憲法と自治会の規約を比べるのはおかしいが、集団がまとまって行動する場には書かれた決まりがあるのは常識と言ってよい。それがなくても集団がまとまっていることが理想的かもしれず、村社会はその典型だ。
そこでは「言うまでもない常識」を全員が共有し、そこから逸脱する者は仲間外れにされる。日本は小さな村社会の集合体で、戦後は核家族化が進んで大都会では個人主義が幅を利かすようになったが、それでも「言われなくても悟る」ことが美徳とされる風潮は相変わらずある。そのため、それがわからない外国人労働者を排斥するといった行動はなくならない。わが自治会では今まで書かれた規約がなかった。それは村社会であったことをよく示す。これは自治会に40年住んでいる人から最近耳にしたことだが、その人は自分のことを新参者と自覚し、またわが自治会地域を「嵐山村」と嘲笑気味に呼ぶ。わが自治会が村社会であることは、昨日書いたように、20年前の自治会の役員名簿を見れば一目瞭然だ。すでにマンション住民や新しく建った家がたくさんあったにもかかわらず、そうした住民はほとんど名簿に含まれていない。それでいて自治会費だけは支払っていた。これは、やはり昨日書いたように、新しい住民はまだ何も知らないので、役を持たせるに忍びないと親切に考えたのか、あるいはまだ村人とは認めず、仲間集団である自治会役員には加わってほしくないという排除の思いからだろうか。そのどちらでもあった気がする。ところが、この20年で高齢化を迎え、村人は疲れて来た。そこで新しい、若い住民にも手助けを頼むことになって、筆者が会長に推された。この4年でよくわかったことは、会長職は全くの使い走りの小僧であることだ。筆者がもっと副会長に仕事を押しつければよかったが、その方が面倒でもあり、何もかもひとりでこなした。当然重要事は相談したが、肝心なことを決め、率先するのは筆者だ。会長が御用聞きの小僧のように連日自治会内を走り回ることがよいか悪いかについては賛否ある。筆者は小僧であるべきと思ったからそうした。ところが、70代の男性の中には、会長は名誉職であって、ほとんど何もせず、副会長が動くべきという考えを持っている人がいて、そのことを何度か聞かされたことがある。その意見の真意は、その人は推薦されるのであれば会長になってもいいが、自分が会長になれば、連合会の会合に出る程度で、貫禄だけ示しておればよいということだ。これは承服しかねる。今までそういう態度の人が多かったので、前会長は苦労した。名前ばかりの会長などクソの役にも立たない。会長が名誉であると考えるのは古い人種だ。ふんぞり返って威張っているだけの人間など、自治会には不要だ。筆者はこの偉そうにする態度というものを最も嫌悪する。
さて、憲法の第96条では議員の3分の2以上の賛成があれば憲法を変えることが出来るとする。わが自治会の規約を作るに際し、筆者がまず考えたことは第96条と同様のことだ。規約は自治会参加全世帯に全4回のアンケートを配布し、その意見および投票によって少しずつ固めて行った。規約のおおまかな文章は最初に筆者がまとめ、それをアンケートを重ねて全員の意見を勘案して修正して行く形を採った。全4回にしたのは、あまり長引くとみんなの意識が低下するからだ。実際、回を重ねるごとに用紙の回収率は低下した。4回が限界であったろう。また、12月末までに形を整えたかったので、秋から始めて4回が限度でもあった。12月末と考えたのは、一方で2月末までに4月からの新会長や各種委員を決める必要があったからだ。そのため去年秋から今年3月下旬まで、筆者は自治会のことで翻弄された。それがようやく片づいたので、思い切っていわきの江名と東京に行くことにした。話を戻して、規約作りに際して最初にした行動は、自治会内の重要事を決めるには全員の住民投票をするとして、3分の2以上か過半数のどちらがいいかというアンケートであった。これは3分の2以上の人が過半数と答えたので、文句なしに「過半数」が採用された。そうしておいて、次に規約のたたき台を配布した。各条項のおかしいと思うところがあれば意見してほしいと書き、すべての意見を拾い上げて整理し、次回のアンケートで決めるという方法を採った。それは過半数の賛成に基づいたのは言うまでもないが、全世帯に配布しても回答を寄せる世帯は最初7割で、最後は6割に減った。回収出来なかった用紙は棄権とみなしたから、過半数とはいえ、それは6割の半分の3割強であって、全世帯の3割となる。つまり、規約は全世帯の3割しか関心がなかったと言える。日本の政治の投票率からしてもそのようなものではないだろうか。筆者が懸念するのは、残り7割近い世帯が規約に無関心であるにもかかわらず、組長をいずれ輪番制で担当することだ。規約によれば、組長を担当した翌年は空席となっている何らかの各種委員に当たる可能性があるから、その期におよんで当人が規約を知らなかったとか、あるいは各種委員を引き受けるのはいやなので自治会をやめると言い出しかねない。そして、そういう例は少なくない気がしている。知らない間に規約が完成し、またそれに則って自治会が動いているという現実が直視出来ない人は、おそらく古くからの住民に多い。去年引っ越して来たばかりの人ならば、自治会に入ってすぐに役が当たっても仕方がないと割り切っている場合がほとんどだ。古い住民は、今まで同じ村の目立つ人たちが四役や各種委員を10年以上の長さで担当して来たから、何もせずに済んでとても気楽であったと思っている。それをすっかり引っくり返した張本人が筆者ということにもなるが、筆者の意見は、「みんなで作った規約であるし、それを変えたいのであれば、自分が会長になってから自由にすればよい」だ。
憲法の第96条の「3分の2以上」を「過半数」に変えようという動きは、憲法を簡単に変えられるものにしたいという考えの表われだ。わが自治会の規約は「過半数」の賛成があれば内容を変えることが出来る。これは憲法とは違って厳密なものではなく、時代に応じてどんどん変えて行けばよいという思いが含まれている。少なくても筆者はそのように捉えている。ところが、筆者のような暇人であるから、全世帯を対象にしたアンケートを4回も重ねて規約に全員の意志を表向き反映させ得たが、それほどの熱意で規約を変えようとする会長が今後出て来るだろうか。これはどうでもいいことかもしれないが、アンケートはA3用紙に印刷した。左半分と右上半分が筆者の文章で、右下半分は質問に答える欄とし、それに記入し、切り取ってもらったうえで回収した。A3のコピーは近くのコンビニで1枚10円する。全世帯を対象に4回も配布すると例年以上に経費が嵩む。そこで四条河原町に5円コピー屋を探し、そこまで通った。少しでも自治会の経費が少なくて済むようにという配慮からだが、これを理解する人は少ない。それに筆者のコピー代は毎年5000円未満だが、どういうわけか決算では1万円を超えている。この点を深く追求するとまずい問題があるかもしれない。ともかく、規約作りは、文章書きからコピー、配布まですべて筆者ひとりで携わった。また、これはあえて書いておきたいが、いかにも筆者らしいこだわり、あるいは囚われとなったのがアンケート用紙の体裁だ。回収する切り取り部分は4回とも同じ面積になるように、左ページと右ページ上部の文章の行数を同じにした。その回収した全アンケート用紙は回ごとに束ねてあるが、分厚い本のように見える。そのように形が揃うことを最初に念頭に置いた。筆者の美意識はそういう見える形に表われている。完成した規約もA3用紙に収まるように文字の大きさ、行間を決めた。当初縦書きにするつもりが、全4回のアンケートに合わせて横書きにし、また今後の改訂を見定めて右ページ下には3分の1ほどの余白をあえて作った。ここで規約のある事項について書いておくと、会長、副会長、会計、監査の四役は2年の任期とすることが決まった。ところが各種委員は1年限りだ。となると、組長は各種委員に関しては毎年、四役については1年置きに選ばれる可能性があることとなって、不公平感が残る。だが、全員の投票によってそう決まったのであるから仕方がない。仕方がないにもかかわらず、そううまく事が運ばない事情が出来した。明日はそのことについて書く。今日の写真も去年4月11日の撮影。