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●『女の香り』
いを残さないようにと思いながら、増える一方であるのが人生だ。それでも普段は思い出さず、何かの拍子に心がちくちく痛む。今日は一昨日見終わった韓国ドラマを取り上げる。ロマン・ポルノにふさわしいような変な題名で、この意味するところは最後まで見てもわからなかった。



韓国ドラマは時々このように意味不明の題名をつける。とはいえ、「女の香り」が原題の直訳かどうかは知らない。「女の香り」となるとさぞ美人が主人公かと思いきや、『私の名前はキム・サムスン』で一気に有名になったキム・ソナだ。この女優は喜劇専門で庶民派のイメージが強い。整形で有名だが、整形美人特有の冷たさのようなものがなく、体格のよさもあってすこぶるパワフルだ。それが実によい。彼女は『女の香り』では34歳で旅行会社に勤務する独身女性イ・ヨンジェを演じる。これは実年齢だろうか。『キム・サムスン』では体重を増やしての演技であったのが、今回は胆嚢癌で余命半年という役どころだ。そのために痩せる必要があったのか、体重を10kg減らしたそうだ。『キム・サムスン』を見慣れた目からすればガリガリだ。このドラマも喜劇だが、ヨンジェはやがて死ぬという設定なので、喜劇性とシリアスさの両方をどう見せるか、その演技は難しい。素っ気ない表情が目立ったが、それは表向き幸福であっても、常に死を意識し、間もなくこの世から消えるという恐怖を思っての演技だ。もちろんドラマの中で彼女はそのことを口に出さないし、また大きく取り乱すこともないので、視聴者が勝手にそう想像するだけだが、そのように想像の余地が大きいのは、末期癌という深刻な問題を扱っているからだ。そのため、全体に喜劇タッチではあるが、実際は悲しい物語だ。こういうドラマは今までの韓国ドラマではなかったのではないか。末期癌患者が余命を宣告された時にどうするかは、ジャック・ニコルソン主演のアメリカ映画『最高の人生の見つけ方』にあった。そのパクリと言えなくもない。だが、韓国ドラマならではの徹底的に根性の悪い女が登場するなど、ヨンジェが余命半年という設定でなくても同じほど面白い脚本が作れたのではないだろうか。それほどに見どころがあるということで、それはヨンジェの死が非現実的に思えるからでもある。彼女がいつ大きな痛みを訴えて死ぬのか、その場面はいつ出て来るのかずっと気になった。結局その答えは最終回にあって、宣告された余命を1か月過ぎても元気でいるというところで終わった。つまり、主役の死を描かない。これはよい選択だ。まさか余命半年は診断間違いであったという結末はないからだ。
 だが、死が描かれないのではない。同じ病室にいたもっと若い女性はヨンジェの主治医に好意を抱きながら、あえなく死んでしまう。脇役の死であるので悲しくないと言えば嘘になる。死は誰のであっても悲しい。そういう死を大量に見なければならない医者というのは辛い職業だ。そのこともこのドラマは教えてくれる。韓国ドラマにはほぼ必ず医者が登場するが、このドラマでは演技のうまさもあって今までとは一味違い、他者の死が間近に迫っていることに苦悩する姿がうまく表現されている。それを言えば脇役は全員うまい。それに沖縄や済州島へのロケは景色がきれいで、全体に豪華な映像にはほとんど無駄がない。あるとしてもそれは喜劇ということで批判を免れている。こういうところは韓国ドラマは実にうまい。喜劇部分を言えば、旅行会社の同僚の冴えない禿頭の男性がタンゴ教室の先生をしているという設定だ。会社では目立たないが趣味ではそうではないというのはかなり現実的だ。そのタンゴ教室にヨンジェは通い、そのことが周囲の人々に生きる活力を与えるようにもなって行く。くさい設定と言うことなかれ。男女が一緒にダンスをすることは現実的であるし、そういう趣味に憧れる人はいる。このタンゴ教室の場面は物語に直接関係はないが、不思議な魅力をこのドラマに与えている。それは韓国ドラマの水準が上がって来ていることを示すだろう。筆者は全22話で見たが、実際は16話という。となれば、全22話の編集は、全16話の各回の切れ目が移動しているはずだ。それなのに違和感がなかった。いや、実際は22話は少し長い気がしたので、全16話と知って納得している。韓国ドラマでは基本となっている16話物は、序盤から中盤、そして結末へとだいたいの話の流れが予想出来てしまうところがある。忙しい人にはよいが、そのお決まりの流れを筆者はあまり好まない。ただし、無駄のない作りというドラマとしての完成度は高めることが出来る。それはいいのだが、最後がおおよそわかってしまうのはやはり面白くない。末期の癌患者を中心にするという冒険的試みであれば、結末も今までの韓国ドラマにはない突飛なものでもよかったのではないか。それが出来ないところに韓国ドラマの限界があるのかもしれないが、喜劇タッチでは予定調和的にまとめるしかない。それは『最高の人生の見つけ方』と同じで、死という重い問題を扱うドラマでは突飛な終わり方など誰も望まない。人は誰しも生を軽んじられたくはないし、死も同じであって、それが軽く描かれることに嫌悪感を催す。それは現実社会ではあまりに死が軽いことを知っているのでなおさらだ。
 末期癌で余命数か月であるのにいたって元気であった女性を知る。彼女は50少しで死んだが、その1,2か月前に筆者の個展に来てくれて、普通に話した。彼女は自分が末期癌で明日死んでもおかしくない状態であることを信じられないと笑顔で言った。薬のせいか、痛みがなかったのだ。しばし話をして彼女の後ろ姿を見送ったのが最後となって、その後彼女が病院でどう残された日々を過ごしたのかは知らない。その方がよかった。元気でいる時の姿が思い出として固定されるからだ。そう思えば、筆者はもう二度と会わない人の最後に別れた時の姿をいくつも記憶する。それは終わったことであって、また会わない限り記憶での姿は更新されない。それでいいのだと思う。先日大阪天王寺に出た。JRのビルの中を歩いた時、40数年前の出来事を思い出した。駅ビルの端にあった売店に小学生の担任の先生がいて、筆者の姿を認めて「大山くん!」と声をかけて来たのだ。筆者は中学3年生であったと思う。くりくる坊主の頭であるのに、別珍のブレザーを着るなどませた格好をしていて、それが少し恥ずかしかった。先生はにこにこしながら立ち話をしばらくしたそうであったが、筆者は気が引けてあいさつもそこそこにその場所を離れた。その先生との面会はそれが最後であったのではない。年賀状を毎年交わし、20歳を超えた筆者は住吉区の製本屋に用事があったことのついでに先生の自宅を訪問した。これは以前書いたと思う。先生は離婚してひとりで団地のような鉄筋コンクリートの家に暮らしていた。布団は敷きっ放しで、その周囲にはサントリーのウィスキーの空き箱が所狭しと積まれてわびしさが漂っていた。近況を伝えて30分ほどで家を出たが、地下鉄の駅前近くまで一緒に歩き、よく通っていた店なのか、先生は中華料理店に誘ってくれた。それが先生を見た最後であった。その後も年賀状は届いたが、筆跡はよれよれで気の毒なほどであった。そして届かなくなった。病院で亡くなったのか、また看取る人はいたのか。先生は筆者のほかに小学生の同窓生で数人よく覚えているのがいて、しかもたまに連絡をくれると嬉しそうに話していた。それが昨日のことのようだ。人生は順送りで、今の筆者は中華料理を一緒に食べた時の先生と同じかそれ以上の年齢だ。思い出すたびに癪に障るという人物がたくさんいるのでは精神衛生上に悪いから、筆者は嫌いであった人物でもいやな部分を思い出さずに、いいところもあったと思い、またいやな部分を憐れむことにしている。それは少しでも悔いを残したくないからだ。だが、悔いかどうかわからない、何ともやるせない記憶はいくつかあって、それを死ぬまでにどうにかして平和なものにしたいと思う。
 『女の香り』のイ・ヨンジェはたまたま医者に診てもらう機会があって胆嚢癌であることを知る。そして余命を宣告されて今までとは違う人生を歩むことに決める。『最高の人生の見つけ方』と同じで、BUCKET LISTなるものを作る。バケットはバケツのことだが、口語で「棺桶」の意味もある。つまり、死ぬまでにしたいことを書き出した表だ。ヨンジェは赤い手帳に1ぺージひとつずつ、計20個の望みを書き出す。それを順番にこなすことでドラマが進行し、最終回では21番目を追記する。こなすたびににっこりマークを青のボールペンで描く。そういう些細なことが印象深い。余命半年の間に望みが全部実現し、これ以上充実した人生はなかったということで、その充実した日々がそっくりドラマに描かれている。ただし、20の望みを達することが簡単であったのではない。それは今までの人生以上に手強い敵に遭遇し、苦闘の連続であった。にもかかわらず、ヨンジェは自力でバケット・リストを実現させる。これは死を前にして投げやりにならず、今まで以上に正直に、また他者に親切に接し、その熱意が伝わったからこそだ。それがこのドラマの一番重要なことだ。ヨンジェはそれを癌宣告を受けたために実行したが、本当は誰しもそんな宣告がなくてもこのドラマのヨンジェと同じように行動すべきなのだ。だが誰しもまだまだ生きると思っているし、慎ましやかに、あるいはケチになって、ちまちまと生きる。このドラマを面白く思うのはそういう平凡な人で、自分が出来ないことを思い切ってヨンジェがやっていることに喝采する。余命少ないことを知ったヨンジェが最初にしたことは、ほしいものを買ったり、好きな場所に旅行するなど、今までの慎ましい生活をやめたことだ。ヨンジェは高卒で、母と借家に暮らしている。母は会社を辞めて遊びほうけているヨンジェをなじるが、彼女は癌であることを母に長らく告白しない。そのことがどうなるのかと思っていると、かなりの変化球をこのドラマは用意している。かつて母に思いを寄せていた学校の先生とヨンジェが見つけて、母と交際させるのだ。これは死期を知ってやがてひとり残される母が孤独にならないようにという思いと、先生が抱いている誤解を解くためだ。後者は悔いを残したくないからで、バケット・リストには今まで実行する勇気がなかったことが連ねられている。死を目前にすると勇気が出るのだろうか。このドラマは『最高の人生の見つけ方』にヒントがありそうでも、韓国でも30代の独身女性が癌で死ぬことが珍しくない事情に焦点を合わせたもののはずで、いわば卑近な出来事を扱いながら、理想の生き方とは何かを改めて考えさせる。ただし、自分が実際に余命半年と言われるとどう行動するかとなると、とてもヨンジェのようには淡々としていられないだろう。さらにヨンジェはこれから人生の花が咲くという独身であり、バケット・リストに20の願を書き出すのはあまりにもまだ人生を味わっていない。それでも半年の間に何が出来るかとなると、20でも多い方だ。これはドラマであるので、いつものように財閥の御曹司と恋愛し、彼の結婚相手であった意地悪な女性から彼の心をすっかり奪うことに成功するが、このシンデレラ・ストーリーはまずあり得ず、現実はヨンジェの隣りのベッドにいた娘のように、恋愛に縁もないまま、本当にささやかな満足の思いを抱くだけであの世に行ってしまう。
 ほろりとさせられる場面が最終回にあった。ヨンジェはついに自分を理解してくれなかった連中を含めて知り合った人々に贈り物をする。韓国は紙製の箱の文化が日本以上に発達して美しいものが多いが、ヨンジェは贈り物の内容に合わせて、異なる箱と包装紙を用意し、手紙を添えて発送する。それを受け取った人々の反応が順に映し出される。ほっとさせられるのは、ヨンジェをひどく嫌っていた人も微笑むことだ。これが印象的であった。彼らはもうすぐヨンジェが死ぬことを知っているが、ヨンジェのウィットに富む、また優しい心使いに感動したのだ。ヨンジェのこの最後の贈り物は、20の思いをかなえて限りなく満たされたであったからこそ可能となったものか。本当はそうであってはならないが、現実はヨンジェのように振る舞う人は稀であろう。普段から世話になった人には礼を尽くすべきで、ヨンジェは人生の最後にそのあたりまえのことを思い出した。このことが筆者をほろりとさせた。それは筆者がいつも礼を失したことをしているからで、余命が永遠にあると錯覚しているのだろう。ヨンジェの贈り物は、贈られた者に何らかの感動を与えたに違いない。人は死を前にしなければ優しくなれない動物であるのかと思う。このドラマの前半は特にヨンジェに辛い出来事が起こる。御曹司でさえ、自分に接近したのは金目当てかとヨンジェに言う始末で、本当はそんな男にヨンジェが言い寄る必要はないが、御曹司は家庭的に不幸という韓国ドラマお決まりの設定で、そのガサガサに干からびた心が庶民のヨンジェの愛によって癒されて行くという物語だ。また、前半で一番大きな事件は、韓国にごく短期間旅行に立ち寄った有名ピアニストの大事な指輪をヨンジェが盗んだと疑いをかけられたことだ。指輪はピアニストのセーターの裾にくっついていた。それを彼は飛行機に乗る直前の身体検査で知るが、ヨンジェにそのことを伝えず、指輪の件でだんまりを決め込む。芸術家が卑劣であることを描いて、これは風刺がきつい。この事件以降、さっぱり信用をなくすヨンジェだが、自力で調査し、根気よくピアニストに訴えてようやく事件は解決する。そこはかなり現実的だ。そのようなあらぬ疑いをかけられて退社する人は多いのではないか。世の中は金持ちや有名人に有利なように事が運ぶ。これは大きく言うのはまずいが、甥が学生の頃、禁煙で先生にこっぴどく叱られた。その時、全く同じ罪を犯していた友人は父が有名人ということで何事もなかったかのように校長が事件をもみ消した。しかも何度もだ。その友人は今ではTVに出る有名人になっているが、特権階級扱いが当然であることを10代で知ってしまったことは、案外不幸ではないか。甥が言うのは、「いつか大きなつけを返す時期が来ないとも限らない」だ。全くそのとおりだ。『女の香り』では自分を信じて疑わない性悪な連中が登場する。ところが、彼らは癌にならずにヨンジェが死んだ後も同じようにして暮らして行く。だがヨンジェは、そんな連中はかえってあっぱれで気に入ったとも言う。その腹のくくり方が偉い。これもいやな気持ちのまま死にたくないからだろう。
 人間は生きて来たように死ぬし、死んでからも生きて来たのと同じように人の記憶に残る。これはもちろん「残らない」ことを含む。したがって、ヨンジェが余命宣告を受けてから20のやるべき事柄を列挙し、実行したのは正しい。人生の最後の場面でもやり直しが利くのだ。ヨンジェが何もしないまま病院の中で半年を過ごせば、その死は誰の記憶にも残らないどころか、ピアニストの大事な指輪を盗んだとんでもない女であると思われ続ける。死後にどう思われようがかまわないと言えるし、また人の思いを左右することは出来ない。だが、それはそれとして、自分が悔いを残したくないのは誰しもだろう。悔いを残さないとは、「意味があった」ということだ。有名でも金持ちでもないごく普通の庶民が自分の人生に意味など考えることはあまりにも欲張りという見方もあるかもしれない。だが、どんな人でも人生に価値があったと思いたいはずで、それは無理して他人に優しくするといったこととは違い、思い残すことはないという自発的な行動を果たす時だ。それがヨンジェの場合、バケット・リストになった。このリストは意識しないまでも普段誰しもそれなりに心の中に持っている。それが人生の糧となって能動的にしかも楽しく過ごそうとする。このドラマでは旅行会社が扱われているのがよい。旅行は経済的、気分的な余裕があってのことで、しかも現生からあの世への旅という人間にとっての普遍性への暗示になっている。ヨンジェは今まで会社の仕事として各地を旅して来たが、昼食は粗末なもので、旅行者とは違って影の存在だ。そういう彼女が癌であることを知って最初にするのが自分のお金で贅沢な旅をすることだ。それは沖縄旅行だが、韓国人にとって沖縄が済州島とは違った憧れの地であることがわかる。キム・ソナは父親とともに高校生まで日本で暮らした。そのため日本語はおそらく韓国の同世代の俳優の中では最も達者だ。その才能を生かした役を今までもこなして来たが、今回はさらに日本語がうまい。わずかに訛りのある部分もあるが、完璧にこなしている部分の方がはるかに多い。この技術を活用した役を今後もするのが得策だろう。彼女はべっぴんではないが、誰にもない愛嬌がある。また俳優としての根性も見上げたものだ。これからも一風変わったドラマでキム・ソナの香りを見せてほしい。
by uuuzen | 2012-08-28 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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