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●内へ内へ、外へ外へ
の長さは身長によって変えるのがいいと思うが、高齢化のせいか、京都のとある杖専門店はTVで何度か紹介されているように、近年特に繁盛しているようで、さまざまな色合いや形にデザインされたものを揃えている。



別の店だと思うが、新京極三条にも杖専門店が去年出来た。「杖」と呼ばず、今は「ステッキ」か。お洒落で持つ人も多いのだろう。内田裕也はいつも同じものを持っていて、その姿が彼の没後も代表的なものとして記憶されるに違いない。内田は杖をつくほど足腰は弱っておらず、それは服装の一部としてのお洒落の道具だ。Mさんは歩行があまり出来ないので、家の中からめったに出ないようで、また孫からプレゼントされたものと聞いたが、仙人が持つというアカザの杖を2本部屋に立てかけている。白っぽいもので、床や畳を傷つけないように、パイプ椅子の足に取りつけるようなゴムを底に嵌め込んであった。明るいベージュ色で、それは筆者が江名の港に吹き飛ばされた傘をすくおうとして、近くから引き抜いた背丈のある雑草の茎とほとんど瓜ふたつに見えた。だが、その雑草の茎はすぐにポキリと折れ曲がってしまうもので、とても杖には役立たない。アカザは軽いが強靭だ。とはいえ、筆者はMさんの2本の杖を持ってみなかったので、見た目で想像するだけだ。長さは1.5メートルほどか、真っ直ぐではあるが、あちこち節があってごつごつしている。それは滑り留めになり、また持った時の感触がいいのだろう。筆者はアカザの自生は見たことがないので、その杖を作ることは出来ない。その代わり、玄関脇にも裏庭には南天があって、それが毎年よく伸びる。あまりに伸びるので、毎年根本から切り取る。それが長い場合は1.5メートルほどになる。根元の直径は2センチほどしかないし、また杖になるほど強くはないので、何の役にも立たないが、捨てるのは何となくもったいないので数本保管している。そのうちの1本は掛軸を吊る矢筈として用いるつもりが、その先端の加工を中途半端なままにしていて2,3年経つ。もう1本は説明が難しいので書かないが、ある道具として役立てている。理想は杖になるように、直径が3センチに成長し、また硬くなることだが、そのことの背景には禅僧の中原南天棒が若い頃に農家に赴いて南天の棒をもらい、その後「南天棒」を号にするとともに、事あるごとにその棒をかざして周囲を震え上がらせたエピソードがある。南天棒のその南天の棒がどれほどの太さと長さがあるのか気になっていたところ、昔西宮市大谷記念美術館で開催された図録を見ると、写真図版が載っていた。50センチほどの長さか、また太さは5、6センチはあるようだ。それほど太いのは珍しい。そのために南天棒はそれが気に入ったのであろう。金閣寺の夕佳亭には南天の床柱があって、それもかなり太い。そんな南天材がほしければ、筆者のように毎年切っていたのでは駄目で、数十年くらいはそのままにしてやらねばならない。ところが、これからいくら生きても20年ほどだ。南天の杖は夢であって、Mさんの真似をしてアカザにするか。とはいえ、仙人の風格とは無縁の軽い人格で、江名の波止場で見つけた枯れた雑草の茎が似合うか。
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 先月28日の朝、Mさんの家をおいとまする時、Mさんは見送らないと言った。杖をついて外に出るのは難儀だ。玄関の扉を閉めながら、炬燵の中に入ったままの姿でこちらを向いているMさんの上半身が見えていた。この別れ方はとてもよかった。客として訪問したのではなく、身内のような気分を覚えたからだ。ひとりで家の外に踏み出すことは、「行って来ます」すなわち「また戻ります」のニュアンスを含む。これがMさんに玄関の外まで出てもらい、筆者の姿が小さくなるまで立ち続けることにでもなれば、「名残惜しい」という感情を筆者はなおさら抱く。外に出て歩み出した時、Mさん宅でのことよりも、これから東京に向かうという気分が一気に増した。それは、予定していた時刻の新常磐交通のバスに乗るという、計画した物事がひとつずつ順に終わって行くことの渦中に自分がいるという実感のせいではあるが、Mさんとは家の中で別れたことが、Mさんと身内の間柄のような気がしたことの方が大きく影響しているように思う。それだけMさんは筆者をあまり気使わずに済む相手と思っていたことになる。これは悪い意味で言うのではなく、全くその反対だ。お互い気まずい間柄であれば、7時間以上も話すことがあるか。実際はどうかわからないが、たとえばMさんの娘さんが帰省してまた嫁ぎ先に戻る時、Mさんは同じように家の中で別れのあいさつをするのではないだろうか。27日はバス停「江名」からMさん宅に向かう際、道に迷って3倍ほどの距離を歩いたが、坂を下って行く一方であるから、今度は間違うはずがない。いわき駅前から江名、そしてMさん宅へと、内へ内へと進めた歩みは、今度は反対のベクトルの「外へ外へ」と変わる。朝の7時半頃で、筆者にとっては早朝でも世間ではそうは言えない。そのため、バス停に向かう途中で人影を見るかと思ったが、27日と同様、誰とも会わなかった。江名の人口やまた年齢分布図がネットで確認出来ればよいが、震災以降は人口流出が多く、調査は行なわれていないような気がする。話を戻して、筆者が目覚めたのはちょうど5時頃だ。昨夜にMさんがいつも朝は5時に起きると聞いていたので、すぐに階下に行ってもよかったが、2,30分は布団の中でぐずぐずした。炬燵に入ってMさんとまた話し始めたのは6時少し過ぎで、筆者にとってそんなに早朝に声を発することは年に一度もない。夜行バスの中でもほとんど眠らなかったので、睡眠不足であったはずなのに、眠気を感じなかったのは気が張っていたからか。わずかな睡眠で活動する人気芸能人の気分が何となく理解出来る気がする。ともかく、めったにない機会であるので、めったにない早朝に目覚めても疲れを感じない。
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 一昨日の投稿の4枚目の写真に新常磐交通バスが銅像の前に2台離れて停まっている様子が写っている。車庫代わりに使っているのだろうか。ここで時間調整をしてどこで始発となるかだが、いわき駅前か泉駅前か。どちらも駐車場代わりに使うことは出来ない。普通ならば営業所の駐車場に停めるが、そこまで行くのが遠く、そのため、誰の迷惑にもならない波止場を利用しているのだろう。せっかくなので、江名のバス停発とすればいいものを、そうはなっていないところ、地震以降この波止場に停めるようになったのかもしれない。このバスは27日に波止場から合磯岬を臨んで写生した時にも遠くに停まっているのが見えた。車体に描かれた模様ですぐにわかる。海に落ちた傘をどうにかしようと焦っている間に、そのバスは見えなくなった。Mさんは医者に毎月通うのにバスではなくタクシーを利用している。いわき駅方面と聞いた。タクシー代が5000円ほどかかるそうだが、家の前まで来てもらえて夫婦ならば、バスの2,3倍はかかってもまあいいかと思える範囲か。田舎では自家用車がなくてはならないものであることがわかる話で、これから超高齢化を迎える日本では、80代でも運転する人はあたりまえとなる。だがそのことが正常なことかと思えば、かなりグロテスクな光景ではないか。ではどうするかとなれば、買い物や医療をどう便利に整えるかで、前者は宅配などでどうにかなっても後者は問題が多い。これは前にも書いたと思うが、家内の甥の奥さんのお父さんは熊本の役所を定年後に大阪に移住した。心臓に病を抱えていて、大阪移住後に二度大きな発作を経験した。それが救急車の素早い活動によって一命を取り留めた。熊本に隠居していると、とっくに死んでいたとの本人の言葉で、病気を思えば都会に住んだ方が医療は受けやすい。80代になっても健康であればよいが、体のあちこちガタついても自然なことだ。そして、たまに医者から薬をもらいながらも病床に縛りつけられることなしにあの世に行くことが出来れば幸運と思う。その点に関して言えば、都会に住むと医療には不便せずに済むとはいえ、ぽっくりあの世に行くべきところ、強制的に命を蘇らせられ、その後体中に管を突っ込まれる可能性が増えることともなって、一概に幸福とばかりは言えないかもしれない。
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 Mさん宅に向かう途中、「江名の家」という大きな看板を見た。Mさんによれば老人ホームとのことだ。そこに入るには有料で、しかも老人が集まってみんなで合唱させたりして時間を過ごすという。そういう光景を筆者は見たことがある。母の姉が晩年になって伏見のそうした施設に入っていたのだ。Mさんはそうした施設でみんなと一緒に歌うことのどこが楽しいかとの意見で、これは母の姉もそうであった。もちろん母も筆者も同じ考えで、好きでもない唱歌をみんなで歌いたくはない。筆者なら耳が聞こえにくくなっても、相変わらず大きな音量でうるさい音楽を聴いているはずだが、そういう老人は老人ホームに入ることは出来ないし、強制的に入れられても厄介者として孤立する。Mさんとは意見があった筆者で、そうであるからこそ、7,8時間も話題は尽きなかった。大半は筆者が話題を作って喋ったが、前もって訊ねるつもりでいたことをすっかり忘れてしまった。それは昔Mさんから電話で少し聞いたことでもある。最も楽しかったMさんの時代だ。昭和のオリンピック後の高度成長期で、その頃の江名のことを充分に話してもらおうと思いながらそれをすっかり忘れたのは、江名を再訪すべきということかもしれない。27日は話し始めて1時間ほどした頃、Mさんの小さな頃の写真を見せてもらった。筆者に見せようと用意していたのだろうか。セピア色に変化して、いい味が出ている。1枚は横長の家族の集合写真だ。向かって右端に夏のワンピースに白の帽子姿のMさんが立っていた。中央に眼鏡でスーツ姿の父親が椅子に座り、その背後にずらりと兄、姉が並んでいる。Mさんは女8人、男3人の11人きょうだいで、Mさんは末っ子に近いと思うが、何番目なのだろうか。昭和10年頃の撮影で当時6歳だ。もう1枚はおそらく同じ日の撮影で、Mさんだけが写る。上半身を斜めから捉えたもので、わずかに顔の表情が違うものが2枚、横並びに1枚の印画紙に焼かれていた。話している最中にシャッターを切ったもので、スナップ写真であるのが活発な女の子を思わせる。今のMさんとどこがそのままなのか俄かにはわからず、その写真についてどう言葉を発していいかわからなかった。その大昔のMさんの写真をすぐそばに置いてあったカバンの中からデジカメを取り出して撮影してもよいかと訊くつもりになったが、やめておいた。撮ったところで使い道がないし、またMさんの内面にずかずかと入り込む気がしたからだ。内へ内へと進みそうになる気持ちの一方で体はバス停に向かい、そしてやがて電車に乗って、東京に向かって外へ外へと出て行く。
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by uuuzen | 2013-04-19 17:33 | ●駅前の変化
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