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●嵐山駅前の変化、その232(円形階段、ホテル)
上げで思い出した。その前に断っておくと、昨日の投稿と同じく今日は去年9月6日に撮影した駅前写真を載せる。昨日だけでは合計7枚となって長文になり過ぎる。それで2回に分ける。



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温泉施設がやがて出来る桜の林の前の地道のうち、南の車道との接点部分に続けて1メートルほど同じ高さに土が盛られ、現在はアスファルト舗装されている。そのように高く盛る必要はなかったと思うが、桜の林側が急な坂になっていたので、なだらかにした方がよいと判断されたのだろう。このことについては地蔵盆の足洗いの宴席で興味深い話を聞いたが、それを書く前にまず昨夜気づいたことを。筆者は毎夜就寝が2時から3時の間になる。2時であっても眠り込むのは3時頃だ。昨夜は裏の小川で変な音を聞いた。先日は大きな鳥と獣の戦いのような音で度胆を抜かれたが、昨夜はもっと不気味であった。最近は毎日雷雨があって、小川は常に並々と水量がある。とてもそこを歩いてわたることは出来ない。水深は1メートルほどだが、屈強な男でも油断した隙に流されるだろう。それほど流れが早い。寝るのは2階で眼下に小川が見える。そのため川や岸辺の音はとてもよく聞こえる。床に就いて10分ほどした頃、小川の中を誰かが歩く音がした。ザブリザブリと流れに当たる大きな音が聞こえる。びっくりして部屋の灯りをつけずに少しだけ開けている窓の隙間から川を見下ろすと、暗くて何も見えない。見えないが、遠くの街灯によってかすかに草は見えている。また大きな動物がいればその形くらいは見分けられる。2階では低いので3階から見ようかと思ったが、起き上がるのが面倒だ。もう少し音を聞いてやれと思ってさらに耳を澄ますと、もう音がしない。音が鳴っていたのは20秒ほどだ。絶対に誰かが、あるいは何かが水の中を歩いた音だ。その何かが岸からわが家の裏庭に入って来る可能性はある。そうなれば警察に電話するしかない。結局何事もなかったかのように静まったので、そのまま寝た。そして今日は昼に岸辺に出てみたが、昨夜何かが徘徊した様子はわからなかった。考えられるのは猫だ。猫は小川沿いからわが家の庭をよく歩く。だが猫は水を嫌う。まさか水浴びのために水量たっぷりの小川に入ることはない。では何が水の中を移動したか。その可能性が最も大であるのは猪か鹿だ。猿もわが家の裏庭には入って来るが、真夜中の川の中に入ることはない。小川沿いには数十坪の小さな畑がある。そこはよく鹿に野菜を食べられる。そのため、網を張ったりしているが、それでも効き目はあまりないらしい。小川向こうに畑があった時も鹿の被害はさんざん耳にした。嵐山から鹿が深夜になると降りて来るらしい。実際に遭遇したことはないが、わが家のすぐ前で見かけた人もある。裏庭向こうの畑は埋め立てられて家が建て込んだ。もはや鹿の餌はない。だが、すぐ近くの川沿いの畑がある。それは鹿にとって最後のボーナスのようなものだ。そこで育てられる野菜を目当てに深夜山からやって来るのだろう。その畑に入るには幅60センチほどの川に架かるコンクリートの橋をわたらねばならない。大回りしてわが家の表側から畑に至ることも出来るが、そのルートならば駅横の人通りのある明るいコンビニ前を通らねばならない。小川を横切るならば、橋の端にある高さ1メートル80センチほどの鉄の扉を越える必要があるが、助走をつければ跳び越せる。橋をわたれば直接畑に入ることが出来る。だが橋は狭いので一歩間違うと川に落ちる。昨夜はおそらく鹿は橋を利用せずに川をわたった。それほどに大きな動物が水の中を歩く音がした。鹿にとっては命がけだ。人間に見つかる可能性もある。それにしても哀れなことだ。
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 人間は埋め立てた土地を棲家にする。日本は特にそれを戦後盛んに行なって来た。これは駅前の変化と言うにはあまりに古い話だが、自治会の配り物をしていると、昔この道はどうであったかと思うことがある。というのはその道は戦後出来たのは確実で、家も含めて区画整理がなされている。道の両側の家並みは半世紀ほど前のもので、何代にもわたって住みついている人たちではない。その点では旧住民とは呼べないが、旧住民の子どもがいたりするので、旧住民的でもある。そのような比較的新しい区域が、江戸時代以前からある法輪寺前のバスが通る狭い旧街道の裏手に2か所あって、半世紀前はどのような状態であったかが気になっていた。宴席でそのことを思い出して旧住民に質問すると、意外な答えが返って来た。旧街道沿いのみ家がまばらにあって、家の裏はすぐに崖が迫り、そのまま坂となって小川につながっていたそうだ。またわずかに川沿いに畑があった。わが自治会は山が迫った地域だ。江戸時代の土木技術では完全な土地の嵩上げは出来ない。戦後になって旧街道と同じ高さにまで土を盛り、杭を何本も打つなどの基礎工事をして利用価値のなかった斜面を、家が建つ土地に変えたのだ。工事は大量の土が必要で、ひとつの町をそっくり新たに作った。海でも埋め立ててビルを建てるのであるから、木造の2階建ての家並みくらいは簡単であったろう。かくてその半世紀前に出来た新しい町は、反対側、すなわち小川沿いから見ると、小川のはるか上空に家があり、そこから垂直にコンクリートの壁が視界を遮っている。数年前に数階建ての大きなマンションがわが自治会に出来た。そこは以前は家が2,3軒建ち、しかも大きな池があった。その池を埋め立ててマンションが建った。桂川から水を引く小川こと用水路は、雨が強く降った後は堰の水量を調節する。数百年に一度の豪雨があれば、その堰の高さを超えるほどの水が溢れるはずで、そうなればマンションの1階は水に浸かる。そしてもっと土地の低いわが家はおそらく2階あたりまで水が来る。そんなに水気の多いところであるから、いくら擁壁をコンクリートで造るとはいえ、小川ぎりぎりに家を建てるのは好ましくない。それは無理をしている。それを思わせる事故が20年ほど前にあった。前述の半世紀前に出来た町の外れに、まだほんのわずかな斜面が残されていた。地元の建設業者はそのあまっていた土地に目をつけた。おそらく格安であったのだろう。土を盛り、擁壁を造って同じような家が1軒だけ建った。出来た当初2,3度お邪魔したことがある。ところが建って2,3年で擁壁が小川に崩壊し、家が大きく傾いた。これが新聞沙汰になった。業者は信用問題にかかわるので、慌てて一時的に引っ越してもらい、家を取り壊して擁壁を造り直し、地固めを強固に実施し、同じ形の家を建てた。だがその家に住み続けるのはあまりいい心地はしないだろう。一家は子どもが巣立ってすぐに関東に引っ越して行った。筆者ならいくら嵐山がよいとはいえ、その家には住みたくない。窓の下は垂直な崖で、眼下に水の流れが見える。それなりに面白い景色だが、それは現代の土木技術によって造ったもので、自然から見れば無理をしている。不自然だ。そういう不自然が文明だとされる。不自然の中では動物は檻の中で暮らす。野生の鹿が深夜になってたまにわが家の裏庭の向こうにやって来るのは、まだ自然は残っているぞということを思い出させるが、筆者もまた深夜の2時3時に寝るという不自然きわまりない生活を送っており、それは檻の中の暮らしと言えるのかもしれない。下の写真は駅前広場に新たに木を植える工事だ。たぶん桜だと思う。
●嵐山駅前の変化、その232(円形階段、ホテル)_d0053294_23405083.jpg

by uuuzen | 2012-09-07 23:41 | ●駅前の変化
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