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●『グエムル』
江(ハンガン)に突然変異で生まれた怪物が出現し、人を食べながら最後は殺される話だ。2006年公開でもう7年前になる。当時盛んにTVで宣伝された。それを見ながら何となく映画館に行く気がしなかった。



●『グエムル』_d0053294_113427.jpg怪獣が走り回り、少女を触手でさらって行く場面など、CGが全体にあまりに作り物めいて成功していると思えなかったからだ。また、『ゴジラ』から『エイリアン』に至るまで、だいたいの怪獣映画はもう手法が出揃っているはずで、それらの模倣的二番煎じを見るまでもないと思った。だが、怪物のCGは予想をはるかに超えた自然な見え方で、日本のTVコマーシャルは使用した場面が悪かったか、画質が違ったのではないか。また、監督は『殺人の追憶』を撮った若手のポン・ジュノだ。その才能には定評があるし、同作と同じソン・ガンホを起用しているから、ひねりが利いていることは充分予想出来た。ともかく、公開当時見ないまま7年ほどが経ったが、先日右京図書館でDVDを見つけて借りて来た。半年以上通いながら、初めて見かけたのは、人気があって貸出が多いのだろう。ついでに書いておく。図書カードは京都市のどの図書館でも使えるが、今月下旬までに新たなカードに更新するように先月言われた。それで、『グエムル』を借りた時に更新してもらった。長年使い慣れたカードは返却せねばならない。司書の若い女性に手わたす時、持参していたカメラで撮影しようと思ったが、その言葉を飲み込んだ。代わりに、「そのカードはいつ発行してもらったものですか」と訊くと、画面を見ながら即座に「1991年です」の答えがあった。何と22年も使用していた。愛着があるのはあたりまえだ。新しいカードはもっとカラフルになった。これが更新されるのが20年後とすれば、筆者は80になっている。その時でもまだ図書館に通っているだろうか。思えばこの22年間、市の図書館にお世話になった。途中で府立図書館に行く方が多くなって、そこでもカードを作った。また、大阪の市立図書館と府立図書館のカードも持っている。図書館でDVDが借りられるのはありがたいが、どの図書館にも置いてあるとは限らない。筆者は借りるより断然買う方が多いのに、買ったまま本は読まない、DVDは見ない、CDは聴かないことがとても多い。2週間という期限つきの図書館から借りる本やDVDはその間に鑑賞、読破するので、かえってよい。買えばいつでも楽しめるとはいえ、あまりに買い過ぎるので買ったことを忘れてまた同じものを買うこともある。それでも自宅を図書館のようにしたい。そのため、図書館で借りて読んだ本をその後買う場合が多い。いつでも図書館で借りられるかと言うとそうではない。時には数年で除籍になる。そのため、長年探している本があるが、発売時は2000円しなかったものが、アマゾンで2万円で売られ、また「日本の古本屋」でも数年に一度くらいしか出て来ない。
 話を戻そう。韓国映画は韓国のTVドラマと兄弟だ。この点を忘れてはならない。『グエムル』を見た日本人の何割がTVで韓国ドラマを頻繁に見ているだろう。『グエムル』は韓国では大ヒットしたのに日本ではさっぱりであったようだ。筆者も見る気がしなかったので、それは理解出来る。怪獣ものは日本が本家という意識があるのだろう。だが、本作は題名こそ「怪物(グエムル)」とついているが、CGで精巧に表現された怪物は比喩として見る方がいい。映画の冒頭では、アメリカの研究者がハンガンに大量のホルマリンを投棄する。韓国の研究者は傍らでたしなめるが、無視される。そこに現在の韓国が置かれた事情が適切に表現されている。ソウル市民の飲料水となる川だ。それが平気で汚され、それに異を唱えることが出来ない。韓国はアメリカに馬鹿にされている。その思いがまず冒頭で暗示される。ホルマリンによってハンガンの生物が異変を起こし、本作の怪物が生まれる。これを原爆の影響で生まれたゴジラのパロディとしてけなす必要はない。本作が撮られる6年前に実際にそうした薬品の投棄事件が韓国にはあったらしい。映画では、アメリカの学者が「ハンガンの水量は莫大であるから、この程度のホルムアルデヒドを流しても、どおってことはない」と嘘ぶく。同じ図式は沖縄を思えばよい。先日亡くなった大島渚は、日本がアメリカのいいなりであることを憤っていた。ポン・ジュノ監督も同じ思いなのだろう。だが、北朝鮮と陸続きで対峙し、停戦状態であるからには、アメリカ軍の威力を傘に着る必要はあるだろう。アメリカのやりたい放題でも、そこは無念を飲まねばならない事情もある。この最初の場面の、大量投棄した薬品によって得体の知れない怪物が生まれたという設定からして、アメリカすなわち怪物であるとの見方を鑑賞者に提示する。アメリカのせいでハンガンに怪物が生まれ、それがハンガン沿いで屋台店を経営する家族をばらばらにしてしまう。川沿いの掘立小屋のような店であるから、これはおそらく不法であろう。ソウル・オリンピックの際、ソウルから屋台が除去されたと聞いた。それが、昔ほではないだろうが、いつの間にかまた営業するようになったことは、韓国ドラマに必ず屋台で飲む場面が登場するところからわかる。この映画では川沿いにぽつんと一戸のみさびしく建っていて、映画用に設置されたセットであることは確実だが、それでも似た店はあるのだろう。でなければ、本作は最初から韓国人に違和感を抱かれた。大ヒットしたからには、そういう店がごくあたりまえに公共の場所を占領し、そういう社会的底辺の人たちに一種の同情があるからではないか。屋台をすべて撤去させることは、街並みをきれいにする点では理想的だ。だが、そうなればそうした人たちの生活はどうなるか。社会で保障するとなると財源が必要だ。それに、屋台があればみんなに便利であるし、屋台経営者の自活という尊厳を損なわずに済む。
 怪物対屋台の家族という図式は、何作目かの『エイリアン』を思わせる。人間とエイリアンの母性本能の戦いがテーマになっていた。本作では家族が団結する。学歴も金もない家族が巨大な化け物と戦うのであるから、漫画だ。そういう味わいは多くの人に見てもらう映画では重要だ。ただの怪獣映画として見る人もあるし、さまざまな社会風刺が真髄であると思う人もある。また、喜劇タッチであるのに、全体に暗いムードが漂って悲劇に傾いて行く。このどちらにも取れるようなところを評価しない人もあろうし、その逆もあるだろう。筆者は途中で少しだれた。映像としては実に迫力があって瞠目されられるが、せっかくのペ・ドゥナの出番は少なく、また最後に彼女が見せる火の点いたアーチェリーで怪物を射る行為は、92年のバルセロナ・オリンピックにおける聖火台の点火の模倣で、これはもっと工夫があってよかったのではないか。あるいは、本作が88年のソウル・オリンピック以降の韓国のムードを反映し、監督としてはオリンピックを想起させる必要があったのかもしれない。話は変わるが、日本での題名『グエムル』は少し覚えにくい。この言葉はドラマ『初恋』でペ・ヨンジュン演じる苦学生が先輩から呼ばれるあだ名と同じだ。そのドラマでは、「ケブル」と聞こえ、真ん中のブにアクセントがある。超人的な活動をする者をそう呼ぶのは日本でも同じだ。ハンガンに生まれた謎の生物をそう呼んで本作の表向きの主役に据えるのは、韓国社会にそのような存在が覆いかぶさっていることを思わせる。何度も書くようにそれはアメリカで、このことは本当は日本はもっと深刻に考えるべきであるはずなのに、本作が日本でヒットしなかった事実は、日本はアメリカを韓国のようには思っていないからであろう。だが、これは問題ではないか。自民党は憲法を改正し、アメリカ頼りになることから脱却しようと考えている。ならば、そういう動きに応じた映画が撮られてもいいはずなのに、それどころか本作が話題にならない。なっても怪物映画のCGがどうのというレベルでは、無理解がはなはだしいのではないか。韓国の方がよほど国家のやり方に対して物申すという考えが国民に広く浸透しているように思える。そうとすれば、本作が韓国で大ヒットしたことは、政府やアメリカにとってつごうが悪い。にもかかわらず、政府もアメリカも全く意に介さないとすれば、それほどに彼らが怪物であって、国民は抵抗しても負けるしかない。しかし、戦うことは忘れてはならない。そういう思いがこの映画からは汲み取れる。
 ハンガンに怪物が生まれたので、必然的にその出生地から最も近いところに住んでいた小さな店の家族が襲われる。そして彼らが武器を持って戦うことになったのは、物語としては辻褄があっている。だが、いわばやりたい放題の象徴である怪物すなわちアメリカと、韓国社会の底辺に属する家族が戦う図式はかなり非現実的ではないか。そう思うのは、韓国の事情を知らないからであろう。沖縄を見てもわかるように、アメリカ兵が少女に強姦を働けば、島中でデモが起こる。それを冷淡に見つめている本土からは、この映画の意味がわからなくて当然だ。ハンガンの怪物が貧しくても仲のよい一家を襲うという設定は、全く現実的なことだ。アメリカを怪物にたとえているために娯楽作品となっているだけのことで、本質は暴れ回るアメリカに対し、なす術がない庶民の悲しい物語だ。また、本作で重要なことはアメリカだけが悪いのではなく、韓国の国家権力だ。彼らは貧しい一家のことなどどうでもよく、話をまともに聞かない。日本でも同じではないか。富める者が権力者とつながっていて、貧しい者たちから薄く全般に、そして長期に、いや永遠に搾取し続ける。貧しい者はせめて家族が一丸となって暮らすことを幸福と思うしかないし、それこそが健康的な真実であると思い込むほどに、未来は明るくなく、生活は慎ましい。家族愛はどんな韓国ドラマにも描かれている。そのことに違和感を抱いて日本では韓国ドラマをはなから見ようとしない人が大勢いる。血縁は絶対的に大切なものではなく、むしろ冷淡に見るべきものという空気さえ漂っている。儒教を享受した国同士であるのに、この点はかなり違っている。血縁を重視するあまりの弊害はもちろんある。だが、「血は水より濃い」にどれほど反論出来るだろう。TVドラマは比較的貧しい人たちに幸福感を与えるように製作される。本作が大ヒットしたことは、同じように貧しい人がお金を払ってでも見たい何かがあることが伝わったからだ。繰り返すと、それは韓国ドラマにおいて絶対条件のように君臨する家族愛が描かれているからだ。これが日本では韓国ほどではない。そのためにも本作はヒットしなかった。韓国ではTVドラマと映画とでは絶対的な差があるかと言えば、そうは言えない。筆者は本作にTVドラマと同じ家族愛の強さを見たが、結末が示しているように、血縁者以外に冷淡かと言えばそうではない。これまたTVドラマでも盛んに描かれることで、韓国には血はつながっていなくても、哀れな人と縁があれば、それを大事にするという思いがある。少なくとも、そういう傾向がTVドラマからは汲み取れる。これは韓国社会にキリスト教が根づいたからではないだろうか。本作ではそうした宗教色はなく、葬式の場面では仏式に近かった気がするが、どんな宗教であれ、他者を慈しみ、助けるという思いが本作の最後に描かれる。そういう一種のお涙頂戴的な筋立ては日本では、また怪物が登場する映画では好まれないだろう。本物のように見える怪物が派手に暴れ回る様子だけがほとんど見物という作品を監督は意図しなかった。その一種の裏切りが日本では歓迎されなかった。ジャンル分けにこだわるからだ。後進の韓国が独自の映画を撮るとすれば、先輩格の日本やアメリカの手法を引用しながら、今までになかったものを生まねばならない。その思いを本作は成し遂げている。本作を日本がリメイクすると、子ども騙しの幼稚なものになるしかないだろう。そして、それを歓迎して大ヒットする可能性はあるが、それは権力に立ち向かうことや家族愛を笑でごまかすことになって、寒々とした日本の現実を確認する本当の恐怖映画になるかもしれない。
 本作は随所に笑いが込められているという意見がある。まず怪物に向かう家族がそうだ。社会の底辺にいる人たちなので、笑われても当然という見方かと言えば、筆者はそうは思えなかった。本作で笑った箇所はなかった。笑えなかったのはホームレスの登場だ。ハンガンに架かる橋の橋脚に住む身寄りのない子どもふたりが登場する。彼らは食糧を盗んで生活している。お金には手を出さない。それは現実的ではないだろうか。そうは思えなかった。お金を盗むことは悪いことで、食べ物はまだ許される。そのような価値観を持っている子どもはまともだ。食糧を盗むのはもちろん悪いことだが、それを自覚しながらも、生きて行くためには仕方がない。お金を奪えば泥棒になり下がる。弟は兄のそういう言葉に反論するが、兄の思いは何となくわかる。ホームレスなりに律することがあるのだ。そういうホームレスの子どもが実際いるのかどうか。そういう子どもがいるとする本作に対し、韓国政府はあまりいい思いをしなかったであろう。北朝鮮ならばわかるが、経済成長著しい韓国でそんな子がいれば、たちまち政府が世話をして、しかるべき家に住まわせると、役人や金持ちは言う。だが、束縛を嫌ってホームレス生活をする子どもはいると思えるし、本作がそういう社会のドン底の人たちに目を留めていることが面白い。映画の最後でその子を引き取って一緒に暮らすのが、川沿いで屋台店を経営しているソン・ガンホ演じるパク・カンドゥだ。これは貧しい者がさらに貧しい者を助けることであって、金持ちはその関係から除外されている。彼らの関心にホームレスの子どもなどない。カンドゥの家族は父と妹ふたり、弟がひとりいるが、怪物と戦って父は死に、下の妹は食べられてしまった。家族が減った代わりに身寄りのない子を引き取るのは、貧しい者の優しさだ。そんな心は怪物のアメリカにも、国の役人にも、また金持ちにもない。そういう社会の底辺に近い人たちの思いが本作に表現された。強烈な風刺で、これは何百年も前から韓国に流れる、庶民の権力者に対する風刺仮面劇の伝統をそのまま引き継いでいる。そして、怪物はまた生まれるし、それに貧しい者は脅かされ、戦ってぼろぼろになるという構図もなくならない。救いがないようだが、それが韓国の現実であり、また民衆の逞しさはなくならない。CGで怪物をリアルに登場させながら、本作の本質はもっと現実的だ。TVドラマではおそらくあり得ない設定でありながら、身内の団結については共通している。身内も含めてあまり熱い人間関係は苦手という人は本作を評価しないだろう。
by uuuzen | 2013-01-23 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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