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●『いばらの鳥』
歴書に高卒と書かねばならないことが現在の韓国でどれほど見下されるかは噂に聞く。この全20話のドラマはそんな若い女性が主人公で、孤児院を出た後、母を探すが、そのためには自分が芸能界に入って有名になるのが一番の近道と考える。



そのことが物語の中心となるかと思いきや、途中で母と再婚した年配の男性がほんのわずか現われ、母が死んだことを伝える。では母と再会する希望を失ったその主人公はどう生きるかと言えば、有名になりたいという思いは継続し、最終的には幸福な結婚も出来るというハッピー・エンドで、典型的なシンデレラ・ストーリーだ。こうなると、ドラマを最後まで見続けるエネルギーは、内容がどうのというより、俳優の演技や今までのドラマにはない新趣向に向かう。このドラマはTV大阪で平日に連続放送されていたものを、録画しながら、10日ほど前に見終えた。録画を後で見るかと言えば、ほとんどその気が起らなかった。その理由を見ながらも考えた。このドラマでは悪役がいつの間にか改心する場面が多い。後味をよくするためのサービスのつもりだろう。そのよけいなおせっかいの部分がこのドラマを凡作に仕上げている。それを回避するには20話では少なかった。おそらく『グロリア』のように倍ほどの回数にすれば見応えがあったが、途中であまり評判がよくなかったのではないか。あるいはテンポがあまりに早過ぎると感じたのはカットが多いためかもしれない。金をかけているのがよくわかるだけに惜しい。金をたくさんかけたドラマが必ずしも面白いとは限らないことをこのドラマは示している。『グロリア』の面白さは脇役の貧しい連中の生活がいまく描けていたことにあった。『いばらの鳥』も『グロリア』とほとんど同じ韓国式の平屋の集合住宅が舞台にもなるし、貧しい暮らしは充分描かれるが、笑いの要素が少ない。では涙々の悲しい物語かと言えばそうではない。主人公の若い女性は、幼馴染の友人に裏切られ、大金を失い、あらぬ疑いをかけられと、これでもかというほどに次々に災難が降りかかる。だが、弁明せず、すべて受け入れながら少しずつ成功への階段を上って行く。それを聖女のようなと形容することは可能でも、いくらドラマでもそれはないという非現実感が圧倒し、その苦難の耐え抜く姿にいらいらさせられる。
 その人物設定は、その女優が『がんばれ! クムスン』の主役ソ・ジョンウンを演じたハン・ヘジンであることを念頭に置いたものか。つまり、視聴者が苦難に耐えて耐え抜くその姿を見ながら「がんばれ!」と声をかけたくなるような、ある意味では女優の人気にあやかったドラマだ。では、ジョンウンを悲劇のドン底に陥れる悪役の女性を誰が演じるか。このドラマの一番の見所、あるいは実際に頑張ったのはその悪役のハン・ユギョンで、これをキム・ミンジョンが担当した。彼女はジョンウンの幼馴染で、同じように不幸な少女時代を過ごした。大の仲よしのふたりだが、ユギョンはミンジョンには考えられないほどの意地悪な性格になる。これは才能も学歴もある者が得てしてそうであって、中卒や高卒が温かい人間味を持ち合わせるという韓国ドラマ特有の筋立てだ。現実はその反対である場合が多いと仮に一般的に思われていようと、そういうように描けばTV局に一斉に抗議が集中するはずで、あくまでも貧しい、社会的に恵まれない立場にある人物を神々しく描く必要がある。それはともかく、ジョンウンはユギョンから理不尽な扱いを受け続けながら、最後にはほしかったものをすべて手に入れ、ユギョンは回心しながらジョンウンのもとから去る。ここでも恵まれない者が正直に耐え抜くときっと明るい未来が待っているというお伽話的物語が繰り返される。そのような結末でなければ女性は喜ばないのだろう。それは現実がその反対であることをあまりにも知り抜いているからで、せめてドラマを見ている間だけでもそのつらい現実を忘れるには持って来いなのだ。さて、ジョンウンとユギョンの因縁の関係がこのドラマの背骨で、その背景にはこれまたどの韓国ドラマでもそうであるように、両親のかつての行為が大きく影響している。その最大の犠牲者はユギョンだ。彼女は母から捨てられたと思っている。ユギョン演じるキム・ミンジョンは以前『ニューハート』に女医役で出た。今回はそれとは違って、ハン・ヘジンの美貌と心の限りない美しさを引き立てる役だ。これは若い女優としては本当はつらいだろう。目玉がこぼれるほど大きな女性で、本来は悪役向きではない。ところがそれを引き受け、視聴者のほとんどすべての憎悪の対象を一身に引き受けた。立派な女優魂で、彼女が真の主役と言える。だが、先に書いたように、視聴者の後味を悪くさせないため、最後はユギョンも心を入れ替える。それどころか、ほかにもいた悪役すべてが根っからの悪人ではなかったように描かれる。この点がつまらない。というのは、悪人としての演技があまりに憎々しげであるのに、誤解が解けるなりして一気に悪人ではなくなるというのは、あまりにもドラマがどのようにもつごうよく作られることを知らせ、まともに見る気を起こさせない。ここはやはり、悪人は最後まで悪人ぶりを押し通すことの方がかえって現実的で、ドラマを見る者も肩透かしを食らう思いにならずに済む。
 悪役として男性ふたりが登場する。ひとりはヘジュ・ファッションという大きな服飾会社を経営する社長イ・ヨングクだ。彼には異母弟イ・ヨンジュがいる。ヨングクはヨンジュを憎悪しており、ヨンジュが仕事で業績を上げようとするたびに潰しにかかる。この異母兄弟の葛藤は『グロリア』で使われた手法だ。ところが『いばらの鳥』でややこしいのは、兄弟がもうひとりいることだ。年齢はヨングクとヨンジュの間でパク・ハンスという。ヨングクとヨンジュの父は同じであるのに、ハンスは名字からわかるように父は異なり、ヨンジュとは異父兄弟だ。彼はヨンジュとは7歳くらいまで一緒に暮らしたが、ヨンジュはある日父に引き取られて裕福な暮らしを始める。それが理由でもないが、ハンスは学歴もなく、遊び人のお調子者となって、ヨンジュの会社の名刺を偽造し、女性に詐欺を働いたりして生活をしている。ヨングクとヨンジュの父については描かれない。その代わりに祖父がわずかに登場する。ヘジュ・ファッションを大きくした人物で、商売の原点は市場の中にある小さな生地店だ。これを人手にわたさず、店の権利をヨンジュに残して世を去った。そのことをヨングクは知らない。大手の会社の原点がそうした小さな店というのは現実感がある。今や韓国の世界的な企業も、元をたどれば似たようなもので、せいぜいこの半世紀ほどの歴史だ。いわば韓国の財閥は成り上がりだ。そのことをどれほど自覚しているのかは知らないが、韓国ドラマを見る限りは成金的に描かれる場合が多い。それはドラマを見る大多数の金持ちではない人々のうさを晴らすために必要という側面が大きい。それとは別に、財閥は運がよくてドン底の人間がそうなっただけとみなすやっかみ半分もあるだろう。商売で少し成功すると子どもに高度な教育を施し、さらに金が儲かるような仕組みを作る。その連鎖によって財閥は形成された。したがって、このドラマのジョンウンのように、両親を見ずに育ち、高校しか出なかったような若者は、芸能界にでも入って有名にならない限り、大金をつかむことは出来ない。日本でもお笑い芸人はその部類だが、近年は一流大学出のお笑い芸人が出る始末で、貧しき者にはますます閉塞感がある。話を戻すと、韓国の大金持ちは芸能人を見下げて自分たちのお飾り程度にしか思っていないことは『グロリア』で描かれた。それは『いばらの鳥』でも同じと言ってよいが、少し変化球かと思わせられるのは、ヘジュ・ファッションが映画会社を吸収して、一方で映画を作っていることだ。ファッション産業と映画産業が近い位置にあるのは何となくわかる。どちらも流行に敏感に反応する商売だ。ヘジュ・ファッションがヘジュ・ピクチャーズを抱えるのは、市場で生地を販売しているヘジュ商会を任されている男性の姉が韓国を代表する女優で、彼女が小さな映画会社を持っていたという理由だ。同族が大いに協力し合う韓国ではそういうことは大いにあり得る。筆者にはそういう設定が面白かったが、全20話ではそうした微妙で巧妙な設定があまり生かされない。それはともかく、ヨンジュはヘジュ・ピクチャーズで映画のプロデューサーをしていて、直接にはヨングクとは利害関係はないが、ヨングクはヨンジュの成功が我慢ならない。何かにつけて妨害し、ついにアメリカで暮らせと言って飛行機の切符を手わたす。これをほとんど飲んだかに見えたヨンジュは、密かに同じソウルにあるヘジュ商会に出向き、そこで一から生地についての商売を学ぶ。それが7年に及ぶ。つまり、このドラマは最初に登場人物の出会いがあり、途中から7年後の再開後を描く。7年はユギョンが産んでジョンウンが育てる子どもの成長のためと、ヨンジュの商売の成功のために必要な年月だ。
 ジョンウンは小さな頃から女優に憧れていた。それは韓国を代表するイ・エリンで、彼女の映画会社はヘジュ・ファッションに吸収され、元マネジャーはヘジュ・ピクチャーズの社長になっている。この社長チェ・ジョンダも悪役だ。ヨングクと同じように、いかにも憎たらしい顔をして怒ってばかりいる。そのまま最後まで行って滅びるかと思えば、ジョンダは息子ガンウに折れる。ガンウは父とは親子とは思えないほど優しい若者で、ジョンウンを密かに愛する。ここで韓国ドラマの定石としての若い男女二組が揃う。もちろんヨンジュとジョンウンが結ばれることは第1回目から誰の目にも明らかだが、では残るふたりのユギョンとガンウが恋仲になるかと思えば、こっちはほぼ交流がない。その分、ユギョンはいかにも悪役らしく振る舞い、ジョンウンのかつての憧れの男性がヨンジュと知るや、早速接近し、肉体関係を持ち、しかも妊娠して出産までする。ヨンジュはたちまちユギョンに魅せられ、結婚したいとまで思うが、ユギョンは冷たく接し、隠れて子どもを産み、ジョンウンに孤児院に送るように託す。この設定はかなり無茶で、あまりにもユギョンの冷徹さを誇張し過ぎだ。また、ヨンジュを避けた理由は、職場のヘジュ・ピクチャーズでたまたま聞き耳を立てて知った母が辿った人生だ。ユギョンの母はイ・エリンで、彼女はユギョンが眼前にいてもわが子とは知らない。そのことにユギョンは傷つき、復讐を考える。そのためにヘジュ・ピクチャーズに入社したが、ジョンウンは同社に入って女優になろうとするが、ユギョンが妨害する。そのかたわら、彼女はエリンの人気を失墜させるためにジョンウンの子ども時代の映像を利用し、まんまと策略を成功させる。また、エリンが幼い自分を里子に出したのは、ヨンジュの父親に原因があると勘違いし、その結果隠れて出産、その後渡米、7年後に韓国に戻って来る。ユギョンはヨンジョンとは違って大きな会社の社員として勤務することも出来る学歴や才能があるにもかかわらず、判断は常におそまつで、聞き耳を立てて知ったことを信じて子どもまで捨てる。こういう浅はかな女性が本当にいるだろうかと思わせる一方、ジョンウンはユギョンの仕打ちに耐え、エキストラのアルバイトをしながら女優の道を忘れない。その姿もまたあまりに非現実的で、このドラマはせっかくの演技派のふたりの若い女優を起用しながら、心のどこかに失笑感が湧き起こり続ける。ミス・キャストとは言わない。脚本があまりにも多くのものを詰め込み過ぎて、わざとらしさが目につく。韓国ドラマはそのわざとらしさをそれなりに楽しむところに醍醐味があるが、それは常にうまく行くとは限らない。
 悪人が多いことに辟易する一方、ほっとさせられる登場人物もある。まずパク・ハンスだ。このお調子者はやがてヘジュ・ピクチャーズの社員に迎え入れられる。それはヨンジュが兄のヨングクの妨害にもめげずにヘジュ商会を成功に導き、ヘジュ・ピクチャーズの持ち株の大半を購入したことによる。初めてヨングクに会った時のハンスの調子のいい自己紹介はなかなかの演技で、こういう脇役の存在がドラマを特徴づけ、しかも忘れ難いものにする。ドラマの初回でハンスはジョンウンのルーム・メイトのヤン・ミリョンから大金をせしめるが、やがてミリョンと仲がよくなり、先には結婚するだろうと思わせる。この設定もよい。ミリョンを演じる女優はどこかハン・ヘジンに顔が似ている。このふたりはともに女優になろうと頑張り、ふたりともドラマのエキストラに採用される場面もある。その最初の場面は、ふたりで奇術を演じたりし、インド舞踊をしたり、また雪降る場面を日本語で演じるなど、ごくわずかな映写時間であるのに、実際は収録にどれほどの時間を費やしたかと思うほどの凝った作りで、金のかけ具合がわかる。同じようにドラマ中ドラマとしての凝った場面はほかにもあった。それは映画会社ヘジュ・ピクチャーズが舞台となるだけに不可欠と言えるし、似た構成は『グロリア』にもあった。つまり、芸能界をそのまま描く手法で、この入れ子状になった部分が楽しめる点は今までのドラマにはあまりなかった。その役をするのは女優を目指しているジョンウンが中心で、ハン・ヘジンは『がんばれ! クムスン』以上の、またユギョンとは違った意味での難しい演技を要求された。ドラマの中のドラマにおいてジョンウンとは別の人格を演じながら、それが演技であり、また演技とは思えない迫真性を表現しなければならないからだ。そういう劇中劇で印象に残ったのは、たとえば暴走族のトンネル内でのたむろの場面だ。もっともそこではミリョンの酔っ払った演技が中心になっていたが、ハン・ヘジンなら暴走族でもうまく演じるだろう。ついでながら、このトンネルの場面で驚いたのは、スタジオでそれを再現したことだ。照明によって本物のトンネルに見えた。それよりもっと感心したのは、日韓併合時代の韓国における日本建築が見える場面だ。その建物は野外セットのはずで、たぶん別のドラマか映画で使われたものだろう。ハン・ヘジンは確か日韓併合時代の韓国における医者をテーマにしたドラマに出演した。そのドラマで使われたセットではないだろうか。そのセットを背景にジョンウンはまた別の服装と人格を演じる場面が少しだけ映った。こうした劇中劇の圧巻は、そもそもジョンウンが女優を目指し、またヘジュ・ピクチャーズがジョンウンを主役にして映画を撮るという設定の中で最大限に生きて来る。もちろんその映画は紆余曲折がありながら、ようやくジョンウンに回って来たもので、それを撮り終える頃にはユギョンも今までの悪行を悔い、別の土地で暮らすことを決めるし、何から何までうまく収まる。このあまりに作られ過ぎた辻褄合わせの結末は、全20話であることを最初から知っているため、何話でそろそろどうなるかが見えてしまって意外感が乏しい。最後に書いておくと、ハン・ヘジンの演技の上達ぶりはよくわかるが、ふっとした拍子にクムスンの頃とは違った大人を感じる。それが一抹のさびしさを感じさせる。題名は『黄金の魚』ほどには難解ではない。ユギョンがジョンウン相手に、棘のある言葉や行為は自分の内面を傷つけるという場面がある。ユギョンが主人公と言うべきだろう。
by uuuzen | 2012-08-03 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
●ムーンゴッタ・2012年8月... >> << ●ザッパのユニヴァーサル盤CD...

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