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●緑のタペストリーと絨毯、その5
促メールが右京図書館から届いた。返却の期限の翌日だ。メールが来たのは初めてだ。図書カードを新しく作ってもらい、またネット予約が出来るようにもしたので、返却期限が来ると自動的にメールを送信するのだろう。



メールには、返却が遅れた場合、(返却したその日には)借りることが出来ない場合があると注意を促していた。このことは以前に書いたように、昔通っていた中央図書館でもそうであった。それが右京図書館は少し優しいのかと思っていたが、基本的にはやはり昔と同じで、1日でも遅れて返却するとその日は借りることが出来ない。今までそれが見過ごされていたのは、借りたDVDに予約者がなかったりしたからであろう。また、対応する司書によっても大目に見る、見ないがあると思える。督促メールが来た日には返すことが出来ず、3日遅れになった。さすがにその日は借りなかった。黙ってカウンターに新しいDVDを差し出すと、借りることが出来たと思うが、借りても読む時間の余裕が見つけられそうにない。それに大方は見たいものを見てしまった。季節がすっかり変わり、多少心の余裕が回復してからまた出かけようと思った。そう言えば、まだまだオペラのDVDで見ていないものがある。心の余裕がないのは、時間の余裕がないことでもある。税金の申告をすっかり忘れていて、今夜と明日と明後日しか残っていない。明日は自治会のことで文書を書いて配布せねばならず、また自転車で30分ほどの場所に行く必要もある。あれこれ雑用ばかりの日々で、心の切り替えが難しい。ましてや税金のこととなると、領収書を入れた大きな袋を広げ、毎月の支出の計算をこつこつすることとなって、これがかなりの思い切りがいる。その思い切りは、時間がもうないということが一番の後押しで、否応なく作業に入らねばならない。筆者はいやなことはなるべく後回しする。もうこれ以上引き延ばすことは無理という段になるまでぐずぐずしている。悪い癖だ。年賀状を書くこともそうであるし、このブログもだ。当日中に投稿せず、必ずと言ってよいほど、日づけが変わって2時間ほどして投稿する。これは厳密に言えば期限切れで、誰からも責められないからいいものであって、誰かから依頼された文章であれば二度と同じ依頼は来ない。図書館にDVDを返すことも全く同じで、期限ぎりぎりかそれを2,3日過ぎてしまう。
●緑のタペストリーと絨毯、その5_d0053294_23331312.jpg 右京図書館へのDVDの返却はいつものように自転車で行った。帰りはいくつかのルートを完全とは言わないが、覚えていて、久しぶりに従姉の家のすぐ脇の道へ出ようと計画した。図書館から走り始めてすぐに思ったのは、去年撮ったカリンの木のある畑だ。そこに行くにはだいたいどの道を行けばよいかわかっているが、その日は行くつもりはなかった。にもかかわらず、その木の前に出たので驚いた。カリンの木が呼び寄せたとしか思えない。逆光で、太陽を幹に陰にして写真を撮った。真っ黒な写真になると予想したとおりに仕上がった。その写真よりも、早くも芽吹いている小さな小さな緑の葉を撮りたかったのだが、やはり同じく全体が黒々として緑は映っていなかった。カリンは枯れたものがいくつか枝についたままだ。老醜を晒すと言うべきか、老いたるものの貫禄を見せていると言えばいいのか、春の嵐でひとたまりもなく落下するだろう。予想外にもカリンの木に再会したことから想像出来るように、その日は最後あたりで道がわからなくなり、またもや予想外の場所に出た。方向音痴は治らない。ひどくなる一方のようだ。『この道は初めて走るな』と思っていると、100メートルほど先にこんもりした森のような背丈の高い樹林が見えた。一瞬でそれが梅の宮神社であることがわかり、それと同時に100メートルほど走るとどこに出るかもわかった。予想どおり、昔からよく知る道で、それを右折して200メートルほどで従姉の家だ。予想外の道にたどり着いたとはいえ、目指した道からさほどずれなかったので安心した。これが以前に書いたように90度間違ってひたすら走り、とんでもない地域に出たのであれば、自分の老化ぶりを真剣に悩まねばならないところであった。と言いながら、昨夜のブログの執筆中、「懐中電灯」という言葉を思い出せず、パソコンで「手提げ 灯り」や「携帯 電池式」などの言葉で検索しても埒が明かなかった。その間、5分ほどだろうか。5分もの間、思う言葉が出て来ないことは珍しい。焦りながら階下の家内に訊いた方が早いと考えた。すると即座に「懐中電灯でしょ」と言う。「そうそう、それ。それが思い出せなかった」と言うと、すっかり呆れ果てた顔をして、「よくそんなことで文章が書けるね」の嫌味だ。「懐中電灯」がなぜ思い出せなかったのか。一昨日隣家の天井裏を照らしたのは、直径4センチほどの細い、それこそ懐中に忍ばせるのに最適な形をしていた。だが、そういう小型の懐中電灯は珍しい方で、今はもっと大型の赤いプラステッィクの胴体をした、懐中にはとても収まらない手提げの箱と言ってよい形のものが多い。一昨日はそれで天井裏を照らそうとしたところ、単1の電池がなかった。それで単3電池式の細長いものを使ったが、天井裏の隅までは光源が届かなかった。それはさておき、どこをどう走ったところで必ず目的地に着くのであるから、かえって毎回知らない道を選ぶのは気晴らしにはいい。自分の方向音痴を認めずに済みもする。絶対に間違ってはならない電気の配線ではそんなことは言っておれないから、筆者はそういう仕事に就かなくてよかった。このブログにしてもあちこち誤字脱字だらけのはずだが、それで誰かが大けがをすることもない。
●緑のタペストリーと絨毯、その5_d0053294_23335383.jpg

 懐中電灯の話に戻ると、それを思い出せなかったのは、「懐中」を普段使わないことにもよる。「かいちゅう」の発音からは海中、回虫は思い出しても、懐中はあまりそうではない。「懐中カイロ」は「懐中時計」をどうにか思い出しても、それらを今の若者はあまり知らないだろう。それもあって名前のとおりの「懐中電灯」はあまり作られなくなったのではないか。「手提げ 灯り」といった言葉で筆者が「懐中電灯」を思い出そうとすることには無理があったのだ。話題を変えて、どこに出るのかわからない道を走りながら、梅の宮大社にぶつかった時はほっとした。ぶつかったその道は筆者が京都に出て来てすぐに毎日自転車で朝夕走った。いわば筆者にとって最も思い出深い道だ。梅の宮大社はその名のとおり、梅で有名だ。さきほどのNHK-TVではその梅が満開になったことを映像で紹介していた。庭を拝観する人が最も多いのは梅の咲く頃だ。庭に入らずとも、ぶち当たった道からでも白梅と紅梅が見えた。境内の塀に至るまでに駐車場がある。そこには無断で立ち入ることは本当は許されないが、自転車を道路際に停めて庭園の端まで行った。夕暮れ間近の見事な梅の花だ。紅梅が少しだけ見えているのもよい。梅の宮大社の庭には長年入っていない。確か昔もらった無料入苑券がまだある。使用期限は記していないので使えるとは思うが、20年以上も経ってしまうとかえって使うのが惜しい。従姉の家でしばし話をし、帰宅後に梅酒を久しぶりに飲んだ。漬けたのは2年前か。隣家に実験室で使う20キロはある分厚くて大きなガラス瓶を見つけ、それに漬けた。小出しにしてサントリー・ウィスキー『響』の瓶に詰めているが、最後の1本分となった。梅の実は裏庭向こうの畑にあった3本が宅地造成のために1日で切り倒されるのを目の当たりにしてもらいに走った。このことは以前に書いた。ブルドーザーでいとも簡単に樹齢20年か30年ほどの木が根こそぎにされた。たくさんの青い梅をつけたままで、誰も見向きもしない。それでビニール袋いっぱいもらって来た。それを発芽させようとして失敗。残りの大半を梅酒にした。酒を全部飲んだ後は、実を毎日食べるつもりでいる。食べ終わるのに半年かかるだろう。
by uuuzen | 2013-03-13 23:33 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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