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●池辺にて、その3
沢園については何度か触れた思う。「おにおにっ記」にはその園に隣接する茶臼山で見つけた小さなミドリガメの写真を載せた。それ以外にはまとまった形で書いていない。



●池辺にて、その3_d0053294_18134151.jpg
先日投稿した『草原の王朝 契丹』を見終えた後、いつものように天王寺公園内を通らずに阿倍野地下街へ向かった。ホームレスの締め出し政策によって、天王寺公園内を通らねば美術館に行けない仕組みになっているが、公園に入ってすぐ右手に短いトンネルをくぐると、「フェルメールの道」と称する慶沢園沿いの車の通らない道があり、そこを1,2分歩けば右手に美術館に至る。ただし、この道はいつも展覧会を見た後に歩く。トンネルをくぐらないのであれば、公園内の花があちこちに植わっている中を歩き、突き当り右手の歩道橋を上り下りして「フェルメールの道」の終点に着く。歩く距離は倍ほどになるが、せっかく公園に来ているのであるから、この寄り道は展覧会を見る前の儀式としてはよい。だが、帰りにまた歩道橋をわたるのは気分的に疲れる。その日もそうであった。喉が渇いたなと思っていると、昔中之島から移設された立派な長屋門の傍らに自販機が見えた。そこに好きなカルピス・ソーダがあって、1本買った。家内は少し飲むとすぐに先を歩き始めた。その時に写真を撮った。黒の日傘を差す家内の向こうに以前はそれほどと思わなかった超高層のビルがにゅっきり伸びている。その様子を写したかった。撮影後2,3日してネットにその建設中のビルが西日本で最大の高さを記録したとのニュースがあった。大阪は梅田と難波が二大中心地区で、難波より南の天王寺、阿倍野界隈はそれに比べると今ひとつ地味だが、このビルが建つとぐんと威力を増すだろう。下町風情を濃厚に残す地域であったのが、それも少しずつなくなるのだろう。それにしても江戸時代の中之島にあった長屋門とこの超高層ビルとの対比は大阪らしくてよい。おまけの形で写っている家内の後ろ姿も雰囲気がよく出ている。写真を撮った後、カメラを左手に持つ緑色の手提げ袋の中に入れ、左手に持っていたカルピス・ソーダを右に持ち換えて家内を小走りに追った。すぐに「フェルメールの道」に入り、左手に慶沢園の出入り口の看板を見かけた。これは自販機の前に広がる美術館脇の空間からも別のものが見えるし、ほかにもある。なるべく多くの人に利用してもらいためにあちこちから入れるようにしてある。ちょっとした木陰でカルピス・ソーダを飲み干そうと思い、慶沢園に入った。その出入り口からは初めてだ。
●池辺にて、その3_d0053294_1814382.jpg 園内は人がほとんど見えないが、筆者らのすぐ後にスーツの上着を脱いで汗を拭いながら眼鏡をかけた大柄なサラリーマンがひとり続いた。そしてたばこを吸い始めたので、その煙を避けて前方の大きな白い玉石がごろごろと敷き詰められた池の縁に進んだ。左手の広々とした空間を若い母親が4、5歳の男子を引率し、100メートルほど先の大きな出入り口へと足早に進んで行く。その後を追うと、筆者に並んだその子はしきりに筆者を見つめながらも母親の呼び声にしたがって走り始め、その瞬間に筆者らに向かって「さいならー」と言った。躾が行き届いている。大きな門の外に出て振り返ると、「慶沢園」の立派な文字があった。正門らしく、客を迎えるためか、あれこれと花が活けてあった。その門から外に出ると茶臼山に向かう。そこは以前に歩いたことがあるので、引き返した。大きな玉石があるところまで戻るのは面白くない。すぐに左手に小高い丘に上るような形の小道が見えた。そこをたどると池を一周するはずだ。杜若もちらほら見えたので、それを間近に見に行こうと家内を誘った。昔その道を歩いた思いがあるが、平安神宮の神苑の記憶と一緒になっている。先ほど調べると、それも道理で、慶沢園を造ったのは同じ小川治兵衛だ。大阪で唯一慶沢園を手がけた。「池辺にて、その1」で取り上げた円山公園の池はどうかと思って調べると、これも小川治兵衛だ。それはいいとして、杜若で思い出したので書いておく。ここ2,3年、6月になるといくつか思い出すことがある。今後もそうだろう。過去の鮮やかな記憶がよりそうなって甦る。もう10年はなろうか、大阪の城北公園に杜若、花菖蒲を写生しに行った。その時の服装をよく覚えている。写生が終わった帰り、淀川にかかる橋を歩き、上新庄のNの事務所まで行った。そこで写真を撮り、夜は梅田で飲んだ。城北公園にはどの地下鉄の駅か忘れたが、バスを乗り継いだ。不便なところにあるので、毎年6月になって思い出しながらも実際に行くことがない。家内は見ていないので、今年は誘ったが、菖蒲ならどこにでもあると言って断った。確かにそうかもしれないが、この公園のものは立派だ。同じ程度の規模では高槻の山奥にある程度だが、そこはもっと行くのに不自由だ。城北公園には池らしい池があったろうか。あっても杜若でいっぱいになっているだろう。平安神宮にもあるが、もう花の盛がとっくに過ぎた。それでまた来年の6月になればそわそわする。Nは花に関心がさっぱりなく、城北公園の前は何度も通っても中に入ったことはなかった。何に興味を抱いて抱かないかはそれぞれ個人の勝手で、それがいいというものでもない。好きなように生きればよい。
 枯れかけた杜若を見るのは暑さも手伝って酷い感じがする。人間もきっとそうなのだろう。中年以降になると、誰もが渋い顔をして額に皺を寄せる。そう言う筆者も全くそうで、家内はよく筆者に向かって眉間に皺を寄せて恐い顔をするなと言う。鏡を見ると確かに深い皺で、もう直りそうにない。それでTVに登場する70前後の懐かしの歌手の眉間を見ると同じに深い皺をした者がほとんどいない。「顔が昔と少しも変わらへん。まるで化け物やんか。」不思議な話だが、フェイス・リフトの手術で面の皮を引っ張って耳元で固定している。顔が売りの芸能人はそれなりに苦労をしている。自然ではないその顔の表情が人々に生きる勇気を与えると思っているのだろう。枯れかけた杜若が申し訳程度にある付近には暇そうな老年の男性が2,3人いた。何をしようというのでもない。池の畔の木陰でのんびり時間をつぶしている。池の中は淀んで見えたが、ちょっとした滝があった。人間の背丈の倍もないが、優にその下に立って修行者のように水に当たることは出来る。20代の女性ふたりが裸足になってその滝に手足を濡らしてきゃっきゃっ言っていた。中国語だ。それはそうだろう。日本の女性はあのように庭園の滝を喜んで水浴びをしない。その滝の水がどこから引いたものかはすぐにわかる。人工のものか、茶臼山に大きな池がある。そこからつながっていることはもちろん小川治兵衛の設計だ。京都では疏水から水を引っ張るが、慶沢園の池は元をたどればどこなのだろう。住友家の本家が所有したこの庭は今は大阪市のものとなって、美術展を見るついでに気軽に立ち寄れる。ところがあまり売りになるようなものがないと見え、美術展を訪れる人の99パーセントはここには立ち寄らないのではないか。それでいいのだろう。大勢の人が押し寄せると荒れる。そうすれば維持管理に費用がよけいにかかる。住友家の茶室などが入った木造の建物が池の近くにあるが、これは予約せねば見られない。以前、数十人の集団が若い管理者に引率されてそこにぞろぞろと入って行くのを見かけた。その建物からは池の反対側に、猿沢池の畔にある茶店のような建物がある。杜若のある場所から、曲がりくねった細い地路を100メートルほど行ったところだ。そこに入るのは初めてであった。いや、大昔に入ったかもしれないが覚えていない。
●池辺にて、その3_d0053294_18142750.jpg
 入ってすぐに驚いた。床が黒の小さな石でびっしりと埋まっている、那智黒だろう。その艶と、足裏の感触がよい。これほどびっしりと石を埋めた床を見たことがない。今なら安物のタイル敷きかセメントを塗って終わりだ。いつ建ったものか知らないが、大阪がまだゆとりがあった時代であるのは間違いがない。財政難がうるさく言われる昨今、たとえばこの池の畔の休憩所が燃えるなどした場合、同じ形での再建は難しいだろう。庭にそぐわない斬新なものが建つならそれもいいかもしれないが、その余裕もなく、建物自体がもうなくなると思える。市立美術館を見た後、茶でも飲んで休憩しようかという場所は、阿倍野地下街しかない。それにあまりいい店もない。この慶沢園内の趣のある休憩所は、店ではないので茶は出ないが、池に面した窓からは慶沢園の全体がパノラマで広がる。それに窓に嵌るガラスは、どれも歪みがあって、戦前のものであることがわかる。この微妙な歪みのある板ガラスは今では望めない。何でもピカピカツルツルの時代になって、歪みや微妙な汚れの味といったものが歓迎されなくなった。もう手技の時代ではないのだ。7,8年前、京都のある寺の離れの部屋で開催されたキモノの展示を見に行ったことがある。その部屋も戦前に建ったものと聞いた。それはガラス窓からすぐにわかった。小さな気泡がところどころに混じり、向こうの景色もあちこちわずかに歪んで見える。それが面白いと指摘すると、もうこんなガラスは手に入らないとの返事。部屋の全部がそうしたガラスかと言えば、数枚新しいものが混じっていた。それが実に味気ない。その安物ぶりが部屋全体のムードをぶち壊していた。同じ透明であるのに何を大げさなと言われるかもしれないが、人の思いとはそのようなごくわずかな差を認めてさびしさを感じるものだ。それは古いものが何でもいいというのではない。たとえばデートした相手が、流行遅れの何かを身につけていたとすれば、それをすっかり新しい似合うものに取り換えてやりたいと思う。そういう余裕がないとわかっているから、なおさらさびしくなるのだが、それはさておいて、全体の雰囲気が満ち足りて豊かに見えるものに接する気分はよい。それは言い換えればこだわりということだ。慶沢園にはそれがある。それは小川治兵衛が作ったもので、それが守られ続けている。休憩所の突き当りに行って池を見降ろすと、たくさんの大きな鯉が寄って来た。中に亀も2,3混じっている。夜はライトアップするのだろう。中央左寄りにその設備らしきものが見えた。それが無粋でもあるが、夜がきれいであればいい。だが、夜は門を閉じるであろうから、この池の近くに林立するラヴ・ホテルの客が眼下に楽しむだけかもしれない。
●池辺にて、その3_d0053294_16150553.jpg

by uuuzen | 2012-06-27 23:59 | ●新・嵐山だより
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