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●うつけ者の語り
があれば頑張れる。人間は他者から認められたい。深夜からロンドン・オリンピックが始まるが、メダルがもらえずとも、入賞するだけでも有名人になれるから、世界中のアスリートたちは日夜努力を重ねる。



オリンピックについては金がかかり過ぎるなど、さまざまな問題を抱えるが、大きな賞がもらえる機会はほかにないので、なくなることはないだろう。人間は現金なもので何か目標がなければ張り切らない。競馬の馬でもそうかもしれない。一等を取った馬にはたっぷりの人参が与えられるか、牡馬ならば牝を当てがわれもするだろう。当て馬という言葉がある。ある牡馬の目の前に牝馬を連れて来て性交させようとする。双方の馬とも発情して、今まさに交尾という状態で別の優秀な牡に交代させえる。牝はもうその気になっているから、陰部から液をたらたら流している。そのため相手をする牡が突然代わっても拒否することなく受け入れる。たまったものではないのが交代させられた牡すなわち当て馬で、情けない声を出してもがく。その一旦高まった性欲は処理されることがない。人間なら「馬鹿にするな」と怒鳴るところだが、「馬のくせに何を馬鹿言うか」と返され、また周りをがっちりと人間に押さえられ、反抗出来ない。後足で思い切って蹴ってやればいいものを、人間は馬を扱い慣れている。優秀な子孫を残すために弱い牡はそのように利用されるだけで、そのことでストレスが溜まろうが知ったことではない。人間界でも同じことはあたりまえのように行なわれている。当て馬のように利用されないでおこうと思っても、うまく言い寄られていつの間にかそのように扱われていることは多いだろう。賞があって頑張れるのはいいが、その賞が一部の者に有利に働くように仕組まれていることがあると疑ってみる方がよい。そして賞に固執せず、そことは無縁のところで頑張ればいいが、それを自己満足と謗る人は多い。ブログは賞とは無縁と思いきや、案外そうではない。人気ブログ・ランキングがあるし、また訪問者数によって人気度がわかる。それが多いと甲斐もあると正直に書いている人はよく目につく。ブログは世間に晒すものであるから、もうその時点で他者に知ってもらいたいという、賞取りゲームに似たところがある。それはそうと、先ほどブログを保存する方法を調べたところ、いくつか方法があることがわかった。便利なようだが、数百の記事数で10時間はかかる。筆者のブログは2600を超えているから、全部ダウンロードするのに2,3日は要する。しかも完全ではないらしい。それならば自分で一画面ずつ開き、コピー・アンド・ペーストで保存して行く方法がいいだろう。結局他人の力を借りずに自分でやるのが一番だということだ。何年か前、ある人にある本の画像をスキャンしてもらった。全部で150点ほどだ。それをようやく最近1点ずつ確認した。ところが驚いたこと20枚ほど加工が終わった時、明暗の度合いが極端に激しかったり、またスキャナーのあちこちに黒いインクの汚れが付着したままのスキャンで、全部使い物にならないことに気づいた。それでせっかく送ってもらったものは没にし、最初から自分でスキャンし直した。悪気があってのことではなかったと信じたいが、他者のこととなるとさほど注意はしないのが人間だ。重要なことは自分でやるべきだ。頭を下げてやってもらったことがかえって手間取り、また不愉快な思いをする結果になる。
 今日はNの命日だ。昨日トモイチでビールの大きな缶入りを1本買って来た。ところが、珍しいことに家内も6本入りのパックを仕事帰りに買って来た。全部飲んでやろうと最初は思ったが、夕方6時になって2本飲み、それでもういい気分になった。それからムーギョに買い物に出かけた。散歩だ。夕焼けがきれいで、しかもほろ酔い、すこぶる気分がよい。頭の半分は普段以上に研ぎ澄まされた気分で、いつもにはないようなさまざまな考えが次から次へと湧いた。そう考えるのは酔っている証拠かもしれない。うつけ者とはそんな大風呂敷を信じることを言う。飲んでいる最中に自治会の人から電話で相談事があった。酔った気分であるから呂律が回らないかと思ったが、逆に普段以上に冴えた口調で話すことが出来た。それは酔えない性質を表わしているのかもしれない。昔サラリーマンをやっていた頃、よく飲む機会があった。相手のことはあまり知らず、酔っては失礼であるので、緊張の面持ちからいくら飲んでも酔うことがなかった。そんな場の酒はまずいというのではない。サラリーマンをやめてから、年配の人と飲む時でも同じで、酔って声を張り上げたり、喧嘩腰になったりすることは全くなかった。話が弾んで楽しくて仕方がなく、酒の成分はそのことで消えてしまったのだろう。今日はビール2缶でもう充分で、Nと飲んだ頃とは雲泥の差だ。ま、少しの酒でいい気分になれるのであればそれに越したことはない。話題を変える。ビールを飲む前、裏庭に出て梅の苗木に水をやった。その前に蜘蛛の巣をはたく。あちこち女郎蜘蛛が巣を張っている。梅の苗木のある場所まで行くのに邪魔になるものだけを始末する。蜘蛛は雑草と同じで1日で巣を張る。梅には小川の水を杓で汲んで根元に5杯ほど注ぐ。水道の蛇口からつないだホースではそこまで届かない。それに今は小川の水はとても多く、水やりには便利だ。梅の苗木の周りに5月は油粕の粒をたくさんばら撒いた。その肥料を梅がどれほど吸収したのかわからない。というのは、雑草がいくら抜いても次々と生えて来るからだ。先日は1日に10センチと書いたが、それを訂正しなければならない。裏庭に出たのは、連日のあまりの暑さにために、4日ぶりであった。つまり雑草は4,50センチに伸びているはずだ。ところが2メートルほどになっているものを10本ほど見つけた。前回見落としたものではない。しっかりと見て、一本たりともその癖の悪い蔓性のものをむしり取らないはずはない。わずか4,5日で2メートルとは、かつての日本のような高度成長だ。抜いても抜いても出て来るこの雑草を、根気比べのような形で始末するのがまたいじわるいような楽しみで、筆者はサディストかと思わないでもない。去年はこの雑草をかなり放ったらかしにしたせいで、合歓木や椿のてっぺんまで絡みつき、乞食の頭のような様相になった。蔓は冬になっても絡まったままで、それをどうにか引きずり下ろしてもすでに大量の種子は地面に落ちているから、夏になればまたにょきにょきと出て来る。それはともかく、梅の苗木は高さ60センチか70センチはある。半年で倍ほどに成長した。これが背丈3メートルになるのは数年かかるとして、毎年白梅紅梅が見られるのは嬉しい。そうなれば鶯もやって来るだろう。わが家の裏庭の向こうに新築の家が建て込んだので、ちょうど庭の木が目隠しになった。向こうの家も同じような庭があればお互いプライヴァシーはもっと保てるが、合理性を極端に考える今の都市部の家には庭などない。雑草1本生えないのが快適な生活とされている。女郎蜘蛛などもってのほかだ。緑はもっぱら植木鉢かプランターで、向こうの家もそれらを小川沿いに並べている。
 また話題を変える。この文章は珍しく1階で書いている。1階にはまだWINDOWS95のパソコンを置いている。これはもっぱら自治会の回覧文書を印刷する時に使い、普段は先月中古で買った小型のノート・パソコンを使う。マウスを使わないことに初めは手間取ったが、慣れるとかえって便利だ。ところが、キーボードとは勝手が違い、あまりにキーがソフトで、筆者の叩き方では反応が悪い。そのため、このブログの長文には全く不向きだ。だが、猛烈な暑さの3階ではしばらくはうつけ者になった気分で、2時間ほどもかけて長文を書くのはしんどい。1階は数度は低い。そこでノート・パソコンで長文を書くにはどうすればよいかを考え、隣家に埃の被ったUSBで接続するキーボードがあることを思い出した。筆者が買ったものではない。隣家を買った時にあったものだ。早速久しぶりに隣家に行き、それを取って来て接続したところ、すぐに反応して使えることがわかった。そうしてこれを書き始めた。もうひとつノート・パソコンでこれを書く理由がある。どうでもいいことだが、3階のパソコンはVISTAであるのはいいが、中古で買った時にWORDソフトが入っていなかった。そこで手持ちのWIN98用のそれをインストールした。ところがヴァージョンが古いために相性が悪く、変換がうまく行かない。ネットで調べてその原因を知り、5分置きにWORDソフトを修正するのだが、すぐにまた変換がおかしくなる。それでもどうにか騙し騙しで使うが、暑さのストレスがあるので5分あるいは3分置きのそのソフト修正の手間がどうにもうっとうしい。それで最初から専用のWORDソフトが入っているノート・パソコンを使う気になった。これを3階で使えばもっといいが、毎日持って上がるのが面倒だ。文書ひとつ書くにも、パソコンをこうも代えてそれなりに苦労しているのだが、それも中古を買うからだ。こういう態度を母は嫌悪し、筆者が中古を買うことに猛反対をする。そうそう、3月までガレージを借りてもらっていて東京に引っ越したKさんからメールが来て、そこに15万円で買ったノート・パソコンを小さな子どもが壊したと書いてあった。保証期間内であったので無料で修理してもらったそうだが、15万円という価格に驚いた。筆者は新品のパソコンを買ったことがない。道具は鉛筆と同じで、使えればよいと思っている。筆者が買ったノート・パソコンはXPで、送料込みで3000円であった。「安物買いの銭失ない」というが、せいぜい文書を書き、ブログに使うだけであるので、15万円も出す気にはなれない。その代わり、もっと高価なものをどんどん買っている。その買い物のために他を削る必要があって、母の言うようにただただ中古がいいと思っているのではない。仕方なしだ。隣家も中古で買ったが、それを使ってやりたいことがありながら、資金不足もあって空き家のままにしている。何のために買ったのかわからないと家内は言うが、音楽を大音量でかけても隣家が緩衝材となってあまり近所迷惑にならないことと、裏庭が広くなって鳥がたくさん来てくれること、そして本の置き場が確保出来たことがよい。そんな理由で家を買うことが、母や家内にすればうつけ者の馬鹿ということになる。
by uuuzen | 2012-07-27 23:59 | ●新・嵐山だより
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