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●天橋立を見に行く、その5
く心に決めても実現しない場合がある。だが、自ら決めなければ何事も実現するとは言い難い。天橋立にいつか行ってみたいと思い続け、それが先月4日に行ったのは、家内をたまにはどこか遠方へ連れて行こうと考え、日帰りならば天橋立がいいと決めたからだ。



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家内はいやがったが、せっかくの休みが続くのに家でくすぶっているのもいやで、同じいやなら出かける方がいいと思ったのだろう。前知識なしに出かけ、こうしてブログに思い出を書く段になって、前もって知っておいた方がよかったかと思わないでもないことがある。だが、みっちりと調べ、あれもこれもと欲張っても、絶対に悔いが残らないかと言えばそうではない。今のところ筆者はもう一度行ってみたいと思っているが、それは天橋立を半分しか見ておらず、天橋立の北端まで歩き、山に登って「昇龍観」を見たいからだ。だが、それもまた決心が必要だ。家内はもう行かないと言っているので、筆者ひとりとなる。また、ひとりでじっくり見たいというほど関心が大きくはない。そのため、ぼんやりともう一度見たいと思うまま、たぶん死ぬまで行かない可能性が大きい。去年だったか、従姉に天橋立に行ったことがあるかと訊いた。旦那さんと車で日帰り旅行するのが趣味で、舞鶴には何度も行ったことがあり、ついでに天橋立に足を延ばすを4,5回経験したらしい。車ならば「飛龍観」も「昇龍観」もさほど距離は変わらない。車とは無縁の筆者は北近畿タンゴ鉄道を利用し、天橋立駅で下車するしかなく、どうしても「昇龍観」の方は小1時間かかけて天橋立を縦断するか、智恩寺脇の観光船に乗って北端に行かねばならない。「昇龍観」側までぐるりと鉄道が走っていれば文句なしだが、天橋立を縦断するのに1時間かからないとなれば、そこを往復するのもいい経験だ。蕪村はどんな季節に訪れ、また何度往復したろう。北寄りには芭蕉の句碑もあり、蕪村は芭蕉の句を思いながら、それに対抗するために何度も練り直したのではないか。「はしたてや松は月日のこぼれ種」はさすが蕪村で、「月日」からは芭蕉やもっと以前の人々が愛した長い歴史が伝わる一方、「月」と「日」、すなわち夜と昼の松林の景色が目に浮かぶ。画家でもあった蕪村は、この句に天橋立の特定の時刻を詠み込まず、いつ見ても、これからも美しい様子を盛り込んだ。言葉のよさはそこにある。写真ならばどうしても季節や時刻を限定してしまう。絵もそう言えるだろう。
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 蕪村のこの句は天橋立の見どころを松としている。松は全部で何本あるのだろう。大きな台風があると被害を受けるし、数年前にもそんなことがあったから、本数は変化しているだろう。有名な松には特定の呼び名がついていて、それらは樹齢も長いと思うが、散策マップを見ながら面白いと思うのは、有名人が訪れて句や歌を作るとそれがまた天橋立の観光のために役立つことだ。蕪村が訪れる前から有名であったが、蕪村後には与謝野寛・晶子夫妻が一役買った。今後どのような有名人に因む石碑などが出来るだろうか。それは天橋立が現在の姿のまま保存されて行くかどうかにも関係している。戦時中は天橋立を分断して大きな船を通そうとしたらしいが、そんなことをしていれば、日本三景としての美しい風景は失われた。美しい風景より戦争に勝つことが大事という思いが当時はあったことになるが、それはいつでも再燃する考えで、そのようにして日本は戦後土建屋が潤うように公共事業に巨費を投じて来た。アベノミクスで騒ぐ今の状態は自民党が作り上げたもので、それは言い代えれば国民がそう願ったことだ。話は少し脱線するが、嵐山も風光明媚なところで、開発は出来ない。ところが嵐山の代表的な景色は渡月橋を手前にしたもので、渡月橋から下流を見た景色はまず紹介されたことがない。渡月橋を境にしてその上流と下流とではがらりと考えが違っている。渡月橋下流は少し川幅が狭まっている区域がある。そのため、その少し下流では川が少々氾濫することがある。そこで住民はどうにかしてほしいと自治会を通じて自治連合会を動かした。その結果、数年以内に渡月橋一帯をどのように改造するかが決まる。そのための案は4つほどあって、なかには嵐山の景観保存からすれば信じられないようなものもある。それは渡月橋から下流はどのように開発してもよいという、都市計画の新たな考えによる。嵐山は保存すべき歴史的地区だが、それは人間が決めたことであり、時代によってどうにでもなる。天橋立を分断しようとしたことと同じで、景観より生活が大切との考えだ。渡月橋の上流側に巨大な橋脚を建て、高速道路を走らせることも平気でやるだろう。それと似た状況が嵐山だけではなく、日本中で実施されて来たし、これからもされる。「あらしやま松は月日のこぼれ種」と言いたいような景観が昔の嵐山にはあった。それが今はすっかり植生が変化し、また樹木は少なくなった。
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 天橋立を分断しようとしたのは、昨日書いた廻旋橋を作るに当たって水の流れが変わったことも事情としてあったようだ。この橋は船が通るたびに回るが、筆者らが智恩寺方面に向かう時、ちょうど旋回を始めた。アニメーションとしてブログに載せるため、10枚ほど連続して写真を撮った。今日ようやくそれを製作したが、6枚しか映っていなかった。連続してシャッターを押すと、電池の能力がすぐに回復せず、写らない場合がよくある。それでもどうにか橋が回転する様子はわかる。散策マップで知ったが、欄干が赤く塗られたこの廻旋橋を天橋立川にわたると、中洲になっている。長さは1キロ弱ほどあるのか、宮津湾に突き出る形で、「はまなすの小径」と呼ぶ道が突端まで続いている。はまなすの群生地で、次回訪れることがあればその先端まで行ってみたい。この中洲の幅は短い。すぐにまた橋がある。欄干は水色に塗られ、それが何となく安っぽいが、快晴であったので、それも似合っていた。この橋は大天橋という。そのすぐ手前に日本三景の碑があるそうだが、気づかなかった。あるいは見ながら意識しなかった。筆者が真っ先に見たかったのは、「飛龍観」からよく見えた白い大きな砂浜で、それが天橋立全体を通じて鋸の歯のように何本は宮津湾に突き出ていた・最も大きいのが最も手前にあった。それは遠近法でそう見えるだけかもしれないが、実際そのようで、その大きな砂浜は海水浴場になっている。それも散策マップで知った。天橋立の東側にそのような大きな砂浜があるのは、阿蘇海が内海で、波が静かであるからだろう。岩がごつごつとあるのでもなく、女性的なきれいで平らな砂浜で、また広々としている。真夏に行けばビキニ姿の女性が散見出来るかもしれない。また、海水浴場となれば、夏場はゴミの散乱がひどいのではと思うが、そこは地元の人たちが入念に清掃するのだろう。観光地を抱える住民はたいていそうする。美しさを維持するのは大変なのだ。松林の間からその砂浜を眺め、そして水際まで行った。遠浅なのかどうか。どっちにしても筆者は泳げないから、夏場に来ることはないだろう。どちらかと言えば厳寒の雪被る天橋立を見たい。
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 さて、今日は写真の枚数のつごう上、もうひとつ段落を書かねばならない。宮津の見性寺には蕪村の句碑があって、「短夜や六里の松に更け足らず」と刻まれる。六里の松は天橋立の松のことだろう。実際は3.6キロの天橋立であるが、ほかでは見られないほど長く延びる松林で、そのあまりの長さが両端では明るさが違うという壮大な風景を現前させる句となっている。短い夜とは夏至の頃だ。夜が更けたと思えばもう東の空が明るくなっている。またこの句は雪舟の絵のように、宮津湾から天橋立を真横に見た光景を思わせるが、雄大さを味わうのであれば、瀬戸大橋のような大きな橋が、一方のたもとから眺めて湾曲している様子を思い描けばよい。絵画的な句で、先の句が長い歴史を感じさせることに対して、天橋立の松を包む空や海の大きさを描く。天橋立に行って感じたのは、「飛龍観」で味わった平明で優しい雄大さで、嵐山のようなちまちまとした箱庭的な風景とは全く違う。これは日本三景どころか、世界遺産にすべき風景だ。蕪村が与謝にいた数年、画家としても力をつけ、後の飛躍の礎を築いた。そして蕪村は京都市中のせせこましいところに住んでそこを生涯離れなかったが、蕪村は風光明媚を孤独に味わうより、人混みの中に入って楽しむことを好んだのだろう。そんな人懐っこさは見性寺にいた頃に描かれた絵からもわかる。蕪村と呉春の墓を詣でるために筆者が息子に車を運転させて京都金福寺に行ったのは何年前だろう。寒い冬で、雪があちこち積もっていた。それよりも前、蕪村の生家があったとされる大阪の毛馬に行きたいと思いながら、まだそれを果たしていない。大阪には毎月出るのに、いつもほかの用事にかまけて足を延ばせない。また、蕪村の生家があった土地は明治に流れが変えられた淀川によって消え去った。つまり、そこは川の流れになっている。そんな場所を見てもさびしいだけだ。だが、蕪村の句碑は建てられているから、蕪村を愛する人は一度は訪れるべき場所だ。これは蛇足ながら、筆者は蕪村の作品をほしいと思い続けている。真贋が即座にわかるほどに熟知しておらず、またこれは固く決めたことではないが、老後の楽しみとして蕪村研究でもしようかと思う。
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by uuuzen | 2013-05-24 23:59 | ●新・嵐山だより
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