●嵐山駅前の変化、その224(桜の林、広場、円形階段、脇道、ホテル)
行する桂川の流れは渡月橋から松尾橋の間は特に大きい。いや、地図を改めて見ると松尾橋から次の上野橋ではもっとで、S字を描いている。この蛇行具合は川に沿って自転車で走っているとあまり正確にはわからない。



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下流に向かっていると、前方に遠く見えていた橋が見えなくなり、そしてまた見えるといったように景色が変化するので、蛇行していることは実感出来るが、昨夜の五山の送り火で何と30年目にしてようやく知ったことがある。桂川の蛇行具合に関係したことだ。嵐山からは五山の送り火のうちに鳥居形した見えないものとばかり思っていたが、代表格の大文字が欠けることなく遠方に確認出来た。筆者は30年もそのことを知らなかった。そのためでもないが、ほとんど毎年8月16日は妹の家に行って屋上から大文字焼きを見ることにしていた。今年はお呼びがかからず、またひどく暑かったので、自宅からすぐの桂川の河川敷に午後8時少し前に繰り出した。まだ送り火の点火が始まっていないのに駅に向かう観光客がちらほら見えた。まさか送り火後の混雑を避けてのことではあるまい。送り火のことを知らないのだろう。それはいいとして、河川敷は野球が出来るほどの広さがあるが、ほとんどの人が灯篭流しが行なわれていることもあって川べり近くに集まっている。その方がはるかに涼しいからでもあるし、また川向こうの鳥居形の送り火がよく見える。その群衆に交じると、浴衣を着たカップルなど10人ほどが鳥居形の方角とは違って下流の遠くを見つめている。そうこうする間に8時になり、群衆が見つめる彼方に小さくオレンジ色の大の字が灯った。家内はそれを金閣寺裏の左大文字と言うが、大の字傾斜が逆で、銀閣寺裏の本家の大文字であることは確かだ。それにしても、その方向に見えるとはどうもおかしい。桂川の下流の突き当りに相当する方向であるから、それは市の南部ではないか。大文字山は市の東にあるから90度ほど角度が違う。そう思いながら渡月橋まで行き、その上から眺めた。するとよりきれいに見え、渡月橋上から下流側に見える景色は東山であることが疑い得なくなった。それが何とも意外で腑に落ちない。なぜなら渡月橋を越えて嵯峨地区に入り、100メートルほど川の流れに沿って歩いた左岸から下流に顔を向けると、遠くに京都タワーが見える。それは市の真南にあり、川の流れが全体として南に向かっていることと辻褄が合う。その京都タワーが見えることに慣れている目からすれば、渡月橋から下流正面に大文字山が見えることは合点が行かない。帰宅してネット渡月橋を中心とした地図を見て納得した。
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 川の流れは蛇行している。桂川のような大きさであれば、その流れに沿って岸辺の道を走っていると、自分が蛇行しながら進んでいることが実感出来ず、全体として常に南に向かっていることだけを思う。そこで、桂川にかかる橋の向きを把握しなければならない。それは普段あまり意識しないが、改めて思うとわかっていることだ。たとえば松尾橋は四条通りの西端にあって、橋の向きは四条通りの向きである東西と一致している。ところが、渡月橋をわたって嵯峨地区に入ることは北に向かうことだ。すなわち、渡月橋は松尾橋とは90度向きが違って、南北の軸に沿って架かっている。そのため、渡月橋付近の川の流れは四条通りと同じく東西に走る。ということは桂川が蛇行せずに渡月橋あたりから直進すれば、それは東山に到達する。実際の流れは渡月橋を過ぎて大きく湾曲し、松尾橋に至る付近では全体として90度向きを変える。これは地図を見れば一目瞭然だが、徒歩や自転車では実感出来ない。その習慣づいていたことが、昨夜は初めて目を覚まさせられた。しかも観光客によってだ。かえって地元の人間は地元のことを知らない。いや、地元のことはよく知っているが、地元を取り巻く地域のことに注目していない。筆者もこの30年ですっかり京都人になったのであろう。話を戻し、筆者の鈍感さを弁明すると、筆者は河川に沿った道を渡月橋から上野橋やそのもうひとつ南の五条通りに架かる橋まで自転車でたまに走る。そのことは川に沿って走ると確実に南に行くことを印象づけるし、実際はそれは正しい。ところが渡月橋から遠くに見える大文字山を目指すには、川に沿って走ってはならない。このことは川の流れの奥に見えているものに到達するには、川の流れを舟で下ってはならないことを意味している。当然と言えばそうだが、大きな河川は蛇行があたりまえで、人間が作る道路とは違うことを思い知る。ともかく、嵐山から大文字山が見えることはもっと宣伝されてよい。地元に住む筆者ですら知らなかった。おそらく京都市内の別の地域の人は大半がそうではないだろうか。そして、嵐山から大文字の送り火が見えるのであれば、わざわざ電車やバスに1時間も乗って出町柳界隈まで行く必要はない。妹宅でご馳走になりながら送り火を鑑賞するのもいいが、いつも帰宅は深夜になる。そのしんどさを思うと、わが家から2,3分のところで、しかも涼しい河原で楽しめるのであるから、疲れを感じずに済む。
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 阪急嵐山駅を降りた客が向かう桂川左岸の河原は西京区だが、そこで行なわれる灯篭流しは左岸の嵯峨地区の人々が主導し、灯篭流しのためのお札書きや、また老婦人たちのご詠歌のテントも右京区の人たちがする。本来ならわが自治会に属する区域なので、わが自治会が何らかの役割を担当すべきであろうが、待機していた消防団までもが右京区であった。これは渡月橋によって右京と西京区が隔てられているのではなく、渡月橋付近の桂川右岸の嵐山地区までもが右京区の陣地のような形になっていることを示す。その理由を書くと、まず西京区が出来た歴史はまだまだ浅い。元は西京区は右京区であった。そのため、8月16日の灯篭流しは右京区の団体が行なって来た。その伝統は、西京区が出来たからといって西京区に委ねられることがない。実際わが自治会はごく狭い範囲であり、そのような役割を押しつけられても処理出来る人材がない。嵐山を背にする西京区北端のわが自治会は、店の数も少なく、天龍寺前の商店街とは規模も歴史も比較にならないほどに貧弱だ。2,3年前にようやく嵯峨地区の各商店会と肩を並べるべく、わが自治会内にそれなりの商店会が誕生したが、ほとんど数軒と言ってよいさびしさだ。これは前に書いたかもしれないが、西京区が誕生する時、そのエリアをどう区分けするかの議論があった。京都市や右京区は歴史的な古さでまとまるべきと考え、四条通りより北部を右京区、南部を西京区にしたかったそうだ。ところがそれに反対した人物が嵐山地区にいて、現在のように桂川を挟んで右京区と西京区は東西で対峙することになった。それはそれでわかりやすい。橋をわたって向こう側というのは、どこでも「よそ者」という意識を持ちがちであるからだ。住井すゑの『橋のない川』はまさにそういう意識が根強くあったことの証だ。さて、西京区が誕生したのはいいが、近年までわが自治会を含める最北部は右京区の太秦警察の管轄であった。その方がいざとなった時にすぐに駆けつけることが出来る。ところがいつまでも西京区の人間が右京区の世話になっているのはおかしいという意見が出たのか、桂警察が担当することになった。桂は大きな地区で、阪急桂駅に近い。そのあたりは全く嵐山地区とは交流がない。それほどに遠方だ。桂よりもむしろ嵯峨や太秦の方が近い。そういう住民の古くからの意識をもとに区の範囲を決めればよかったものを、ごく一部の地元権力者の考えにしたがって物事が決まった。その理由は、筆者が推察するに、嵯峨地区と対等に意見を述べるには、違った区である必要があった。同じ右京区であればほかの大きな商店会の有力者が決定権を持つだろう。そのため、お山の大将的な考えによって西京区は右京区から独立した。わが自治会が西京区であろうが右京区であろうが、自然は変化ないし、そのほかのことについても不便はないという意見があるだろう。ところが、嵐山は西京区の北端のしかも細長い地域であるため、南方はるかの桂にある行政機関は利用するのはとかく不便だ。地元住民のそうした思いよりも、西京区の嵐山地区が渡月橋向こうの嵯峨地区と同格であるとの権利を一部の人が欲した。
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 京都人の閉鎖性はそういうところからも見える。自分の住む地域を誇りに思うのはよい。そうあるべきだ。だが、嵐山地区は嵯峨地区に比べて圧倒的に文化的なことについては遅れている。たとえば、歴史的なことを紹介する本ひとつ取っても、右京区では立派な本を地元住民が作っている。それほどに歴史遺産が多いからとも言えるが、西京区にも古い歴史はある。ところがそれらをたとえば観光客にわかりやすく説明するパンフレットひとつない。正しく言えば2年前に作られた。だが、それは偏りが大きく、また阪急電車が今までに手変え品変えてやって来たことだ。西京区は人口が少なく、南北でまとまりが取りにくい。また嵐山地域は歴史に関心のある人もほとんどない。簡単に言えば文化度が低過ぎる。もっと言えば嵯峨地区は開けているが、嵐山はど田舎だ。2年前、自治連合会で親しくなった人と話をしていて、そのことで意見が一致した。では何かしようかということにもなったが、それには援助団体が欠かせない。またその地元活性化のアイデアは、地元で商売をしている人たちからすれば、よけいな出費であって、そんなことに金を払うのは御免だという声が一斉に上がるだろう。景色はよくても、どうやら人物と呼べるほどの人が皆無な地区が嵐山のようだ。今日は5枚の写真を載せる。全部ちょうど1年前の今日8月17日に撮影した。五山の送り日から1日経ってまた普段の平静さを取り戻した。酷暑の8月は京都は1年で最も観光客が少ない。駅前にホテルが建ったからにはそれも少しずつ右肩上がりになって行くことが想像されるが、景色だけではなく、文化の証となるような何かを見るためにもっと人が来てほしい。筆者の知る限り、嵐山地区に住む人の中から有名な文化人が輩出されたことはない。それでも若いカップルには有名な嵐山は魅力なのだろう。昨夜はたくさんの浴衣姿の若者を見た。鳥居形が盛んに燃えている最中、筆者のすぐ傍らに、金髪で背の高い、浴衣姿の若い西洋の女性が立った。送り火をよく見せるために街灯はすべて消されていたためもあって、その女性の前に回っても顔はあまり見えなかったであろうが、スタイル抜群の後ろ姿に見惚れた。横には女性よりやや背の低い浴衣を着た若い男性がいて、やはり顔は見なかったがいわゆるイケメンであることはわかった。女性はその男性に腕を預けて満足そうであった。
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by uuuzen | 2012-08-17 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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