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●緑のタペストリーと絨毯、その13
り取るといった手入れを適当な時期に行なわないと、何でもむさ苦しくなる。髪がぼうぼうで、また暑い季節にもなって来たから、毎回洗う手間も髪が短い時よりかかる。一番いいのは丸坊主だが、冬は寒い。



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筆者は幸いにも髪の量が多く、また硬い毛らしく、頭頂部は禿げの兆候は見られない。だが、ゴマ塩状で、髪が短い時はそれがあまり目立たなくてよいが、耳の上端より2センチほど下がって来ると、鏡を覗き込みながら自分でも見苦しく思う。韓国ドラマを見ていると、ほとんどゴマ塩状の髪をした男性が登場しない。必ずとい言ってよいほど黒く染めている。家内は白髪が混じり始めた当初、半狂乱になって全部それを抜いていたが、やがて無謀な抵抗と諦めた。染めれば目立たないが、面倒であるというよりも、染め代が馬鹿にならないらしい。今はいいものがあるのだろうが、何となく髪を染めることは体にもいいことがないように感じる。筆者は染める気がない。それでゴマ塩の見苦しさを隠すためでもないが、外出時は決まって帽子を被るようになった。ここ数年ほどのことだ。もっとも、夏場は20代半ばから帽子を被って来た。当時はそれが珍しかったのか、友人がよく冷やかした。新緑の季節にはよく写生に出かけたもので、そういう時にも帽子を被るべきであったのに、今頃になって頬に目立つ茶色の染みが表われて来て口惜しい。これがこれからもっと面積が広がり、また色も濃くなる。頬なので隠しようがない。ま、そのようにして年齢が隠せなくなる。何だか年齢のことを話題にし過ぎると見苦しいので、あまりしないでおこうと思っているが、鏡の中の自分の姿を見て愕然とすることが以前にも増して多くなっている。どのように達観しようかと思うが、もう「どうにでもなれ」の境地に至るしかない。そうそう、今日は家内と大阪に出て、いつものように天神橋筋商店街のスーパー玉出に入った。ついでに書いておくと、その100メートルほど南に紅茶専門店兼パン屋があって、今日は三度目の正直で午後7時からの食べ放題を注文した。それについてはいつか書く。実際は紅茶専門ではなく、コーヒーもジュースもある。だが、スリランカから直輸入の紅茶がメインで、それを頼めば何倍でもお代わり出来るから、紅茶好きにはよい。話を戻して、スーパー玉出に入ってすぐ、ヤマザキの山型食パンが100円と安かった。そのことを家内に言うと、すぐ近くにいた60代のおばさんが話しかけて来た。「ほんとに安いですよね。ヤマザキと書いてあるし、こんな値段では本当は買えへんよね。御主人、とても奥さんと仲がいいですね。こんな食パンの値段を奥さんに話しかけて。うっとこの主人は脳梗塞で逝ってしもてね。ゴルフ場にところどころに休憩する箱がありますよね。そこで水を飲めばよかったのにビールをあおってね。それが原因で亡くなってしもた。」「何歳だったのですか。」「65。年金をもらわんとね。そいでわたしが遺族年金もうてる。それにしても仲よろしいな。奥さんはきれいで上品やね。」 身なりを見るとそれなりに金持ちらしい。近所に住んでいるのだろう。たぶん63,4といったところだ。相手も筆者の年齢を自分よりひとつふたつ下と思っているようであった。典型的な大阪のおばちゃんで、人懐っこい。だが、本当はさびしいのだろう。誰かれかまわず、そのように声をかけると見える。家内に言わせると、御主人とは普段あまり話すこともなかったのではないかとのことで、同感だ。それにしても、65で突然死する人がある。筆者が鏡の中の自分の姿に愕然としてもそれは当然で、もうそのような年齢に達している。
●緑のタペストリーと絨毯、その13_d0053294_1194149.jpg 前回大阪に出た時に阪急の淡路駅で気づいたことがある。写真は撮らなかったが、今日またその建物を見かけたので、天六方面に行く電車が来るまでの間、撮影した。蔦の絡まる古い家だ。淡路駅前は再開発が進んでいて、以前あった商店街は姿を消した。まだ少しの家屋が残っていて、蔦の絡まる木造住宅も壊す寸前のようだ。人はもう住んでおらず、それをいいことに蔦は絡まり放題だ。手入れをしない家は、髪の伸び放題のように植物が繁茂する。となると、蔦に覆われる家は見苦しいということになりそうだ。だが、夏場は中は少しは涼しいはずで、もっと見直されてよい。それで安藤忠雄が大阪駅前のマルビルを蔦で覆うことを提案し、そのことは以前に書いた。今日はまた「緑のタペストリーと絨毯」の題名で書くが、2枚目の写真は東京からの帰り、3月29日の早朝、烏丸五条の角で撮った赤い若葉が混じる植物だ。これはあちこちでよく見かける。何という名前か知らない。同じ植物の垣根をムーギョへの途上、大きな畑の向かい側の家で見かけた。4月半ばに撮った写真を3枚目に載せる。この家はには白梅の老木があって、毎年見事な花を咲かせる。その写真を去年掲げたが、今年はとても貧弱であった。今後は枯れ始めるのだろうか。その代わりというほどでもないが、その白梅の枝ぶりを越える垣根は、今年は3枚目の写真のように、上端が赤く輝いた。そして、その下はツツジの緑の葉と点々と咲く花だ。わが家の裏庭にも少しツツジがあるが、若葉は赤くならないから、この写真の垣根の赤い葉は別の植物であることがわかる。きれに刈り揃えられた垣根で、小川沿いであるから、刈る時には葉がたくさん川の中に落ちる。そのようにしてあちこちの小川沿いの家が庭の手入れをよくしている。そしてたいていは刈った葉をまとめて捨てることをせず、川の流れに任せて知らぬ顔だ。下流がどうなってもよいという無責任な人がほとんどだ。そうした手入れをしているのは70代の老人男性ばかりで、彼らは自覚しているのかどうか、死まで何十年もあるわけでなし、他人の忠告に耳を貸さず、やりたい放題だろう。年齢を重ねることは、変な自信がつくことでもある。また、恥を自覚しなくなる。それが恥ということも思わない。先日近所の50代の女性とこんな話をした。「夏の暑さしのぎに今年は壁に沿わせてニガウリを植えようと思っているんです。」「去年区役所が抽選でその苗と土、プランターを提供してくれましたね。涼しいし、実も収穫出来ていいですね。でも、蔦でも這わせればどうですか。」「葉が落ち始めると毎日掃除が大変ですしね。」 そう言いながら、彼女は毎日自宅周辺の掃除を徹底している。ニガウリならばプランターを撤去すれば除去は簡単だが、蔦を植えるには地面を掘るなど、土を露出させた方がよい。壁の下はアスファルトで覆われているのでまず無理だ。ついでに思い出した。3日前、ムーギョからの帰り、松尾橋のバス停でアスファルトのほんの少しの隙間に生えている白いスミレの群生を見下ろした。もちろん、花はすっかり結実して緑ばかりだ。以前それに混じってヨモギの葉が生えていることを書いた。根元からむしり取っておいたのに、3日前はヨモギの本数は10倍ほどに増えていた。これでは来年はスミレは半減するかもしれない。それで両手の荷物を下に置き、しゃがみ込んで全部むしり取った。その葉を入れる袋がなく、そのまま放置したが、立ち上がって歩き始めながら思ったことは、垣根をきれに刈り取った後の葉が小川に流れて行くのが平気な無責任な老人と、以前もむしり取ったヨモギを放置したので、そこに種子がばら撒かれ、10倍ほどに増えたのではないかということだ。むしり取らなかった方がかえってヨモギは増えなかったかもしれない。1本の白髪を抜くと3倍に増えると言う。家内が白髪を抜くのをやめたのは、抜くほどに増えたからだ。ヨモギも同じなのだろう。かと言って放置しておくとむさ苦しくなる。
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by uuuzen | 2013-05-26 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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