渇きがひどくなって来ていると思って植木の根元に水やりを欠かさない。梅雨入りしたというのに、これほど雨が降らないのは珍しい。人間なら水道の蛇口に行けばいいが、植物はじっと我慢だ。
それで今度は大雨が続くと、根が腐るほど土の中に水分が溢れる。昨夜は午後10時には布団の中に入った。午後2時頃まで家内は何度も筆者の頭に氷嚢を乗せては取り代えてくれた。それで早朝には出勤したので、たぶん睡眠は2,3時間だろう。筆者は呑気なもので、8時頃に目覚めた。10時間ほど寝たことになる。寝る前に薬を家内から飲まされた。そして体温も計った。音が鳴るまで取り出さないようにと言われたが、もう半分眠っていたこともあって、1,2分で取り出した。しかも脇にきちんと挟んでいなかったのに、38.5度あった。ということは実際は39度くらいか。着込んで寝たせいか、猛烈に体が熱く、布団がずぐずぐになっているような気がした。朝起きると頭痛は去っていた。体温はまだ少し高い。半分以上治った気がするが、今度は咳が止まらない。それでも昨日より楽だ。今夜も早く寝れば、明朝はすっかり元通りになっているだろう。そう願いながら、これを書き始めた。先ほどシャワーを浴びた。その直後、汗がどっと吹き出し、全身がぞくっとする。寝る前ならばまた風邪がひどくなるだろう。まだ日が明るいうちに汗を流しておくことにした。それはさておき、一昨日自治会の前々会長から訃報が届いた。文書印刷係りの筆者はそれを早速回覧用にまとめ、近くのコンビニでコピーを12部作り、すぐに配布係りに持参した。先週も訃報があったが、身内だけで告別式を済ませ、事後報告であった。ところが一昨日の訃報はそうではない。明日の木曜日の夕方に通夜、明後日の午前中に告別式があり、自治会内からふたりの手伝いを求められたので、筆者は会長とともに両日とも出席して受付を担当する。雨が降らねばよいが、長い間降っていないので、どうなることやら。また、30度を超える暑さが続くから、黒の上下を着て行くと汗びっしょりになるだろう。3年前にも同じような暑い盛りに葬儀があって受付を担当した。かわいそうなほどに黒の背広の背中が汗でびっしょりになっている弔問客がいた。カッター・シャツや下着を着ているはずなのに、あれほどの汗をかくとは、ちょっと信じられなかった。筆者は汗をコントロール出来ると言えば大げさだが、それなりに我慢して汗がスーツをびしょびしょにするほど吹き出ないようにすることは出来る。これは痩せ気味であるからかもしれない。
訃報で思い出した。今朝のニュースで京丹後市に住む世界最高齢者が亡くなったことを知った。アナウンサーの声を聞いて画面を見ると、思ったとおりの人の顔が映っていた。去年だったか、誕生日に紹介されていた。明治30年生まれとのことで、少し意外な気がした。筆者が20歳そこそこの頃はまだ明治の初期生まれの人がちらほらいた。それが今では明治生まれは珍しいのだろう。それはさておき、前述の自治会の亡くなった人は80代後半だ。筆者は顔が思い浮かばないが家内はよく知っているという。20年ほど前は阪急電車の中でよく見かけたそうだ。何より覚えているのはその服装や装飾品で、いかにも上品なお金持ちという雰囲気であったとのことだ。男よりも女の方が身なりで生活状態がわかるかもしれない。男は制服のようにスーツを着ている時間が長いし、スーツに安物から高級物まであるにしても、一応は同じ形なのでぱっと見はそれほど差がわからない。女性はそうではない。化粧もするし、髪型も多様、どういう暮らしぶりかが滲み出る。もちろん金はあっても品のない雰囲気の人はあるし、その反対もあるから、金がかかっている身なりであるからいいというものではない。ただし、そのように見る人も多いだろう。たとえばある若い女性は、出会う男の時計をしっかり確認する。300万円くらいのものをはめていれば、色目も使って損はないと思うし、1000万円以上の車に乗っていれば、すぐにでもホテルへ行きますという顔をする。それでというわけでもないが、男にとって金を稼ぐことが成功と言われる。だが、数十億円をものの10年ほどで使い切った人が家内の身内にいたが、周囲から成功者と呼ばれることもなく、無名のまま死んだ。同じような人は無数にいるだろう。いくら大金持ちになっても、名前が世間に知れわたるとは限らない。むしろそうでない場合の方が多い。本人は一角の人物と自惚れているが、お山の大将だ。名を残す人はみな大金持ちになったからではない。となると、金を稼ぐより難しいことがあるということだ。そういうことをわかる女もあれば、前述のように金の匂いがする男に尻を振る女もある。そして、男も女も棲み分けているから、何の問題もない。で、20年ほど前に家内が電車の中で見かけた婦人は、それだけの出会いで、話すことはなかった。棲み分けているからというのでもなく、出会って話す機会がなかった。
さて、今日の写真はいつものようにちょうど1年前、すなわち去年6月12日の撮影で、さきほどヤフーのマイ・ボックスからダウンロードした。その際、1枚間違って削除してしまった。一度消すと元に戻らない。それで段落はひとつ少なくて済むようになった。桜の林の南端に立って南方の阪急嵐山駅前方面を見た横長のパノラマ写真は今日の最後の5枚目で、この日この角度で例外的に撮った理由は、桜の林内部だけが工事で騒がしいのではなく、周辺もそうであることを示すためだ。今日は数日ぶりに桜の林に散歩に行って撮影したが、1年前と同じように、つまり5枚目の写真と同じように桜の林の際にトラックが停まって電線の工事をしていた。また今日は夏の入道雲に混じって黒い雲が少し覆い、空気感は今日載せる1年前の写真と同じであった。温泉施設を作るからには大きなガス管や上下水道管を敷設せねばならない。そうした工事のためには林に隣接する道路を何度か掘り返す必要がある。また、以前にも書いたが、京都市内の地下を掘れば平安時代の遺跡が出て来る場合がほとんどで、この温泉施設も例外ではなかった。駅前ホテルが建つ前はその発掘調査のために2年ほど着工が遅れた。喫茶らんざんの隣りにあった料亭がマンションになることは先日書いたが、それも現存の建物を取り壊した後に地下埋設物の調査がある。出土品いかんによってはマンションの完成は予定より遅れる。なお、このマンションはその後の情報によれば4階建てだ。これは駅前ホテルと同様で、予想出来たことだ。4階建てともなると入居戸数はかなりのものになると思うが、風致地区であるゆえ、建蔽率は低いから、現存の樹木はそのまま活かされるものが多いかもしれない。野鳥のことを思えばそうなることを期待したい。おそらく20や30世帯は入居するから、そうなれば自治会は勧誘を積極的に進め、ひとつの「組」として組み入れたい。このように駅前周辺はどんどん景色が変わりながら人口が増えていて、20年先がどうなるか予想がつかない。桜の林の東半分がそのまま残されたのはいいが、その北の桂川を左岸からこちらの右岸へと橋が架かる計画もある。それが実現すると、桜の林の東は、橋に接続する車道になり、その道は駅前へと続く。その都市計画についてはこのカテゴリーの最初の方の回で紹介した。その新しい橋が出来そうな川には中洲があって、そこは雉が生息していた。雉の姿を桜の林の東半分で見かけたのはもう10年ほど前で、今はいないのではないか。駅から200メートルも離れていないところで野生の雉を間近に見るなど、明治時代でもないのにまさかと思う人が多いだろう。それほどまだ自然が残っていた嵐山が、開発の嵐が山々となった。これはすべて経済の論理にしたがったことで、とにかく誰かが目前の経済的利益をほしがるからだ。変わらないのは山の稜線だけかと思いながら、今日はわが家の3階から嵐山のすぐ南につながる山とその麓を撮影した。これも定点観測で、しかも毎月欠かさず撮っているものであり、かつ最も古くからそうしている。
今日は久しぶりに気分が乗らず、はたと指が止まる。咳がひどく、微熱は去らない。喉の渇きはないが、冷たいビールがほしい。それで先ほどロック・グラスに氷を入れて焼酎をドボドボ注ごうとすると、家内に止められた。風邪をこじらせたのはそれが原因でもあり、同じように飲むと今夜また発熱しそうだ。明日は通夜があるので、風邪を引いたしんどそうな態度を見せてはならない。今夜中に完全に元通りの体にしておこうと思う。昨夜思ったが、体が弱っているとあまりいいことは考えない。これは本当は駄目で、ジョージ・ハリスンのように、死の床にあっても周囲を笑わせる冗談を言えるようになるのが理想だ。体のしんどさを吐露することは周囲に対する一種の甘えだ。そんなことを言っても周囲はどうすることも出来ない。だが、家内は筆者が半分以上寝入っているのに、氷嚢を何度も交換し、また横向きに寝ようとする筆者をそっと起こして上向きに直してくれた。そのおかげで熱が下がったのは間違いがない。家内が氷嚢の用意をしてくれたのは、昨夜寝入り鼻に耳にしたが、隣りで寝る筆者が猛烈な熱さを発散していて、とてもまともに横で寝られなかったからだ。これは氷を冷やして自分も涼しく寝ようという考えで、筆者の体のことばかり心配したのではなさそうだ。そもそも家内が数日前にえらく咳き込みが激しく、夏風邪を引いた。それは1日で治ったが、今度は筆者が罹った。これは家内のが移ったかなと思ったが、口には出さなかった。自分で原因がわかっているからだ。だが、以心伝心で家内は自分のが移ったのではないかと少しは思ったかもしれない。その一方、昨夜筆者は家内に移せば悪いなと思った。今のところ家内はどうもないので、これでひとまず安心ということになりそうだが、雨が降らず、連日の暑さの中で体調を崩しやすい。世界最高齢者が亡くなったというニュースを今朝耳にしながら、『この季節ではなあ』と思った。明日通夜のある自治会の住民もだ。筆者がきわめて珍しいことに夏風邪を早くも引いたことは、老境と呼ばれるところに足を踏み込んだからかとも思う。先日ネットでアンケートがあって、2番目の項目が年齢の記入であった。思わず62を選んだが、その後61であることを思い出した。それで訂正しようとしたが、画面を戻すことが出来なかった。自分の年齢もまともに覚えていないほど、つまりは老境に入ったことになりそうだ。とはいえ、心の渇きは若い頃と何ら変わらず、常に新鮮は驚きとの出会いを欲している。夕焼けもきれいことだし、今からムーギョにビール買いに行こ。