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●『クールベ美術館展』
秋を感じる季節になった。この展覧会はちょうどそんな時にぴったりの味わいで、会場内も人があまり多くなく、ゆったりとした気分で楽しめた。



●『クールベ美術館展』_d0053294_21521094.jpg手元に日本最初のクールベ展の図録がある。1989年6月から8月にかけてブリジストン美術館でのみ開催されたものだ。そこでは油彩54点、素描10点が展示されたが、大きい規模とは言えない。それに、3分の1ほどが日本国内の所蔵で、クールベの作品を多く海外から借りるのが困難であることが想像出来る。2001年10月に今回の展覧会と同様、オルナンのクールベ美術館からのみ作品を借りて、梅田大丸ミュージアムが『レアリスムの巨匠 クールベ展』を開いたが、そのチラシには今回と同じく、「シヨン城」(上掲のチケットの絵)が大きく印刷されている。4年後にまた同じ美術館から同じような作品がやって来たことになる。2003年1月にもクールベ展があった。大阪市立美術館で開催された。そのチラシには、海外所蔵作品約30点に国内所蔵作品40点を合わせた展覧会とある。大規模なものとは思えず、行かなかった。こうしたクールベ展のほかに、クールベの作品はフランス絵画展と銘打った展覧会で1、2点観ることがあるが、いつもあまり感心しない。日本では決定的な大作、たとえば『画室』や『オルナンの葬式』といった作品を観る機会には恵まれず、どうしても小品が多くなるが、そんな小品の中に、いかにも絵画趣味のない成金の応接間にかかっていれば似つかわしいような作品がしばしばある。それは画集で知るクールベの力の入った作品と比べるとあまりにも手抜きに思えるが、その理由が今回の展覧会ではよくわかった。つまり、クールベは晩年にパリ・コンミューン結成にかかわる事件から禁固刑と罰金刑を課せられ、それを逃れるためにスイスに亡命するが、その時に弟子を数人したがえた工房もそのまま移住し、そこでせっせと作品を乱作したのだ。それらは風景画か、風景の中に動物を描いたもので、クールベがほんの少し要点だけに手を入れたもの、あるいはクールベが未完成にしておいた作品を後で弟子が完成してクールベのサインを入れたものなどが混じる。そのようないわば2級品を観てクールベを知ったと思ってしまうととんでもない間違いを冒す。そのため画集でよく知る名作と、たまにたくさんの画家の中に混じって観られる作品とを比べて、あまりにも落差があることにクールベの巨匠としての評価も疑わしいと感じる人は少なくないであろう。また、印象派、特にマネの明るい洒落た色合いの画面をよく知る人は、クールベの作品が茶色を基調として、いかにも古風で暗い印象を与える点で、クールベを印象派以前の華やかさに欠ける画家と認識してしまうことも多い。それも仕方のない話で、クールベは出身がスイスに近いフランス東部のスイスと国境を接するフランシュコンテ地方の小都市のオルナンで、ジュラ山脈の山と渓谷ばかりの田舎だ。
 中年以降のクールベが若い頃のダンディぶりとはがらりと違って、丸々とした顔つきになり、髭も蓄えて豪放な印象がさらに増すが、そんなクールベはいかにも山男といった感じで、田舎出身を堂々と自慢もしている雰囲気さえ伝わる。実際クールベは21歳でパリに出るが、毎年のように故郷に帰っては風景を描いた。そのため、クールベの画面には、山や森の空気がそうした場所をよく知っている者でなければ描けないほど、よく表現されている。これが感得出来るか出来ないかで、クールベの評価が分かれる気がする。今回の展覧会では、筆者は特にそのクールベが自分の故郷を何度も描く意味がよくわかった気がした。絵の前に佇んでいると、森閑としたものがよく伝わって来たからだ。都会で生まれた者でも山岳地方には行くことが多いであろうし、そんな山の雰囲気を都会にいても思い出すことは出来るが、たったひとりで山の中にしばし立った時の気分を実際に味わった人はあまりいないかもしれない。そう言う筆者も全く山登りもしないので、偉そうなことは言えないが、学生時代の実習で福井県の大野市に1か月滞在した時、よく山中で測量した経験があって、ひとりでぽつんとスタッフを持って立った。そのため、観光客も住人も誰も訪れない山の中の空気がどういうものかは経験したつもりでいる。その測量したあたりはやがてダムによって沈んでしまう村があって、家はあちこちそのまままだ住めるように建っているにもかかわらず、すでに全員が引っ越してしまい、ゴースト・タウンになっていたのだ。その人気がありそうで実際はないという奇妙な状況を差し引いても、誰もいない山部に立っていると、静かではあるが、むしろ心の中はざわついて来る。それは山や森に見られているという気分が高まった来るからだ。誰もいないのは確かでも、小動物はいるし、また霊もいるかもしれないという思いがあって、山は独特の空気が流れていると感じたものだ。それは何人かと一緒に語り合いながら登山をするのとは全然違うはずのもので、クールベが故郷の山中を盛んに写生した時は、同じように山の声といったものを耳にしながらであったに違いないと思う。今回の展覧会で、山部の風景を描いた絵からはそんな山ならでは静かな声がよく聞こえて来た。これこそがクールベの絵の味わいなのだなと思ったわけだが、それはマネの描くパリの空気とは正反対のものであって、クールベが茶色を強調して地味な画面にするのも、それは山をよく知っているからだと思えた。
 2001年10月の梅田大丸でのクールベ展は、チラシを保存するだけで観なかった。そのため、今回までフランスにクールベ美術館があるとは知らなかった。故郷オルナンの生家を利用したもので、この展覧会の最初に写真パネルが2、3枚掲げられていて、建物の様子がよくわかった。そのうちの1枚は、ルー川の向こう、川沿いに大きな館が建っているところを写したもので、その撮影時間が夕暮れ近いこともあって、写真は全体に紫っぽかったが、館のすぐ際にルー川に架かる橋があって、背の高いランプが2、3灯っていた。その橋をわたったことはもちろんないが、その写真の右端に少しだけ写る橋やランプの光を見ていると、実際にその時間にそこに立ち、クールベ美術館の窓を眺めている気分になれた。それは今までの自分の人生での経験をいろいろと貼り混ぜて合成し、それから想像を逞しくして得るものだが、それゆえ夢に似た感じが強く伴い、妙に懐かしい気分が強い。今後クールベ美術館を訪れることはないと思うが、このような百貨店の中の空間で同美術館の写真や所蔵するクールベや弟子たちの作品を一堂に見ると、あたかも現地に行って来た気分になれる。それはクールベの絵が同地域の自然を巧みに描いているからでもあるが、単なる風景画を越えて、風景の中に響きわたる自然の霊的な声をこそ描こうとしたのではないかというクールベの思いがあってのことだ。とはいえ、この表現はクールベが写実派の創始者であることからすれば、少々的外れな見方と言えるかもしれない。見たものを見たままに描いたことがクールベの絵の神髄であって、幻想とは無縁とするのがクールベの正しい鑑賞法とされているからだ。だが、同じギュスターヴの名前を持ったモローとクールベを並べて見て、モローが幻想的でクールベがそうではないと断言してしまうのもどうかと思う。幻想とは何か、これと一筋縄では行かない。クールベのありのままの山岳の風景を描いた絵の中から音にならない自然の声が聞こえて来たとする。そしてさらに目を凝らしていると、樹木や岩肌が蠢いているように見えることもあるだろう。そんな時、人は幻想的なものを感じている。一方、神話でしか存在しない空想上の霊的な存在を描いたモローの絵に逆にリアルな舞台劇といったものを想起する人もあるはずで、写実主義すなわち幻想的ではないとするのは一面的な見方でしかない。
 話は変わるが、クールベの絵を最初に意識したのは中学を卒業して間もない頃のことだ。小学5年生の時に東京から越して来た男子Tが同じクラスに編入した。たちまち仲よくなって、お互いの家を頻繁に行き来するようになった。両親は家内工場を経営しており、Tの下には妹がひとりと弟がふたりいた。両親は筆者にとても親切で、訪れた時はいつも歓待してくれたものだ。小学を卒業する間近のある日、石を投げ合う遊びをしていて、Tの投げた石が筆者の前歯に当たり、歯の下が少し欠けた。今もそのままになっているが、その欠けた部分を舌で触れるたびにTのことを思い出す。Tは卒業後、地元の公立ではなく、やや遠方の別の中学に入った。そして音信がなくなったが、風の便りで中学を卒業して一家は東京に帰ったと聞いた。Tは絵が上手であったが、体育が驚くほど苦手で、鉄棒がまるで出来なかったことを思い出す。20歳近くなった頃、Tの母親がわが家を訪ねて来たことがある。Tは東京に戻って体を鍛え、見違えるほど逞しくなり、スポーツマンで表彰もされているとのことであった。そんなTが中学を出て東京に戻ってから、一度だけ手紙をくれたことがある。その中には絵はがきが数枚入っていた。ロダンの彫刻やクールベの『海』で、東京上野の美術館に行った時に買ったと書いてあった。その絵はがきの『海』のみはカラーであったが、とても地味な感じがしたものだ。荒々しい海の表情を描いていて、波が盛り上がって山のようになっている。クールベと聞くとその絵を連想してしまうが、その絵も茶色が基調となっている。山育ちのクールベは成人してから海を見たそうだが、驚いたらしい。それはそうだろう。だが、すぐにクールベは海の絵をよく描くようになる。今回の展覧会でもまるでモネの『日の出』そっくりな海の小品があった。クールベは生活に困ったモネを援助したが、親分肌であることがよくわかるエピソードだ。独立独歩の天才、誇りが人一倍高く、そして情もあり、皮肉屋という人物像だ。生涯独身を通したが、クールベには可愛い妹が3人もいて、みな兄思いであったというのは何だか羨ましい。妹たちにしても自慢の兄だったに違いない。どんな時代でも画家は持てる。クールベもあれほどの男前で男らしく、しかも抜群過ぎる技量とアクの強い自己主張があったから、女性に不自由することは全くなかったはずだが、家庭を持たなかったのはなぜかと思う。だが、永遠の野性児は家庭などに収まってはならないのかもしれない。クールベは風景画だけではなく、人物、特に女性を描いても本当に真に迫っているが、これは時代が近いコローも同じで、魅力的な女性を描ける画家は巨匠の条件かと思う。セザンヌは別にして。ところで、今回「うさぎを抱く女」だったか、モデルの女性を大きく使った作品があった。美人とは言えないその表情は印象に強く、たちまちこの絵を最近どこかで観たことを思い出した。結局それは去年の10月、大阪市立美術館での『万国博覧会の美術』という大きな展覧会に出品されていたことを知ったが、19世紀のパリ万博とクールベは大いに関係があり、その後印象派のマネたちがサロン展に対抗してやった自分たちだけの展覧会の先駆的なことを、反骨ぶりを示してクールベは2度もやった。「うさぎを抱く女」はそんなクールベの個展に並べられた1点であったが、都会的美人ではないところがかえってクールベの意図であったのだろう。均整の取れた美人を描けば名画が生まれる保証はないし、クールベにすれば理想化せずに何事もありのまま描くことで迫真性を出すのが目的であった。
 今回の展覧会の最後のコーナーはクールベの弟子の作品がそこそこ並んでいた。クールベを尊敬するというビュッフェの大作が最後にかかっていたが、これには少々意外な気がした。クールベは決して過去の画家ではなく、現在でも影響を受けている画家がいるということを示していた。ビュッフェの絵は例外として、クールベから直接教えを受けた弟子たちの作品はみなそれなりに面白かった。確かにクールベのミニ版の感じはするが、それに終始ばかりしていない作品もあった。だが、何と言ってもクールベの圧倒的な巨人ぶりが逆に照射される気がして、弟子たちの作品は痛々しかった。クールベは地元の有力者の家に生まれたが、今でも地元ではクールベは誇りなのだろう。それは当然と言える。亡命してジュネーヴで没したが、オルナン南方数十キロがジュネーヴであるので、クールベにすれば地元同然の地に戻って来た程度の感覚であったかもしれない。クールベの代表作のひとつに『こんにちは、クールベさん』という作品がある。実はこの絵が今ちょうど茨城の美術館にやって来ている。日本初公開だ。クールベがモンペリエ市の富豪の子息とその従僕に向かえられている絵で、クールベの自信と尊大さがよくうかがえるが、この絵が『天才に敬礼する財産』という別名があるところから、金持ちよりも才能のある者の方が上という思想が伝わって興味深い。今の日本ではどうだろう。成金でも何でも金を多く持った者が偉そうにしている世の中だ。天才など生まれようはずもない。いたとしてもみんなで馬鹿にするのが関の山だ。あるいはたちまち垢にまみれて使い捨てされる。それはさておいて、この絵をパロディにした大きな油彩画が最後のコーナーにあった。右端に立つ横向きのクールベはそのまま模写し、その周囲は全く別な人物などで埋めていたが、これを描いたのがクールベ美術館の運営する人の親か何だかだったと思う。つまり、地元では相変わらずクールベに敬礼していることがよくわかる絵であった。クールベ美術館を大いに宣伝して、出来ればパリだけではなく、オルナンにも来てほしいという地元の観光事業振興のために今回の展覧会が企画されたのかもしれない。だが、それでもかまわないではないか。クールベが大作を描いて、アトリエの壁を取り壊さなければ作品を搬出出来ないという有名な事態もあったが、その時に壊された壁の破片も今回は展示されていた。いかにも自宅を改造した美術館ならではの出品だ。きっとクールベが生きていた時とほとんど変わらない建物なのだろう。時間もお金にも余裕があれば行ってみたい場所だ。クールベの風刺的側面にも触れるつもりが、もう長くなったのでここでやめておく。
by uuuzen | 2005-09-20 21:51 | ●展覧会SOON評SO ON
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