賃上げしますなどと言っても税金が上がればかえって家計は苦しくなる。先ほどTVを見ていると、東北の魚屋が、物価が上がるのは戦争よりましと発言していた。
その人は戦争体験者には見えなかったが、世界各地で起こっている戦争の悲惨さを見れば、日本は大いに平和と映っているのだろう。これは大方の人が同意することのはずで、死ぬより空腹がよい。それでも、空腹のあまり餓死する人が近年の日本にあって、戦争はないが、幸福とも言い切れない。これも先ほどネット・ニュースで見たが、5年ぶりに餓死者が白骨の状態で見つかった。電気が停められていたのか、ロウソクで生活していたようだ。60前に亡くなっており、筆者と同世代でもあるので、どういう人生を送って来たのか想像したくなる。ついでに書くと、これも今日のニュースに60代前半の男が殺人をした逃げているようだ。山口の山の中の集落で数人が殺された。殺したであろう男は腕のよい職人であったらしいが、10年ほど前にその集落に住むようになった。また思い出すのは、数日前の宝塚市役所の放火だ。その男も60代で、腕のよい職人であった。そういう人は真面目に仕事をするだけに、仕事から離れると行き場を失う。それにまだ年金をもらう年齢でもないので、たいていは経済的に困窮する。そうしたいくつかの理由が積み重なって、溜まりに溜まった鬱憤が爆発するのだろう。ちょい悪おやじではなく、めちゃ悪じじいだ。同世代の筆者はふと自分のことを考えてみる。平均寿命が延びるのはどうやらいいことづくめではなく、深刻な問題を抱える老人は今後増加する気がする。それにどう対処すべきか。これは個人に任せられている問題で、選挙の争点になることはない。山口での殺人事件は、犯人は10歳ほど若く、小さな集落で孤立していたのだろう。簡単に言えば仲間外れだ。数十年も仲がよい人たちの間に新参の若者が入ることは難しい。住民が多いと話は別だが、10軒や20軒といった小さな集落では無理だ。このことから、辺鄙な田舎より都会が住みやすいと断定するのはどうか。人とあまり交わることを好まない人はどこに住んでも同じで、先に書いたように孤独死して5年も経って発見される。そのようにして死ぬか、何人か殺してから死ぬかの差で、60を越えると人生の多様性は増しつつ、その基本色は孤独といったことになる。
今日は子ども会の若い母親ふたり、体育委員の同じく若い母親と、孫がいる婦人と2時間半も近くの喫茶店で話し合った。男は筆者だけだ。もっと早く会合を切り上げるつもりが、話のネタが途切れず、ついに喫茶店が閉まるという時間まで居座った。男が筆者だけということは、全く気にならなかった。自治会の主に区民体育祭についての話し合いで、それは10月中旬であるから3か月も先のことではあるが、今から準備を始めてちょうどいい加減だ。このカテゴリーの前回にも書いたように、体育祭は自治会の各種委員のうち、体育委員がさまざまな役を担当するが、筆者が自治会長であったここ4年、たいていは高齢者がその役に当たり、実質的な仕事は子ども会の2名の若い奥さんに引き受けてもらった。それが今年からは本来の形に戻って体育委員がやってほしいという願いが子ども会から出た。そこで体育委員の2名を呼び、筆者が調整役のような形となって、子ども会から体育委員への引き継ぎを行なった。今年の体育委員は、ひとりが高齢者だ。そのため、子ども会のように機敏に動きにくい。そこでその高齢の体育委員から次のような意見が出た。『今年から発効した自治会の規約によって、次年度の体育委員は本年度の組長の中から選ぶが、これによれば高齢者が体育委員を担当することは今後もなくならない。それはそれでいいとは思うが、体育祭はどちらかと言えば若い人、すなわち子どもがまだ小さい家庭が中心になって参加するので、体育委員も若手がよい』もっともな話だ。筆者の意見はこうだ。『規約はあるにはあるが、それにがんじがらめになることはない。自薦で四役や各種委員を引き受けてもよいことは規約に謳っているし、また少なくても筆者はなるべく若い人に声をかけて自治会の行事に馴染んでもらおうとしている。去年は若い世帯が一気に増えたが、新居に住んでまだ1年も経っていない若い世帯に体育委員を引き受けてくれと談判に行くのは無茶な話だ。去年の体育祭では筆者が転居して来たばかりの世帯の多くに声をかけ、体育祭への参加を求めた。その勢いが今年も続くようにしたいが、せめて3,4年経てば、そうした新参者も自治会の行事に関心も多少湧くはずで、その頃に筆者は規約にこだわらずに、体育委員になってもらうことを個人的に口説くつもりだ。またそうした新しい世帯との懇親を深める意味でも今年も体育祭に出てほしいことを訴えるし、体育祭の当日ないし後日に足洗いの会食を計画したい』
規約などなくてもうまく自治会が回って行くことが好ましい。ところが、これは閉ざされた自治会である場合に限るだろう。わが自治会は昔はそうであった。ほとんどが何世代にもわたって住む地の人で、規約などなくてもみな協力し合った。ところが開発の波は止まらず、今日話し合いをした喫茶店のすぐ近くの料理屋は阪急に800坪の土地を売って別の場所に移住した。そこには4階建てのマンションが建つ。若い夫婦が買える程度のものならば、わが自治会にもうひとつの新しい組が出来て、地蔵盆や体育祭はさらに賑わうだろう。この点に関しては今のところどうなるかわからない。数年前に出来たマンションは61軒あって、そのうち10軒ほどが自治会に所属し、30軒は東京の会社の保養所やセカンドハウスになっている。800坪あれば60世帯は入居出来る大きなマンションが建つと思うが、自治会に加わってくれるかどうか。これはどっちでもいいという考えが支配的だろう。あるいは地の人たちはどちらかと言えば反対だろう。新参者を歓迎しない風潮はどこでもある。ともかく、少しずつ新参者は増えて行く。それにしたがって自治会も変化せざるを得ない。古い体質のままでは若い世代にそっぽを向かれる。そして、筆者は初めて地の人間ではなく会長になったが、それはわが自治会では大きな意味を持ったと思える。今年の会長はさらに新参者で、まだ数年にしかならず、しかも筆者より10歳ほど若い。この流れを今後も途切れさせないようにしたい。若い人が会長になると、自治会のムードが変わり、新しいアイデアが出やすい。とはいえ、それは楽観論で、現実には相変わらず地の人たちの目が強く、勝手なことはまず許されない。そのことは筆者がよくよく知っている。古い住民を無視せず、一方では若い世代に積極的に声をかけて自治会に馴染んでもらう。筆者が過去4年の間に採った方針はそのようなものだ。それはいきなり若い世代が会長になって無理だ。となると、筆者はまだ当分自治会から抜けられず、若い世代が自治会の行事に積極的に参加してもらえるようなムードを作らねばならない。それは規約をかざしても駄目だ。各人に対峙し、口説く必要がある。筆者はそのことが得意というほどではないが、出来ないこともない。そう思うのは今日の話し合いが気づけば2時間半も経っていたことからも言えるかもしれない。若い人であろうが老人であろうが、誰でも話に巻き込んで意見を引き出すことが出来る。
さて、今日の写真は去年7月23日の撮影で、本来ならば明日投稿すべきだ。今日にしたのは明日が満月であるからだ。前述のように、喫茶店のすぐ近くにあった料理屋はここ数日で更地になった。今日の話し合いに出席した高齢の婦人の家もその土地のすぐ近くにある。解体作業の音のひどさよりも、古い木造住宅を壊す際に生じる土壁の臭いが阪神大震災を思わせたそうだ。今日郵便物を投函するためにその工事現場の横を歩いた。以前は樹木や家屋で塞がって遠方を見通せなかったのに、すっかり遠くまで見える。その光景は今のうちだけで、マンションが建てばまた数十年はそのままだ。そう思うと、更地になった状態を克明に撮影しておくべきかもしれない。800坪の土地の中央辺りか、池がある。それを囲むようにでもないが、石燈籠が3基見えた。また通りから最も遠い位置にまだ1軒の家屋が建っているが、瓦がすっかり剥がされ、屋根の上できれいに並べられていた。ひょっとすればどこかの業者が買って再利用するかもしれない。石燈籠はそうに違いない。だが、今時そんな置物を好んで買う人がいるだろうか。地元小学校の近くにあった造園業者の空き地には数十基のいろんな形の古い石燈籠が密集させられていた。売れずに困っているようで、かといって壊して瓦礫にするのももったいない。筆者はぼんやりとほとんど更地になった広大な土地を見つめながら、まだ建っている建物の中に畳があるかどうかを思った。畳は再利用しないだろう。だが、この店の畳はそこそこ高価なものを使っていたはずで、状態がよければ畳表を交換するだけで再利用が出来るかもしれない。そんなけちなことを思いながら、ブルドーザーが瞬く間に風景を一変させたことに今さらに驚き、古い立派な建物のはかない命を改めて知った。この料理屋の夫婦とは2,3年前に何度か話をした。奥さんはこんなことを言っていた。『わたしらのような小さな商いでは……』それは本当であったようだ。それに後継ぎもいない。ならばまだ少しは元気なうちに売ってしまおうということにしたのだ。1坪いくらするのだろう。60万としても800坪なら5億近い。税金でかなり取られても一生食べ行くには不自由しない。古くから住む地の人でもそのように引っ越して行く。古い住民も新参者もないのかもしれない。筆者はどこで骨を埋めるだろう。今の調子ではこのまま嵐山に住むことになるが、どこででも暮らせる気は昔からしている。とはいえ、10世帯ほどの集落は絶対に嫌だ。大都会がいい。そこで誰にも知られずに白骨化するか。賃上げどころか、賃にそもそも縁のない人生で、無茶悪爺になるしかないように思える。