●『グロリア』
子と庶子が同居するとろくなことはないようで、昨日取り上げた『黄金の金魚』もそれを思わせる。



テヨンの父が誰であったのか明らかにされなかったが、院長が養子として引き取り、その後結婚してふたりの子が生まれたようであるから、妻チョ・ユニにすればあたかも先妻の子か不倫で出来た子と思ってテヨンを虐待したのは理解出来る。院長がテヨンの母パク・ジヘとどのようにして知り合ったのかは描かれなかった。ジヘが若死にして残したひとり息子を院長が養子にするのは、いつまでも愛した女を忘れないためで、そのことがチョ・ユニには耐えられなかった。それは自分が産んだふたりの子がテヨンほどに優秀でないことを知ってからはなおさらであったろう。またジヘは美人で、院長が忘れられないのも無理はないと思わせるが、ずっと写真のみの出演であったのが、最終回近くにほんの5分ほど子役のテヨンと遊ぶ場面がある。そして、写真で見る以上の美しさにはっとさせられる。美人薄命を地で行ったわけだ。テヨンは遺伝性の癌で亡くなることが暗示されるから、ジヘも癌であったのだろう。テヨンは養子であるから、嫡子と庶子の同居には当たらないが、血のつながりを何よりも大切にする韓国では、養子はいくら頭の出来がよくても、正妻の子に遠慮があり、また正妻も自分の子をよりかわいがる。韓国ドラマはこの嫡子と庶子が同居することで生ずる問題を扱うものが目立ち、今日取り上げる『グロリア』もそうだ。このドラマ、従姉がTV で放送中であったものを途中から見始め、最初から見たいということで筆者の妹からDVDを全部借りた。見終わった後、妹に返却してほしいとわが家に持参し、『黄金の魚』が毎日30分であるし、また後半の後半頃にはどういう展開か予想出来たので、ほかのドラマをという気分の余裕が出来た。そこで『グロリア』を家内と見始め、あまりに面白いので全50話を3週間ほどで見終えた。本当に面白かったのは『黄金の魚』と同じく、ちょうど半ばまでだ。それ以降は結末の辻つま合わせに向かって予定調和的に進むことが想像出来るので、わくわく感は減退した。韓国ドラマはすべてそういう傾向がある。『黄金の魚』はその予定調和がかなり予想を裏切るもので、母はもっと長く放映されたものを日本のTV局は全部放送せずに強引に終わらせたと信じて疑わない。だが、テヨンの余命が長くて3か月と宣告されているからには、もうどうしようもない。韓国ドラマ特有の御つごう主義を持ち出して、テヨンの病が急に好転するという筋立てに出来ないこともないが、それをすると視聴者をおちょくることになる。そうでなくても院長は記憶喪失に陥るのに、それがすっかり恢復するので、それ以上の御つごう主義は無理だろう。
 『グロリア』は大金持ちの家族と、どの日暮らしの人々が絡む。天地ほどに収入の違う人たちが触れ合うことはまずあり得ないが、ドラマを面白く見せるためには下流が上流に食い込む、あるいは上流が没落するという筋立ては欠かせない。何度も書くように、TVドラマは上流階級の人々が見るものではない。現実のうさを少しの間でも忘れさせてくれるお伽話、すごろくで言えばこつこつあるいは時には僥倖に恵まれて、最後には「上がり」に到達することを夢想させてくれるものが歓迎される。『グロリア』はその点、典型的なシンデレラ物語、筆者の言う「すごろくドラマ」だ。だが、そのあまりに古典的な内容の全50話を最後まで見させるのは、役者の演技のうまさと、ドラマ全編を通じて流れる貧しい人たちの結束や心の温かさだ。その反面、上流側の人間は大きな問題を抱えており、笑顔のない生活を送っているように描かれる。現実はその反対で、大金持ちの上流の人間はボランティアや寄付をするなど、笑顔に満ちた暮らしをし、下層階級は金に起因するさまざまな問題を抱え、誰もが渋面を作って、心は憎悪にまみれている。このドラマでは全くそうではなく、やがて歌手となってグロリアの芸名を名乗る主人公のジンジンは活発で明るく、貧乏をものともしない前向きの性質だ。そういうことが現実にあるかどうかだが、ないとは言えないとしても、あってもごく稀だ。また、そういう明るさもいずれは人生の荒波の中で消えて行く。上流へ這い上がる機会がまずないからだ。だが、ひとつ可能性がある。芸能界だ。そこでは運と才覚によって有名になり、短期間に大金を得ることも可能だ。したがって、芸能界はまともに大学を出て一流企業にも採用されるような、いわゆる優秀な人が進む世界ではない。それも韓国では特にここ10年ほどは変わって来て、俳優であっても有名大学出でなければ肩身が狭くなって来ている。これはある意味では由々しきことだ。生活が苦しいあまり、高校しか卒業出来ないという人はすっかり夢のような生活からは扉を閉ざされる。韓国ドラマは出演者たちがみなそれなりの知性を感じさせるところが日本でも人気を持続させたひとつの理由だが、誰もが知性が滲み出過ぎると面白くない。筆者が『グロリア』を楽しんで見たのは、主役のペ・ドゥナのさすがの演技もさることながら、ペ・ドゥナと同じ家に間借りする人たちの共同生活ぶりだ。特にジンジンがやがて歌うことになるナイト・クラブのギタリストと司会の中年男だ。このふたりは常に漫才のような面白い掛け合いをするが、アドリブで地のままを演じることが多かったであろう。こういう達者な役者がいてこそ、美男美女の主役4名が映える。この男ふたりは後半は出番が減るが、もっと活躍させてよかった。ドラマの役柄としてふたりとも多少は過去のことが明らかにされたから、そこをもう少し発展させれば、貧しい者の悲哀とまた優しさがもっと強調された。このドラマの最大の陰の功労者はこのふたりで、ギタリストの方はおそらく他のドラマでは悪役をすると思えるが、男前ではないこういう俳優の味のある演技をもっと見たい。
 嫡子と庶子を登場させ、ふたりが憎しみ合うのがこのドラマの基本で、庶子である弟は、母がかつて有名な歌手をしていたという設定だ。財閥の社長が正妻とは別に女を作ることは珍しくないだろうが、得てしてそれは芸能人のように女としての魅力が溢れる場合が多いに違いない。家庭を守るごくまともな貞淑な女と、華やかな女性の両方をほしがるのは男の本能だ。大金持ちであればそれを満たすことは出来る。だが、華やかな二号に子を産ませ、それを正妻に育てさせれば、嫡子の長男がその腹違いの弟を敵視するのはあたりまえだ。しかもこのドラマのように庶子の方が優秀であればますます長男は荒れる。そうなれば父は次男に目をかけるし、そこで正妻がまた夫をよく思わないことになる。その典型的で誰しも想像出来る事態がこのドラマでは展開して行く。夫が正妻と二号をうまく操ることが出来ればいいが、そうは行かない。嫉妬があるからだ。このドラマでは、正妻の夫、つまり財閥の社長が正妻よりも二号のことが好きで、二号が自力で生きて行こうとすると、「昔の男とよりを戻すのだろう」と言って、病的なほどに嫉妬する。それだけ二号が好きであれば正妻と別れて結婚すればいいと思うのは下流の考えだ。上流の人間は下流の人間ないし芸能人を虫けらのように思っている。また、財閥は狭い世界であるから、社長が芸能人と結婚したという噂が広まれば、大きな恥晒しだ。芸能人と浮気することはいくらあっても許されるが、女ごときで仕事をないがしろにしたと見られることは、上流社会の人間としては失格とみなされる。これは日本でも同じだろう。有名な女優が一生結婚せずに大会社の社長に囲われることはよくある話だ。だが、そういう女優を正妻にしたという話はほとんど聞かない。このドラマの芸能界と財閥の関わりは、韓国でそういうことが多くなっていることを暗示しているのではないだろうか。若くて美しい女優が大金を積まれて大会社の社長など上流の男の玩具になることは、いちいち指摘するほどでもないほど日常茶飯事のことであるはずで、一方ではそういう関係のトラブルが韓国の週刊誌などをにぎわせていると思える。それは新しいことではなく、古くからあるはずだ。父のやったことを息子がまねをすることがこのドラマの主題になっていて、大金持ちになった男が二号を抱え、しかも子どもをもうけることの罪深さを描いていると結論してよい。嫡子と庶子を一緒に育てると、問題ばかりがあるという考えだ。現実的にそれがどうかは知らないが、異母兄弟は別れて育つ方が庶子の受ける被害は少ないのではないだろうか。ところが、父は庶子ではかわいそうだというので、引き取って正妻に育てさせる。それが問題のもととはわかっていても、自分のタネであるから、一緒に過ごして成長を見守りたい。少なくても韓国ではそうであるようだ。そこに日本とは違う儒教の考えがある。
 どの韓国ドラマでも主役の男女計4人が登場するが、このドラマでは変則的にもう一組の男女が加わる。財閥の嫡子イ・ジソクと庶子イ・ガンソク、そして別の大会社の庶子である娘チョン・ユンソが上流社会で、下層階級としてジンジン、そして幼馴染みで一緒に暮らしているチンピラのハ・ドンア、ジンジンの姉オ・ジンジュだ。上流階級の人たちは家の外観やインテリア、そして衣装が面白い。いかにも凝っていて、下流とは雲泥の差だ。ジンジンは交通事故に遭って5歳の子どもの頭脳になってしまったジンジュと暮らしているが、そこは韓国ドラマでよく出て来る正方形の中庭のある「コ」型の平屋で、別のいくつかの部屋にハ・ドンアや、彼が用心棒をしているナイト・クラブのギタリストや司会者、またバック・ダンサーなどが暮らしている。彼らは毎朝歯を磨く時に中庭で顔を合わせ、家主のおばあさんと辛らつな冗談を交わしながらも、大家族のように仲がよい。そういうことは今ではもうほとんどないだろうが、日本では昭和30年代では下町で見られた光景だ。このドラマはたとえば『初恋』や『愛の群像』に似た懐かしい印象が強いのは、その中庭のある下宿屋の大家族的な暮らしの描き方による。「コ」型の平屋は日本にはない韓国独特の家屋の形態で、地価が上昇しているソウルではもうほとんど残っていないのではないだろうか。あっても交通の不便な周辺の山辺で、それはこのドラマでもそうだ。しばしばジンジンたちが下界に街の灯を見下ろす草の生えた丘で話す場面がある。また城壁もよく映り、実際にそういう山手に木造平屋の民家が密集しているのかどうか、ソウルに数日滞在することがあれば一度は探索したい思いにかられる。話が急に変わるが、思い出しついでに書いておくと、イ・ガンソクが社長となる音楽芸能会社の社長室の背後、デスクトップ型のパソコン本体ほどの大きさの謎めいたものが必ず映る。正面は一辺30センチほどの白い正方形で、中央に同心円の大きな模様があってその中央部が若干盛り上がっている。上下左右の側面は厚さ10センチほどでオレンジ色のプラスティックがはめ込まれている。マックの古いパソコンかと思ったが、どうもそうではない。これが何であるかが随分気になった。写真を撮ろうと思いながら昨日DVDを妹に返却してしまった。そのほかにも気になるオブジェがいろいろと映り、小道具係の思いが見えて楽しかった。たとえばハ・ドンアの部屋にはプラスティック製の貯金箱がふたつあった。ひとつは伝統的な赤いもの、もうひとつは青で、鼻だけがピンク色だ。この貯金箱はいかにも下流の人の慎ましさを表わしている。韓国ドラマでは何度も同じ部屋が同じ角度で映るので、役者同様に見慣れてしまい、親しみがより湧く。
 6名の主役の絡みは非現実的だが、脚本は実際あり得ることのように力でねじ伏せている。まずイ・ジソクとイ・ガンソクの異母兄弟という設定だ。しかもジソクは弟ほど仕事が出来ず、さらには妻がいるにもかかわらず、悪いことだけは父の模倣をして愛人を持ったことだ。その愛人こそがかつて人気歌手であったジンジュだ。ジソクにすれば父も同じことをしたという理屈だが、結婚した金持ちの娘であった妻がジンジュの存在を知り、ある日一緒にいるところに怒鳴り込んで来てジンジュに暴力を振るう。ジソクはそれを止めるが、倒れた妻は机の角に頭を打って死ぬ。自首してほしいというジンジュの説得にもかかわらず、ジソクはジンジュのマネージャーに死体の始末をさせ、おまけにジンジュの口を封じるために車で轢き殺させるが、一命を取り留めたジンジュは脳を怪我して記憶を失う。そして10歳下のジンジンは両親もなく、ドン底の生活をしながらジンジュと暮らし始める。その間にジンジュのマネージャーは姿をくらまし、ジソクは何事もなかったかのように父の仕事の一部を受け持っている。以上は視聴者には徐々にわかる仕組みだ。ハ・ドンアの父がマネージャーで、しかもジンジュを殺そうとしたこともドラマ後半でようやくジンジンやドンアが知ることになる。また『黄金の魚』と同じように、ジンジュはすべての記憶を取り戻し、そしてジソクと対立する場面が後半に用意されている。この記憶が戻る御つごう主義はやり過ぎで、同じことを繰り返す韓国ドラマはいずれ飽きられる。それはさておき、ジソクは徹底した悪人として描かれ、彼に対して残り5人が正義の束になって戦うという内容だ。ジンジンが最も活躍するのは言うまでもないが、歌手として次第に成功するその様子がもっと描かれればよかった。前半にナイト・クラブで歌う場面は少々あるが、国民的人気を得て行くのであるから、もっと別のステージで歌う場面は必要だ。ペ・ドゥナは映画の女優で、歌手上がりではないが、ステージで歌うのは様になっていた。個性的なこの女優は韓国を代表する実力派として今後ますます期待が出来るし、このドラマの魅力の半分はペ・ドゥナが担っている。イ・ガンソクは『愛の選択~産婦人科の女医』に出演したソ・ジソクだ。クールな役柄をうまく演じたものの、ジンジンに首ったけになてからの後半はさっぱり冴えなかった。むしろ兄で悪役イ・ジソクを演じたイ・ジョンウォンの方がうまい。特に彼の最期の場面はなかなかの熱演で、ドラマ全体をよく締めていた。こういう嫌われ役はマスクのいい俳優が出来るものではない。ドラマの面白さは悪役が引き立ってこそだ。
 ドラマの最初は、ジソクがアメリカ帰りの飛行機の中でさびしげなチョン・ユンソと隣合わせになることから始まる。ジソクはその後強引に交際を迫るが、ユンソの母は二号であり、心に傷を負っていて自殺未遂を図る。このさびしげな役柄にソ・イヒョンはぴったりであった。底抜けに明るい役柄をかつて『恋するハイエナ』で演じ、その時の彼女にいっぺんにファンになったが、筆者はどこかさびしげな女性が好きなのかもしれない。それはさておき、ユンソはたまたま出会ったハ・ドンアと恋仲になり、お互い結婚を望むも、財閥の娘との結婚は夢物語だ。それはそうなのだが、二号の娘が無学で心優しいチンピラを愛するということはあり得る話だ。その最初の機会を作ったのはドンアの父で、彼の息子思いもまた日本のそれとはそうそう開きがある。舞い戻ったドンアの父は昔の秘密をばらすとイ・ジソクを脅し、金を何度もせしめ、それで小さな店を開いてドンアがヤクザ者から抜け出す機会を作る。またユンソの父は根っからの商売人で、財閥とはいえ、成り上がりであって、野心があり、また仕事の出来る男ならばその腕を買うという現実主義者だ。そのため、やがて娘の夫としてドンアを認めるのは理解出来ないことはない。このドラマは基本的に喜劇であるので、それも面白い。喜劇ではあるが、ジンジンが姉ジンジュの敵であるイ・ジソクを滅ぼすという復讐劇であるので、韓国ドラマならではの苦くてしつこい味わいがある。ドンアとユンソのラヴ・ストーリーと並行してジンジンとガンソクのそれが進むが、こっちは何しろ兄に対する復讐が絡むだけに解決が難しい。それをうまく処理するのに、後半になってからジソクの妻の母親が登場する。彼女も大きな財閥で、ドンアやジンジンの味方をし、一緒になってジソクつぶしを画策する。雇っていたヤクザからも反感を買い、誰からものけ者となったイ・ジソクは最期は破滅する。それは父が愛人にガンソクを生ませたことが原因でもある。金がたくさん出来たからといって、ほかの女に手を出したり、また子を産ませるなどもってのほかで、迷惑を被るのは子どもや妻たちなのだという教訓を読み取るべきだろう。はたから見るほどに上流階級は幸福ではないと描いている点は妙に説得力がある。全50話は少し長いが、それほどに巧妙に構成された脚本で、下宿のおばあさん、ガンソクの母親やその元恋人、そしてドンアの父や子分、ダンサー、それにジソクの両親、どの配役も実に生き生きとしていて、出演者全員、このドラマが終わるのが惜しかったのではないかと思わせられる。
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by uuuzen | 2012-07-21 01:49 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画 | Comments(0)


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