●祇園祭の宵々山-布袋山
々山の今日、家内と出かけた。祇園祭は山鉾巡行が一番の見物だが、それをまともに見る京都人は少ないのではないだろうか。



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筆者は今までにたった一度だけ動く山や鉾を間近に見ただけで、それ以外はTVの中継でさえまともに見たことはない。毎年新聞に大きな写真が載るのは宵山の人の集まりだ。数十万人が群がるというその規模が新聞ネタになり、そのことが祇園祭と思われている。つまり、宵山かその前夜の宵宵山に、歩行者天国となった京都市中心部の縦横の道を歩くことがお祭りになっている。ただし、毎年書くようにそれは群衆に交じって苦労しながら数百の屋台の店を見歩くことで、山鉾は時たま見えるに過ぎない。山鉾を飾る染織品などを間近に見たり、あるいは鉾に実際に乗ることも出来るが、山鉾を所有する中京以外の地域の人はお客さんであるから、京都市内に住んでいてもあまり実感が湧かない。それでも若い人たちは浴衣に着替え、電車に乗って四条烏丸の駅に繰り出す。大勢の人が集まっているその中に自分たちも交じって祭りを目撃体験しようというわけで、その便乗の楽しみもまた祭りならではのものと言えば、それもわかる。日本人は行列好きで有名な民族だ。それが端的に表われているのが祇園祭の宵山だ。それは乱雑に動く行列に加わることであって、60年代の安保反対のデモ行進のスロー・ヴァージョンと言ってよく、ほんのかりそめの民族大移動だ。宵山の露店を見て歩きながら、気が向けばチキンの唐揚げをほおばり、冷たいビールを飲む。ただそれだけのことで、これ以上つまらない祭りはおそらく日本中探してもない。去年も書いたはずだが、山鉾を所有する町の人たち、つまり町衆は他県から大勢見に来てもらわなくてもかまわない、むしろ迷惑だといつか新聞に書いていた。誰が見なくても自分たちだけで毎年やる祭りであるから、大勢の人が集まって通りを歩くのに苦労するという状況は招いてもいない状況なのだ。元来お祭りとは地元の人たちだけのものであって、京都の町衆が本音としてそんな思いを抱くのは当然だ。山や鉾がなくても多くの露店を呼んで歩行者天国を作ると、それはほとんど祇園祭と大差ない祭りになるはずで、市内周辺部に毎月定期的にそのような夜店を開くのがよい。そうなれば自然と祇園祭の宵山の人だかりも減少し、町衆が望む、自分たちだけのささやかなと言ってよい静かな夜が到来する。とにかく、現在の祇園祭の宵山は露店が稼ぐのにつごうのよい場と化し、それはそれで必要なことであるから、露店業者にもっと出番を増やすべく、毎月どこかで大規模な夜店をお祭りとは関係なく開くのがよい。筆者の子どもの頃、もう半世紀も前の大阪市内はそうであった。お祭りとは関係なく商店街に8や6のつく日に多くの露店が並んだ。それは商店街にとっても好つごうで、人が動いて金が動くことに効果的であった。いつの間にかそういう夜店が大阪市内から姿を消したが、それはきっと地元の商店主たちが店の前で露店を張られることが商売に悪影響を及ぼすと思い始めたからではないか。あるいは露店業者が出世してもはや各地を回ってささやかな臨時の店を出さずとも自前の店を商店街にかまえることが出来たかだ。ともかく、筆者は祇園祭の宵山にわざわざ行くこともないと決め込んでいるが、今夜は京都文化博物館で映画を見、その帰りに否応なしに宵宵山の群集に巻き込まれることになった。またそうなればなったで、1年に1回は人ごみに押されながら歩くのもいいかと断念してしまう。
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 露店の数が去年は700ほどであったのが、今年は新町通りだったか、道の片側だけにしたので、200軒ほどが出店出来ず、警察に抗議する事態となった。警察は狭い道に大勢の人が押し寄せて将棋倒しになって死者でも出ると、自分たちの責任が問われるので、予め自粛しようという考えだ。ならばいっそのこと、露店を全部廃止して、宵山に集まる人がせいぜい数千人という状況を作ればよい。それは山鉾を所有する町衆の望むところでもあるだろう。その代わり、露店業者の出番をもっと増やす。前述のように縁日に関係なく、つまり神社に関係なく、各地で日を決めて毎月夜店を出せばよい。それはやろうと思えば簡単だ。夜店を開く数が増えるとそれだけ警官の出動の機会が増えるかと言えばそんなこともないだろう。夜店がさほど非日常のものでなくなれば、大勢の人が歩くことにはならない。今年の出店数が制限されたことに対し、露店組合は今まで気を使って事故のないようにして来たし、また一度も事故はなかったのに、なぜ急に決めるのかと主張した。レバ刺の自粛からもわかるように、日本は何でも前もって自粛する習性が拡大した。にもかかわらず、原発だけはどうしたことか。深刻な大事故があれば当然今度もまたという不安が頭をかすめ、一気に自粛すべきなのに、そうはならないところ、このお上の自粛は自分たちのつごうでどうにでもなるものであって、露店組合が反発するのは当然だ。警察は「事故が起こってからでは遅いので、その心配を最初から取り除くのが自分たちの役目です」と言うのだが、そんな心配は無限に存在し、どこで線引きするのか。筆者は祇園祭の見物は毎年少しずつ変化する屋台の売り物にあると思っているから、今年その数が厳しく制限されたことにがっかりした。これでますます見に行く気も失せたほどだ。それはそうと、文化博物館を出たのは午後4時半でまだ明るく、人がそろそろ集まり始める頃であった。どこをどう歩いたのか知らないが、3時間近い映画に疲れたのでどこかで一服することにし、進々堂に入った。初めて入る店で、昔は京都は志津屋のパン屋が勢いがあったのに、いつの間にか進々堂が勝ったかなと家内と話をしながら1時間少々過ごした。そのうち夕暮れが迫り、通りを歩く人が多くなった。もちろん店に入って来る人も増え、みな宵々山を楽しむために来ていることが一目瞭然であった。コーヒーをお代わりし、疲れも取れたので外に出ると、もう身動きに不自由するほどの混雑だ。烏丸通りを西にわたってすぐ、1台の黒い軽4が道を塞いでいた。神戸ナンバーで、烏丸通りの通行禁止に遭遇し、脇道に入ったはいいが、歩行者天国となって増えた大勢の人に囲まれた格好だ。中を覗くと中年女性ふたりがいてケータイをかけていた。その車のためにそのすぐ際の道は大混雑を来している。警官がやって来てもどうしようもないはずで、そのまま9時か10時まで女性ふたりは中で待機するしかない。それにしても迷惑な話で、そういう車の立ち往生を防ぐ役割をするのが当夜の警察の最大の役目であるはずが、いったい何をしているのか。
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 進々堂を出た後、どこをどう歩いていいのかわからず、とにかく西、そして南と思える方向に進んだ。それはそうと、先日MIHO MUSEUMに行った際、京都駅の東西を貫く遊歩道の端で祇園祭の宣伝をしていた。展示のメインは山鉾の模型だ。それを街区を記した平面に並べてある。製作者は人形師の小刀屋忠兵衛だ。写真からわかるように、山鉾の位置は狭い地域に固まっている。それはちょうど京都の伝統産業の中でも最も有名な染織品すなわちキモノや帯を扱う室町通りを中心とする。最も東南に位置するのが保昌山で、南北を貫く大きな烏丸通りの一本東の東洞院通り、四条から三本南の高辻通りの角にある。今年筆者らは四条から南には行かなかった。橋弁慶山、鯉山、北観音山、南観音山を見たから、山鉾の固まりの東北部辺りを歩いた。北観音山の近くだと思うが、「布袋山」という文字を見た。そんな山はなかったはずで、20メートルほど行くと、今度はビルの谷間の空き地に山の骨組みの木材が組み上げられ、ライトアップされていた。そこで立ち止まって1枚のデジタルで加工した布袋山の完成想像写真を見ていると、すぐ右手にいた60歳ほどの男性が説明してくれた。こっちもいろいろと質問して10分ほど話したろうか。布袋山は400年前に出来たそうだ。ところが200年前の天明の大火で火事に遭い、御神体の布袋と二体の人形だけは救出したが、それ以降、山は再建されないままとのこと。それを復興する話が地元の町衆から起こり、ようやく山の骨組みの檜材の寄贈を受けて今年は組み上げた。ただし、前掛けや胴掛けなどの染織品、また山に載せる肝心の布袋像をどうするかが問題だ。見通しはついているものの、実物は出来上がっていない。染織品は布袋山を抱える町のすぐ近くにかつてあった南蛮寺を表現したいらしい。その原図は神戸市立博物館にある狩野派の絵画を元ネタにすることが決まっている。筆者は見たことがあるので、完成図が思い浮かぶが、長方形の大きな布地に表現するとなると、下絵は描き直す必要があろう。また、織物となると莫大な費用がかかるので、パソコンで無地の生地に印刷するかもしれないそうだが、それでは染織の本場が泣く。布袋像は現在の御神体は高さ20センチほどの、ほとんど伏見人形に見える陶製に彩色した座像で、その両側に唐子の立像を置く。この御神体を見るために20メートルほど戻った。ビルの1階のウィンドウ内に飾られている。山に飾ってみんなに見てもらう布袋を、同じ陶製とすればかなり重くなるし、木製でも同じであるから、青森のねぷたのように内部が空洞の張りぼてにする予定だ。それには和紙作家を動員する必要があるが、京都で有名な女性作家に依頼すると500万円はする。それでほかの作家を検討中らしい。せっかく作るのであるから、恒久的なものが理想だが、費用との相談だ。町衆たちがお金を出し合って再興するものであるから、町内に裕福な人、あるいは私財を投げ打ってもよいという人がいなければならない。この数十年の間に再興された山鉾は数基あり、今年は船鉾が142年ぶりに巡航に加わる。そういう流れに押されて一旦廃された山鉾を復活する動きは、不況と言われながらもしたたかな京の町衆を伝えて頼もしい。
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by uuuzen | 2012-07-15 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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