露が梅雨に転じたのではないかと思う。それほどに雨がよく降る。明日も続くとの予報だ。これではムーギョに行く気になれない。昨日は昼過ぎに岡崎に出て展覧会を見た。雨は予報どおりに降らなかった。
本も少々買ったので、昨日出かけておいてよかった。蒸して汗ばむ天気であったのに、美術館の中は洟水が出るほどによく冷えていた。それでも1階の売店は、温度を高めに設定していたか、冷房を入れていないかで、暑かった。そんなところにも無駄な電力消費を省く思いが出ている。展示室の冷え過ぎはまだ外がそれほど暑くないからそう感じたのであろうか。昨日は美術館に出かける直前に扇風機を出した。毎年家内が秋にきれいに掃除し、専用の覆いにすっぽりくるんで保存する。昨年だったか、旧い扇風機から発火して老人が焼死する事件があった。今年もその話題が出るはずで、わが家の同様の扇風機は大丈夫かと思う。2台あって、ひとつはかれこれ40年ほど昔のものだ。もう1台は30年ほど前に買った。前者は重くて頑丈、作りもていねいで首振りの角度も多様だ。後者は軽めに作られている。そこに時代の推移を感じる。今ではでわが家にあるもの同じ大きさの扇風機が、量販店では2000円ほど買える。そういう商品を見ると、作りはまるでおもちゃで、重厚感からは遠い。電化製品がすっかりティッシュのように消耗品になっている。また、製造から10年ほどか、それ以上の保証はしない。火を吹いてもそれを使用した者の自己責任と来る。熱帯夜にクーラーをつけっ放しにしては電力が問題であるし、扇風機がいいのだろうが、焼死覚悟となれば、スリルがあってなおさら涼しく感じる。それはともかく、40年ほども使っているわが家の扇風機、今年も火を吹かずに回ってくれることを願う。2000円ほどで買える最近の扇風機では、風も軽くて涼しさを感じないのではないか。風に差があってたまるかという意見があろう。だが、風を涼しく感じるかどうかは、大いに気分次第だ。さて、梅雨の大雨によって今日は20度ほどと過ごしやすい。こういう日が続いてくれればいいが、寒い夏には作物が出来ずに東北ではおろおろと歩くことになるから、やはり夏は暑いに限る。去年も書いたように、暑い暑いといってもすぐに秋だ。どんなことでも我慢出来ないことはない。我慢する必要に迫られないのであればいいが、我慢するとその見返りもあると思えるのが人間で、夏の暑さもそれなりにやり過ごせばよい。そう言いながら、年々その猛暑に耐えかねるのが老齢で、筆者もその境地に入りつつある。熱中症で死ぬにはだいたいそんな体力のない老人と来ているから、熱帯夜にはそれを凌ぐシェルター産業がこれからははやるかもしれない。あるいは公共機関が学校の体育館を無料解放して、その内部をぎんぎんに冷やすかだ。ヴァカンス旅行に出かけられない日本中の貧乏人がそういう場所に集まって真夏の1,2か月を過ごす。省エネになっていいではないか。
今日の写真は去年6月21日に撮影した阪急松尾駅の駐輪場だ。季節は正直なものだ。1年前の同じ日はまさに同じ空気が感じられる。この写真を撮ろうと思ったのは、駐輪場の真横の空き地がまた工事が始まって何か出来そうなことがわかったからだ。使い道のない空き地であったし、そこも駐輪場になるかと思っていたが、所有者が違ったのだろう。駐車場になった。それ以降は変化がないので、もうこの「松尾駅の駐輪場」のシリーズは今回で終わる。ムーギョに行くにはこの駐輪場がある交差点を曲がってすぐに松尾橋に至る。駐輪場は四条通りの向こう側、つまり南側で、四条通りの北側を行く筆者は駐輪場を意識しない。この駐輪場の道路を挟んで西に京都銀行があり、そこのATMにたまに訪れては通帳に残高を打ち出す。2、3か月に一度ほどで、残高が少なくなっていることに慌てて入金することがしばしばだ。どうでもいいことを書いているが、そのついでに書く。この駐輪場のすぐ北向かい、すなわち筆者がムーギョに行く際に歩く四条通り北側の歩道沿いでしかも阪急電車の線路の際に喫茶店がある。そこは昔からアイスクリームを売っている。息子が幼ない頃に窓口で何度か買ったことがあるがそれっ切りだ。出入り口の小さなメニュー箱には数品の品物が飾ってあり、そのうちの500円ほどの何とかアイスがいつも気になる。いつか店内で食べたいなと思うが、ひとりでは仕方がない。誰かと一緒がいいが、家内はいやがるだろう。店内は5,6人座ればいっぱいのカウンター席のみで、景色と言えばわずかに線路が見える程度だ。何の取り柄もない店だが、そこに逆に惹かれる。すぐ隣も喫茶店だ。そこは果物屋が経営しているのか、果物を扱ったジュースなどのメニューが中心ではないだろうか。筆者が京都に出て来た時にはすでにあって、家内と一、二度入った切りになっている。その店より断然線路際の小さな店がいい。思い出しついでに書いておく。前にも一度書いたが、ま、いいか。松尾大社のすぐ近く、山手の旧街道沿いにマンションがある。息子が中学生の時、そこに住んでいる主婦と仲よくなった。筆者が家内の代わりでPTAの会合に毎回参加していたからだ。卒業式に当たって、数人の婦人とグループを組んで行事の一部を担当した。その時のひとりがそのマンションに住んでいることを後に聞かされた。そのマンションの前は筆者は年に1回ほどしか通らない。しかも道路から30メートルほど奥まったところに建っていて、なおさら縁遠い。
それはともかく、数人の主婦とはみなそれなりに親しくなったが、もちろん学校だけの付き合いだ。そのマンションの主婦の顔も名前ももうすっかり忘れたが、学生時代はヤンキーをしていたようなところがあり、筆者とはウマが合った。筆者より6,7歳かもう少し年下であったと思う。やけに親しげに接して来てたので、ふたりでいつも漫才のように話をした。それを他の主婦が呆れていたが、筆者は誰とでもそうであって、気にしなかった。彼女には性を全く感じないと言うか、やましい関係になることが想像出来なかった。正直に言えば、筆者は彼女より別の主婦が個人的に気に入っていた。その様子は露とも見せなかったが、相手は筆者の思いを感じていたに違いない。まあ、それもいいとして、マンションに住むその彼女とは、息子が卒業して数年後に、松尾駅のすぐ近くでばたりと会った。そうそう、これも書いておくと、彼女はムーギョの近くの、今はない弁当屋でアルバイトをしていて、よく筆者の通る姿を見ていたそうだ。松尾駅近くで会った時、彼女は喫茶店に誘った。その時、全く筆者らしいことに、お金を持っていなかった。それを言うと、彼女は自分が出すのでと言いながら、筆者を誘導した。入った店は、踏切近くのカウンターだけの店から50メートルほどの、桂川沿いの大きな店であった。そこに入ったのは後にも先にもその一度だけだ。彼女はよく訪れるらしく、女の店主と親しげであった。他愛のない話を30分ほどした。彼女は同店から直線で200メートルほどのマンションに住むのに、不思議なことにそれ以降会わない。彼女の夫の顔を一度見たことがある。中学校ではなく、どこであったか記憶にないが、彼女は指差して旦那であることを言った。赤い野球帽を被り、口鬚を生やし、ちょっとした趣味人には見えたが、イメージしていた彼女の夫とは全く違って目立たないやさ男であった。もっと目に迫力のあるヤクザっぽい男を想像していた。彼女の姿を捉えた写真が息子のアルバムに貼ってある。中学の卒業式に際してPTA全体で学校の講堂で撮った。スーツ姿の筆者は最上段の左端に近い位置に斜めを向いている。そうしたのは窮屈であったからだ。筆者の向かって右隣に彼女が立つ。筆者と同じように斜め向きはいいとして、何と筆者の側、つまり筆者と反対のに斜め向きなので、筆者とはまるで結婚式の写真のようにペアで写っている。撮影時に彼女がもぞもぞしながら筆者の側に向き直すのに気づいたが、彼女らしいと思ってそのことを面白がった。さっぱりした性格で、その後どうしているかと思う。今度会えば喫茶店に誘って奢ってやろうと思うが、入るのは線路際のカウンター席のみの小さな店だ。そこで500円程度の何とかアイスを食べる。だが、もう会ってもお互いわからないかもしれない。梅雨のような長雨の年月が、記憶をどんどん流し去る。