●嵐山駅前の変化、その246(ホテル4階、その3)
怖を感じる高さがある。落ちれば大けがをすると思う場合だが、飛行機に乗るとそのあまりの高さにかえって恐怖を忘れる。あるいは考えないようにする。



筆者の幼ない頃に家の裏手に焼けた工場の煙突がさびしく立っていて、その半分崩れた鉄の階段をよく上り下りした。てっぺんまで10数メートルの高さで、そこまで行って煙突の中の暗い穴を覗き込む勇気はなかったが、その2,3メートル手前までは何度も上った。それが恐怖を覚える限界点であったのだろう。手を離せば地面に落ちて死ぬかもしれない。あるいは階段は腐食してところどころでコンクリートから外れてぐらついているから、筆者の体重で折れるかもしれない。そんな心配も頭をよぎった。なぜそんな危ない遊びをしたか。近所の同年齢の子どもたちもしていたという理由よりも、家のすぐ裏手に立っていてよく目についたからだ。煙突が招いていたのだ。アホと煙は高いところを好むという言葉はもちろん知っていたが、高い建物が少なく、そんなところにほとんど上る機会がなかった当時、その煙突は恰好の遊び道具となった。上がって行く時よりも下りる時の方が怖かったが、その理由は今でもよくわからない。もう数段で地面というのに怖さは去らず、ようやく地面に足が着いたところで安心する。これは煙突にへばりついている時はずっと神経が張りつめていたからで、その緊張感が好きであったのかもしれない。そんなスリルは日常生活にはなかった。いや、今でも探せばいくらでもある。そういう危険な遊びをしている間に事故に遭う。それでも子どもがそういう遊びをやめないのは、胆だめしの行為にほかでは得られない面白味を知っているからだ。大人が大金を賭けてギャンブルに興じるのと根は同じかもしれない。衝動へ踏み込む時の恐れが生きていることを実感させる。これは初めての女性の体を前にそれに挑む時の感覚にも似ている。男はそのようにしていくつもの恐怖の壁を越えて行かねばならない。そう思うと幼ない筆者が煙突のてっぺんまでよじ上りながら、暗くて深い穴を覗き込まなかったのは、子どもらしいいくじのなさゆえであったかもしれない。そのことが大人になってもさして変化していないことを自覚するが、恐怖を感じることは理性が働いていることでもあり、言い訳ではないが、それだけ大人びてもいたと言える。いやいや、やはり言い訳だ。大人になっても危険な遊びに生き甲斐を見出す人はいる。それは高所から落ちるといったことではなく、一瞬で大金をすってしまう賭博だ。そんな遊びが大昔からあることは、人間が乗るかそるかの危ない橋をわたるのが好きなことを証明している。
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 今日の写真は駅前のホテルの4階から駅前を撮ったものだ。2枚は同じ方向を見下したものだが、撮影した部屋が違うのでつながらない。いつも見上げているホテルから、見上げている場所を遠く見下ろした。この写真を撮りたかったのは駅前にホテルが建つと聞いた時からで、密かに期待したことが実現した。この窓からの景色は幼ない頃の煙突の上から見下ろした時の思いとはそうとう開きがある。高さに大差がなくても、周囲に間近に建物が迫っていない分、ホテルから見下ろす方がはるかに恐怖心を煽る。だが、予想しなかったこととして遠くにかすかに山並みが見えるなど、いわゆる絶景の楽しみが勝って怖さを消す。それにしても見上げた時にはさほど高いと思わないのに、下を見ると人間が豆粒のようで倍ほどは高いように感じる。これは人間がいかに地面にくっついて生きている動物であるかを再認識させる。2枚目の写真左端近くにベージュ色の小屋が見える。そこに立ってホテルの全景を撮影し続けた。その写真はもう2,3枚は後日載せるが、普段見ている場所を見返した写真を撮ったことで関係は完結した。憧れというほどではないが、行ってみたいと思い続けた場所に訪れることは嬉しくもあり、またひとつの期待が減ったことでさびしさもある。人はそのようにしていくつもの望みを達して行く。そして望みが全くなくなることの恐怖を知る間は生きている充実やその価値を知っていることであり、恐怖を知らないことは生きている意味もないと言える。それは未知のものであればどんなことの中にも見出せる。たとえば聴いたことのない音楽だ。筆者は1枚の未知なCDを前にして即座にそれを聴くことが出来ない。そのため、前にも何度か書いたように、買ったまま聴いていないものがたくさんある。聴くにはそれなりの覚悟がいる。だいたい内容がわかる場合はあまりそういう気分にはならないが、予想がつかないものであればどこか身構えてしまう。数時間前に解説書執筆ための資料としてザッパのユニヴァーサル盤が15点届いたが、ザッパを聴いたことのない音楽好きな人はザッパのCDを前にして同じ気分になる場合が多いのではないか。だがロックはうるさい音楽で趣味ではないと自覚する人は固定観念に染まっていて、未知の音楽を前に打ち震えることは少ないだろう。そういう人は最初から音楽に求めるものは限定的で、恐れを望まない。長年聴き続けているため、筆者は今さらザッパの音楽に恐れを感じないが、それでも音が少し違っているという情報を前提として、届いたCDを聴くには手と心が震える。
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by uuuzen | 2012-09-24 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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