荷が重い思いをして今夜もムーギョとトモイチに買い物に行って両手いっぱいで帰って来た。日が暮れるのが早くなっている。彼岸であるから、これからはもっとだ。
買い物の荷が重い思いをしたのとは別に、今日は敬老の会でたくさんの折り畳み椅子を運ぶなどの力仕事をし、普段あまり使わない筋肉を動かした。敬老の会は自治会に加入していて70歳以上の人を対象に、毎年今頃、小学校の講堂を借りて行なう。その掃除から始めるが、床があまりに綿埃だらけで驚いた。大きなモップが10本ほど常備してあるから、その気になれば10分ほどできれいになるのに、児童に掃除させないのだろうか。また、講堂内部を掃除していると、運動場が見え、そこで10人ほどの老人がゲートボールをしている姿が見えた。敬老の会をやろうとしているのに、それに参加せずに別の遊びだ。個人の勝手とはいえ、何となく腑に落ちない。それはいいとして、講堂の舞台を使っての演目は、幼稚園児や小学生、PTAの歌に合わせたダンス、有志の婦人の踊り、また懐かしい歌を合唱したり、プロの漫談家の話を聞いたりする。昼食つきで、これは社会福祉協議会の人たちが学校の教室を借りて作る。参加老人の分が163個であった。自治連合会全体ではこの6,7倍の対象となる老人がいるが、大部分の人が無関心であることがわかる。また半分の参加でもとても講堂に入り切らない。レンタルで椅子を借りるが、舞台の様子がどうにか見える後方までそれを並べてもせいぜい200人分だ。200人に達すればいいが、毎年この壁を越えられない。高齢者は増加の一途で、敬老の会を世話する人もやがてほぼ全員その対象者になる。つまり、70歳以上の人を楽しませる会を運営するのが70歳以上だ。何となく滑稽だが、これが現在の、そしてこれからの日本の姿だ。園児30人が舞台で踊った時、老人席のすぐ後ろにその倍ほどの若い親が横一列になってビデオ・カメラで撮影していた。わが子のかわいい姿を留めておこうというのだが、よほどのことがない限り、そうして撮った映像をそう何度も見ない。筆者は息子の写真を小学校を卒業するまでに大量に撮ってアルバムに整理した。それを息子は全く見ない。喜ぶのは親だけだ。筆者の年齢になればわかるが、本当に価値ある写真は子どもの頃の数枚だ。それさえあれば後は不要だ。その数枚は白黒で名刺サイズに満たない小ささであったりする。写真でもビデオでも撮り放題の世の中になって、その価値が落ちた。それらをたくさん残して死んでも遺族が処分に困るだけで、遺影が1枚あればよい。それさえもこれからの少子化では残らない。影のような存在の人間が影のような写真やビデオをたくさん撮る。これは60年も生きて来たシニア世代の苦い思いで、若い人はそんなことは考えず、わが子を前にその姿を撮る。そうそう、小学2年生数十名の歌に合わせた踊りの列の端に、みんなとは違う動きをする男子がひとりいた。最初はふざけているのかと思った。みんなが懸命に動きを合わせているのに、その子だけがおちょくっているような素振りだ。やや太めで男前だ。歌の半ばでわかった。その子はみんなに合わせることが出来ないのだ。筆者はその子から10メートルほど離れたところに座っていた。筆者の前に割り込むような形で中年男性が途中からやって来て、熱心にその子にカメラを向けている。演目が終わった時、全員上手の方に走り去ったのに、その子ひとりが同じ場所に突っ立ったままであった。中年男性はにこにこしながら歩み寄り、肩を抱いて下手の扉に向かった。知恵遅れなのだろうか。うっすら笑顔を浮かべてそのように見えないが、いとおしい感情が湧いた。どのように授業に参加しているのだろう。いじめに遭わないでほしい。
昨夜「止まれ」の路上の白い文字について書いた。それは昨夜のニュースに児童の登下校の道で危険な場所が日本全国に1万件以上あることを伝えるものがあったからだ。歩道幅が65センチほどしかなかったりして、車が少しハンドル操作を間違うと大変なことになる。以前に何度も書いたように、人と車が同じ道を利用するのがおかしい。それを現代の野蛮と気づかない人はかなり神経が摩耗している。であるから、昨夜のそのニュースは何を今さらと思った。またそんな危険な道が全国にたくさんあるとわかっても、どう出来るというのだ。車優先の社会で、人は縮こまって歩き、時には歩道橋を利用せねばならない。筆者はムーギョへの往復に、少し遠回りになっても車があまり走らない道を選んでいる。バスが走る真っ直ぐな道の歩道が最短コースであるのはわかっている。ところが、真っ直ぐであることをいいことに、時には100キロくらいの猛スピードを出す馬鹿野郎がいる。そんな車が少しハンドル操作を間違うと一瞬で筆者はあの世行きで、運転手はせいぜい数年で社会に復帰する。こんな馬鹿な話はないが、それが現実だ。そういうことに巻き込まれたくないので、車と並んで歩かずに済む道を歩く。とはいえそれも限界がある。昨夜書き足りなかったことがもうひとつある。学者のことだ。その続きをやるのもいいが、気が滅入る。少しだけ書くと、原発事故がらみの話だ。最近また原発事故のその後が気になってネットであれこれ読んでいる。領土問題で今はみんな熱くなっているが、大きなニュースがあるとすぐに以前の深刻なことは忘れる。これは世界中どの国でもそうだろうか。調べようがないが、概して人間はいやなことは忘れる。広島の原爆2000発分の放射能が撒き散らされたという話など、誰でも忘れたい。世界に対して恥ずかしいことであり、まるで頬かむりだ。原発事故やその後の処理が外国でどう報道されているだろう。日本はつごうの悪いことは報道したがらないから、この問題は外国に暮さねばわからない。ネットであれこれ読んでいていつももどかしいのはそういう点だ。ネットは世界中とつながっているから、その気になれば外国の声を聞くことは出来る。ただし、英語だけでは限界があり過ぎる。そのため、ネットでいろいろ幅広い情報がわかるとはいえ、知れば知るほど憂鬱になる。本当に知りたい肝心なことがわからないからだ。そういう中で原発事故による放射能が広範囲に降ったことは確かだ。その影響がどう出て来るのか。そして昨夜は黒澤明の映画『夢』を思い出していた。あの映画ほど日本の姿を予言したものはない。ところが、放射能の影響をあまりうるさく言うと東北の農家などが反論する。それで1年経って果物も野菜も魚も市場に出ている。全部放射能を調べているというが、簡単な計測器で簡単に調べてわかるのだろうか。まやかしや気やすめがないのか。この問題は老人が急速に増えていることと関係しているように思う。確かに何歳になっても死にたくはないが、70年も生きれば後はせいぜい10年が元気で、そうなれば放射能の影響も出にくい。つまり、老人国家にますますなりつつあるので、放射能に少々汚染されていてもいいという思いだ。もちろんそれは自分勝手だが、それを率先してやっているのが政治家や御用学者で、自分の子孫だけに金を残してやればいいとしか思っていないだろう。話が中途半端になった。やはり荷が重い話題であったか。今夜はこれまで。今日の写真は去年9月12日に撮った駅前ホテル4階の露店風呂だ。この風呂がついている部屋が最も料金が高い。とても狭いけれど、天国で風呂に入っている気分かな。烏がやって来て糞をしなければいいが。