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●嵐山駅前の変化、その219(ホテル、脇道、広場)
さんと蟻さんがゴッツンコー。今日は急にこの歌を思い出した。理由を考えてもわからない。何事もみな理由があるとは限らない。あるいはあっても気づかない。



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その意味では人生はいい加減なものと言える。以前に書いたと思うが、蟻さんと蟻さんがゴッツンコの歌は小学2年か3年の時に習った。その時の音楽の教科書に載っていたイラストを記憶している。それよりもこの歌がとても気に入って、歌とそれを歌うことの面白さを初めて知った。またこの歌のメロディが軽快で楽しいことのほかに、蟻さんと蟻さんがあんまり急いで頭をゴッツンコとぶっつけるその様子が目に浮かぶようで面白かった。筆者は団塊の世代の余波に相当し、小学生の頃は近所にたくさんの子どもがいた。その世相にこの歌はぴったりであった。当時は都会でも地道がまだ多く、大人よりも地面をよく見る子どもにとっては、蟻は親しい動物であった。この歌の作詞家が人間を蟻に見立てたとすれば、どこか厭世的な思いがあったのだろう。童謡に込められた深い意味は大人になってわかる。筆者が今日急にこの歌を思い出したのは、最近TVでオリンピックの会場に蟻のように小さく見える人々がたくさん映っている様子を見ているためかもしれない。全く人間は蟻のように小さい。それともばい菌にとたとえた方がよいか。そんな人間は、現実的にはめったに頭をほかの人間とゴッツンコとぶつけることはないが、あまりに急いでいるように見えるのはいつの時代でも同じだ。また頭ではなく、体の一部をぶっつけることで子孫を作るから、蟻さんの生活を歌うこの童謡は人生をたとえたものと言える。その人生だが、生きている時の延長として死後があると、先日ぼんやりと思った。どういうことかと言えば、生きている時に多くの人と交わった人は多くの人の記憶に残るが、交際が少なかったさびしい人は死んでもほとんど誰からも顧みられず、よりさびしくなることだ。それはごく当然のことに過ぎないが、どんな死でも生より圧倒的にさびしいものであって、その逆はないことを本当は言いたい。生きている時に多くの人と交わったとしても多くの人の記憶に残るのは最初だけで、やがてはほとんど忘れられる。そうなったところで死者にはそのことがわからないから、生きている間に好きなことをすればいい。そして死は考えないことだ。死者はいずれにしろすっかり忘れられる。数百年経ってもよく知られる有名人がいるが、本人は何も知らない。それにその有名人の有名さは、本人とはほとんど関係のないところで作られたものであったりして、誤解に満ちる場合の方が多いだろう。ごく一部にはその有名人の業績に感動感謝する人がいる。それは有名といったこととは関係のない、心と心が時空を超えて響き合う、稀有で不思議な出来事であって、人間だけに許されたことだ。ただし、そういう出会いは自分だけのもので他人にはわからないから、あってもなくても地球や人間全体にとっては表向きは何も変わらない。何しろ人間は蟻やばい菌のようにちっぽけな存在だ。存在と言えるほどのものもない。うきうきした童話を思い出したのに、この厭世的とも言える気分はどうしてか。前述のように、この童謡を書いた人がそうであったからだろう。
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 一昨日家内の両親の法事があった。家内の両親のことを覚えている者は年々少なくなり、やがてゼロになる。それは家内も筆者も同じで、読経の後、そんなことが少し脳裏をかすめた。年配者が亡くなる一方で赤ん坊が生まれるから、世の中は辻褄が合っている。そして、現在の自分がどれほどの長さがあるのかは知らない長いレールの端から端までを進んで行く人生という旅のどこら辺にいるのかということを思ってみると、確実に残りが少なくなっている。だがそれがどうしたという気分が大きい。筆者より10歳ほど年長の、30年ほど親しくしている人から暑中見舞いが今日届いた。3年ほど会っていないが、お元気にされていることがわかって嬉しい。その一方でこんなことも考えた。同じことは昔から何度も思って来た。たとえば今日はがきをもらったその人と、今後どちらかが死ぬまで何度会うだろう。1回かもしれない。10回としても知れている。このように考えると、人生における人と人との出会い、つまり蟻さんと蟻さんのゴッツンコはまことに不思議きわまることで、この童謡の作詞者は人生を見抜いていた。このように書くと、厭世的な気分がこの童謡の明るいメロディのように幾分か気分が晴れ晴れして来るから面白い。人間の気分は天気と同じで、晴れたり曇ったりだ。で、一昨日は法事が済んで阪急高槻市駅前まで車で送ってもらい、高槻祭を見物することにした。毎年法事の日にこれが重なるが、今までまともに見たことがなかった。とはいえ一昨日は初めてまともに見たかと言えば、今までよりましな程度で、大勢の人や屋台の熱気に疲れて30分ほど駅から市役所付近を往復しただけだ。高槻は歴史のある街だが、人口が爆発的に増加したのはここ半世紀だ。そのため、祭りはどうしても安っぽい。市民参加のフェスティヴァルといった雰囲気で、どこかの神社が関係して神輿が出るものではない。それはそれのよさがある。特に若者にはよい。都会は毎日が祭り同然の騒々しさではあるが、夏休みの若者同士がゴッツンコと出会う場として祭りは必要だ。高槻祭りはそういう10代の男女ばかりが目についた。そして前述した人生のレールを思い浮かべながら、彼らがまだその端から走り始めたばかりで、筆者のような60の大人にはさっぱり関心がなく、はるか遠くにかすんで見えるであろうことを想像した。そして、若者には若者の文化があり、筆者のような年配者にはそれが理解出来ず、また理解出来たとしても好まないことを思い、では年配者はどこを見つめるべきかなどと自問してみた。その答えは、最近の筆者が文化博物館の映像シアターで鑑賞するような半世紀以上も昔の映画であったり、また20年前に世を去ったザッパの音楽であったりして、すっかり自分が骨董品同然になっていることを思い、それはそれで人生レールのもう片方の端に接近しているので当然かと苦笑もしてみる。そして、思いはどんどん縮小し、こうして書いているブログに収斂する。今日掲げる写真はちょうど1年前の8月7日に撮影した駅前ホテルだ。人生レールを走る車窓からほんの一瞬垣間見た光景で、他の誰も興味がない。筆者もそうであるならばもっともなことだ。それでも筆者にとっては蟻さんのゴッツンコであり、生きた証だ。
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by uuuzen | 2012-08-07 23:53 | ●駅前の変化
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