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●嵐山駅前の変化、その275(桜の林、温泉)
のひとり当たりの消費量は大阪が日本一だろうか。大阪のおばちゃんは飴を常に携帯しているという噂が全国的に広まり、そんな習慣を持たなかったおばちゃんまでが釣られて飴をカバンに入れて歩くようになるかと言えば、大阪のおばちゃんはそんなに単純ではない。



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大阪のおばちゃんといいう代名詞でひとくくりに出来るほど、大阪のおばちゃんは金太郎飴のようにみな同じではない。昨日筆者は家内を大阪堂島の渡辺橋の上で待った。お互いケータイを持っていないので、10分や20分はどちらかが待つことになる。橋の上からサントリー本社ビルの向こう、堂島地下センターの出入り口が見える。筆者から100メートルかもう少しあるが、橋の上から出入り口を見下ろす形なので、出入りする人たちの姿は蟻のように小さいながら、よく見える。その出入り口を最大ズームにしたカメラで覗いてみると、裸眼で見るよりかなり拡大されるかと思えば、全くそんなことはなく、ほとんど差がなかった。待っている間は退屈なので、そんなこともしてみる。3時45分の嵐山発の電車に乗ると言っていたから、待ち合わせ場所に着くのは4時頃のはずだ。出入り口を凝視し続けていると、出入り口から上半身を見せただけなのに家内だとわかった。家内も筆者の姿を認めたようだ。筆者は赤いシャツを着ていたから、家内にすれば遠目にもわかりやすく、それで地下街から地上に出た途端に筆者の姿を認め、筆者が家内とわかるかすかな反応、動きをしたのだろう。筆者は家内がどんな服装でやって来るかはわからなかった。また予想とは全然違った服装であったにもかかわらず、姿が見えた途端、即座にわかったのは、同じような年齢で背丈の女性が待っている間にほとんど姿を見せなかったからでもあるだろう。つまり、家内は大阪のおばちゃんそのもので、その独特の味が遠目にもよくわかった。こんなことを書くと家内は怒るが、今年還暦を迎えるので、本物のおばちゃんだ。それで家内は飴をいつも持っているかと言えば、だいたいそうだが、最近は切らしていることが多い。菓子好きの家内は、ポテトチップスやおかきに関しては、研究家になれるほど詳しいが、飴は筆者と一緒に出かける時に使うために買う場合がほとんどだ。電車の座席に隣り合わせに座ると、筆者はたいてい家内に何か食べるものはないかと言う。そんな時のために飴を持っている。ついでに書いておくと、家内の大好物の菓子はエビ満月だ。昨夜は天神橋筋商店街のスーパー玉出の2階ですぐにその袋を見つけ、籠の中に放り込んでいた。エビ満月は近年急速に見かけなくなったそうで、しかも価格が高くなった。エビ不足なのだろう。満月が見られればいいのにと思っていた昨夜、エビ満月を先に見つけ、曇りか晴れの五分五分の天気はどっちに転ぶか改めて気になった。
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 家内と大阪に出た時に食べに行く店がだいたい決まっている。京都でもそうだ。たまにほかの店に入るが、やっぱり駄目だなと話し合う。大阪に出た時はほぼ必ず天神橋筋商店街を歩くが、その行動パターンを思いながら、そのことが筆者のほかの行為にも見られるだろうと振り返ってみる。たとえばこのブログだ。毎日違うことを書きながら、書いている本人は同じであるから、同じような調子が出ているはずで、それを以前出版社のIさんは「大山節」と表現していたが、そのように言われて初めて自分の文章に共通する味があるのだなと思った。だが、それはどういうものか自分ではわからない。書きたいように書いているだけで、自分では支離滅裂と感じながらも、そこに何か個性のようなものが他者には読み取れるのだろう。それがいいことかどうかと言えば、よくもありわるくもあるのではないか。好意的に見れば独特の個性だが、それは一本調子で、いつも同じで退屈と言うことも出来る。つまり、2,3の投稿を読めば、もう他の投稿がわかったも同然で、読者はさっさと他のブログに移って行く。筆者自身がそういうところがある。筆者はほとんど他人のブログを読まず、読んでも1,2週間続かない。それで完全に忘れるのではないが、1年後に新しい投稿を読んでも1年間のブランクを全部読みたいとはあまり感じない。自分がそのように気まぐれと言うか、他者の投稿にあまり熱心になれないことからして、筆者のブログが大いに読まれるはずがない。自分では毎回工夫して書いているつもりでも、他者からすれば金太郎飴と同じで、変化が感じられないだろう。そんな状態を打破するために、画面のデザインをたまに変えたり、新しいカテゴリーを増やすなどすればいいが、それをしても大きな変化は得られないだろう。同じ人間が書くのであるから、どう転んでも大幅なイメージ・チェンジは難しい。本人がその必要を真に感じているのであれば、いずれそれはほかの形で現われるだろう。自分のイメージを変えたいとして、それが可能なのは若い頃の間だけとも思える。還暦を過ぎた年齢で何を今さら、また何のためにイメージを変える必要があるのかと言われそうだ。帽子とサングラスを常用し、また普段とはかなり違うものを着て歩いても、筆者を少しでも知る人はすぐに筆者とわかる。先ほど家内の姿が遠目にもわかると書いたが、他人にとって筆者もそのようで、イメージを変えるのは難しいようだ。そうであるならば、毎日こうして書く文章も別人のもののように見せることは不可能に近いか。だが、ブログを続けながら、どこか自分で退屈しているところがなきにしもあらずで、この気分を打破するにはどうすればいいか。家内と一緒に入る店で言えば、新しい店を発見することだが、そうして見つけた店でも10回も入れば飽きる方が多い。
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 退屈しないで人生を送るにはどうするか。お金がたくさんあれば、毎晩違った高級レストランで食事することも出来るし、海外旅行も思いのままだ。たぶん、退屈せずに済むだろう。ただし、そういうことにお金を使うことが好きな人の場合だ。人間は結局好きなように生きるし、それが出来るのが人間だ。内面の変化と言うには当たらないかもしれないが、ブログに書かず、また誰にも話さないまま、筆者の中に新たな関心が芽生えることはよくある。ここ半年ほどはある男性に興味がある。250年ほど前に死んでいるが、その姿をよく想像する。そして、心の中で対話するというのではなく、恐れを抱きながら、遠巻きに見つめる。そのように畏怖する人物を何人も心の宿すことは筆者にとっては生きる意味と言ってよい。そういう人物は金太郎飴とは全く違って、ほかに代わりがない。関心事を書くことしか出来ないし、そうした人物のことをブログに書けばいいが、中途半端にしか魅力を伝えられないことがわかっている間は無理だ。そのため、毎日こうして書きながら、思いの中の最も熱い部分に触れられないことがもどかしく、いつも代わり映えしない金太郎飴のような文章内容に書くことが多少苦痛になる。金太郎飴は今はどこで売っているだろう。手作りであるから、1個ずつ包まれて袋入りになっているものより高価だろう。家内と外出した時、家内はよく菓子の安売り店に入り、飴のコーナーで筆者に選ばせることが多い。筆者は特別好きな飴はなく、なるべく今まで食べたことのないものを選ぶ。そうそう、先月末頃、大阪阿倍野の超高層ビルの真下に行った時、その向い側の商業施設も去年より拡充していることを知った。ハルカスの内部はまだ入ることが出来なかったので、代わりにそこを一巡した。面白い店があった。昭和半ばの下町の駄菓子屋と同じ品揃えの店で、近所の子どもたちが大勢来ていた。木造の駄菓子が最新のビルの内部に入ったのだ。何か買おうと思いながら目に留めたのは飴だ。昔筆者の母は筆者の息子によくボンタン飴を大箱ごと買って来た。それがまだ売られている。そのボンタン飴と同じ製造元なのか、鹿児島の飴菓子で、箱の大きさが同じ「兵六飴」というのがあった。初めて見るもので、珍しさから小さな箱入りをひとつ買った。オブラートで一粒ずつ包んであるのはボンタン飴と同じで、また素朴な味も共通している。こうした飴は金太郎飴と同じく、大きな塊を細長く引き伸ばし、それを細かく切る。その様子が筆者のブログ、特に今日の駅前の変化シリーズと似ている。
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 今日はちょうど1年前に撮った写真を5枚載せる。温泉の工事現場では塀の中に入って久しぶりに撮った。午後5時以降になると、現場は誰もいなくなるから、それを見計らってさっと中に入ってさっと撮った。塀はしっかりと囲った状態ではなく、簡単に人が出入り出来る。もし見つかって咎められた時はそのことを理由にして立ち入り禁止の看板がないではないかと言うつもりでいた。だが、さすがに工事が本格化すると、塀には大きな扉が取りつけられ、内部に入ることは出来なくなった。去年6月24日の段階ではまだそういう状態になっていなかったことが今日の写真からわかる。前回、次回の投稿写真と比較すると、あまり大差ないはずだが、現在は建物がほとんど完成し、現場の状態は全然違っている。金太郎飴のような写真も長期にわたると変化はして行く。1年が長期と言えるかどうかだが、数日置きに撮影している場所であれば、1年は長い。だが、今日この文章を読む人は1年前の写真を見せられ、それを1年前と思うが、来年読む人は写真と文章に1年の開きがあることを何とも思わないだろう。写真と文章に1年の差を設けていることに何か意味を込めているかと言えば、1年前の写真と現在の様子を比べて変化をいろいろ感じているだけで、読者にとってその現在の様子は嵐山に来ない限りわからないから、筆者が楽しんで意味ありげに投稿しているだけのことだ。つまり、ちょうど1年前の写真ということに面白みも感じないはずで、そのことを知るだけに、写真とは関係のないことを書こうとしているし、また一方では写真とはあまりにかけ離れるとこのカテゴリーの意味がないので、なるべく地元のことに関する話題を取り上げるつもりでいる。それで最後にそんな話を書いておくと、先日自治会の集まりがあって30人ほどが集まった。地元の小学校にあまった教室に畳を敷き詰めた部屋があって、そこは「ふれあいサロン」と名づけられ、自治会などの会合に安価で借りることが出来る。集まった当夜は大変な雨で、部屋を予約した筆者は多少後悔した。大雨では外出しにくく、会合の日を変えてもよかったからだ。今後はそういうようにしたい。会議30分前に四役が集合して机や座布団の用意をした。それが終わって会長と会議の進行について話をし、その後会長が嵐山が変わったことを話題にした。会長が引っ越して来たのは2年前だ。たった2年で地元が変わったと思うのが面白かった。筆者は30年前から知っている。ところが70年前を知っている人の話を聞くと、筆者が思い浮かべることの出来ないほどの変化ぶりで、上には上がある。会長が今の住まいにこれから半世紀住むとして、半世紀後に引っ越して来る人は今の様子が想像出来ず、今日載せる写真を見てもどこかわからない。何事も金太郎飴のようでいて違ってもいる。違ってもいながら金太郎飴のように変わり映えしない。「難しいこと言わんと飴でもひとつ食べえな」
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by uuuzen | 2013-06-24 16:58 | ●駅前の変化
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