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●レゴ遊び
具と書けば「おもちゃ」ではなく、「がんぐ」と発音してしまう。筆者がおそらく初めて買ってもらったおもちゃのことを昨日書いた。セルロイド製の天井からぶら下げるメリーゴーラウンドのようなものだ。



それは性別を問わないものだが、ピンク色が多かった記憶があるので、女の子向きだ。少し大きくなって買ってもらったのはロボットだ。その後は拳銃で、あまり刀には興味を示さなかった。また子どもが近所にやたらと多かった時代なので、外でビー玉やべったんで遊ぶことが多かった。筆者より数歳上の男子はべえゴマでよく遊んだが、筆者はコマを回すのが下手で、好きになれなかった。また、都会であるので電線が邪魔をするので凧を揚げた記憶もほとんどない。日光写真もよく楽しんだ。先日ネット・オークションで知り合いの業者が日光写真のネガを含め、筆者が小学生低学年の頃の遊び道具を大量に出品した。よくもまあ、消耗品であったそうしたものを大切に保存していた人がいるものだ。とても懐かしいが、入手したいとまでは思わない。息子が子どもの頃にどんなおもちゃを買ってやったろう。数歳頃にレゴを買った。それは今も保存してあるが、比較的高価なおもちゃなのでたくさん買わなかった。いや、ほんの少しと言い代えた方がよい。精密に作られたおもちゃで、似たものはたくさん見かける。そのなかで幼稚園児かもっと低年齢向きの、空気が入ったもっと大きなピースを組み合わせるものがある。それは日本が開発したのではないだろうか。レゴはピースが小さいので、飲み込む恐れがあり、幼児向きではない。レゴ社はそれをよく理解して、比較的低学年向きの商品も開発した。それは次々に人物の絵柄や形が異なるものが発売された。さまざまな職業を表現したもので、それらの職業に合わせたピースやパーツも販売された。今でも新シリーズが発売されているはずで、しかも最初に発売した直方体のブロック・ピースの丸い穴に適合するように作られている。つまり、いくら新シリーズが出ようが、最初に発売した商品とともに使うことが出来る。これはとても親切で、世界に誇る企業の面目がある。息子にレゴを買ってやった頃は、ちょうどその職業シリーズが出始めたと思う。それらの人体は首と胴体は二分されるし、また胴体は上下にも外れる。そこで違う人体と組み合わせて何の職業かわからない遊びをした。そういう出鱈目な組合せを幼い息子はどう見ていたろう。息子より、父親が夢中になっていたかもしれない。
●レゴ遊び_d0053294_1223555.jpg それはさておき、子どもの頃にどういう遊びをしたかは大人になった時の性格作りに影響するだろう。あるいは子どもの頃の遊びに、すでに大人になった時の性格が見えているかだ。そこで女の子にはかわいい人形を与えて、なるべく室内で遊ばせ、将来従順な妻になるように仕向ける。一方、男子は寒くても外でやんちゃするべきと考える。そういう性による育て方の差は30年ほど前から批判され、今はかなり曖昧になっていると思うが、おもちゃを見たことのない女子と男子を部屋に置き、かわいい人形と拳銃や刀を一緒に並べておくと、女子が人形を取り、男子が拳銃や刀を取るかと言えば、これはたくさんの子どもで実験してみないことには結果はわからない。男子であるから周囲から男らしくあれと言われながら育っても、大人になって性転換手術して女になる人が今はよくいるから、幼少時に使うおもちゃで将来の性格はわからないだろう。筆者は動くロボットや拳銃を買ってほしいと母によくせがんだ記憶があるので、ごく普通の男子であったと思う。また、外で遊びはしたが、家の中で遊ぶことも好きで、塗り絵をしたり、大きな紙にすごろくを作ったり、トランプ遊びも盛んにした。トランプ遊びはひとりででも出来る。トランプを立てて城を作ったり、また自分流のルールを作って占いのようなことをした。部屋の中での遊びで最もよく記憶するのは、絵を描くことだ。小学1年か2年の頃に母が使っているインクとペンに興味を示し、母がいない間にこっそりそれで字や模様を書いた。鉛筆ではもっとで、これは誰しもだろうが、漫画をよく模写した。息子が成長する時の遊びを見ていると、鉛筆で迷路を描いたり、漫画の模写はよくしたが、絵の道に進むことは早くから禁じた。その才能がないことを自覚させたと言えばよいだろう。親がそうしても本人が好きならばこっそり隠れて描くはずで、またそれほど好きでない限り、絵の道では成功するはずがない。息子にはそこまでの熱心さはなかった。息子が中学生の時、美術の若い女性教師から目をかけられた。年賀状が毎年届き、今年のものには、息子の感性がよかったので何か創造的なことをしているかと訊ねてあった。残念ながら、先生の予想とは全然違う人生を歩んでいる息子で、筆者は息子の才能を早々と摘んだかもしれないが、前述の思いは変わらない。絵を描いたり、彫刻を作るなどの行為は、自発的でなければならない。何よりもそうすることが好きというのでなければ、人に感動を与えることが出来るはずがない。そして、そういう性質は幼少時に与えられたおもちゃが影響しているのかどうか。あまりおもちゃを与え過ぎると創造性のない人間に育つという意見がある一方、おもちゃが欠乏した子どもは人間的魅力に欠ける大人になるといった意見もある。レゴはどうなのだろう。
●レゴ遊び_d0053294_1225532.jpg レゴは組合せによって好きな形を作ることが出来るので、絵を描いたり彫刻を作ることに多少似たところがある。レゴを作った高さ2メートルほどの彫刻が国立国際美術館の所蔵品になっている。それはデジタル画像のように、近寄って見ればぎざぎざしていることの面白さを狙ったもので、レゴでなくてもよかったように見えるが、レゴで意味不明の形を構成している点が見どころだ。レゴでゴッホやモナリザの名画を表現する試みがあって、その写真をブログに載せた記憶がある。誰でも考えつきそうなことで、そうした作品が美術館の所蔵になることはまずない。現代美術の作品を目指すのであれば、意味がわからないほどよい。レゴは誰でも知っているので、それで誰にもわからないものを作るべきだ。その徒労とも言える行為が芸術では尊いとされる。わかりやすい、また目的がはっきりしているものは芸術とはみなされない。さて、これは11月か12月のいつだったか忘れたが、山口晃展を京都駅ビルに家内と見に行った時に、駅ビルでレゴ展があった。京都駅構内を南北につなぐ屋内通路際の小さなスペースで、レゴで作った前述の職業シリーズの人体を2,3体見かけた。レゴでレゴのキャラクターを作る行為は、やはり誰しも考えそうなことで、芸術ではない。だが、レゴ・ファンは芸術でなくてもいっこうにかまわない。そうしたファンがたくさんいて、そのレゴ人形の写真を撮るのに苦労した。山口晃展を見終わってまたその場所に戻ると、レゴ展の本番はその向こうの大階段を上がった屋上の一室で開催されていることを知った。入場無料というので早速向かった。駅ビルの東側はホテルや劇場があって、筆者は二、三回しか行ったことがない。ほとんど屋上に近いところでそのレゴ展が開催されていて、暗がりの中、エスカレーターを乗り継いで会場の脇に着いた。外から見る大きな部屋は、灯りが点ってまだ入場出来そうな雰囲気であったが、警備員から閉館を告げられた。すぐ隣りでは結婚式があって、休憩なのか、ウェディング・ドレスとタキシード姿のカップルだけが笑顔で暗がりに出て来た。雨でなくてよかった。また、昼間であれば青空が見えてよいが、屋上には光る装置があちこちあって、それなりにムードはよい。レゴ展の目玉作品はレゴで作った京都駅ビルだ。どの程度の大きさか知らないが、駅ビルが購入して常設すればいいではないか。だが、レゴの宣伝をなぜ金を出してまでやるのかという批判を受けるだろう。最後に書いておく。地元の市会議員から年賀のあいさつとして封筒が届いた。その宛名書きの下に、同議員がレゴの人体になり変わったイラストが描いてある。この議員はいつも左手を挙げてガッツ・ポーズで写る。このイラストはその様子をなぞらえているが、レゴであるので、掌は握った形ではないのが残念だ。それでもよく出来たイラストで、遊び心がある。この議員は子どもの頃にレゴで遊んだレゴ・ファンなのだろう。レゴの職業シリーズに議員があるのかどうか。なければこの議員のイラストを参考にすればよい。
●レゴ遊び_d0053294_123852.jpg

by uuuzen | 2013-01-09 23:59 | ●新・嵐山だより
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