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●柳原良平の資料室、その2
いの場所とはいえ、自販機とベンチを並べているだけの一画で、それが「なにわの海の時空館」のガラス・ドームから海底通路、そしてエレベーターを使って地上1階に上がって来たところの真正面右手にある。



左手は柳原良平を紹介する展示室だ。この休憩室と展示室は入場料を支払わずとも見ることは出来る。これらの位置関係は、図示すればわかりやすいが、実際は少しわかりにくい構造をしている。玄関から入って右手手前にチケット売り場、左手すぐにそれを利用することでしか海底通路に行くことは出来ないエレベーター、そしてそのさらに左手に、海寄りに休憩コーナー、阻止玄関寄りに柳原の展示室だ。確かエレベーターには出口が反対方向にふたつあって、下に降りる時と下から上がって来た時に開くドアが違う。つまり、ガラス・ドームを見た後は、自然と柳原の展示室が目の前に見えるように、そちら側のドアが開いたのだと思う。どうでもいいことだが、このチケット売り場を擁する建物は、数百人の団体客を収容出来るほど大きく、なぜこんなに大きなものを建てたのかと思う。それはさておき、昨日で「なにわの海の時空館」についての説明は終わったが、前回あまり見なかった柳原の資料室について今日と明日に分けて書く。とはいえ、写真をその分撮って来たからであって、書くべき内容がさしてあるわけではない。入ってすぐ、右手に柳原の写真つきの文章を印刷した垂れ幕が下がっている。パネルに貼ってあったかもしれないが、布目が見えたので垂れ幕と表現した方がいい。こうした説明は近年の展覧会ではたいてい見かける。大型のインクジェット・プリンタで打ち出したもので、1点だけでも比較的安価で製作することが出来るだろう。家内はその垂れ幕を全部読んだようだが、筆者は読まなかった。そのため、なおさらここで正確なことが書けない。前にも書いたと思うが、柳原はこの展示室を気に入っているようで、ようやく自分の若い頃の思い出に因む場所に終の棲家を見つけたといった意味のことを書いていた。それが2010年のことだ。ところが3年後に閉館で、実質的には2年半ほどではなかったか。
●柳原良平の資料室、その2_d0053294_2132630.jpg

 これは80を超えている柳原にとってはそうとうなバッド・ニュースで、その心中を推し量ると胸が痛む。作家は自作が人目に触れる半恒久的な場所を生きている間に持ちたいものだ。だが、そんな幸運な人はごく稀だ。自分の家をそうした展示室にしても、生きている間はたまに人が訪れるだろうが、死ねば遺族はさっさと家や作品を換金するか、どこかの施設に寄付して、それで終わりだ。その意味からすれば、柳原の作品や収集品を展示してくれる場所があることは、作家冥利に尽きるのであって、それ以上の喜びはないと言ってよいほどだろう。ところが、前回書いたように、尾道に展示されていたものが企業の経営が思わしくなくなって来たこともあってか、展示室は閉鎖となった。そのまま陽の目を見ないかと思っていると、「なにわの海の時空館」の玄関建物の片隅が空いているとなって、尾道にあった記念館よりかはかなり狭いようだが、また展示が実現した。柳原は大の船好きで、戦後すぐに天保山に通い、戦争で失われなかった船を調べて写生に励んだ。また一方では船の模型をよく作り、それが百数十隻になった頃、新聞に紹介されもした。その黄ばんだ切抜きが、展示室中央の陳列ケースに写生とともに収まっていた。柳原にすれば自分の原点を示す資料だろう。そのケースの右端には、「船」の明朝体の文字を白抜きしてロゴとした船専門の雑誌の表紙が数点あった。これは柳原が描いたもので、印刷の版下にするに拙いので、趣味で想像的な雑誌を作っていたのだろう。それほどに船好きであった。船舶関係の会社に入りたかったのがかなわず、ウィスキーを製造する寿屋に入社し、イラストの仕事で一世を風靡した。その代表作がアンクル・トリスで、柳原の代表作となった。船好きがこうした人物画を描くようになったところに、柳原の人なつっこさがうかがえるのではないだろうか。この展示室の出入り口は全面ガラスで、内部が見えるようになっているが、出入り口のすぐ右手は、この展示室のオープンを記念して、展示室内部から外側に向け、確か2010年に黒のマジック・インキで即席で描いたアンクル・トリスと若い女性がバー・カウンターにいる様子を描いた全紙サイズの横長イラストが飾ってあった。アンクル・トリスですぐに柳原の作とわかるのはもちろんだが、若い女性からもすぐにわかる。これはレイモン・ペイネが描く若い女性像の影響が大きいとはいえ、柳原ならではの持ち味ははっきりとあって、筆者は好きだ。
●柳原良平の資料室、その2_d0053294_21349100.jpg それは60年代の女性のイメージで、今はあまり見かけないタイプのヘア・スタイルや顔だ。そこで思うのは、21世紀になってからの日本の若い女性像の典型とでも呼ぶイメージがあるのかどうかだ。あったとして、それを見事に描く才能があるだろうか。これは柳原のような日本中で知られる大ヒットした商品コマーシャルの有無にもかかっている。大ヒット商品はいつの時代にもあるが、そこに色気漂う女性イメージを持ち込んで成功したイラストとしてのキャラクターがあるかとなれば、筆者はあまり思いつかない。日本酒の黄桜が河童をイメージ・キャラクターに採用し、それを漫画家の清水崑や小島功が描いて今でもよく知られているが、サントリー・ウィスキーのアンクル・トリスとともに、60年代に爆発的に知られたキャラクターだ。今ではどの町や施設でも親しみやすいキャラクターを作り出して宣伝に努めている。その原点は清水や小島の河童や柳原のアンクル・トリスにあると言ってもよい。一方、漫画の「鉄腕アトム」がTVアニメとして放映された60年代、そのスポンサーの明治製菓は商品のマーブル・チョコレートの筒の中に鉄腕アトムのシールを1枚入れて子ども心をくすぐったから、漫画家、イラストレーターが今のキャラクター・ブームの先鞭をつけた。清水や柳原は大人向きの商品に対して仕事をしたので、一般的な認知度は低いように思われるが、60年代に子どもであった筆者でも作品にそこはかとなく漂う色気を感じていたし、その感覚は大人になってからもあまり変わることがなかったから、イメージ・キャラクターは年齢に関係なく、商品の本質を伝え、またそのことを第一前提として会社は作家に依頼する。また、イメージ・キャラクターは昔も今も美男美女を使う場合が多く、それはそれでいいのだが、柳原のこの資料館のような施設は作りようもなく、表現媒体としては質は劣るのではないか。つまり、安易であるからだ。名前は知らないが、サントリーが発売しているビールの「金麦」のイメージ・キャラクターを務めている女優は、近鉄電車の宣伝もするようになった。それが便乗商法と言うべき、安易さの二乗だ。ところで「金麦」は紺色の缶で、ポスターや吊り広告でも同じ色を背後に使っている。紺色に金色で「金麦」と印刷すると、筆者世代は煙草の「ピース」の箱や缶を連想する。その点でも「金麦」は便乗している。また、筆者は「金麦」を心の中ではいつも「キンバク」と読んで、「緊縛」を連想する。男どもにそのイメージ・キャラクターの美しい女性を緊縛したいと思わせるところに、サントリー宣伝部の深層イメージ戦略があるのではないかと疑っている。
●柳原良平の資料室、その2_d0053294_214957.jpg

by uuuzen | 2013-03-05 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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