酢のものが食べたくなるのは梅雨になったからだろうか。今日も雨で、小さな赤いビニール傘を差して裏庭に立ってみた。グミの実が気になってしゃがむと、ひとつだけオレンジ色になっていた。毎年数個しか実をつけない。
10年もっと前、100個以上実ったことがある。それ以降樹勢が衰え、いつ枯れてもいいような姿になっているが、毎年春になると葉をたくさんつけ、新しい枝を直立させ、そして小さな小さな白い花を何百と咲かせる。にもかかわらず、実は数個だ。グミはなかなか果物店で見かけない。あってもとても高価だ。栽培するものではないからだだ、栽培してまで食べたいような甘さではない。だが、あまりにあまくないその素朴な味がよい。リンゴは1個1000円ほどするものもあるが、もはやリンゴとは言えないのではないか。筆者は去年晩秋にネットで青森からリンゴを2箱買った。生食にはふさわしくない半端もので、驚くほどの安価であった。確かに味がほとんどしないものも混ざっていたが、甘味が少ない分、かえっておいしいと思った。そして、かなりの量をジャムにした。それらはすでに食べ尽くし、その後ムーギョで半分腐りかけたものを8個ほど買って来て、食べられる部分だけ使ってまたジャムを作った。その一方で、これもほとんど処分寸前のレモンなどの柑橘類を買って来てママレードも作り、毎朝それをトーストにつけて食べている。筆者がムーギョを訪れるのは夜7時半過ぎで、もうその頃には腐りかけた格安の果物はほとんど残っていない。たまに昼間に行くと、時として大量にそれがあって、ムーギョに行くには昼間に限ると思いながら、ついつい夜の散歩になってしまう。ま、何が言いたいかと言えば、ジャムの素材は捨てる寸前の格安商品を使うから、材料費はあまりかからないことだ。もちろん、外国産の大きな瓶入りのジャムを買った方が手間もかからず、安価ではあるが、自分で作るのは気分転換によい。グミがたくさん収穫出来るならば、それでジャムを作りたいが、それには数百個は必要で、生食用で店頭販売すれば万単位の価格になるだろう。昨夜はムーギョでグミの実と同じほど小粒の梅が格安で売られていた。梅酒にするにはあまりに小梅過ぎる。これはどうして食べればいいのかとネットで調べると、砂糖漬けが出来るそうだ。ザボンや生姜の砂糖漬けは作ったことがあるし、好物なので、小梅のそれも食べてみたいものだ。だが、明日行っても売り切れているだろう。それに明日も雨かもしれない。そう言えば昨夜は雨が降っていなかったので傘を持たずにムーギョとトモイチに行った。ところがトモイチを出た直後雨が降り出して困った。両手にいっぱいの荷物で、傘を持参していても使うことは無理があったから、とにかくいつもの倍の速さで家に急いだ。幸い、松尾橋をわたった頃から雨はほとんど止んだ。
裏庭に出て傘を差しながらぼんやり緑を見ていると、雑草が目につく。油断ならない。それを数本抜いた。その後しばらくして緑が少ない隣家の裏庭に行った。そこをかなり改造せねばならないが、ひとりでは無理で、息子を呼ぶつもりでいる。それでも1日では無理だろう。大きな倉庫を反対側の壁に移動し、そして裏庭に出た時に雨に濡れないようにガレージ用のテラスを取りつけるつもりでいる。ネットで調べると、案外安価だ。ただし、その設置を業者に依頼すると5,6万円は請求されるから、息子と一緒に作業するつもりでいる。その作業の前に倉庫を移動せねばならない。またテラスの設置が完成すればその下は雨避けになるから、1階のリフォームには邪魔になる本棚などを一時的に置く。そうして1階の天井、壁、床を新たにし、照明その他も新品に変え、それからテラス下に移動したものを部屋に戻す。だいたいそういう計画を立てている。まず手初めは、倉庫の移動で、今日はその位置を決めるために寸法をあちこち計測した。別のカテゴリーの話題に終始しているが、もう少し。3日前、朝の4時半頃、隣りに寝ていた家内が叫び声とともに飛び起きた。長さで12センチほどのデカいムカデに指を噛まれたのだ。急いでガム・テープを1階に取りに行き、それで壁を這っていたムカデを覆って密着させ。ガム・テープごと剥がした。ムカデの腹、つまり裏側は肌色をしていて、あまりに無防備だ。もう1枚のガム・テープをその上に貼りつけてサンドウィッチにして全体を捩じった。それでムカデは圧死プラス全身骨折だ。去年は筆者が噛まれた。30年近く住んで夫婦ともに1回噛まれたから、死ぬまでにもう1回くらいは噛まれることを覚悟しておいた方がよい。不思議なもので、恐いムカデだが、一度噛まれると案外平気になる。そう言いながら、黒光りするその姿を見るのはいやだ。ムカデは入梅頃に家の中に侵入して来る。もっと早い時期の場合もあるし、また秋が深まってからも出ることがあるが、最も多いのは5,6月だ。土の中にいるムカデも梅雨の水分がいやなのだ。入って来そうな場所に石灰を撒くとよいが、そこまでしてという気がする。『入って来たいのならどうぞ。その代わり見つけたらガム・テープで密着殺生する。』
入梅で思い出した。江名のMさんは入梅までストーヴを使うと話していた。もうそろそろそれをしまう頃か。それはいいとして、入梅ではなく、出梅を最近ほとんど毎日行なっている。これはどういうことかと言えば、2年前の6月に漬けた梅酒の大きな薬瓶から梅の実を5,6個取り出して食べるのだ。梅酒は95パーセントは全部飲んでしまい、残るは梅の実だ。食事前や後にそれを頬張っておやつ代わりに食べる。今年は梅酒を漬ける気はない。もともと梅酒はそれほど好きではない。一番好きなのはウィスキーで、数日前は天神橋筋商店街のスーパー玉出でサントリーの角瓶を手に取りながら、買わなかった。買うとその後欠かさず飲み続けてしまいそうな気がする。それでもいいのだが、我慢出来る間は我慢する。酒に関してはそのように今まで生きて来たから、今後もそうだろう。2年前に梅酒を漬けたのは、ブログに書いたように、裏庭の向こうの畑に梅の木が数本あって、それが梅の実をたくさんつけた頃にブルドーザーによって倒されたからだ。
この梅の木は定点観測して写真を撮り続けた。倒される寸前に筆者は駆けつけて梅の実をもらった。どうせゴミになる命であった。筆者がもらった量は全体からすれば1割に遠く及ばない。かわいそうにたわわに実らせたのに、筆者がもらった以外は全部他の廃棄物と一緒くたにされてトラックで運ばれた。であるから、2年前に漬けた梅酒は、筆者にとっては金では買えない特別のものだ。何となく今日の駅前の変化シリーズにふさわしい話になって来た。裏庭向こうの畑は駅前からは少し離れているが、すっかり家が建て込んでわが自治会に組み入れられたから、駅前の変化に含めてもいいようなものだ。話がまた戻るが、ムーギョで目にしながら買うのを迷うのは、土がついたラッキョウだ。これも2年前だったか、漬けた。それがほとんどなくなったので、今年は漬けてもいい。ラッキョウの酢漬けはカレーライスには合う。筆者が漬けたものはいささか渋みがあっておいしくないが、自分で漬けたものであるから納得して食べる。素材のラッキョウや酢、また砂糖を極上品にすればおいしいものが出来るだろうが、筆者のモットーは「格安で作る」であるから、どれも最低価格のものを使う。ジャムもしかり。これは無駄使いをしたくないからだが、他人から見れば筆者は信じ難い無駄使いをしている。ま、そのことは書かないでおこう。
さて、今日の写真は1年前の今日すなわち5月30日に撮った。1年前の入梅日はいつであったか。写真からは、5月30日は雨でなかったことがわかる。最初の写真が前回の
「その268」の最初の写真と同じ人物が写っている同じ時間帯の撮影かと目を疑ったが、仔細に見ると違う人物だ。日没前の同じ時間帯であるのは、いつもその時分に自治会の配り物をしていたからだ。毎日のように配布物のために自治会内を歩いたのに、その4年間はあっと言う間に過ぎ去った。4年と言えばそれなりに長期であるのに、過ぎれば一瞬だ。人生は何かと思う。そして今日は赤い透明な傘を差して裏庭に立った時は、何となくそのことが特別に強く思い出になるような気がした。何の変哲もない行為であるのに、いやそれだからこそ、長く記憶することがある。庭草、庭木の緑に囲まれながら雨の中を突っ立ていると、心が無になるというか、気分は落ち着いた。ふと見ると、塀にカタツムリがひとつへばりついていた。そいつも筆者と同じような気分にいるのではないかと思った。裏庭を自然のままにしているからカタツムリも毎年姿を見せてくれる。いやなムカデも部屋を這い回る。その代わり、わずかでもグミの実が出来るし、毎朝小鳥がたくさんやって来て合唱する。写真に戻ろう。今日は前回より1枚多いが、前回の最後と今日の5枚目を比べてほしい。車道拡幅のため、以前の歩道を壊し、その歩道分を桜の林の坂側に設けるための盛り土をブルドーザーが行なっている。わが家の裏庭向こうの畑も同じようなブルドーザーが1台入った。あっと言う間に畑は更地になった。木や草などを取っ払うのは簡単だ。畑がなくなって家が建ったから、その畑にいたムカデが全部小川に架かる橋をわたってわが家側に引っ越して来たのではないかと、ムカデに噛まれた家内は言った。そう考えると、去年筆者が噛まれたのも合点が行く。そう思いながら、まさかという気の方が大きいが、実際はムカデに訊かねばわからない。ムカデはあの足の多さから、思った以上に早く移動する。畑から裏庭に移るのは30分もかからないはずで、ブルドーザーにぺしゃんこにされる前にエクソダスしたのは確実だ。エーイ、クソッ!
今日は写真が1枚多いのでもう一段落書く。最後の写真は5枚目からわかるように、歩道が移動することに伴って一時的に撤去の必要が生じた看板だ。桂川の河川敷の嵐山公園は災害時の広域避難場所に指定されている。その場所を示す看板だが、筆者はこれを立ち止まってまともに見たことが一度しかない。たぶん、地元住民のほとんどはあることも知らないだろう。昨日だったか、ネット記事に南海トラフの巨大地震が生じた場合、嵐山では1,2万人かの観光客が帰宅出来なくなるとあった。それらの人をどこに収容するかとなると、嵐山公園しかない。地元小学校は狭いし、ほかに広い場所と言えば法輪寺の境内だが、そこも数百人でいっぱいだ。渡月橋のすぐ下流、右岸側の嵐山公園は、それなりに広々として見晴らしがよい。大文字焼きの夜はそこに大勢の人が集まる。災害時の避難場所になるとどのような込み具合かはそれから想像出来る。ところがその広さは桂川が下流より狭いことによって成立していて、梅雨時の長雨では川が増水し、もう少し下流ではわずかだが、水が土手を越えて民家が浸水した。そこで自治連合会が動き、それをどうにかしようということになった。国土交通省などの考えはいくつかあって、そのうちのひとつは渡月橋のすぐ下流あたりの河川敷を半分ほど削って川にすることだ。そうすれば川幅は松尾橋に至るまでどこもみなだいたい等しくなるらしい。結果、下流での氾濫もなくなるとの予想だ。さまざまなイヴェントにも使われるその河川敷を半分に縮小することは、観光客がそれだけせせこましい思いをし、また災害時の避難場所も減少する。景観か安全かの問題で、嵐山が自然ばかりではなく、住民の生活地域になっていることがよくわかる。国の考えは、渡月橋から上流は景観上、手をつけることはよほどのことがないと許可せず、下流はどんどん開発という立場のようだ。筆者がこのカテゴリーに載せている写真は阪急嵐山駅前の工事に関係するもので、桜の林に7月には完成する外湯でひとまず終了するつもりでいるが、実際はもっと大きな変化がいずれあるだろう。たぶん半世紀後は渡月橋のすぐ下流はとんでもなく大きな変化を来していて、駅前には大きな道路が出来ている可能性がある。そして、その頃に筆者はもうこの世からおらず、わが家も取り壊されてない。半世紀など一瞬だ。それでいながら、今日裏庭に傘を差して立ったことは永遠を感じさせた。梅雨の雨天もそれなりにいいものだ。傘の赤さを通して見る景色は、甘酢漬けした冷蔵庫内の赤蕪のきれいな色を思い出させた。この連想は「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」の歌詞みたいだな。