●嵐山駅前の変化、その266(桜の林、温泉)
が家の中で目立つ季節になった。先ほどムーギョからの帰り、小川沿いのとある家の白っぽい壁に何やら妙な形のものがくっついていることに気づいて立ち止まった。ヤモリだ。3匹がそれぞれ2メートルほどの間隔を置いてへばりついている。



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すぐ近くに街灯があるので、その明るさで丸見えだ。また、壁が白いので居心地は悪いだろう。それでも背に腹は代えられない。街灯目指して飛んで来る蛾や蜉蝣がひょんなことで壁に止まることがあるだろう。それをすかさずパクリとやる。3匹だけではなく、本当はもっとたくさんいるはずだが、その家の壁ならせいぜい3匹の縄張り領域だろう。いつ虫が飛来するかわからず、気の長い話だが、それを言えば人間も同じだ。以前書いたことがあるが、京都に出て来た当時、旧四条通り沿いの旧家の蔵の2階でちょうど2年暮らした。三方が磨りガラスの窓で、陽当たりがよかった。夏になるとその窓にヤモリが這い出した。窓の内側から、その白い腹が見える。ヤモリの輪郭を鉛筆でなぞってもガラスの向こう側で安心していると見えて、こちらに注意する素振りは全くなかった。そのうち、蛾が近くに飛来する。ヤモリはすすっと走り寄ってパクリと食らいつく。いつもそのように一回で仕留めることはなかったが、2時間程度で最低でも10匹は口にしていた。筆者が部屋の灯りを消すと蛾がやって来ないから、ヤモリのことを思ってなるべく夜が更けるまで明るくしていた。わが家ではたまに部屋の中にヤモリを見る。裏庭の倉庫はヤモリの天国で、糞だらけになっている。さて今日はそんな話をするつもりではなかった。昨夜ブログに投稿して風呂に入り、布団に横になってから書き忘れたことを思い出した。そのことを今日は最初に書く。体の痒みがなくなったことは書いた。もうひとつ体の変化で書いておきたいのは、こんなことは生まれて初めてだが、朝目覚めると両手の中指と薬指が曲がらない。痺れはないが、手先の器用さが自慢の筆者は何となく不安だ。家内は10年も前から同じ症状が出て、しかも指のあちこちに小さな瘤が生じ、曲がっている指もある。それは女性に多いらしく、高齢に近づくほどに多発する。別段病気というほどのものでもないので、そのままにしている場合がほとんどだ。医者に見せても治せるものではないし、また生活に支障がないのであるから、心配するなといったことでおしまいだそうだ。
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 ネットで病気のことも調べられるようになった。そこで目覚めた時に中指が曲がりにくいことの原因を調べると、たくさん表示された。これは心配すれば切りがないということだ。最もあり得るのは腱鞘炎だ。重いものを持ち過ぎたり、指を使い過ぎた時に起こる。最近の筆者は特に手や指を酷使していることもない。隣家のリフォームのために、普段使わない筋肉を動かしてはいるが、指に力を入れることはさほどない。腱鞘炎の次に考えられるのは脳の異常らしい。そのことを知ってそれ以上検索しないことにした。脳の病気とはすなわち脳梗塞や脳溢血で、血の巡りが悪くなって指が痺れる。だが、筆者は痺れはない。ほんの少し以前より曲がりにくいかと感じるだけで、相変わらずムーギョやトモイチへの買い物帰りには両手合計で10数キロの食糧を提げる。これは数年前からのことであるし、今に始まったことではない。したがって、中指の曲がりにくさの直接的な原因とは思えない。原因がわからないことは不安だ。今思い出したが、近所の床屋にたまに自治会のことについて話しに行く。客が待つソファの真上がジプトーンの石膏ボードで、それが著しく汚れている。雨漏りするらしい。石膏ボードを剥がして原因を調べてもわからず、新品に貼り換えてしばらくすると、また同じように汚れるとのことだ。雨漏り箇所はそのようにわかりにくいらしい。従姉の家でも同じ悩みを抱えている。天井を剥がしてライトを当てればすぐにわかりそうなものだが、それがそうではない。雨漏り場所がわからないまま天井を新しくするのは、気分がいいことではない。筆者なら徹底して原因を突き止め、問題個所に処置を施してから天井を貼る。と言いたいところだが、場所によってはそれも出来ない場合があろう。ましてや店を経営していれば、数日も修理にかかっていることは出来ない。人間が病気が原因で死ぬのは、同じような理由からではないか。仕事を休むわけに行かず、たぶん大丈夫だろうと、まるで賭けにいつも勝つような気分でいる。そして気づけば癌の進行が手遅れになっていたりする。死ねば元も子もないから、仕事などさっさと中断して病院に行けばいいものを、現実問題としてそれはほとんど不可能に近い。
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 昨日郵便局に行く途中、小川の上に一匹の蜉蝣が飛んでいるのを見かけた。筆者から1メートルほど離れたところ、筆者の目の高さほどで、ヘリコプターのように羽を猛スピードでばたつかせ、必死の形相だ。立ち止まって観察すると、やがて上昇し、そして小川から離れて近くの家の屋根の上に飛んで行った。どうせすぐにツバメに食べられるか、あるいは夜に窓ガラスか壁の上でヤモリに飛びつかれる。そんなはかない命の蜉蝣は何のために生まれて来たのかと思うと同時に、人間も大差ないと考えた。長いか短いかだけで、いずれは死ぬ。人間の一生など、蜉蝣のばたつきのようなものだ。さて、今日書きたかったことはもうひとつある。その前に、今日の4枚の写真はちょうど1年前、去年5月21日の撮影だ。このカテゴリーは1年後に写真を投稿する癖がついているが、数か月遅れでは季節が違うが、ちょうど1年ではまるで今日撮ったのも同然の空気感がある。それで1年遅れが習慣になった。自治会の会長を4年担当して今は副会長になっているが、仕事量が3分の1ほどに減った。これは筆者が提案してそうした。先の4年間に比べて楽になり、時間の余裕も出来た。だが、それを別の何かに有意義に使っている自信はない。というのは、郵便局やムーギョに向かう時、家を出て200メートルほどは足が痛くてわずかに引きつる。普段歩き慣れていないからだ。会長をしていた頃は毎日のように自治会内を歩いた。それがなくなった分、運動不足になり、歩き始めに足が少々痛むようになった。これは退化で、時間の余裕が出来たにもかかわらず、身体にとってはマイナスだ。このことから思うのは、人間何が幸福かわからないことだ。時間も金もたくさんあるのに早死にする人がある。便利さは必ずしもいいとは限らない。使わなくなった筋肉はすぐに衰える。そのことを感じるのは、体を動かした時だ。動かさなければそのことも感じられず、そしてぶくぶくと太る。歩き過ぎるとまた逆効果で、かえって筋肉を傷める。その運動量の適度というものが齢を重ねるほどに変化するはずで、自分でその運動量がわかると言いたいところだが、それは過信というもので、病の原因について知る人はごく少ないだろう。知らない間に病気が進行し、命を消してしまう。
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by uuuzen | 2013-05-21 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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