●嵐山駅前の変化、その259(桜の林、温泉)
を知ったのはたぶん4,5歳頃であった。母が教えてくれた。その頃は大阪市内でも蓬が生えている場所はあった。蓬を母と一緒に摘んで餅に入れたのだと思う。



その香りが好きであった。蓬餅は今でももちろん売っているが、昔食べたのと違って香りがとても少ないように思う。また、若い人はその味をあまり好まないのではないだろうか。今でも蓬は自然に生えているものを採って使うのだろうか。雑草のようなもので、どこにでもあった時代はいいが、ほかの威勢のよい草に押されて、蓬は少なくなって来たような気がする。となれば、餅屋は蓬をどこかの農家に栽培させているのかもしれない。それはさておき、母から教えられた蓬の葉の形は容易に忘れ難い。どこにでもありそうな草でも、わずか数歳の子がその特徴を認識する。子どもの能力は侮れない。であるから3歳までは出来るならば母親がしっかりと面倒を見るべきという意見が幅を利かして来たが、その母親がわが子をうまく育てるかどうかが問題になる時代で、子育ての不安などを相談する相手がおらず、あるいは若いためにほかで遊びたいためにわが子を虐待することもある。ま、今日はそんな話をしたいために書き始めたのではない。蓬に戻る。一昨日、ムーギョに買い物に出かけた際、午後7時半頃、松尾橋バス停で蓬の自生を見かけた。いずれ写真を載せる予定でいるが、毎年筆者が開花を楽しみにしている白いスミレがコンクリートのわずかな隙間に一列になって満開で、その列を中断する形で蓬の一塊が勢いよく伸びている。去年は別の場所に別の雑草が生えていて、それを根こそぎしてやった。2年前もそうだ。毎年このスミレの領土を侵そうとする別の植物がある。今年は蓬だ。根本の比較的太い茎も柔らかで、地面から出ている部分はすぐに全部指でへし折ることが出来た。その蓬を持参していたスーパーの袋に入れてもよかったが、蓬餅を作ることはない。ほかの食べ方は知らない。それに生えている場所は多くの犬の散歩道で、おそらく、いや絶対にその蓬には犬の小便が朝晩引っかけられている。蓬の栄養になっていると思えばいいが、そう思っても生えている場所が終日大量の車が通過する四条通りのすぐ際で、排気ガスを吸って育っている。それを食べるのは勇気がいる。そこでむしり取ったまま同じ場所に捨て置いた。雨でも降ればすぐにしなびて跡形がなくなる。根こそぎしなかったので、来年も生えるかもしれない。そしてやがてはスミレを駆逐して蓬だらけになることもあり得る。蓬よりスミレが断然見ていて楽しいので、蓬は雑草扱いだ。
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 人も車もよく通る道で、筆者がしゃがんで蓬を摘み取っている様子を見た人は、何をしているのか訝ったであろう。「かわいいスミレを摘んでいるのではないですよ。目障りな雑草を取り除いているのです」といった雰囲気を露わにしながらの作業で、蓬を全部抜き終わって立ち上った時、右手の指先が緑っぽくなっていた。それに、蓬はいとも簡単にちぎれたり、引き抜くことが出来て、遠い昔の感触を思い出した。ほかの雑草は茎がもっと強靭で、葉がごわごわしている。蓬はさすがに柔らかい。それで人間は食べる気になったのだろう。先に餅の話が出たので思い出した。1週間ほど前、スシローに車で連れて行ってもらった帰り、隣りのリサイクル・ショップが閉店セールをやっていたのでしばし中を見た。どうにかほしいものが2,3あったが、4月末まで続くセールの最後近くまで売れ残っていれば買ってもいいかと思うほどで、是が非でもほしいのではない。その2,3の商品の中に、餅つき機があった。キティちゃんの形をした胴体で、2000円ほどであった。安いが、ネット・オークションではもっと安い場合がある。ただし、同じ機種ではない。2,3年前、餅つき機を買おうかと思ってネット・オークションでしばし調べたことがある。1000円ほどで買えることがわかった。家庭で餅を作るブームが過ぎ去って、器械を捨てるならば誰かに使ってもらおうという人が多くなっているようだ。これは正月に餅をあまり食べなくなったためだ。それにムーギョでもほとんど毎日、5,6個の大福が入った袋が100円台で買える。わざわざ手間暇かけて家で餅を作らなくてもいいのだ。ただし、自分で摘んで来た蓬を入れるとなると、餅つき機が必要だ。餅つき機を買い、蓬を摘み、そして餅米を買えば、自家製の蓬餅が作れる。香りの強い蓬餅が食べたいのであればそうするしかない。ついでに小豆もたくさん買って餡も作るか。それで、蓬大福を作って満開の桜の林に繰り出し、観光客の列を眺めながら頬張る。「あのおじさん、餅なんか食べながらひとりごと言ってるわね。何だか気味悪いよー」そんな目障りで孤独な蓬爺になるのも面白い。
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 今日の本題になかなか入れない。なぜ蓬の話を最初にしたか。それは今日載せる桜の林の写真に関係している。今日の3枚の写真は一昨日、昨日に続いて去年4月10日の撮影で、昨日の最後の載せたパノラマ写真に写る桜を別の角度から撮った。つまり、温泉が建つことによって消える運命にある老木だ。建設会社からもらった図面によって、どの木がなくなるかは去年の段階でわかっていた。かわいい白いスミレが満開になっている場所に、花がない蓬がざわざわと茂っている様子はいかにも目障りで、それで筆者はそれを引き抜いた。樹齢70年かもっと以上の桜が林立するその中央に温泉施設が建つのは、経済の論理による。スミレがかわいいといったこととは意味が違う。かわいいだけでは駄目で、今は儲からねばならない。桜も同じで、70歳を越えた見事な老木はまさに「花より団子」扱いにされ、団子を誰しも求める。温泉が団子というのは、林の所有者の考えだ。筆者が蓬を抜き取ることはいとも簡単であった。だが、桜の老木を同じようにすることも全く簡単なことだ。昨日のパノラマ写真の中央に見える老木がちょうど引き抜かれている様子に立ち会い、その写真も1,2枚撮ったので、いずれこのカテゴリーに載せることになると思うが、意外であったのは、根元から伐採せず、直径10メートルほどの穴を深く掘って、根をあまり傷めないようにして取り除いたことだ。それは温泉が建った後、その建物から少し離れた場所に移設するためだろう。図面にはそう注釈してあったように思う。それほどの老木で、それは最低でも70年という時を隔てた貫禄を持っている。金儲けの温泉は、それを活かすこともよいと判断した。ただし、全部の老木がそう考えられたのではないことは、無残に輪切りにされて積み重ねられた状態になった木が何本かあったことからも言える。それは、樹勢のよくないものは移植しても駄目と判断されたのか、それとも樹齢をあまり重ねていないので価値がないと思われたのかのどちらかだ。それはともかく、今日の3枚を撮るのに、筆者はあえて建物が建つ範囲内に立った。つまり、建物が完成すると、もう同じ場所に立って同じような写真を撮ることが不可能になる。そのため、もう存在しない場所と言ってよい。ところで、蓬を抜きながら思ったのは、可憐なスミレならば、こう思ったかもしれないことだ。「ヨモギさん、抜かれてかわいそうだね。ぼくら顔形が違うけど、仲よく暮らしているのだから、そのままにしてほしいよね」となれば、桜の老木もこう思うか。「温泉の建物さん、こんにちは、これから仲よくしましょう」まさか。
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by uuuzen | 2013-04-12 11:05 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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