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●『肥田せんせぃのなにわ学展』
昨夜書いた『なにわ音楽博覧会』を観る前に、四ツ橋のINAXギャラリーでこの展覧会を観た。7月30日にも行ったが、着いたのが午後6時でちょうど閉館したばかりであった。ビジネス街にあるギャラリーなので、せめて7時までは開いていると思っていたが、それではギャラリーのあるショー・ルームで働く若い女性たちがデートの時間に困るだろう。



●『肥田せんせぃのなにわ学展』_d0053294_1264274.jpgそれで今度は6時前に行こうと決めて、国立国際美術館で『転換期の作法』を閉館の午後5時まで観て、それからすぐに地下鉄に乗って四ツ橋に出た。大阪のINAXギャラリーが開館したのは、さきほどネットで調べると1984年2月のことだ。開館して2、3年ほどは、大阪でグラフィック・デザイナーをしていた友人と一緒に企画展に毎回通った。ブックレットも大体買ったが、友人が引っ越したこともあってそのうち行かなくなった。それでもずっと欠かさずギャラリーからは案内はがきが届く。そのためいつもどんな展覧会をしているかは知っているが、1年に数回ある企画展のうち、ぜひ観たいと思うのはひとつある程度で、1年に1回程度しか足を運ばなくなっている。ギャラリーが出来た当時は、展示空間横の、今でも休憩所になっている細長い空間の突き当たりに無料のコーヒー・サービス装置が置かれていて、真夏などはそれがとてもありがたかった。それがいつの間にか除去されたが、来場者が少ないこともあって不経済であるからだろう。また、開館した当時は確か日本の現代美術家の個展も定期的にあったと思う。今では亡くなってしまった作家や、あるいはかなり有名になっている作家などが取り上げられていた。モノクロ印刷だが、毎回INAXギャラリーの企画展カタログであるブックレットと同サイズの6ページほどの資料も用意されていて、INAXギャラリーの企画展より面白かった記憶がある。東京のINAXギャラリーかそれに関係するギャラリーでは、現在もなお現代美術家の紹介をしていて、それを思えば大阪が低く扱われているのは丸わかりだ。これはとても残念だ。それにしても大阪にINAXギャラリーで出来てもう20年も経ち、その間が本当にあっと言うまであった。相変わらずINAXがこうした儲けには直接つながらない文化事業を、質を落とすことなく地道に重ねて来ていることには賛辞を送りたい。あまり出かけなくなったとはいえ、毎回はがきが届くのは嬉しいし、たとえば数年前のことだが、このギャラリーで以前『えびすさん展』が開かれていたことを知った時、資料をほしくて電話すると、大阪だけの企画のためにブックレットは作っていないが、ちょっとした資料は作成したので、それを全部FAXで送信するとのことだった。それが非常に迅速な対応で、あまりの親切ぶりに感激した。普通ならば、コピーしてやるから取りに来いか、あるいは郵送するのでその費用を送れといった対応だろう。ギャラリーがいちいち筆者のような頼みを聞いているときりがないし、たかがFAX送信費とはいえ、それなりに費用も嵩む。そこをけちらないところが企業としての覚悟のほどをうかがえるし、バブル時期であろうとなかろうと全く変わりない態度で企画展を続けて来たのは見上げた精神だ。それが東京と大阪だけならまだしも、名古屋にもギャラリーはあるから、ますます凄い。
 東京や名古屋のギャラリーには行ったことがないので、どの程度の展示面積かは知らないが、年に5つほどの企画展は3つの都市間でぐるぐる回るので、どこも同じような大きさであるだろう。決して広いとは言えず、街中の普通の画廊と同程度だ。そのため、大きなものは展示出来ないし、小さいサイズのものでも展示数は限られる。美術館での展覧会を思ってはいけない。ただし、企画展を詳細に紹介し、それに関係した特別の記事もたくさん載せたブックレットが、特別の例外を除いて、大抵作られるので、ギャラリーでの展示も大事だが、資料として確実に残って行くブックレットもまた重要な存在だ。このブックレットでしか入手出来ない切り口の論文や対談などは、美術館の展覧会が決して手を出さないものでもあり、一企業が行なう事業としては特筆に値する。ギャラリーが出来た当初は1冊500円であったものが、今はその3倍に値上がりしているが、売行きのよいものは版を重ねていて、それだけ古典的な存在になりつつあると言える。ネットで調べると、企画展は「タイル」「建築」「デザイン・工芸」「社会・世相」「民俗・風習」「サイエンス・テクノロジー」というジャンルからなり、「タイル」が筆頭にあるのは、INAXの企業としての立場からは当然なのだが、それでもタイルに直接興味のない、たとえばもっと広く造形に関心のある人が見ても充分含蓄に富む展示内容で、しかも今後も含めて世界各地の歴史的タイルの網羅的紹介をしつつあるのは、まことに息の長い、遠くを見定めた構想があることを示し、このギャラリーを知っている人は内心みなその態度に期待していると思う。タイル造りの一企業がタイルばかりではなく、タイルから派生して建築、そしてデザインや工芸、さらには人間へと関心を拡大し、ユニークな切り口で自前のギャラリーで企画展をし続けるのは、広い意味でのメセナと言えるだろう。えらくINAXを持ち上げたようだが、たまにここを訪れると、小展示であっても、それなりに工夫が凝らされ、「相変わらずやっているな」と嬉しくなる。
 さて、今回の企画展ははがきが届いた瞬間に観に行くことにした。「なにわ学」というのがいい。京都に住んでいると、大阪がよく馬鹿にされる瞬間に出会うが、これは前にも書いたように、大阪人はよく京都を訪れても、京都人は大阪の街をほとんど歩いたこともないため、何も知らないことによる。知らないだけならいいが、妙に誤解している。それは吉本のお笑い芸人のTVにおける品のなさが大きく原因していると見る。「大阪イコールお笑い」で、「お笑いイコール笑いもの」という図式だ。人は笑わせてくれる対象を内心笑って馬鹿にするわけだ。しかし、こんなことになったのはここ2、30年ほどのことではないだろうか。昔は『11PM』という大人向きの夜のTV番組に藤本義一が出て、大阪の文化を香りをまだ多少なりとも紹介していたが、藤本義一がTVにほとんど顔を出さなくなってからは後に続く文化人がいない。いや、実際はいくらでもいるのだろうが、TV局がそういう人物を起用して大阪から大阪の本当の歴史ある文化を伝える番組を作ろうとはしない。そんなことをするよりも、吉本のお笑い芸人で視聴率を取る方が無難であるし、視聴者もそれを期待していると思っている。お笑い芸人も悪くはないが、そればかりではなさけない話で、もっと大阪の古いさまざまな文化を紹介するTV番組や催しがあるべきだ。そんな中、2年前に大阪歴史博物館で開催された『没後200年記念 なにわの知の巨人 木村蒹葭堂展』は大阪ならではの展覧会で、胸のすく思いがしたが、1996年に「なにわ文化研究会」が座長を梅棹忠夫に据えて研究会合を重ねていて、そこからは「なにわ大阪再発見」という定期刊行雑誌も生まれていることはあまり知られていないかもしれない。そういう筆者も最近古本屋でこの雑誌を見て入手し、あまりに面白くてためになる記事に腹を抱えて笑ったりもしたのだが、「なにわ学」というものがこうした知識人の手からもっと発展し、それが民放TVの番組に頻繁に取り上げられるまでにならなければ、相変わらず他府県からの「大阪イコールお笑い」のイメージが拭い去られることはないだろう。
 前置きだらけになってしまった。肥田晧三という人の本やその他の印刷物の収集品から「なにわ学」を垣間見るという展示で、「肥田流上方考現学」なるものの紹介だ。肥田はTVで一度見たことがあるような気がするが、その程度の記憶であるので、TVに登場するようなタイプの有名人ではないのだろう。ブックレットを買っていないので詳しくは書けないが、ほんの少し立ち読みした限りでは、谷沢永一が肥田をどこかの大学で教えるようにかなり尽力したことがわかった。これはよく理解出来ることだ。開高健が亡くなってからの谷沢永一の執筆における発言は、どちらかと言えば右寄りに傾いたように思えて、その全部にただちに納得するわけではないが、それでも谷沢が上方を代表する重要な発言者、知識人であり、たとえば在野で独学で上方文化の研究をしていた肥田を大学にポストを与えるように動いたのは慧眼だ。もっとも、谷沢は桂文珍を大学に引っ張り出したことにもあって、その点に関しては賛成はしかねるが。で、今回の企画展のはがきには「肥田晧三(元関西大学教授)」とあり、肥田を説明するのにわざわざ肩書きを括弧書きしてあるところが、何やらいろいろと感じさせる。谷沢がどこかに書いていたが、京都では大学しかも国立の有名なところを卒業しているかしていないかで、他人の評価は大きく変わり、それが悔しいと思うならば、結局肩を並べるように国立の有名大学を出なければならないと言われるそうだが、まさかINAXが京都人の意地悪さを意識したわけではないだろうが、実際、大学教授の経験者でなければ、こうした企画展は開催してもらえないかもしれない。本当は大学教授の肩書などどうでもよく、在野であっても面白い研究をする人にはどんどん光が当てられるべきだが、在野では単なるオタクとなって、人の目が真面目にはならないのかもしれない。しかし、それは上方文化的ではないだろう。反骨の上方を思うのであれば、大学教授の肩書きなどかえって格好が悪い。それはさておいて、ブックレットによれば、肥田は若い頃、勉強は苦手だったが、漢文だけはすらすらと読めるようになっていて、本と言えば江戸時代の和綴のものを指すというほど収集にも努めたという。そんな才能は今ではとても貴重だろう。上方文化を研究するのであれば、英語は出来なくても漢文の能力は欠かせないからだ。それに肥田は大阪の芸能の発祥の地でもある島之内の生まれで、子ども時代から両親の影響で歌舞伎や文楽、映画といった娯楽を欠かさず観たそうだ。こうした上方文化の伝統が血や肉となっている人はもう稀であろう。それをどうにか次の世代に橋わたしして行くには大学に努めるのは大きな一手段と言える。谷沢が思ったのもそこだろう。ブックレットの最後近く、今は亡き黒田清との対談が載っていた。これを読むために買おうとも思ったが、ま、いずれ読もう。晩年の黒田はよくTV番組に出て、とても味のある意見を発していたが、もっと生きてなにわ文化の紹介に努めてほしかった。
 今回の展示の奥半分は肥田の蔵書を本棚にそのまま並べたもので、背表紙を全部見たが、なるほどという内容であった。ただ、雑誌類が省かれているのは少々残念だったが、それまで網羅するとなるととても場所が足りないのは明白だ。展示室の手前半分は、終戦の昭和20年までの紙に印刷されたさまざまな資料で、大人と子ども向きのふたつに分類されていた。これは今でも同じで、大人は大人、子どもは子どもの遊びがある。そうした遊びの文化を主に紙の資料で紹介するのは限界もあるが、それなりに肥田の好みがわかって面白かった。たとえばマジシャンの天勝という女性がいたそうで、今でいう引田天功のような存在を思えばいいが、天勝は子どもにもよく楽しんでもらえる奇術をして、子どもの肥田は数回それを観て大変楽しい思い出として残っていることがよく伝わった。天勝の人気は当時は凄かったのだろう、プロマイドまで展示されていたが、それは髪をなでつける格好をして腋の産毛を見せているもので、妙に大人向きの色気が発散していた。肥田がそれを大事にしていて、今回展示するために引っ張り出して来ているところに、子どもらしい嬉しさが見えて面白い。大阪の芸能として最初に紹介されていたのは、今はもうないOSK(大阪松竹歌劇)で、その後に落語やカフェ、キャバレーの紹介があった。大阪の竹久夢二と言われた宇崎純一の絵は、本当に夢二そっくりで、今なら著作権侵害で問題になるだろう。そうした紛いものに近い表現も何だか大阪的でおおらかと言えるかもしれない。そんな過去のものとなった芸能文化をせめて紙の資料で今のうちに収集しておこうという気持ちは、上方文化を愛する者としては当然であろうし、そうした人の力がなくては今後は本当に研究が難しくなるものも多い。子ども用の展示としては「いろはかるた」や双六などがあったが、40年以上も収集して来てもこれだけしか手に入らなかったと書いてあって、たくさん作られたものほど今ではかえって収集が困難になっている実情をよく示していた。博物館や図書館にあるものはたかが知れており、そのために古本屋は永遠に欠かせない存在であり続けるが、本ではなくて、パンフレットやプログラム、チラシといったものになれば、それこそ系統立てて収集する機関などない。そこにまたINAXギャラリーが目をつけたというのもさすがの同ギャラリーの個性であり、今後さらに「なにわ学」の紹介を大阪のINAXギャラリーがしてほしいものだ。この企画展は名古屋や東京に巡回するが、大いにいいことだ。
by uuuzen | 2005-08-23 23:56 | ●展覧会SOON評SO ON
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