぶべきだろう。ところが連合会役員の仕事は、自治会長よりははるかに楽と言われながら、筆者が見るに、それなりに多忙で、また出費も嵩む。副会長ならばまだしも、会長は校長や区長、警察や消防の長、それに市会、府会議員との交際もある。交際といってもたとえば夏祭りなどの行事であいさつする程度だが、傍眼にはそういうわけにも行かないことがほの見える。話を戻して、わが自治会から連合会役員になった者がいないことを知り、それで筆者に副会長になってほしいという依頼があったのだと思った。それだけが理由ではないだろうが、ともかく小学校から北部は連合会役員はごく稀で、ほとんどが南部すなわち阪急の駅で言えば松尾に近い住民が引き受けている。これは、仮に筆者が連合会役員になったとすれば、今まで連合会の行事に比較的無関心であった小学校以北の住民に何らかの覚醒を与えることになるかもしれない。もちろんそれは筆者の頑張りが前提にある。そうした仕事は、たとえば前述のIさんのような、一流企業を定年まで勤め上げ、経済的にも余裕のある人が引き受けるべきで、今の筆者はそんなことをしている余裕がない。
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 もう一段落。忘れないうちに書いておくと、今日の写真はちょうど1年前、7月30日に撮った。さて、去年の体育祭であったか、Iさんと話した。ちょうど議員らが来賓として校庭にいる人たちにあいさつをしている最中で、筆者はそうした議員の年収をIさんに訊いてみた。Iさんは一般のサラリーマンの倍はあっても、あいさつ回りなどで出費が多く、さほど豊かではないはずと答えた。そんなことをあれこれしゃべっていると、やがて議員たちは競技を参観している大人たちにあいさつ回りを始めた。引率者がいるのは言うまでもない。筆者は会長であったから、当然やって来る。そのひとりに、先ごろの参院選で僅差で敗れた民主党の議員がいた。大柄で、しかも包み込むような風格があって好感を持った。その人を間近で見るのは初めてで、写真とは感じが違うことを思った。写真より実物の方が数倍よいという人は珍しいのかどうか、筆者は有名人に出会うことがめったにないので、そうした人のオーラがわからない。その議員からもらった名刺もまた嫌味でない落ち着いた味わいがあって、人柄を表わしていると思った。彼はそのようにして毎日大勢の人に出会い、選挙に備えているのだろう。選挙当日の夜、開票が始まった当初、彼は入選であったが、共産党の女性議員が数百票で追っていた。その議員の演説を四条河原町で見た。写真ではよく知っている顔で、当選確実となってTVに現われた時も同じ顔であった。自民党にいる女性議員と違って虚飾のない人柄で、そこに人気が集まったのだろう。彼女は逆転勝ちし、一方逆転負けした民主党議員は、家内によれば土壇場になって選挙に出ることを党から要請され、準備不足であったらしい。それほどに民主党内部がぎくしゃくしていた。筆者は民主党贔屓でもないが、個人的には落選した議員は好感を持った。それは直観であり、何度も会ううちに変わるかもしれない。それでも最初の印象は強い。相手も大人、こっちもそうで、お互い長年生きて来たのであるから、直観は働くし、響き合える場合がある。もちろん政治家は毎日たくさんの人と会うから、「響き合う」という対等関係はふさわしくなく、「気に入ってもらえる」ことに日夜腐心しているだろう。それも選挙対策の身振りであって、本当の姿ではないかもしれないが、初対面の人を前にして、まず気に入ってもらえるかどうかは、政治家だけではなく、どんな人にも言えることではないか。そのための名言がある。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 今日の投稿はそれを言いたいために最初に「稲」を思いついた。
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by uuuzen | 2013-07-30 23:39 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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